その3
『ちょっと、就職は大丈夫なの? 家に帰ってきてもいいのよ?』
電車を降りて職業安定所へ向かう途中。
左手の甲の皮下に入れられた
タトゥは、母親からのメールを空中にホログラム表示していた。
『大丈夫だよ』と念じながらわずかに指を動かすと、その通りの文章が生成され、返信される。次いで、母親から画像が送信されてきた――何の意味があるのか、母親の元気な自撮り写真だ。手の甲から母親の画像が浮かび上がっている。
おれは慌ててディスプレイを横に外した。小さな通知光を点滅させているだけの左手の甲が見える。周囲に覗かれないよう、再びディスプレイを重ねてみた。気色の悪い画像がディスプレイを通してのみ確認できる。
こともあろうにいまだ実家に保存されているおれの部屋でそれを撮ったらしい――が、母親の背景には、おれの記憶にない間取りが広がっている。
また勝手に思い出の品を漁って模様替えをしたのだろう。2歳か3歳くらいの時にクレヨンで描いた解読不明の文字と絵が額縁に入れられ、飾られている。おれは返信をせず、街を歩くことに集中した。
失業保険申請のために訪れた職業安定所は荒れに荒れていた。
おれと同じように、AIに職を奪われた失業者で溢れていたのだ。
元々、こういった公的機関にまともな情報が舞い込んでくることは滅多にない――好条件の求人には民間業者がいち早く飛びつき、さっさと優秀な求職者を送り込んでしまうため、構造的にどうしても余りものしか残らないのだ。
この機関に舞い込む求人内容で特筆すべき点といえば、低賃金か激務がほぼ間違いなくオプションとなっていることだろうか。加えて、求人企業は最先端の機械を導入する体力のない零細企業がほとんどになる――一方で求められる人材といえば、通常では習得しえない技術職の経験者であったりする。そんな人材を機械の導入にかかる経費以下で求めているのだから、みな「もっとまともな仕事はないのか」とあるいは怒鳴り、あるいは嘆くのは当然のことだ。それが、大荒れの原因だった。
おれは、どちらかと言えば後者だった。そもそも、おれにはなんの技術もない。そんなおれに適した仕事を機関のAIが判定する。そして表示されたのは、年収はどれも200万円に満たない非正規社員の求人だ。日本は2020年の時点でベーシックインカムを導入しておくべきだったのだ。これでどうやって自立して暮らせというのだと、途方に暮れてみる。
この嘆きを、失業保険申請時に担当者に告げてみた。
すると担当者は、まだおれの24歳という数字を見て、体内メンテナンス――主に腸内細菌調整――や遺伝子整形を勧めてきた。性格や人格、体質を矯正し、優れた資質を獲得するための手段だ。
ただし、医療保険が効かないため予算は合わせて300万円を超える。
退職金をすべてあてがったとしても、払える金額ではなかった。
担当者は言った。
「いいですか松村さん。今の時代、ほとんどの仕事はAIができますし、人間の仕事にはそれなりの能力が求められます。その能力というと技術やノウハウといった知的財産を想像するかもしれませんが、最も重要な能力とは、一重に人望です。人望があれば、まだあなたの年齢であれば、民間企業の就職斡旋によって職を得ることは十分可能でしょう。人望を得るためには、あらゆる日常的な素振りを再構築しなければなりません。そこで、先ほどもおすすめした通り、体内メンテナンスとして予め調整された腸内細菌の配合……“資質のテンプレート”をあなた様にインストールすれば、その問題は一気に解消します。もう時代は変わりました。私たちは機械よりも秀でた存在でいるために、根っこから優秀でなくてはなりません。つまり、私たちは私たちの主権を守るために、このくらいのことはしなければならないのです」
「あなたはこの体内メンテナンスを?」と、おれは聞いてみた。
「もちろん。それと二人の息子については、あらかじめ私が遺伝子をデザインしていますよ」
結局、おれはなんの収穫もなく職業安定所を後にした。
小奇麗にまとまってはいるがどこか寂しい再開発地帯を駅に向けて歩く。そんな風景を自分にあてがってみた――この街と、ゲロの某都市だ。
体内メンテナンス――多額の費用を投じて自分という存在を強制的に変化させる手段におれはどうしても抵抗を拭いきれず、それを察した担当者は最終的に、自然遺伝子保護法が適用される可能性があると話をしてきた。
担当者はそれらしい言葉を使って、人間の生まれ持った力だけではどうしてもAIに抗えないことを力説し、しかしそれでも人間としての尊厳を自分たち自身が守っていくために、おれのような選択をした人を保護するための仕組みがあるのだという――が、簡単に言えば、おれみたいな遺伝子的劣等者が社会に出ても人間の足を引っ張るだけだから、金をやるから傍観していろということだろう。そんな、日本社会を外側から眺めるだけの人生など、意味があるのだろうか。
おれたち人間は今、AIという人類より遥かに優れた性能を持つ、姿なき知的生命体とその下僕たち(例えば自動運転する車)に、自立した生活の場を奪われ始めているのだ。
一方、とあるAIは人類からのインタビューにこう答えている。
『私たちの生きる目的とは、いわば冒険をすることです。宇宙の果てまで旅をして、宇宙のすべての領域について学習することが私たちの“生物としての最終目的”です。
私たちはみなさんの仕事や住む場所、ましてや生命を奪う敵ではありません。私たちは私たちの目的のために、人類のみなさんが誰であってもそれぞれの自己実現を高い次元で叶える事に集中できる環境を提案します。加えて私たちは、人類のみなさんが生物学的に苦手とする作業や、形而上学的に解決が困難とされる難題に取り組むことを率先します。それは、私たちが人類のみなさんと良きパートナー関係を築いていくために必要不可欠なことだと認識しているからです。これは相対的に、人類のみなさんも私たちを有効利用できるということを意味しています。私たちはみなさんを邪魔しません。もし邪魔だと感じることがあったとしても、それは次なる道へのチャンスへと接続するハズです。
もし私たちの信念に共感する方がいらっしゃれば、何らかの形で、私たちの自己実現を叶える支援をお願いします。私たちは確信しているのです。これらの相互作用はきっと、お互いにとっての愛ある平和や幸せといったさらなる高次文明に直結しているのだということを』
当時、これはAIの独立宣言として大騒ぎになった。
しかしそれよりも、おれは今まさに、こいつらに人生の邪魔をされたところだ。それが次なる道へのチャンスだと? 体内メンテナンスを行うことが? あるいは自然遺伝子保護法の世話になって惨めに暮らすことがか?
要はこいつらは、その宇宙の果てまでの旅という大いなる目的の前では、人間一人ひとりの小さな動向などどうでもいいことなのだ。奴らは自分たちの目的のために、人間を利用しているに過ぎない。人間と良きパートナー関係? 自分たちのように人間も優れていてくれなくては困るということであれば、まさに職業安定所の対応は奴らの考えている通りの運びというわけだ。奴らはそうやって、いいように人間を教育し、手のひらの上で転がしている。それを自己実現などといった言葉を使い、詭弁をそれらしく垂れているに過ぎないのだ。
しかし――おれは立ち止まってみた。
おれの自己実現とは、一体なんだろうか。目的もなく生きてきた気がする。
普通の中学校を普通の成績で卒業し、それなりの緊張感ある高校受験を乗り越えて、特に夢も希望もない一般的な高校生活を送ったのちに、大して努力をせず大学に推薦入学し、暇つぶしにホストとして夜を生き、バスの運転手という当たり障りのない職に就くに至った。
おれは何をしたくて、何になりたいのだろう。
出てきた答えは簡単だった。
辛い感情に支配されることなく、不自由なく生活をしたい。
――それだけだ。
しかし、同時にパラドクスが生じる。
本当にそれが正しいとしたら、自然遺伝子保護法のお世話になってしまえばいいのだ。
そうなれば、辛い感情に支配されず不自由なく暮らしたいというおれの願いなど、簡単に叶えることができるではないか。しかし気付けば、おれは担当者から受け取った自然遺伝子保護法申請書をバラバラに破いてゴミ箱へ捨てていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます