第21話
落書きは明らかに、小中学生がマジックで書いたようなものなどではなかった。通りすがりの悪戯ではなく、もっと明確な、言うなれば表札めいた意図が感じられる。
もちろん実際の所有者などではない。しかしそれが逆に、落書きをした主の傲慢さや、無法さを証明していた。
そこにはなんらかのグループ名というか、”組織名”が記されていたのだ。
前半は、画数が多い漢字を無理にデフォルメしたスプレー文字のせいで全く読めないが、最後には明らかに『連合軍』と書かれている。
「おい妖精、早く四天王を倒そう! そしてすぐに帰ろう!」
慌てて言いながら、背中に潜ませていた木剣を抜く。もう手探りで必殺技を乱射してやろうかとすら思うが、妖精がそれを止めてきた。
「そんなことしたら勇者様の能力がバレる上に、四天王に逃げられちゃいますって」
「いやでもここでのんびりしてたら、なんだかものすごく危険なことになるような気が」
「わたしだってさっさと終わらせたいんですけど」
と、妖精は空中に現れた渦の中に頭を突っ込んで、しばらくすると戻ってくる。
腕を組み、首を傾げて言う。
「どこかへ出かけてるのか、ここにはいないんですよねー」
「四天王の癖に、暢気に外出なんかしやがってるのか!?」
「そりゃ外出くらいしますよ……四天王をなんだと思ってるんですか」
「俺にさっさとやられるための雑魚キャラだろ!」
「ひどっ」
珍しく、妖精は同情の表情を浮かべたようだったが。
――その言い合いの声が大きすぎた、というわけではないだろう。
しかし話が、「すぐにできないなら一旦出直すべきだ」と「すぐに帰ってくるだろうから待つべきです」という押し問答に変わった頃、”それ”は現れた。
「おい! 誰だ、てめえ!」
入り口から怒声が響き、達真は「早くしないと違うものが帰ってくる」と言いかけた口を止めて、硬直した。
背を向けていたため、鉄錆のように身体を軋ませながら振り返る。そうしたくはなかったが、しなければならなかった。
硬直している間にも、ぞろぞろといくつもの足音が迫っていたのだから。
「…………」
見れば、それはやはり想像通りのものだった。
異様に裾の長い、異様に派手な色をした、そして異様にごちゃごちゃと絵や文字が刺繍されているコートめいた上着を着た、柄の悪い青年たち。
間違いない。『連合軍』の方々だ。
数は十数人といったところか。
誰しも二十歳前後に見えるが、中には達真と同程度と思える少年も見つけられる。とはいえ達真とは全く違い、奇抜な髪型で自己を激しく主張していた。
そうした中でも最も派手なのは、真紅の上着を纏う青年である。この集団のトップ――いわゆる”総長”なのだろう。彼はなぜか首を上下に揺すってこちらを見やりながら、低くした声音で言ってくる。
「予行練習中に空き巣とは、いい度胸じゃねえか。ここがどこだかわかってんのか? あぁ?」
「えぇと……」
凄まれるまでもなく、怖気付いて困窮する。
本当のことなど言えるはずもないが、上手く誤魔化す方法も見つけられない。というより、何を言ったところで話が通じる気がしなかった。
あるいは妖精に助けを求めるという考えすら湧いてしまうが――その時である。まさしくその妖精が、足元で異世界を覗きながら声を上げてきた。
「あ、別所達真さん! 丁度こっちも帰ってきたみたいですよ! あんなの俺にやられるための雑魚だとか言ってましたから、さっさと倒して帰りましょう!」
「お前絶対にわざと言ってるだろ!?」
ほとんど泣き声で抗議に叫ぶ。が、連合軍の面々は誰と会話をしていたのか、などと気にするよりも前に、明らかに怒りの形相を浮かべてきた。
「てめえ……誰が雑魚だって?」
「い、いえ、違うんです! これはあなた様方に向けて言ったわけではなく、もっと別の、手も足も出ない場所でのた打ち回るしかない哀れな魔物に向けて、ですね……」
闇雲に弁解しながら、無抵抗を示すために両手を上げて後ずさる。
しかし、むしろそれがいけなかった。
なにしろ達真の手にはまだ――木剣が握られていたのだから。
連合軍の面々の目をそちらへ向けさせる形になり、達真は背筋を凍らせた。
総長は木剣を発見すると、意図してゆっくりと向き直ってくる。
その双眸に怒りを増して。
「やろうってのか、いい度胸じゃねえか!」
賞賛ではなく皮肉と怒りに声を荒げる総長。
達真は「これも違うんです!」と慌てて木剣を背中に隠そうとするが、無駄なことではあった。背後も既に、連合軍の他の面々によって囲まれている。
「ほらほら、市立木香高校二年の別所達真さん。こんな雑魚、さっさと攻撃して倒しちゃいましょうよー」
「だからなんでわざわざ俺の情報を漏らすんだ!?」
「他の時に言わないだけありがたく思ってください」
「やかましいわっ!」
「おい! さっきからごちゃごちゃうるせえぞ!」
恫喝されて、達真はびくりと硬直した。
改めて状況を確認し、冷静になろうとしたが、無駄なことではある。
周囲は連合軍とやらの面々に囲まれ、各々木刀やら鎖やらを構え、いつでもそれを振り下ろせる状況でニヤニヤと顔を歪めていた。正面に立つ総長も、今にも「やっちまえ!」と言いそうな気配である。
もちろん、反撃などできるはずもない。
(コケグマの時より、こっちの方がピンチかも……)
絶望的な気持ちになる。妖精はいつの間にか、足元をすり抜けて工場の天井近くに逃げているようだった。まあそれはその方がいいのだが。
(どうする――)
と自問しても、「どうもこうもない」としか答えられない。せめてできるだけ身体を丸めて、怪我を少なくさせるべきか、というのがせいぜいだった。
「あ? なんもしねえなら、こっちからいくぞ? おい――」
とうとう総長は、「やっちまえ!」という号令を発しようと息を吸い込んで……
その時だった。
「はあッ!」
どこからか。裂帛の気合と共に、総長の身体が吹っ飛んだ。というか、突き飛ばされたように達真の上に圧し掛かってきた。
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