第18話

「どこに行ってたのよ!」

 怒鳴ってくる少女の声。それがどこか懐かしくも思えてしまう。たった二日ほどだが、危険を感じるとその時間の感覚が狂うのかもしれない。

 なんにせよ、彼女は怒鳴っていた。ベッドに座る幼馴染の身体に包帯を巻きながら。

「急にいなくなっちゃって……心配したんだから」

「……すまん」

 トーンを落とした千聡に、達真は申し訳なく目を伏せた。

 それでも彼女はまだ心配し続けているかのように、どこか目を潤ませて言う――

「達真のこと、必死に探し回ったのよ……警察署とか刑務所とか」

「捕まってること前提なのか!?」

 ショックを受けて顔を上げると、彼女は「当たり前でしょ?」という顔で首を傾げていた。それもまたショックだったが……ともあれそれで彼女の気は済んだらしい。やれやれと吐息しながら、いつもの調子に戻る。

「それにしても、異世界に行くなんてね」

 どこに、などと言われたが、そもそも既に説明したことだった――なにしろ異世界の扉から出てきて、倒れている達真を最初に見つけたのが、千聡だったのだから。

 そのままこうして、達真の自宅まで運んでもらったのだ。

「しかもこんな怪我までして」

 と言いながら見せてくるのは、鋭く強靭な爪だった。

 他でもない、コケグマのものだ。

 五本指の爪のうち、四本までもが達真の背中に刺さっていた。

 肉を抉らなかったのは、妖精の手腕によるものかもしれない。憎らしいが、達真はそう感じていた。妖精が扉を閉じるのがあとほんの少し遅ければ、達真の身体には四つの穴が空いていたことだろう。

 それに加えて、あの魔物が地球に現出していたかもしれない。

 とはいえ結局のところ、妖精は達真の異世界離脱と同時に素早く扉を閉じ、二つの世界は遮断された。達真の背中と共に地球へ入り込んでいた、魔物の爪を残して。

「今までピンとこなかったけど、これを見ると、魔物っていうのも真実味が出てくるわね」

 千聡は爪を観察しながら、そう呟く。

 長さは数センチほどで、親指よりも太い。くすんだ深緑をしており、折り曲げようとしてもびくともしない強固さは魔物的と言える。なにより、骨と枝の中間といった奇妙な質感は、触れるだけでぞわりと背中を粟立たせるものがあった。

「それはそれとして」

 と。なんとなしの怖気に包まれようとした気配の中、どこまでも気楽が声がそれを引き裂いた。

 ひらひらと軽薄に降ってきたのは他でもなく、妖精である。

 地球に戻ってきた際、「だから言ったじゃないですかー」とか「勇者様の身の程、わかっていただけましたか?」など、散々なじり倒してきたのと同じ口で、どころかなおさら薄情に言ってくる。

「それじゃ、傷の手当も済んだことですから、改めて四天王退治に行きましょうか」

「何言ってるのよ!」

 達真が驚愕するより早く、反発したのは千聡だった。

「達真は思いっ切り怪我人なのよ。しかもろくに休んでもいないみたいじゃない。それなのに四天王退治なんて、無茶にもほどがあるわよ」

 童顔を精一杯に怒りに歪めて吼える。

 対して妖精は気楽というか、皮肉めいて口を尖らせて。

「歩けるならそれだけで十分じゃないですか。もうここは”異世界ではない”んですから。棒を振り回して叫ぶだけですよ」

「怪我人を歩かせるだけでもよくないのよ! しかもそんな、私だったら即通報してるレベルっていうか、達真じゃなかったら人間としての尊厳を疑うようなことをさせるなんて!」

「わたしの国の王様なんて全身包帯まみれで、何度踏み付けても公務執行してましたよ!」

「異世界の王様なんて玉座に座って適当にそれっぽいこと喋るだけじゃないのよ!」

「お前ら全方位に対して酷いよ!」

 たまらず達真は、ふたりの間に割って入った。

「ち、違うわよ。達真だったらそんなには尊厳を疑わないって意味で、別に達真の尊厳が既にないってことじゃなくて」

「わたしも違うんです! 王様を踏み付けてるのは転げ回る姿が面白いからじゃなくて、なんとなくってだけで!」

「もういいから、余計に酷いこと言うのは……」

 言い訳してくるふたりをなだめ、吐息する。あるいはため息だったかもしれないが、ともかく達真は続けた。包帯の巻かれた身体に服を着込みながら。

「千聡の気遣いは嬉しいよ。けど……今回は俺の自業自得だ。それを言い訳にするのは、たぶんよくないんだろうと思ってる」

「でも……」

「妖精が一応、命の恩人だからってのもある。まあこれも俺の自業自得によってそうなっちゃったわけだけど。それに――」

 と、自分の背中に刺さっていたはずの爪を持ち上げて。

「これより恐ろしい敵が、まだふたりも残ってるんだ。それを実感したからには、異世界とはいえ放っておけない。俺にそれを救うことができるなら、なおさらな」

「……わかったわ。達真がそう言うなら」

 まだ心配そうではあったが、千聡は納得してくれたようだった。「ただし私も行くからね」と言ってきたのは、やはりその心配の表れなのだろうが、達真にはありがたい申し出でもあった。

「まあ……結局、街中で棒を振り回すだけなんだけどな」

 改めて言葉にすると、やはり盛り上がりに欠けるものはあったが。

 ともあれ――

 達真たちは妖精の案内の下、三人目の四天王がいるという町の東部へ向かうと、これまで通り世界越しに、それをあっさりと撃滅した。

 町の東は商店を主とした、いわば繁華街といった雰囲気を持つ地区であり、どの場所、時間帯でも人が絶えない危険地帯でもあったが、千聡の協力によってそれほどの危機とはならなかった。千聡がなぜか持っていたコスプレ衣装を着込み、アニメやゲームの痛いイベントだと思わせることに成功したためだ。

 千聡はコスプレ衣装の所持に関して「だって達真がよく、こういう遊びを振ってくるから……」と言っていたが、ともかく。

 こうして、残る四天王は早くもただひとりとなったのだ。

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