二話 祭とヒズミノカミ


「雪、準備はもう済んだのか?」


 黒紅は雪の側に腰をおろす。


「あ……はい。」

「もォ〜!紅時雨様の浴衣姿を見て、何か他に言う事があるでしょ。」


 銀朱が即座に黒紅を咎めた。


「……和装なんて珍しくないだろ。」


 白地に、濃紺と淡い水色の菖蒲の柄が入った控えめな浴衣は、雪の幼さを隠し、婉然えんぜんと表現するのがピッタリだった。アップに纏めた白い髪には、透明感がある奥床しい月下美人が咲き、シャラシャラと銀ビラが揺らめく。

 黒紅は少し間を置き、騒いでる織部達を横目で見ながら、更に言葉を続ける。


「あの馬鹿達だって、何も言ってないだろ。」

「ボクは紅時雨様に可憐でございますと、既にお伝えしましたよ。」


 黒紅の言葉が聞こえていたのだろう。ベソをかきながらも織部は主張をした。


「あ、オレも本心を言ったぜ。」

それがしも、お伝えした。」

「僕も。言ってないのは黒紅だけだよ〜。」

 山吹、茅丸、月白もそれぞれ告げた。


「…………。雪、そろそろ祭りに行くぞ。」

「はいっ!」


 僅かに眉間を寄せた黒紅を見て、慌てて雪は立ち上がる。


「さて、そろそろ行きましょうか。」


 パチンと、淡藤は口元を隠していた扇子を閉じ、音もなく立ち上がった。

 そして、七鬼全員で示し合わせたかの様に人間へと、姿を変えた。


「おい……。まさか皆で行くのか。」

「黒紅は、自分の角を隠して下さいね。悪目立ちしますから。」

「あ、淡藤殿っ⁈」


 淡藤を先頭に、七鬼達はそそくさと外に向かった。

 部屋には雪と黒紅だけがとり残される。


「黒紅……。みんなを呼んだこと怒ってるの?」

 しょんぼり下を向く雪。

「いや…………。俺達も行くぞ。」



 七鬼達は、雪が住んでいるマンションのエレベーターホールの前でエレベーターの到着を待つ。

 胸がの谷間が見えるように着崩し、派手な格好をしている銀朱は、人間の姿では淑やかな浴衣姿へと変わっていた。ニヤリと、赤い唇を妖艶に歪ませ、淑やかな姿には不似合いの笑みを浮かべる。


「ウフフッ。淡藤様、あの子を見て楽しんでるでしょ〜。」

「えぇ。あんなに自分の感情を表に出す黒紅を見るのは、そうそうなかったものですから。それに、銀朱と瑠璃姫の、紅時雨様への過保護ぶりも何だか新鮮でしたし。ははっ。」

「………。」

「………。」

「それに、山吹から綺麗だの華麗だのと言う言葉が出てくるとは。はははっ。」

「……………。」

「あんなに丁寧なお辞儀をしている茅丸も見た事がありませんでした。ははははっ。」

「……。」

「月白も織部も紅時雨様に丁寧に言葉をかけてくれて……安心しました。初めて紅時雨様にお会いした時、無事に選鬼や七鬼が決まるものかと心配してましたから。」



 ふと、淡藤が後ろを向くと、雪と、雪の後ろをピタリと張り付いている角がない黒紅がエレベーターホールに着く。


「……淡藤殿、エレベーターのボタンを押してくれ。」

「あぁっ!なんか変だと思ったんですよねぇ。はははははっ。」


 エレベーターのボタンの前に立っている淡藤に全員の視線が集まる。

 淡藤が下に行くボタンを押した瞬間、エレベーターのドアが滑らかに開いた。



 夕方の熱気は、ぬるりとカラダを包み込み、気怠げな日差しが時間をなだらかに進ませる。淡藤を先頭に七鬼、雪、黒紅と住宅街を歩いて行く。

 華麗奔放な七鬼達が、どこにでもいるような姿になったことが、雪には珍しく、何度もチラチラと見てしまう。

 茅丸は人間の姿になっても、ひょっとこのお面で顔は見えなかったが。


「淡藤殿、先頭を歩いてるが、祭りの場所を知っているのか?」

「いいえ。全く。何と無くで進んでいました。」


 黒紅の方を向き、メガネ姿の、ひと昔の好青年に姿を変えた淡藤が微笑む。


「淡藤様、実は浮かれてる?」

「瑠璃姫様もそう思いましたか。実はボクも同じことを思っていました。」


 十歳ぐらいの姿で可愛らしい浴衣姿の、瑠璃姫と織部がコソコソと会話した。何も事情が知らない人から見たら仲がいい兄弟のように見えてるだろう。月白は儚げな美丈夫になり、楽しそうに二人の会話に加わっていた。

 ちなみに山吹は、お祭り男を彼なりにそのまま体現したようで、暑苦しく近寄るのも皆から遠慮されていた。山吹は何度も雪に暑苦しく声をかけ、その度に黒紅の高圧的な冷たい視線が容赦なく飛んで行くのだが、山吹は全く気にする様子を見せなかった。


 十五分ほど歩くと、無機質な住宅街から、ちらほら自然の緑が増え、神社に向かうと思われる人足も多くなってきた。

 次第に人々の賑やかな声が聞こえて来くる。

 雪の歩く足が次第に早まる。

 数段の石階段を上ると足が軽い。

 鳥居をくぐる。

 ぼんやり橙色の光を放つ提灯。

 陽気な音楽が流れ、石畳みの道の左右に立ち並ぶ露店。

 はしゃぐ子ども達。林檎飴、わたあめ、光るおもちゃなど手に持ち思い思い楽しむ人。

 式神――犬や狐や鳥などのケモノ型、花や木などのショクブツ型、鏡や古書や傘などの道具が変化したツクモ型、人間に近い姿のヒト型など、自分の主人の側に付き添いながらも、機嫌が良さそうにしている。



 祭の熱量が大きく見開いた雪の瞳にそのまま入る。


「わぁ!!!」

 可愛いらしい声が漏れた。


「これは胸が踊りますね。」

 うちわをゆっくり仰ながら淡藤はメガネの中の目を細める。


「うわぁ!!!山吹さんっ!!!」


 山吹に勢いよく肩車をされる織部が、両手を振り回し驚く。


「おまえら、あまり羽目をはず――」

「よっしゃあ!行くぞ〜!」

「山吹さんっ、お、降ろして下さいっっ!」

「織部殿いいなぁ〜某も…」

「紅時雨様、ワタクシ達も行こう。」

「あら、妾も。」

「僕も〜〜♪」


 黒紅の制止を聞かず、山吹、織部、茅丸、瑠璃姫に手を引かれた紅時雨、銀朱、月白は勢いよく飛び出し瞬く間に人混みに紛れて言った。

 黒紅と淡藤だけが取り残された。

 どんな人混みの中でも皆、違いの位置は分かるので、逸れても相手を見つける事はわけもなかった。


「あーあー。みんな浮かれて。私達、置いていかれましたね。」

 あからさまに眉間に皺を寄せる黒紅に、淡藤は笑いかける。

「…………。」

「私は、クレープとやらが食べたいのです。」

 淡藤もそわそわし始める。

 食事をする必要がない、式神の食事は嗜好の部類に入る。

「雪に持たされた。」

 黒紅の手にはくしゃくしゃの千円札二枚が握られていた。

「おぉ〜!これはこれは!紅時雨様には月白達がいるので心配はないでしょう。私達も少し楽しみましょう。」

「イヤ、俺はそこの物陰の椅子で……」

「さぁ、私達も露店巡りに行きましょう。」

「…………。」

「さぁ!」

「……あぁ。」


 淡藤はどうやら魔鬼の国の長としての立場を少しの間忘れ、純粋に楽しみたいようだった。

 個我意識が非常に強い鬼達から信頼を得て、必要な時に取りまとめるのは骨が折れるのだろうという事ぐらい黒紅も容易に想像ができた。

 何より、肉が腐敗した半分骸の様な姿をしていた自分にも見捨てず世話をしてくれた淡藤には恩を感じている。彼の少年の様な姿を見るのは、悪い気がしなかった。

 淡藤と黒紅も人混みへと足を進めた。

 クレープの露店を見つけ、最後尾に並ぶ。


「黒紅はどのクレープが食べたいですか?」

「俺は食い物には疎い。淡藤殿と同じものでいい。」

「ではイチゴ生クリームを頼みますね。フフッ。私は人間の気持ちは、それ程よく分からないのですが、息子を持った父親の気持ちって何と無く分かりました。」

「そうか……。俺も淡藤殿には……いや、何でもない。おい、ニヤニヤするな!ほら、順番が回ってきたぞ。」


 黒紅は冷たい銀色の瞳で、クレープの注文をしろと急かした。


「イチゴ生クリームクレープを二つ下さい。」

「二つで千円ね。」

 淡藤は上機嫌で注文をし、両手にクレープを受け取る。


「毎度あり〜っ!」


 威勢のいい店の主人の声を聞きながら店を後にする。そして、比較的静かで人気が少ない、木々が植えている場所に移動し、その中でも一番の大木に背を預けた。淡藤は隣にいる黒紅にクレープを手渡す。


「美味いな。」

「でしょ。この生クリームと苺との甘酸っぱさが病みつきになります。」


 遠くを見ると、視界の右端で雪達が楽しく射的のゲームをして騒いでいるのを見つけた。茅丸が射的用の銃を両手に持ち、奇怪な動きをしながら、景品を倒している。周りの子供達は皆大喜びしている。雪は顔と同じ大きさのわたあめを手に、みんなと笑っていた。月白は淡藤と黒紅の視線に気づき手を振ってきた。


「みんな楽しそうでよかったです。」


 クレープを食べきった淡藤が、言葉を漏らした。黒紅も自分のクレープを食べ終える。


「淡藤殿。」

「はい。」

「俺は、あいつらの様に雪にあんな表情をさせてやれない……。」

「もしや、自分が選鬼にならなかった方が良かったと思っていますか?」

「あぁ。選鬼選びの時、他にも雪に合う者は数名いた。俺を選んだ事は失敗だったのではないかと……」


 黒紅はうつむき、足元の大小様々な石を見る。


「私は様々な主を見て、選鬼や七鬼が選ばれたところを見てきました。主と鬼、双方の同意の元に選鬼や七鬼が選ばれます。主がよくても鬼が認めなければ成立しない。また逆も然り。そして私は未だに失敗を見た事がありません。失敗とは則ち魔鬼の国の消滅。今、失敗と決めつけるのは早計です。それに、選鬼になることを望んだあなたを、自分の選鬼にすると決めたのは紅時雨様です。今は前の主である清藍様から紅時雨様へと、徐々に主の座が引き継がれている時期です。現在まだ清藍様の力が魔鬼の国を支えていますが、完全に紅時雨様が主となられた時、魔鬼の国が維持できる様になると私は信じています。だから黒紅も信じて差し上げなさい。そして自分に自信を持ちなさい。あなたはあなたなりの方法で紅時雨様を支えればいいのです。」

「あぁ……。」

「まだまだ紅時雨様の霊力は弱いですが以前より安定し、力を付けつつあります。この調子でいけば、封印で閉ざされた力の回復は間に合うと確信していますよ。」


 淡藤は黒紅の肩をポンポンと軽く叩く。


「情けない姿を見せてしまった。忘れてくれ。」

「はい。」

 うちわで口元を隠す淡藤。

 柔らか光と遠くから聞こえる喧騒。

 心地いい風が一瞬駆けて抜けて行く。


 ふいに悲鳴が聞こえた。

 淡藤と黒紅が悲鳴がした左側を振り向く。

 社の裏側付近に、しめ縄で飾られた観音開きの大きな鉄の扉が、不自然に佇んでいた。

 現世と邪隠じゃいんの間を繋ぐ扉だ。

 厳重に鍵がかけられ封じられてるはずの扉が、僅かに開いており、隙間からはドス黒い獣の様な巨大な腕がヌッと伸びていた。

 手の指には炎が纏っている。


「ヒズミノカミだぁああ!おまえどうにかしろよ!!!!」

「おまえ、ここの神社の息子だろう!!!」

「お父さん達と邪隠の間に行った時はこんな大きいのは出てこなかったんだよ!」

「俺は邪隠の間がどうなっているのか、少し覗きたかっただけなんだよ!」


 式神を出した中学生ぐらいの少年が数人、怯えながら言い争っている。

 式神達は己の背に自分の主を匿い、必死に守ろうとしていた。神社の息子と思われる男の子の狼の式神は唸り声をあげ威嚇をする。

 ヒズミノカミと呼ばれるドス黒いものが、扉を軋ませゆっくりと顔を覗かせる。

 真っ黒い焼けただれた皮膚に、瞼がない炭のような目玉、口の皮膚がなく無数の牙が不規則に飛び出している。牙の間から炎がチラチラ溢れる。


「雑魚か。」

 黒紅は冷たい銀色の瞳でヒズミノカミを睨む。

「紅時雨様が気付かないうちに片付けますか。」

「あぁ。」

「黒紅は悪目立ちするのでここにいなさい。私がヤります。」


 右足で地面を軽く蹴り、体を浮かせると、スルリと音もなく五十メートル先にいる、中学生の後ろに移動する。

 紫と赤の狩衣姿。優雅な藤色の長髪を幻想的に舞あげ、二本の不揃いな角が現れる。

 右手の中指で、眉間から鼻の頭までを軽く撫でる動作をすると、淡藤の前の空間に小さな亀裂ができ、手を入れて銀色の巻物を取り出す。

 巻物の紐を解く。術式解放。

 宙を浮いた巻物は淡藤を中心に円を描き無音で回る。

 回っている巻物に書かれている文字を素早く目で追う。巻物の動きが静止し、素早く手を伸ばし、右手の人差し指と中指で文字をなぞる。

 墨で書かれた文字が紫に光だす。


 鉄の扉を覆い尽くす大きさの、ドーム型の光の壁が浮かびあがりヒズミノカミを覆い捕獲する。

 そしてドーム型の光の壁は小さくなり、ギリギリとヒズミノカミの巨大を四方八方から締め付けた。

 光の壁はヒズミノカミのみに作用しており、鉄の扉や周辺には何の影響もない。

 光の壁の圧力に耐えきれなくなったヒズミノカミはプツンと事切れ、霊石に姿を変える。

 さらに淡藤が別の文字をなぞると、時間が巻き戻るかのように鉄の扉が閉まり、鍵が掛かった。

 一瞬の出来事に、中学生ぐらいの男の子達は状況を飲み込めず口をパクパクさせている。

 手招きに反応した霊石は、淡藤の右手に収まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る