第12話

 闇が蠢く。邪悪が唸る。

 真っ暗な、誰の姿も見えない中で、それは確かに存在した。

 そして間違いなく、感情を発していた――驚愕だ。

「よもや、こうまで迅速だとは思わなかったな」

 表面上には、動揺と呼べるほどのものはない。

 しかし暗闇の奥底に、それは確かに存在した。

 どれほど黒く、見えぬ世界であろうとも、なくなることは決してないのだ。隠すことはできるかもしれないが。

 そして実際に隠せたかどうかはわからない。ただ、邪悪の前にいるもう一つの闇は、なんの感情も見せずに淡々と言ってくる。

「報告によれば、彼の敗北が知れたのは、王国軍の大隊が進攻してきた後のようです。地面の踏み心地が良いと感じた部下のひとりが、たまたま下を向いたことで発見されました」

「よほどの精鋭だった、ということか」

 「信じがたいな」と邪悪は呟く。何も見えない、外界どころか己も見えぬ暗闇の中で。

「残る者に、警戒の厳重化を伝えるのだ。あるいは全軍を用いても構わん。我らの知らぬなんらかの奥の手を持っているやもしれん」

「承知しました」

 闇は告げて、消える。そして闇が残る。

 黒い、真っ黒な世界。

 邪悪はそこで立ち上がりかけて、やめた。


「さあ、新たな敵を倒しに行きましょう!」

 昼食を終えると、妖精は意気揚々とそう言ってきた。空になったおにぎりの包装紙を、達真の持つビニール袋に押し込みながら。

「ここに来る途中、なんとなく向こうの世界を覗いたら恐ろしい敵がいたんです」

「恐ろしい敵なのに飯を優先したのかよ」

 公園から少し西へ進んだ先にある、住宅街の側。店はたった今立ち寄ったコンビニくらいという侘しい通りだが、そこを歩きながら、達真は嘆息する。

「まさか、また四天王じゃないだろうな」

「違いますよ。そんな簡単に四天王と戦えると思ったら大間違いです」

「まあ……困難ではあったけども。色々な意味で」

 そもそも戦いと呼べるのかどうかはさておき。

「ですがある意味でもっと恐ろしく、もっと忌むべき敵です」

「四天王よりも?」

 そんなものがいるのかと、達真は訝る。

 しかし妖精は「とにかくこっちです」と案内するばかりで、敵の正体は答えてこなかった。答えられないのか、答えたくないのか……

 いずれにせよ妖精に導かれて、ひと気のない道を歩く最中。

 達真はまたしても、ふと別の疑問を抱いた。

 それは妖精が空中で、窓から外を覗くように、渦の中に頭を突っ込んでいる姿を見たために他ならない。

「なあ。いまさらなんだが、その渦ってなんなんだ?」

「あれ? 説明しませんでしたっけ」

 ひょこんっと顔を抜いて、意外そうな顔を向けてくる。

「簡単に言えば、わたしの住む世界と、この世界を結ぶ扉のようなものなんですけど」

「それはなんとなくわかってたんだけどさ」

 そうじゃなくて、と言おうとして。しかし達真は、何をどう聞けばいいのかわからず、しばし困窮した。虚空を見上げ、首を傾げ、腕を組んで……なんとなしに、千聡の顔を思い浮かべてから。

「それって、魔力だとか魔法だとか、そんなようなものを使ってるのか?」

「まあ、そうですね。そういう感じだと思ってくれればいいです」

 曖昧な質問に、曖昧に答えてくる。それを受けて、達真は少しだけ問いを変えた。

「ってことは、やっぱりお前の世界では普通に魔法が存在するのか」

 これに大して、妖精はまた適当に頷いてくるかと思ったが。彼女は意外にも難しい顔をして腕を組んできた。言葉を探すように、ゆっくりと言ってくる。

「”普通”には存在しないかもしれません。ですが少なくとも、フォーラング国では誰もが存在を知っていますし、その力の強大さ、恐ろしさも知っています」

「どういうことだ?」

「人間は魔法を扱えないんです。それができるのは魔物だけ。魔法を使う生き物を魔物と呼んでいる、と言ってもいいくらいですよ」

 そしてその中でも最も強大な魔法を扱うのが魔王であり、その力で他の魔物を支配下に収めたらしい。

「ひょっとして俺も、お前の住む世界に行ったら魔物扱いされたりするんだろうか……」

「そんなことにはなりませんから、安心してください。なんたって勇者様は、わたしたちを助けてくれているんですから」

「その差なのか」

 どことなく理不尽に思いながら呻くが、妖精はあくまでも淡白だった。透明な羽に、きらきらと陽光を反射させるように回ってみせながら。

「そんなもんですよ、世の中。だからわたしだって魔物扱いされず、可憐な妖精として敬われているんです」

「ははは」

「なんで笑ったんですか!?」

 などと話していると。

「あ、勇者様、ストップです! 敵がいたのはあの辺りですよ」

 妖精が不意に制止させてきた。と同時に、彼女は達真の服に隠れる。

 川と並走する土手である。遠くには橋が見えて、そこから少し進んだ先には四天王を倒した公園があるはずだ。

 もっとも妖精が示してきたのは土手の下。ぽつりぽつりと釣り人が見える、芝生の河原だった。キャッチボールくらいなら容易にできる幅だろう。

 それをざっと眺めて、達真が呻く。

「今度は釣り人から奇異の目を向けられるのか……」

 町民の各層に、順番に嫌われていく作業な気すらしてしまう。次はどんなグループだろう、などと楽しむことはできないが。

 しかしげんなりしていると、妖精は安心させるように言ってきた。

「あ、今度はすごい必殺技じゃなくていいですよ。上に剣を突き出す程度で十分です」

「恐ろしい敵じゃなかったのか」

「恐ろしいけど防御面は弱いんです」

「攻撃偏重の敵、ってことか?」

 全能力を攻撃に傾けているため、防御が疎かになる、というのはいかにも聞く話だ。

 しかし大仰に叫ばなくてよいのであれば、それほど注目されずに済むかもしれない。

 そもそも声の大きさと必殺技の効果は比例するのか、どうすれば技の力加減を調整できるかはわからなかったが、なんとなく力んだり緩めたりすればいいような気がしていた。

「あ、勇者様、もうちょっと右です。そうそう、その辺り」

 ともあれ。達真は言われた通りに土手を下りて、妖精の指示に従って場所を調整していった。幸いにして、釣り人とは距離がある。多少ならば声を上げても構わないだろう。騒ぐと魚が逃げる、と怒られることはあるかもしれないが。

「ではそこで真上に向けて、必殺技……じゃなくて」

 言い直し、妖精は腕を組んでしばし考えた。そしてぽんと手を打って。

「『なるべく生存技』で」

「なんだその技は」

 一応言ってみるが、どうもこうもないのだろう。いいから早くと急かされて、達真は渋々と棒切れを構えた。

(防御力が低いとはいえ、一応は魔物なんだよな? ってことは本当に棒を上げるだけってわけにはいかないよな)

 そもそも技名を叫ぶ必要があるのか? とも思うが、何をどうして技が発動しているのかわからないのだから、叫ばないわけにもいかないだろう。

(とはいえこんなイレギュラーな状況の技なんて、千聡に考えてもらったことないし……俺が自分で考えるしかないか)

 しばし考えると――すぐに閃いて、ぽんと胸中で手を打つ。構えた棒を空へと突き上げながら、ほどほどの声で言う。

「じゃあ……なるべく生存技、突き上げアタック!」

「かっこわるっ」

「うっせえ!」

 即座に批評されて、達真は棒を突き上げた格好のまま、真っ赤になって言い返した。

 近くの釣り人が、その反論によって気付いて、やはり「魚が逃げるだろ」と言いたげな抗議の視線を向けてきたが。

「あ、でもやりましたよ、勇者様!」

 いつの間にか服から抜け出て、土手の斜面に異世界への扉を開いていた妖精が、歓喜の声で言ってくる。しかもなぜか、どことなく嘲りを含めながら、

「デート中だったあの女、あへぇってなってます!」

「何をやらせてんだ!?」

「流石は勇者様の突き上げアタック。見事な突き上げアタックでデート女を一撃ですね!」

「やめろぉ! 名前も用途も恥ずかしいから連呼するなぁ!」

 頭を抱えて、慌てて妖精のところへ駆け寄っていく。彼女はそんなことも無視してはしゃいでいたが。

「あはは、男の方なんて彼女のひどい顔が周りに晒されて、興奮半分で慌ててますよ。あ、勇者様も見ますか? ざまあみろって感じで爆笑ですよ」

「お前もう黙ってろっ」

 達真は憤懣と羞恥と慙愧に叫びながら、渦の中から妖精の身体を引っこ抜くと、そのまま急いで土手を逃げていった。

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