E03「魔王さまという人」

 いつものダンジョン。いつもの最下層。

「……んあ?」

 たき火のまわりで寝袋にくるまって寝ていたカインは、ふと、目を覚ました。

 こしこし、と、目をこする。

 たき火の火勢が、すこし弱くなっていた。それで目が覚めたのかもしれない。ちょっと肌寒いし。

 積んであった薪を、ひとつふたつ、みっつぐらい足して――。火箸兼、調理箸兼、金串を使って――燃えさしの真っ赤な炭の位置を変える。下に空気が入るような通り道をつくってやると、すごくよく燃えるのだ。

 一人、起きている人がいた。魔王さまだ。本を手に、ページを開いている。その彼女は、本を閉じると、切れ長の目で、カインを見つめた。

「ああ。すまないね。火が弱くなっていることに気がつかなかった」

「いえ大丈夫ですよ」

「いやまったく。番をしていたというのに申し訳ない。もし言いわけを許してもらえるなら、種族特性でインフラビジョンというものがあってね。暗闇でも普通に物が見えるんだ」

「へー、便利なんですねー」

 魔王さまの種族は〝魔族〟である。その中でも〝夜魔族〟という種族らしいけど、冒険者でもなく、学者でもないカインは、そんなに詳しくない。

「じつはそうでもない。暗くても見えてしまうものだから、火が弱くなっていても気がつかなかったりする」

「あっ。なるほどー」

「そしてもうひとつ白状すると、読んでいたこの本が、たいへん、興味深くてね。つい読みふけってしまっていたんだ」

 魔王さまは魔族のなかでも、変わっている人(魔族)なのだという。

 本が好き。そして争いは好きではない。

 魔王を討伐しに魔王城に乗り込んできた勇者――リーダーと、じっくり話しこんでいるうちに、おたがいが、これまでどれほど「まずいごはん」を食べてきたのかで、意気投合したそうだ。そして魔王を辞めて、飛び出してきてしまったのだった。

 すっかり目が覚めたので、カインは、コーヒーの準備に取りかかった。

 魔王さまたちの食べるものと飲み物の準備は、すべてカインの仕事である。

 理人っていったって、単なる素人なんだけど。なにしろ、リーダーや魔王さまやアサシンさんたちは、本当にもう筆舌につくしがたい壊滅的な腕前でいらっしゃるので――。

「コーヒー。どうぞ」

「うん。ありがとう」

「その本。おもしろいんですか?」

「よくぞ聞いてくれた」

 そう聞くと、魔王さまは、しまってあった本を取り出した。

 どこにしまってあったのかというと、空間の穴。魔王さまの魔法で〝亜空間書庫〟というらしい。魔王さまはそこに大量の本をしまっている。空間に開いた穴を、いちど覗いてみたことがあったのだが、無限に続くすごい書架が、ちらりと見えた。

「これはずっと昔の魔王の自伝でね。人間の女性に恋をした、その心情が綴ってあるものなんだ。大変。興味深いものだよ」

「へー」

 カインは相づちを打った。

 なんだか……、ふつう? ラブロマンス? 昔の魔王ってところが凄いのかもしれないけど。魔王さまがそんなにエキサイトするようなものだとは、ちょっと思えないのだけど。

 この理知的で大人なお姉さんの「普通」と「エキサイト状態」は、ごくごく些細な違いでしかないが――。カインには、最近、ちょっとだけ区別がつくようになってきていた。

「魔族には〝恋〟という感情はないんだ。せいぜいが〝欲しい〟そして欲しいものは奪う。力で決着をつけるのが魔族においては〝正しい〟とされているのでね。しかるにこの昔の魔王は――、その人間の女性を欲しい気持ちをこらえて、あえて、彼女を手放すんだ。彼女と別れて魔界に戻るんだ。これが興味深いと言わずして、なんと言うのか」

「なんで別れちゃったんですか?」

「なぜだと思うかね? 子供まで儲けている二人が、なぜ、別れたのか? ノーヒントでわかるかな?」

 いくつか思いついたうち、もっともロマンスのある答えを、カインは言うことにした。

「奥さんと子供が、大事だったから――ですね」

「正解だ! なぜわかったのかな? なぜなのかな? どうしてかな?」

「まあ。なんとなく」

「うーむ……。それはきっと、君が〝人間〟であるからだろうね。やはり人間は興味深い。ほんとすごいね。君は」

 そんなことを言われて、照れてしまう。

 魔王さまみたいな凄い人から、すごい、なんて言われちゃった……。

 カインはコーヒーのおかわりを淹れはじめた。

 魔王さまのカップが空になるまでには出来あがるはずだ。

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