第3話 晴れ時々曇り ところにより蜂の襲撃(3)

貨物車両を乗っ取るスズメバチを追い払うために彼ら義勇兵は義憤から立ち上がった。誰かの指示ではない。自分の意思だ。彼らなりに列車の見学に来ていた尋常小学校の学徒達を守らねばならない。そんな思いがあったからだ。彼らなりに厳しい訓練に耐えてきた自信や自負はあった。彼らに足りなかったのは実戦経験と混虫に対する知識、そしてなにより危機感だ。戦場では臆病なものほど生き残り、勇ましいものほど早死にする。


「…うぇあ、うあ、うぁ!!」


少年兵の一人が弾切れになったライフルに慌てて弾をこめる。だが、その手はどうしようもないくらい震えていた。涙ぐんでさえいた。彼は落ちついて弾をこめようとした。だが、いくらやろうとしても手元が震えて上手くできない。誰かの助けを借りようとして彼は辺りを見渡した。近くにいる仲間の足元を見つけて、声をかけようとして見上げて絶句した。 声をかけようとした仲間にはすでに上半身がなかった。綺麗に吹き飛んでいて下半身だけが直立不動のまま残っている。


「いひぇえあぁあ!!?」


すでにまともな悲鳴を上げる余裕すらなかった。

床には血だまりが水溜まりのように溜まり、薬莢と血の入り混じったなんともいえない臭いを撒き散らしていた。スズメバチの力は圧倒的だった。鋼鉄をも紙のように食い破る頑丈な顎で奴は貨物車両の天井の屋根を食い破ると車両内に侵入してきた。ハチを迎撃するために駆け付けた義勇兵達は手持ちの銃器でありったけの銃撃を浴びせた。だが、ハチの装甲ともいえる皮膚は頑丈そのもので銃弾をことごとく跳ね返した。その段階で彼らは逃げるべきだった。だが、彼らにはそこで逃げるという機転を働かせることができなかった。経験のなさか、蛮勇が為せる技か。そして逃げないという選択はハチに絶好の捕食時間を与えることになってしまった。その顎が、爪が、針が、次々と義勇兵達に襲い掛かった。

そして彼らがどうなったのか。答えはスズメバチの抱える物体にあった。自らの唾液でハチは球体の何かを作り上げていた。それは目を背けたくなるようなものであった。あまりにも忌まわしすぎて、ここで語るべきものではないものなのかもしれない。それは殺した兵達の肉片で作られた巨大な球体であった。それはまさしく餌だった。ハチが巣に持ち帰り、我が子達に食わせるための餌の塊。まさしく人間と相容れることのない、悪魔の所業であった。


「えひ、ひぃあ、は、入った!!」


ようやくライフルに弾をつめた少年兵が震える手先で照準を合わせようとした。彼が駆け付けたのはまさにそのタイミングであった。




             ◇◆◇◆◇◆◇◆

 





「…やめておけ。無駄に刺激するだけだ。」


駆け付けた私は無謀な行いをしようとしている少年に対して声をかけるとライフルを降ろさせた。少年は驚いてこちらを見た。ひどい顔だ。返り血と肉片と恐怖が入り混じっている。


「…全滅、か。」


歩くとちゃぷちゃぷと音を立てるほど溜まっている足元の血だまりを眺めながら、私は深い溜息をついた。勝手な行動を取って死んだのは彼ら自身の責任だ。が、間に合うことができなかったのも事実。的確な指示を与えておけば彼らが死ぬこともなかっただろう。 だが、今は振り返っている場合ではない。責任転嫁は目の前の化け物にすることにしよう。幸いなことにスズメバチはこちらにすぐに攻撃を仕掛けてはこない。餌玉を固めることに必死なのだろう。そういう意味では義勇兵の彼らが作ってくれた無駄ではない時間ということになる。

そう考えると苛立ちがさらに増して来た。


「…コロ。」

「…はい。少尉殿。」

「抜刀を許可する。合図とともに貨物車両の連結を叩き切れ。」

「了解であります。」


私は少年兵の腕を掴んで強引に起き上がらせると叫んだ。


「走れ!けして振り返るな!」


私の声に少年兵は弾かれるように走った。私ももちろんその後を追う。獲物が逃げると判断したのだろう。奴は瞬時に行動を起こしてきた。口に含んでいた鉄片を弾丸のように飛ばしてきたのだ。当たれば致命傷。その必殺の一撃の前に立ったのはコロだった。彼は凄まじい速度で刀を抜き放った。閃光が走ったようにしか見えなかったが、瞬時にして鉄片は叩き斬られて床に落下した。コロは弧狼族の中でも最強を誇る居合を扱う士狼の血を引いている。飛んでくる銃弾程度であれば正面から叩き切ることができる。私が彼を側近に置く大きな理由の一つだ。スズメバチは苛立ち、二撃目、三撃目の鉄片をこちらに飛ばしてくる。

そのことごとくをコロは切り払いながら私達の後を追う。


「コロ!今だ」

「はい!少尉殿!」


隣の車両まで乗り移った私が合図すると同時にコロは車両同士の連結を叩き切った。貨物車両が切り離され、見る間にスズメバチと我々の距離が離されている。むろん奴がそれを許すはずはなく、羽根を羽ばたかせてこちらを追おうとした。


「やらせるかよ。」


私はライフルを構えると照準を合わせた。狙うのはスズメバチではなく、奴が取りついた貨物車両の爆薬の引火だ。


「くたばれ!痩せぎす野郎!」


私は悪態をつくと引き金を引いた。同時に凄まじい爆発と爆炎がスズメバチを巻き込んだ。その煙の中からスズメバチが現れないことを確認した後に私は背を向けた。



              ◇◆◇◆◇◆◇◆




スズメバチを駆除し終えた私はその足ですぐに先頭車両に向かった。問題はまだまったく解決していないからだ。追ってきていたハチは二匹いたはずだ。どこにいるのかは知らないが、すぐに襲ってくるのは目に見えている。コロにもそれは分かっているのだろう。緊迫した表情のままで彼は私に聞いてきた。


「先程の少年兵はいかがしましょう。」

「残念ながら今の我々に人の世話を焼いている余裕はない。何か聞いてきたら邪魔にならないように奥歯を鳴らしながら隅っこで震えていろとでも伝えておけ。」


私は外向きの笑顔を張り付かせたまま、足早に歩き続けた。しばらく客室を通り過ぎていくと、不安そうに固まったまま席に座る学徒達と引率の先生達の姿を見つけた。皆、同様に目に涙を浮かべながら不安そうな表情でこちらを見つめていた。 ああ、くそ。この忙しい時に。私は苛立ちを隠しながらも彼らへのフォローをすることにした。私は非難めいた視線を向ける壮年の男性教諭に話しかけることにした。


「せっかく見学いただいたのに申し訳ありません。」

「…いったい何が起きているんだね?」

「この列車は現在襲ってきた混虫と抗戦中でして…」


それを聞いた瞬間に子供達が一斉に泣き出した。ええい、クソガキどもが。泣くな、泣きたいのはむしろこっちなんだぞ、ばかやろう。


「ご安心ください。私達は皆さんを安全に家路まで送り届けるために最大限の努力をいたします。」


怒鳴り散らしたいのを必死にこらえながら、私は彼らをなだめようとした。その瞬間、壮年の男性は立ち上がって叫んだ。


「ふざけるな!こんなことになると分かっていたなら、なんで子供達を乗せたんだ!責任を取れ!」

「責任、ですか。」

「ああ、そうだ!お前達、戦争屋が勝手に殺し合うのは構わないよ。だがな、私達、非戦闘員を巻き込むのは筋違いだろう!」

「…命にかえて貴方がたを送り届ける。それが私達軍人の責任の取り方です。」

「そんなことは当たり前だと言ってるんだ!だいたい…」


ガキ共がいなければその場でこの男を殴り倒していただろう。かろうじて残っていた自制心がそれを必死に抑えつける。ふと気になって傍らのコロを見てギョッとなった。彼は血走った目をしたまま、今にも腰の軍刀に手をかけようとしていた。やばい、切る気だ。よせよせ、これだけ私がこらえているのにお前は血の気が多すぎるだろう。


「…コロ。よしなさい。」


コロのおかげで幾分か冷静になれた私は彼を諌めた。私の言葉に彼は我に帰ると必死に軍刀に手をかけようとする左手を右手で抑えつけた。そんな我々のやり取りなどお構いなしに壮年の男は怒鳴り続ける。正直な所、面倒臭い男だ。こんな奴のために時間を取るわけにはいかないのに。どうしようか手をこまねいていた私達を救ったのは意外な人物だった。

それは最初に私達に声をかけてきた引率の若い女の先生だった。少し遠くの席で子供達を宥めていた彼女はすっくと立ち上がると、我々の元に歩み寄り、思い切り壮年の男に平手打ちを食らわした。


パァンッ!!


凄まじく鮮やかな音が響き渡り、私とコロは言葉を失った。いや、殴られた壮年の男が一番驚いていた。


「いい加減にしてください!子供達の指標となるべき私達教師が取り乱してどうするんですか!軍人さん達は今、ご自分達がすべき事を懸命に遂行されています。そんな彼らに罵声を飛ばすことが貴方のすべきことなんですか?恥を知りなさい!」


我々も呆気に取られたが、殴られた張本人が一番ショックを受けたようだった。彼は毒気を抜かれたように口をパクパクと動かしながら、「いや…、だって…」と呟いた後に力無くうなだれて座り込んだ。彼女はそれを見届けた後に私のほうに向き直ると深々と頭を下げた。


「非礼をお詫びします。そして命を懸けて私達をお守り下さっていることを本当に感謝いたします。」

「ぐ、軍人として当然のことをしているだけです。」


なんという強い女性であろうか。一見穏やかに見えるこの華奢な身体のどこにこれだけの凛とした芯の強さを持っているというのか。 彼女はふと私の顔をじっと見ると何かに気づいた。


「…あの、何か?」

「お顔に血がついていますわ。」


彼女はそういうとポケットからレースの白いハンカチを取り出した。そして私の顔を拭こうとした。


「いけません、そんな白いハンカチを。汚れてしまいます。」

「洗って返してくだされば結構ですよ。そう、必ず生きて帰ってお返しくださいね。」


彼女はそういうとハンカチで私の頬をゆっくりと拭いてくれた。私は顔が熱くなっていく自分に気づいて引ったくるようにハンカチを受け取るときびつを返した。


「必ず生きてお返しします。」

「どうかご無事で。」


恥ずかしさを紛らわすように大きな声で答える私に彼女はそう言って送り出してくれた。

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