33「センパイ♡」

 いつもの放課後。いつものKB部の部室。

 僕が執筆の合間の休憩で、マンガ本を読んでいた。部室にはたくさん本が常備されている。小説もあるがマンガもある。たくさんある。〝勉強〟にはラノベのほうだけど、休憩にはマンガのほうが向いている。

 マンガのほうが、頭を使わずに読めるっていうか……。べつにだからといって、小説のほうがエライというわけではなけれど。むしろ、より楽に読めるっていうことは、そちらのほうが、より高度なことをやっているというわけで……。

 などと僕が、柄にもなく紫音さんみたいな高尚なことを考えていると――。

 タマが横から、すすっと間合いを詰めてきた。そして耳元三十センチの近距離で――。

「センパイ♡」

 僕は真横に三十センチばかり飛び動いた。正座して着地した。

「ねえタマ。ひとつ言っておきたいんだけど。語尾に〝♡〟をつけるの、それやめようね」

 リアル妹持ちの兄種族の一員としては、妹的キャラが「♡」を発したときの危険性は充分に承知しているつもりだ。

 だから警告した。それをやめろ。いますぐやめろ。

「おい」

 ちゃぶ台でノートに向かって、カリカリとシャーペンを動かしていた部長が、ぼそっと、不機嫌とも思われる声でそう言った。

「ついてないだろ。おまえの錯覚だ」

「いえついてますって」

「じゃあ、おまえの脳内だけの現実だ」

「それ同じ意味じゃないですか」

「じゃあ、自意識過剰あるいは願望だ」

「願望じゃないです。妹はリアルで一人もいれば充分ですって。わかってくださいよ」

「うちはリアルで二人いるケド。もうすこしいてもいいと思うぞ」

「そりゃ恵ちゃんとか聖羅ちゃんとか、出来のいい妹さんならそうでしょう。うちのみたいな猛獣じゃないでしょう」

「聖羅がゆーには、カスミちゃん、いい子だそうじゃないか」

「四ノ宮家の伝統です。外面だけはいいんです」

「おまえは中身が最近すこしはみだしてきているがな」

「え? そうですか? 僕、かぶりもの取れちゃってます? あれ? えっと? どのへんがだめです?」

「おまえの猫かぶりの件も、錯覚ないしは妄想の件も、どっちもいいから。執筆にもどれ」

「あっ。はい」

「そうですよ。センパイ♡」

 タマが言った。また言った。

「ほらまたですよ。いまのこれ、ぜったい、♡、ついてますよね?」

「錯覚だってば」

「錯覚じゃないですよ。ほらタマもういっぺんやって」

「センパイ♡」

「ほら」

「どこがだよ?」

「タマ。もういっぺん」

「センパイ♡」

「ほら確実にこれ、ついてるじゃないですかー」

「センパイ♡」

「ほら」

「センパイ♡」

「ほら、ほらー」

「なぁ、どう思うよ?」

 部長が話題を振った先は、紫音さん。

 物凄い勢いでキーボードを打っていた紫音さんは、ぴたりと、その音を止めて、椅子をくるりと回して振り返ってきた。

「確信犯ではないかな」

「だよなー。後輩に何度も何度も♡を吐かせるこいつ、いったい、どんな罪状にすべきかね?」

「ちょ! ちょ――!? 最後の二回は僕が言わせたんじゃないですよ? タマが勝手に」

「センパイ♡」

「ほらまた!」

「懲役イチマンネン追加だな」

「るる。」

 綺羅々さんまで同意してる。「るる」と鳴くのが綺羅々さんの返事。

 部室の片隅の台所スペース。通称〝紅茶基地〟から、恵ちゃんがお盆を手にやってきた。

「はーい♡ お茶が入りましたよー♡」

 恵ちゃんまでえぇ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る