第11話

 達真は妖精に従って立ち止まり、そこにあるものを見上げていた。公園の最奥にひっそりと設置された、四角い建物。それは――

「公衆トイレじゃねえか!」

「ここの、赤いマークの付いた門の先です」

「しかもそっちなのか!?」

 希望が瞬く間に絶望、それも死の未来を見るものへと変わり、達真は頭を抱えた。

 加えて叫んでいる最中、まさしくその女子トイレから主婦らしき人が出てきて、完全な不審者を見る目を向けながら足早に去っていく。

「…………」

 人生の終わり。そんなものを感じざるを得ない。

「さ、行きましょう」

「行けるか!」

「なんでですか。誰にも見つかりませんよ。個室の中ですし」

「出入りの時点でアウトだよ!」

 まして今のタイミングで入っていたら、完全に見つかっていた。

「仕方ないじゃないですか、ここにいるんですから。わたしの世界を救うためなんです!」

「ここで捕まったら、世界を救うどころじゃなくなるけどな」

「むー」

 妖精は不服に呻くと、服から抜け出て腕を組みながら考え始めた。

 そしてキョロキョロと周りを見回すと――閃き、指差す

「あ、じゃあこうしましょう。中に入るのではなく、上から攻撃するんです」

「上から?」

 妖精の小さな指が示した方向には、木が立っていた。公衆トイレを隠すように隣接した、大きな木だ。それに上れば、確かに公衆トイレの屋根まで辿り着けるだろう。

「……余計に目立たないか?」

「トイレの上に立つのと、トイレの中に入るのと、ここでわたしが勇者様の性癖について全力で叫び回るのと、どれがいいですか?」

「お前は絶対にいつか殴る。全力で殴る」

 頬を引きつらせて犬歯を見せると、妖精は逃げるようにひゅるひゅると宙を舞い、公衆トイレの屋根まで飛んでいった。

「わたしを捕まえてごらんなさぁい」

「…………」

 なぜか恋人の追いかけっこを演出してくる妖精に嘆息し……しかし達真は他に道などなく、渋々と木をよじ登ることになった。

 太い枝が多く、登りやすいのは幸いだった。全く感謝する気にはなれないが。ともかくすぐに屋根に降り立つことができる。

「さあ勇者様。今たぶん足元にいるはずですから、ささっと倒しちゃいましょう!」

「くそ……四天王め、こんなところにいやがって!」

 仕方なく怒りを、一目たりとも見たことがない四天王へ向けることにして。

 達真は屋根の上に落ちていた木の枝を手に取ると、静かに息を吐いて目を閉じた。両手で持った枝を高く掲げ――屋根の上に突き立てる!

「お前のせいで人生終わりそうな恨みを食らえ! 必殺、天地転動打!」

 打ち込まれた力は地面に無数の亀裂を生み出し、地中から眩い光を発させた。しかしそれは希望の光明などではなく、全てを無に還そうとする絶望の爆炎である。次の瞬間にはそれを証明するように、光は巨大に爆裂し、大地を天上へと噴き上げた。天に新たな大地を作るように、そして大地を虚無の空とするように、ただしその両者の間には他のどんな存在すら許さぬほど、強大な力の奔流が荒れ狂う――

「…………」

 そんなナレーションが、達真の頭に空しく響いた。

 しかし実際に聞こえてきたのは、やはりナレーションでも、爆音などでもなく、引きつった人々の囁き声である。

「うわ……何、あの人」

「通報した方がいいんじゃないかしら」

「たっくん、来ちゃダメよ! 危ない人がいるから!」

「…………」

 先ほどトイレから出てきた主婦が噂したせいだろうか。いつの間にか、子供たちを見守っていた母親たちが遠巻きにこちらを見上げ、明らかに嫌悪と危機の表情を見せていた。

 一方で、トイレの裏からはやはり歓喜する妖精の声。

「やりましたよ、勇者様! ふたり目の四天王も無事に撃破です! 地面と混ざってぐちゃぐちゃになってるおかげで、駆けつけた部下にも気付かれず踏まれまくりですよ!」

 凄惨な状況を嬉々として実況してくる妖精に眩暈を覚えながら、達真は無言で木を伝い、地面に降り立った。主婦たちがなおさらざわめき、危険を感じてか後退するのを横目に見ながら、それとは反対に公衆トイレの裏へと逃げ込んでいく。

 そこにはもちろん、妖精がいる。丁度、例の黒い渦から顔を出したところだった。

「なあ妖精……やっぱりこの能力、ちっとも上位互換じゃないと思うんだが」

「でも安全でしょう?」

「色んな意味で危険が多すぎるような」

「捕まりさえしなければ、社会的に死んでも問題ありません」

「お前、色々と酷くないか!?」

 ほとんど涙目で言うが、妖精は全く無視した。にゅるんっと渦から足まで引き抜き、同時に渦が消える。渦が足になったというようにすら見えたが。

「さ、とにかく倒したなら帰りましょう。そろそろお昼ご飯の時間ですよ」

「昼飯前のちょっとした運動みたいに倒される四天王……」

「それだけ勇者様の力がすごいってことです」

 哀れみすら感じで言うが、妖精はあくまで気楽でひらひらと宙を舞い、褒め称えてくる。

 それでも達真は、どうしても腑に落ちない思いを抱えたままだった。

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