第2話 晴れ時々曇り ところにより蜂の襲撃(2)
人間の敵、混虫。それがこの世界に現れたのは突然のことだった。
混虫。混沌の彼方より現れた化け物。奴らは巨大な身体と狂暴さを持った人間の敵だ。彼らの出現により、生態系の頂点に立っていた我々人間は自分達が狩る側ではなく狩られる側であったということを嫌というほど認識させられた。
人類同士がお互いの数をちまちまと減らす全面戦争の最中に突如として大挙して現れた彼らは傍若無人、そして無軌道なままに人間達の集落や軍を襲っては貪り食い荒らした。同じ人類同士が争っている場合ではなく、共に手を取って混虫に立ち向かうべきだと気づいたのは圧倒的な戦力差に世界的な人口が半分にまで減少してからのことであった。
◆
機関車は疾走する。身を乗り出しながら私は双眼鏡で上空に映る無数の影を眺めた。あまりに遠すぎてはっきりとは認識できないが、あの姿には見覚えがあった。
「間違いない。ハチだな。」
点くらいにしか見えないくらいに離れているはずなのに奴らの羽音は不気味なまでにはっきりと聞こえてくる。
「コロ。総員に通達。警戒態勢を取れ。いつ襲われてもおかしくないからな。ただし、学生達には気取られるな。」
「了解です。少尉殿。」
コロは頷くと壁際に設置してある連絡用の伝声管にひそひそと囁き始めた。連絡が終わった後にコロはこちらにこう伝えてきた。
「少尉殿。リムリィからの報告です。学生達を引率する先生が改めてご挨拶に伺いたいということなのですが。」
「後にしろ。後に。まったく、今この時がすでに戦争だというのに構っていられるか。」
我ながら酷い言い草ではあるが、いつ襲ってくるか分からない敵を前にしてのんびりと世間話ができるほど私はいい趣味をしていない。そうこうしているうちに動きがあった。町のほうへと移動しつつある影にたいして町側が攻撃を始めたのだ。
凄まじい対空放火の雨あられだった。20はある影にたいして対空ミサイルまで飛ばしている。やり過ぎくらいに見えるが、あのくらいでも虫相手には足りないくらいだ。双眼鏡を覗きながら私はコロに尋ねた。
「そういえばあそこの防衛隊長は誰だったかな。」
「は!鐵男爵であったと認識しております。」
「鐵?ああ、蜂の巣男爵か。なら大丈夫だな。というよりは虫が気の毒なくらいだ。」
蜂の巣男爵というのは戦争時代に噂で聞いた彼のあだ名だ。手持ちの弾薬を全て使い切って敵を蜂の巣にする凄まじい男がいる、確かそんな噂だったと思う。しばし戦局を眺めていた私はあることに気づいて双眼鏡を下ろした。
「案の定、何匹かこちらに来るぞ。」
「…少尉殿。」
「なんだ。」
「お顔が笑っています。」
「はは、いいじゃないか!コロ、君も笑いたまえ。血で血を洗う、我々の望んでいた素敵な戦争の始まりなのだから。」
コロいわく、私は戦闘の前になると笑うらしい。口の悪い人間からしてみればあの戦闘狂が、などと悪態をたれられるのだ。実のところはこれが戦闘前の恐怖を我慢している引き攣り笑いの類であるのだが、それを知っている人間は実は少ない。私の笑みを誤解している代表であるコロはそれを戦闘準備の号令に受け取ったようだ。
「銃砲共に射程距離です。」
「機銃はともかく、砲は俯角が取れないだろうが。いいな。ギリギリまで引き付けろ。至近距離から当てない限り、奴らには効果が薄い。」
指示を出しながら私はしまっておいたライフルを取り出すと、薬莢をこめた。 近代戦闘において制空権を取っていない戦闘車両が戦闘機と戦闘を行うというのは本来は自殺行為である。何せ相手は自分達の頭上にいる。見晴らしのいい的から狙い放題というわけだ。もしやり合うのならば自らが有利になる戦場に相手をおびき寄せなければならない。 だからこそ選んだのは上空からの襲撃を防ぐことができるトンネルに蜂をおびき出す作戦だった。
「ありったけの石炭をぶちこめ!後のことなんざ考えるな!」
「分かっています!」
コロは短く叫ぶと動力炉に石炭をぶちこんだ。応じるように列車はさらに加速を始めた。通常運行ではありえない速度だった。だが、その速度にも関わらず背後から迫るハチを振り切ることはできなかった。
「ある程度は予想していたことだがな。」
私は再び運転席から身を乗り出すと双眼鏡で背後を眺めた。そして致命的な事実に気づいた。あの頭の形は普通の蜂ではない。
「最悪だ。奴ら、スズメバチじゃないか。」
「ぅあえ!?」
私の呟きを聞いてしまったコロがおかしな悲鳴を上げる。無理もない。それだけ相手はたちの悪い混虫なのだ。通常のハチに比べてスズメバチは獰猛である。普通のハチの倍以上に大きく、比べものにならないくらい獰猛だ。なによりもタチが悪いことに奴らは人間の肉を好んで食べる。コロが何かを思い出し、悲鳴に近い声をあげる。
「待ってください、少尉殿!この先、右手側には確か集落があったはずです。」
「ああ、格好の餌というわけだな。奴らが集落を襲えば我々が逃げる時間を稼げる。実に簡単な話だな、コロ。」
私の言葉にコロが青ざめる。私にたいする信頼とまさかという不信が入り混じった目だった。私はそれを流すように視線をそらした。
「…それができればな、苦労はないんだよ!!」
私は叫ぶと身を乗り出してライフルを撃った。弾丸は列車の背後まで飛んでいった後に破裂し、同時に真っ赤な閃光が辺りを包む。撃ったのは閃光弾だ。混虫は紅い光を敵対色と認識する。光をちらつかせれば奴らは集落ではなく列車を無我夢中で追ってくるはずだ。
「…少尉殿。」
どこか安堵したような表情でコロが私を呼ぶ。コロにさっき話した言葉を彼は冗談と思ったようだ。本音を言えばさっきの言葉は少なからず私の本心だった。あんなおっかないものとこれから命を懸けて戦うくらいなら誰かを犠牲にして生き延びたほうがいい。綺麗事だけを言う空想上の英雄のようになるくらいなら泥臭く生にしがみついて生き延びるほうがよほどマシである。だが、それができないから私は私でいられるのだ。そう再認識した瞬間、凄まじい衝撃が列車を揺さぶった。
「なんだ!」
「風圧です。どうやらスズメバチが車両上空を航過した際の風圧で揺さぶられた模様です。」
「はは、なかなかにスリリングじゃないか。迎撃はどうしたぁ!」
「すでにやらせています!」
コロの返答と同時に二回目の揺さぶりがきた。すぐ近くで行われているはずの迎撃用の機銃の銃声がひどく遠くからに感じられた。口が渇く。手にじんわりと汗が滲んできていた。ふいに静かになった。直後、今までにない衝撃が列車全体を襲った。
「なんだっ!?」
すぐさまコロが伝令管で後部車両との連絡を取り、その内容に青ざめる。
「伝令より通達!スズメバチ一匹が貨物車両に取りついた模様!」
その報告に私は一瞬頭が真っ白になる。完璧に想定外の事態だったからだ。
「ふざけるなよ、なんでそんなことになる!対空機銃射手は何をしていたというのだ!!」
「それが…すでに名誉の戦死を遂げたとのことです。」
「くそっ!」
「現在、白兵部隊が銃撃にてハチを追い払おうとしていますが…」
「無理に決まっているだろう!すぐに下がらせろ!奴らの恐ろしさはお前だってよく知っているはずだ!」
「了解です!」
コロの返答を聞きながら、私は歯ぎしりした。
「…新兵どもが勝手なことを。」
この列車には戦時下で私が率いていた部下以外に志願にて入隊した数十人もの義勇兵が乗っていた。貨物だけでなく、彼らを配属先の街に送ることも我々に課せられた任務の一つだったからだ。だが、入隊したばかりの訓練兵あがりの彼らは混虫の恐ろしさを全く知らないようだ。奴らに白兵戦を挑むなど恐れ知らずにも程がある。虫の恐ろしさを知っているものなら虫に遭遇したらまず逃げるものだ。彼ら捕食者にとって人間などは柔らかい餌に過ぎないのだから。
「くそっ!くそっ!くそっ!」
悪態をつきながら私はグルグルと歩き回り、打開策を思案した。いくつかのキーワードと報告を頭の中でまとめ、有効な戦略を練る。けして時間はない。だが、焦ったところでいい案など浮かばない。
「コロくん。」
「は、はい。」
「火を貸してくれまいか。」
「禁煙なさっていたのでは?」
「いいじゃないか。これが最期の一服になるかもしれないのだから。」
冗談じゃありませんというコロの叫びを無視しながら、私はコロの差し出したライターの火で煙草に火をつけた。こんな時でも煙草はうまい。 緊迫感とは無縁な煙が天井にぷかりと浮かぶのをヘラヘラと眺めながら私は思案した。そして雷に撃たれたようにある事実を思い出した。
「コロ!ハチの奴は貨物車両に取りついた、そう言ったな。」
「は、はい。確かにそう報告しましたが。」
「ははは、ひはは、ハーッハッハッハッハッ!!!」
コロの報告に私は思わず堪え切れなくなって笑い出した。コロがぎょっとした顔でこちらを見るがお構いなしだ。生真面目な奴のことだ、ついに私が気が触れてしまったのではないかと心配しているに違いない。本当は床に転がり回って悶絶したかったが、さすがにそれは自重しておいた。
「少尉殿…?」
「これが笑わずにいられるか。貨物車両に取りついている?その貨物車両には何がある。」
私にそう言われたコロはしばらく呆気に取られた後、我に帰ると同時に叫んだ。
「あ!あそこにあるのは補給用の弾薬や爆弾です。」
「そういうことだ。リムリィをすぐに呼び戻して列車の操縦をやらせろ。私とお前は害虫駆除だ。」
私はそう言うと帽子の鍔を真っすぐに正した。
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