15「蝴蝶の夢」

 いつもの放課後。いつものKB部の部室。

 紫音さんが創作ノートを読んでいるあいだ、僕は手で膝を掴んで、じっと待っていた。

 一話四ページほどの「4コマ小説」を一話きりなので、紫音さんだとすぐに読み終わる。

「しかし……、ほんとうに……、くくく」

 紫音さんは笑いはじめた。

「え? あれ? 今回そんな笑うとこありましたっけ?」

「いや。真央……ではなくて、この元勇者のリーダーがね……。リサという名の彼女がね。本当に真央そのものなものだから、それが、ついおかしくてね……」

「へー、じゃあ、〝キャラが写し取れてる〟っていうやつですね。やったー!」

「君の話を読んでいると、まるでリーダーや魔王たちが、本当に実在している気がするね」

「そんなー。僕なんか、ぜんぜんですよー」

 頭に手をやって、ごしごしとこすりながら、そう言った。紫音さんが褒めてくれた。

「褒めてるわけではなく、単に事実を指摘しているだけなのだけど」

 うわっ。――だから紫音さんコワい。思っていることが筒抜けだった。

「ふふっ。可愛いね、キミは」

 年上の黒髪美人さんから、そんなことを言われると、男の子としては恐縮してしまう。〝可愛い〟っていう部分に対して、ちょっと抗議するなり、突っ張るなりすべきかと思うのだけど……。相手が紫音さんでは、まったく無理。

「ところで京夜君……。君は〝蝴蝶こちょうの夢〟という話を知っているかな?」

「こちょうの、ゆめ? ですか?」

 首を横に振った。ぜんぜん知らない。

「古い中国の説話でね。夢の中で蝶になって飛んでいたところで目が覚めるが、はたして自分は蝶になった夢を見ていたのか。それとも今の自分は、じつは蝶が見ている夢なのか。どちらなのか、わからなくなってしまう。という話なんだけどね……。君の書く話を読んでいると、そういう気持ちにさせられるんだ」

「ええっ? それって、つまり、ええと……? GJ部やGEのほうが本当の僕たちで、いまの僕たちは、そっちの人たちの見ている夢? ……ってことですか?」

「そう思ったことは? 一度もないかな?」

「そんなことあるわけないですよー。僕たちのほうが本物に決まってますよー。だってこれフィクションですよ? 僕の書いた作り話ですよー? そして僕らは現実ですよー」

「でもこれは証明不可能問題となるんだ。たとえばフィクションの中の登場人物は、自分の世界や自分という人間が誰かの創作物であると思ったりはしないね。ということは、我々が〝現実〟と捉えるこの世界もまた、誰かの手による創作物であるのかもしれない」

「またまたー」

「そしてまた、我々の世界を書いていると思いこんでいる〝その人物〟のいる世界だって、また別の誰かの手による創作物なのかもしれない。すべての世界は、そうして循環し、並列であり、等価で対等なのかもしれない」

「すいません。ちょっとついていけなくなりました」

「私はこんなことも考えているんだ。――我々が〝フィクション〟と考える世界は、すべて〝実在〟しているのかもしれない」

「え? でも僕が思いつきで書いたものですよ?」

「それについては、〝マルチバース解釈による深層意識の接続〟として説明できると思う。これはある小説家の言葉だったのだけど……。〝小説を書く作業は、作るというよりも思い出す行為に近い〟」

「あー、そっちは、なんかわかるような気がしますー。思い出す、っていうほうだけは」

「君は本当に、作っているのではなく、思い出しているのかもしれないね」

「マルチバースってほうは、なんなんです? 深層意識の接続って?」

「おおう……。そこからかい。……パラレルワールド。平行世界。自分とよく似た人間のいる別の世界のことをいうのだけど」

「ああ! GJ部のある世界!」

「そうそう」

「あと! GEグッドイーターのある世界!」

「そこでは私は魔王のようだね」

「ああ、じゃあ、そこの、僕によく似た――カインと、僕の意識がどこか深層意識とかで繋がって、彼の体験が流れ込んできている、ってことですね? だけど僕はそれを自分で〝思いついた〟と錯覚している。……と、そういう話ですね?」

「君は理解が早いね。あと、ムーリアンと呼ばないでいてくれて、ありがとう」

「むーりあ……? なんです? それ?」

「いや。わからないのであればいいよ。で、どうかな? 面白い仮説だと思うのだけど」

「面白いです。でもどっちでもいいです」

「どちらでもよい、とは?」

 紫音さんはストレートの黒髪を、さらりと揺らした。つまり、小首を傾げた。

「みんなが愉しんでくれるなら、どっちでもいいと思うんですよ。――僕は」

 そう答えた。本心だった。

 紫音さんは謎めいた微笑みを浮かべていた。つまり、同意してくれた。

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