RED BARON

尾岡れき@猫部



心ざしふかくそめてしをりければ消えあへぬ雪の花と見ゆらむ(古今和歌集)



 閉館17:00を目前にして、僕は懐中電灯を照らしながら館内を歩く。私設槙本歴史博物館として祖父が開設して、この町の隠れ名物になっている。レプリカであるが第一次世界大戦時期の軍用機や兵器が展示してあるのだ。僕の祖父、槙本辰男はアマチュア歴史学者として名を知られているが、何のことは無い。単なるミリタリーおたくだ。レプリカとは言え精緻に作られた複葉機がリアルに展示されていた。縮小されているとは言え、搭乗可能な戦闘機も多く子ども達が大喜びな子育てスポットにもなっている。


 子どもに乗られたらすぐ壊れると思うだろうが――本当によく壊れる。それでも祖父は御構い無しだ。優しい訳ではない。私設歴史博物館の運営と史学はあくまで副業で、本業であるプラモデル屋の合間をぬって部品作りに勤しむ。パーツは全て自作だ、祖父にとって修理は日課にしか過ぎないのだ。


 だから祖父を歴史学者と紹介するのは断じて違う、と思ってしまう。


 懐中電灯を照らす。臨場感を出すように、各照明は弱々しくそれぞれの展示物を照らしていた。よく、小学生が隠れて残っているので油断ならない。事務兼受付のパートのおばちゃんがいるだけの博物館だ。僕もバイトとして閉館前の見回りをさせられていた訳である。


『そんなの私に確認すればいいだろうに、来兎ライト、君も酔狂な』


 囁くような、響くような、機械的なような、柔らかい声。僕にとってはお馴染みの声に目を細める。声の主の居場所は分かっているから、あえて探しもしない。


「これが俺の仕事なの」


 バイト代をもらっている以上は、親族のよしみと言えど疎かにはできない。


『別の邪な目的が見え見えだが?』


「う…うるさいよ!」


 僕は思わず声を荒らげた。言われなくても分かっている、ただ小さな目的の為だけにこのバイトを続けていた。


「あ、槇本君」


 と懐中電灯が照らした先に、眼鏡をかけた紺のブレザー姿の女子高生が立っていた。


 彼女が先刻まで見ていた視線の先には時代を感じさせる実物大の三葉翼の飛行機が佇む。三葉翼とは、固定された翼がコクピット側に垂直に配置されていたものを指す。来兎はこんなものが空を飛ぶのか、と半信半疑でいつも思ってしまう。前方につけられたプロペラも、まるでプラモデルの部品でしか無いように思える。これこそが私設槇本歴史博物館が誇る等身大戦闘機、フォッカー Dr.Iのレプリカだ。祖父の渾身の力作でもある。


『飛ぶという原理は、揚力による。いわゆる風をつかまえる事に他ならない。飛行機の歴史は、風をいかに掴まえるかの歴史でもある訳だ』


 ふぅん、と思う。だが調べていく中で、翼を進化させる中で、二枚固定翼である複葉機、三枚の固定翼である三葉機よりも一枚の翼で軽量化を図った単葉機が第一次世界大戦後には主流になっていく。つまり目の前のレプリカは科学的に空気抵抗に難があった訳だ。


「第一次世界大戦のエースパイロットが搭乗していた飛行機、なんだよね」


 しんみりと彼女――澤木翼は呟く。


『さすがよく分かってるじゃないか、いやはや来兎とは大違いだ。この私こそがその第一次世界大戦のエースパイロットにして撃墜王、人呼んでフライングエース、赤い悪魔たる名をもつ――』


 男爵、ちょっと黙って。そう小さく呟く。別に澤木は戦闘機に興味がある訳じゃない。平和を訴え、市のイベントの駆り出される他校連携ピースボランティアグループに所属しているだけなのだ。


 クラスが同じだが、僕と翼の接点はなかった。ピースボランティアは成績優秀上位、もしくは生徒会役員がなる名誉職みたいなものだ。進学の内申点に加算されるから入れて良かった、とは同じクラスの優等生の弁。つまり点数稼ぎかよ、と思う。


 だから来兎は翼の事を、そんな目で見ていた。


『目がエロいな』


 そんな目では見てない!


『胸か』


 あんた男爵だよな? 男爵だよね? エースパイロットはそんなに俗物なのか? 僕の叫びに男爵はクスクス笑む。


『敵機と想った女は落とす。迷いなく、ホールドオンだ、来兎』


 そういう目で僕は翼を見てない。


 男爵のタチが悪いのは、この声が僕にしか聞こえない事だ。ココで思うがままに声を荒らげたら、ただのオカシイ人でしかない。


『押し倒せ、今だ、今しかない!』


 だから黙れ、と声に出しかけたのを思わず、唇を噛む。仮に、と思うまでもなく。ここで僕が「黙れ!」と吐き出したとしたら、翼は自分が言われたと思うに決っている。折角の関係が崩壊だ。やっと仲良くなれたのに――それが僕の本心だった。


 なんとなく気になる、澤木翼はそんな人だった。


 成績は優秀で、スポーツは苦手で。友達はをつくる事そのものを拒絶している気がする。でもその目が何処と無く寂し気で。同じクラスなんだから、もっとみんなと一緒に笑えばいいのに、と思う。僕から見て、輪に入りたいのに入れないと諦めている、そんな表情を毎日見せるのが翼だった。


 博物館ココではこんなに僕に話してくれるのに。笑ってくれるのに。


 だから――手を引っ張った。

 きょとんとした顔を翼はしていた。


 現状を理解できずに。目をぱちくりさせて。輪の中に入ってしまえば、あっさりしたもので。何の事はない、みんなも翼と話したかったそれだけなのに。


 僕と翼の接点は、毎日夕方に博物館に来ていた、それしか無いのに。

 なんて図々しい事をしたモノだと思う。


『その後、その手を引いて二人は夜の街に消えていったのだった』


 人の思考に横入りして、勝手に続きを作るのヤメテ。俺ら高校生!


『いつ告るの?』


 第一次世界大戦の撃墜王が告るとか言うな!


『いつ告るの? 今でし――』


 それ以上言ったら本体を壊す。明らかな僕の殺意にやっと男爵は黙ってくれる。


 やれやれ、と僕は小さく息を吐いた。春が近いが、まだ肌寒い。暖房をつけているとは言え、快適とは言い難い。心なしか、翼の手が震えていた気がした。


『そこで二人は毛布にくるまって裸で抱き合い暖を、そして欲情を――』


 とりません。しません。暖房の温度をすぐに上げる。普段来場者が少ないので、時間帯で節約するのは私設博物館の世知辛さ、か。


 と、翼が僕の方に手をのばした。その手が僕を握る。

 え? と思う。


「槇本君、ありがとう」


「へ?」


「勇気、槇本君からたくさんもらえた」


 クラスの事だろうか?


「私、明日からピースボランティアでホームステイするでしょ?」


 僕は小さく頷く。


「さすがに不安で。2週間、耐えられるかなぁって。でも今日も槇本君に会えたから、それだけで頑張れる気がして。ごめんね、勝手なことを言って」


「いや、あ、そんな事ないけど」


『もっと気の利いた事を言え、来兎、お前は木偶の坊か!』


 な、なんて言えばいいのさ?


『私の通りに繰り返せ』


 あ、うん。

『それは不安だよね』

「それは、不安だよね」


「うん……人見知りするし、誰にも頼れないでしょ。勿論、他の国の人達と平和についてディスカッションしたい思いはあるけど、私なんかで大丈夫かな、って」


『誰にも頼れない?』

「誰にも頼れない?」

『そこでじっと彼女の目を見る!』


 わかった……、こう?


『いいだろう、そしてこう言うのだ。乗って安心、任せて安心、酔って安心。安全運転の――』


 それ運転代行のコマーシャル! 今ここで言う言葉じゃないから!


「槇本君に頼ってたんだと思う。最初は、戦史を研究している博物館に通う事で、知識を深めたいだけだったんだけど……槇本君のおじいさんの博物館は、生活の匂いがしたというか」


『来兎の祖父は時々酔っ払って、スルメをレプリカに隠すからな』


 そういう意味じゃない! 


「生きている人がいて、守る人がいて。戦争があって、時代が動いて、そこに巻き込まれて。誰にも止められ無くて。だから思うんだよね」


 と翼が男爵のレプリカに手を触れた。


『お嬢さん、気持ちは嬉しいが俺は第一次世界大戦の撃墜王、赤い悪魔フライング・エースだ。最愛の妻以外の想いには応えられないのさ』


 敵機と想った女は落とすんじゃなかったの?


『来兎、その無節操さ、君は本当に最低だな』


 あんたがな!


「この戦闘機に乗っていた人はどんな気持ちで戦争をしていたのかな、って思ってた時に来兎君が声をかけてくれたんだよね」


「え?」


 そうだったんだろうか、と思案する。最初は同じクラスである事すら知らなかった。奇特な常連さん、それぐらいの気持ちだった。


『私の気持ちは私しか分からないし、あえて他者に語るつもりもないさ』


 その呟きは僕にしか聞こえない。


 僕はレプリカでしかない戦闘機を見る。真っ赤に塗られた塗装が戦闘機と言われても嘘のようで、まるで映画のセットのように思う。だがこの色を好み、撃墜王として80機の戦闘機を撃墜した。男爵はそんなかつての愛機のレプリカに舞い降りた。


 どんな気持ちで戦争に出撃したのか、それは分からない。そもそも男爵が本当に撃墜王の英霊なのかも怪しい。調べる術なんか無いからだ。悪霊なのかもしれないし地縛霊なのかもしれないし、僕自身の夢の産物なのかもしれない。


「僕はよく分からないけど、生まれてからみんな他人だから。納得できるまで話す事でしか、共通の理解ってできないんじゃないかな? まして死んだ人が何を思ったかなんて、もう聞けないし」


「……うん」


 頷く翼は、さらに笑顔で。


「槇本君は最初の時もそう言ってくれたんだよね」


 そうだっけ?


「でも足跡をたどること、背景を知る事は無駄じゃない。槇本君がそう言ってくれたから」

「うん……」


 言った気がする。


『なんだかいいムードですな』


 余計な事を言わないで、男爵。


『ちなみに私の前で告白すると別れるというジンクスがあるぞ』


 今ココでそんな情報はいらない! 余計なこと言うな。

 と、翼が深呼吸して僕を見た。目を閉じる。え? え? それって――


『キッスってヤツですか、いけ来兎、ここで押し倒さきゃ男じゃない!』


 だから第一次世界大戦の撃墜王はなんでそんなに俗物思考なんだ、お願いだから少し黙って――。


「心ざし――」


 呟く声はまるで、風に吹かれて消えてしまいそうで。僕は翼を思わず見てしまう。


「心ざしふかくそめてしをりければ消えあへぬ雪の花と見ゆらむ」


 すらっとその言葉を囁いて、翼は微笑む。

 それが和歌であると気づくに数十秒。翼がその手を離した。小さくお辞儀をする。


「行ってきます、槇本君」


 そう翼は手を振って、踵を返した。

 古典、苦手なので意味がわかりませんが……。


『日本人だろ、来兎』

「に、日本人だって苦手なモノは苦手なの!」


『こういう事だ。梅の枝にそっと雪が積もっている。そのあまりの美しさに心引かれ、丹念に枝を折り取った。春はまだだろうか。消えきらない雪がまるで花のように見えている。――どう解釈しても自由だろうが、私ならこう解釈するな。貴方の優しさを梅の花代わりにもっていく。消えない現実と言う名の雪も、貴方という春が一緒なら、勇気をもて――』


 良い台詞だが後半、照れて言えなくなるくらいなら言わなければいいのに。そう思いながら、僕はただ翼が去った後ばかり見ている。翼は僕をどう思っているのかさっぱり分からない。どうしていいのかも分からない。


『伝わらなくてもいい、と思ってるんだろうさ』


「え?」


『彼女は弱い自分と向き合った上で、フライトに出た。君が和歌を理解するとは思えない、そう見越した上でだ。君の一部をもらっていく、と言ったのだ。好きというだけが愛の告白じゃないって事だ』


「あ、愛とかさらっと言うなよ!」


『ならば言い方を変えよう。飛行機乗りはいつ落ちるか分からない中で、旅立つ。現在の安全な航空事情とは全く異なるのだ。そんな中で私が常に思っていた事は――家族のもとに帰る、それだけだ。君という日常を彼女は愛した。でも君という日常を壊したくない、その精一杯の背伸びという訳だ。淑女に背伸びをさせた訳だから、君は愚鈍としか言い様がないがな』


「どうしろ、って――」


『行動あるのみだろ。男が何もしないでどうする?』


「僕はいわゆる草食系男子だから、男爵の時代と一緒にされても――」


『なら草だけ食ってろ』


 にべも無い。時計を見やる、翼が帰ってから長い事こうしていたらしい。スケジュールの都合で、夕方のフライト。今から空港に行っても間に合わない。もう翼の乗る飛行機は飛び立ったのだ。


 と、レプリカのプロペラが静かに回った。僕は大きく目を見開く。これはエンジンをもたない、プラスチックの巨大模型でしか無いはずなのに。


「男爵?」


『私は第一次世界大戦の撃墜王、フライングエース、赤い悪魔の名をもつエースパイロットだ。フライトの命令があれば、いつでも飛びたてるが、来兎、お前はどうしたい?』


 これは夢か幻か。プロペラは周り、まるでエンジンが稼動しているかのように唸り声をあげていた。


『お前の祖父は、この時代にこそ空を駆ける男として、ライト兄弟から名を借りて来兎にしたと聞く。孤独に苦しんだ少女を開放したのは来兎、紛れも無くお前の勇気だ。その勇気をもって、彼女を支えろ。私の時代から比べたら、何を遠慮する事があろうか』


 来兎は顔を上げる。分かってはいたんだ、ずっと。寂し気な優等生。でも誰よりも戦争と平和を考えていて。青臭いぐらいに争いを嫌煙して。どうして人は人を殺すんだろう、って言うのと同じくらいにどうして人は人を好きになるんだろうか、というのを自問していた彼女は、でも恋ってよく分からないと言う。


 分からないくせに、和歌を読み上げる翼が今思うと綺麗で。消えそうなくらい儚くて。消したくないくらい、抱き寄せたくて。


 コクピットに乗る。間に合うだろうか? ほんの少しでもいい、会えるだろうか? ほんのちょっとでいい。伝わるだろうか? 伝えたい、言葉にしたい、距離を近くにしたい、それだけが溢れていく。


「ところで、どうやって外に出るの、男爵?」


 部品を搬入して、博物館内で組み立てたのだ。飛行機が飛び立てる入り口など何処にもない。霊的存在だ、空間を歪曲させて地点転移する事も男爵なら容易だろう、と思った――僕はバカだった。


『我が愛機フォッカー Dr.Iには機関銃が搭載されている。壁など、私の力も加重すれば粉砕だ』


「ちょ、まて、ヤメ、やめ――」


 乾いた炸裂音が響くので思わず目を閉じる。静かに動き出す三葉機、残りの壁を体当たり粉砕する。


「う、嘘だろ?!」


『夢だと思えば造作ない』


「と、とぶの、これ?」


『当時の設計に忠実な祖父に感謝するんだな。多分、飛ぶ』


「た、たぶん――って、浮いた、浮いてる、浮いてる??」


『飛行機だからな』


「つ、墜落したらどうするのさ?!」


『そういうことは考えないようにしていた。生きて帰る、それだけを念じた。もっとも最後は落とされたけどな』


「ふ、不吉な事を言うなぁぁ!!!!!!!」


 絶叫が夜に木霊する。


『振られたら、心置きなく海に落としてやる』


「い、イヤだぁぁぁ!!!!!!」


 僕の絶叫を男爵は小さく笑んで聞き流した。僕は目を閉じる。これが夢でもいい。翼に会いたい、それだけを念じている僕もいて。


 ねぇ翼? 梅の木を折って持っていくぐらいなら、僕の気持ちの全て受け取って。そう迷わず思う僕は、男爵、あなたと同じようなフライングエースになれるんだろうか? そう思いながら。


 夢でもいい。何でもいい、ただ翼に会いたい。それだけを思っていた。

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