雪と式神と花火の夜
只野葉月
一話 お祭りに行きたい
「ねぇ、あの賑やかなのは何?」
ジリジリ照りつける八月半ば。
耳が痛くなるほど、蝉がけたたましく鳴く中、太陽が少し夕方へと傾きかけてきたあたり、少女と式神の鬼が神社の前で足を止めた。
すれ違う人々が、ギョッとした顔で式神の鬼を見ては、白々しく視線を逸らす。
可愛らしい白いワンピースを着た、十五、六歳ぐらいの存在感が薄い小柄な少女は、柔らかい白い髪を三つ編みでスッキリまとめ、瑠璃色の蝶と椿の髪飾りが、浮世離れした少女に彩りを与えていた。いつもは血の気を感じさせない肌がほんのり赤みを帯びる。
品がいい鼻筋、長い睫毛、形がいい唇。
しばらく凝視して、ようやく綺麗な顔立ちをしてる事に気付かされる程、冴えない雰囲気を纏っていた。
少女と対照的に人型の鬼は人の視線を引きつける存在感があった。
この暑さにも関わらず涼しい顔で着物に羽織をカッチリ着ていた、この男の鬼は少女の存在を全て隠してしまっていた。
熱を一切感じさせないような白い肌、額から生えている2本の手のひらほどの長さの角は黒から鮮やかな赤へと変化している。漆黒の長い髪は右側で緩く纏められ右半分の顔が見えない。髪の間から見える切れ長の目は、氷の様な冷たい銀色をしていた。存在しているだけで、威圧的で、美しく、触れようとすると無数の刃で切りつけそうな危うさがあった。
上目遣いで見上げ、可憐な淡い赤色の瞳を鬼に向ける少女の右目は、焦点が合っていなかった。彼女の右目は過去に故意に視力を奪われてしまっていた。
少女の質問に鬼は穏やかな眼差しを返した。
「あぁ、あれは祭りだな。昔から人間は神を祀って、祈願したり感謝するんだ。賑やかなのは露店が沢山あるからだろう。雪は見た事ないのか?」
「ううん。露店ってなに?」
「食べ物を売っていたり、他にも様々なものがあったり……だな。実は俺もよく見た事が無いんだ。」
「行きたい。
「俺は興味が……」
雪はそうっと、黒紅の人差し指を雪の人差し指と親指で掴む。炎天下の中、全く熱のない黒紅の指は、雪の体温でほんのり温まった。
「行こうか。ここに祭について書いてある張り紙があるが、夕方の7時半から花火があるらしい。この暑さで雪は汗をかいたようだし、一度部屋に戻って出直すか?」
わしゃわしゃと、雪は濡れた絹糸の様な自分の髪をタオルで拭いていた。
シャワーを浴びている時、人々が賑わっていた神社を思い出し、何度も小さな胸を高鳴らせた。
ドライヤーで髪を乾かし始めるが、目を伏せ、すぐにドライヤーを止めた。
時が止まったかの様に動かなくなる雪。
「何かあったか?」
「…………」
「雪……」
「…………」
雪の不安を感じ取った黒紅は小さな肩に触れようと手を伸ばすが、躊躇った。
(自分がこんなに楽しい思いをしてもいいのだろうか。)
雪の胸は不安で埋め尽くされた。
母を亡くし、十年近く幽閉され、世話をしてくれた母の形見の式神も力を使い果たし数年前に消滅した。
母が死んだもの、式神が消えたのも全ては人間でありながら鬼として生まれてきた雪のせいだと言われ続けていた。
部屋の中の世界しか知らない雪を、外に連れ出してくれ、養子に迎えてくれた睦月は、雪はなにも悪くないと何度も諭してくれた。しかし罪の意識は未だに雪の腹に鉛の重りを入れ、苦しみを与え続けている。生きているだけで不幸を振りまいている感覚に陥る。
「祭りに行くんだろう。」
「私、祭りに行ってもいいのかな…」
辛そうで怯えた小さな声。
「銀朱や瑠璃姫も呼んでやれ、あいつら雪とと祭り行けるとなったら喜ぶぞ。」
「…………」
「浮かれたあいつらは騒がしいから辞めておくか……」
しばらくの間、蝉の鳴き声だけが部屋の中を支配する。
「……瑠璃姫、銀朱」
夜の化身の様な少女の鬼、瑠璃姫と、毒々しいむせ返る色気の女の鬼、銀朱が姿を現わす。
「ご機嫌よう
瑠璃姫と銀朱はお辞儀をして、自分達の主である雪に挨拶をした。
紅時雨とは鬼が住む
「紅時雨様元気だったァ?あらっ、髪が濡れてるじゃないっ」
「紅時雨様どうしたの?部屋に呼び出し珍しい」
先程の
瑠璃姫の感情が隠れる抑揚の無い声が、嬉しさを滲み出させている。
様々な言葉をかけ、雪に夢中になっている瑠璃姫と銀朱の隣で黒紅がため息をつく。
「黒紅いたのね。」
瑠璃姫が黒紅に向ける。
「……。雪が祭りに行きたいと――」
「えっ!祭り?もしかして私達の事、誘ってくれたの?紅時雨様は何の浴衣が似合うかしら」
黒紅の言葉を最後まで聞かずに、フィーバーする銀朱。小さな黒い空間に手を入れ、おもむろに何枚もの浴衣を引っ張り出す。
瑠璃姫は器用にドライヤーのスイッチを入れ雪の髪を乾かし始めた。
彼女達の自由な振る舞いに目を白黒させる雪。
「紅時雨様の準備するから、黒紅は隣の部屋に行ってなさい」
と、瑠璃姫にあっけなく追い出された。
自分が一番と踏ん反り返っている様な彼女らが、雪の世話を焼きたがる姿を見ると黒紅は些か不思議な気持ちになった。
初めて雪の鬼化の姿を見た時、花の様に儚く散ってしまいそうな美しさに心を掴まれたのは黒紅だけではなかったらしい。
魔鬼の国の主になる前、雪は右目を媒体に、鬼の力を封印されていた。その後遺症か、封印が解除された後も、歴代の魔鬼の国の主の中では格段に霊力が不安定で弱い。
自分より何か優れたものを持っている者しか、魔鬼の国の鬼達は認めたがらない傾向にあるが、雪の場合は自分が守らないとすぐに消えてしまうのではないかと、庇護欲を煽る。
紅時雨と言う、赤色の名前を持つ主は、魅力の力を強く持つ。だからこそ、皆が一様にして惹かれるのであろう。雪に仕える
「あの子、雰囲気変わったわね。」
黒紅が部屋を後しにたのを確認し、慣れた手付きで浴衣を着せていく。雪に着せたい浴衣が見つかったらしい。雪はされるがまま、人形のように大人しく従っていた。
「あの子?」
雪は淡い赤色の瞳を銀朱に向けた。
「黒紅よ。魔鬼の国では異質な存在として生まれてきたせいか、誰にも心を開く事はなかったの。でも、長である淡藤様には世話になった恩を感じてるみたいだけどねェ。双子の兄である穏やかな月白とは正反対。」
銀朱は素早く雪の帯を素早く結んでいく。
「妾がたまに姿を見かけても、いつも神経を限界まで張り詰めた氷の様に冷たい雰囲気を出してたの。それにあの子、無意識に威圧感を放って居るから、目をつぶっていても近くにいれば分かったのよ。ウフフッ。七鬼の鬼達はそうでもないけど、あの子を穢れた者として酷く嫌う者は多いわァ。でも魔鬼の国の最上級の鬼の中でも霊力強いし、戦闘能力も高かったから、今は誰も手は出さないけどねェ。」
「黒紅、今はとても話やすくなった。あと優しい目をする様にもなった。」
瑠璃姫は櫛で丁寧に雪の髪を梳かし始めた。
隣の部屋では黒紅が窓から外の景色をぼんやりと眺めていた。
『私、祭りに行ってもいいのかな…』
そう雪に問われた時、黒紅は自分がどう答えていいのか、戸惑った。
穢れており、醜く、歪な存在である自分が、行ってもいいのだと告げても、この言葉で雪は安心してくれるのか……そう思い、思わず逃げてしまった。
雪も黒紅も己の存在を否定し、戸惑いながら生きている。
二人はある意味、似た者同士だ。
黒紅は力をつけ、戦闘に特化する事で自分自身の存在を肯定してきた。戦闘以外の己など、無力で情けない存在である。
ようやく見つけた、自分の全てを捧げてもいいと思った少女。いつも寂しげな少女の――雪の笑顔が見たかったが、自分にはその手段がない。
静かに部屋のドアが開かれた。
「おぉ〜い。黒紅ぃ〜。」
開かれたドアの隙間から黒紅と似た顔を持つ、銀色の髪の男の鬼が、ひょいと顔を出した。只でさえニヤニヤしている顔が更に緩み切っているように黒紅には見えた。
「月白⁈なんでおまえが⁈」
「なんでもなにも、紅時雨様に呼び出されたからさ。紅時雨様の浴衣姿綺麗だよぉ〜。」
一人思考の沼に陥ってたせいで気付かなかったが、開かれたドアの隙間からやけに賑やかな声が聞こえてくる。
「まさかっ!!!!」
大股で月白の方に歩いて行き、部屋を出る。
廊下に出ると、賑やかな声がする場所へ足を早め、勢いよくドアを開ける。
「おいっ!!!!なにを……してるん…だ…」
まず目に入ったのは、銀朱の豊な双方の膨らみに後頭部を沈めさせる様に抱き付かれている雪。魔鬼の国の長である淡藤と瑠璃姫と銀朱は、どの髪飾りが雪に似合うか若干熱のこもった談義をし、とっかえ引っ換え飾りをつけては外しを繰り返している。
少し視線を動かすと、ひょっとこのお面をかぶった
「紅時雨様のものだから、お二人共、もう食べるのをやめて下さいっっっ。」
と、若干涙目になりつつ、必死で訴えていた。黒紅が彼らの気配に気付かなかったのは全員が巧妙に自分の霊力を隠していたからだ。
「あははっ。七鬼、全員集合だね〜。」
愉快そうに月白が黒紅を押しのけ、スルリと部屋に入る。
どんな流れで雪が他の七鬼を呼び出したかは知らないが、好き勝手やっているのを見て、怒りを――特に茅丸と山吹には怒りを覚えたが、楽しそうな雪の表情を見た途端、その怒りは影を潜めた。
山吹はクッキーを頬張りながら黒紅に片手を軽くあげた。
「よぉっ、黒紅じゃないか。美味いなこれ。なんかおまえ雰囲気変わったか?刃こぼれした妖刀?のようだぞ!」
「もう、山吹さん、思った事を片っ端から言語化するのやめて下さい。黒紅様申し訳ありませんっ。悪気はないんです。あぁっ!茅丸様、プリン食べ過ぎですよ。何個目なんですかっ。」
「確かにこのプリンは美味いなぁ。」
「月白様までっ!」
収集がつかない状態に半べその織部。
表情を変えず黒紅は雪の元へ行く。
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