第六章

 麻里さんほど苛烈ではありませんが、私にも、過去に何度かいじめを受けた経験がありました。そのうちの一つが、私が小学4年生のときのことでした。


 彼女の名前は『西脇紅実』ちゃん。


 学校内ではいつも一緒に行動し、クラスで一番の仲良しだと思っていたお友達でしたが、ある日突然、私は彼女を筆頭に、クラスの大半のお友達から無視され始めたのです。





 その日、いつも通り登校した私は、すでに教室にいた彼女に、いつものように笑顔で『おはよう』と挨拶をしたのです。


 が、いつもとは違い、私を睨み付けた彼女は、これ見よがしに『ふん!』とそっぽを向き、そのまま別のお友達のところへ行ってしまいました。


 はじめは、私の気のせいだったのか、ひょっとすると声が聞こえなかったのかも知れない、とも思ったのですが、その後も、私が話しかけようとして傍に行こうとすると、気配を察するや否やすぐに席を立ち、どこかへ行ってしまうのです。


 そんな状態が午前中いっぱい続き、いつもなら一緒に過ごすお昼休みさえ、ほかの子たちの輪に入り込み、わざと私に見せ付けるかのように楽しそうにお喋りしている紅実ちゃん。


 これはもう気のせいなどではないと確信し、単刀直入に訊くことにしました。



「あの、紅実ちゃん、ちょっといいかな?」



 私の声掛けに、彼女をはじめ、そこにいた全員の冷たい視線が私に降り注ぎ、瞬時に、これは絶対に何かあったのだろうことを察知しました。



「私、紅実ちゃんに何か悪いことしちゃったのかな? もしそうだったら、謝りたいんだけど」


「はあ? 別に~」



 昨日までの態度とは一変して、私と口を利くことすら嫌そうな言動からも、彼女が相当怒っていることは間違いありません。


 ただ、その理由をいくら尋ねても、何も答えてはくれず、



「自分に思い当たる節がないんなら、別に謝る必要ないんじゃない?」



 と、あしらわれてしまい、周囲のお友達も何だか遠巻きに見ているばかり。彼女たちに訊いても、『さあ?』と答えるだけで、埒があきません。


 いったいなぜ彼女を怒らせてしまったのか、いくら考えても自分では答えを見つけられず、これからどうすれば良いのか分からないまま、私への無視は続いたのです。





 その時は分からなかったのですが、紅実ちゃんをそこまで怒らせた原因が、彼女が私宛てに出した『幸福の手紙』だったことは、後になってから知ることになりました。





 当時、子供たちの間で流行していた『幸福の手紙』。


 それはチェーンメールの一種で、届いた手紙の内容を、一字一句同様に書き写し、それを複数人に送らなければならないというものでした。


 一般的には、それをしないと不幸が訪れるとされるケースが多いのですが、『幸福の手紙』は送った人、届いた人、双方が幸せになるという、何だかハートウォーミングな感じのもので、仲の良いお友達同士で送り合うのが慣例になっていました。


 ただし、受け取ったはがきを放置したまま、次の人に送らなかったりすれば、はがきの呪いにより、差し出し人と受け取り人、双方に不幸が訪れるというのですから、基本的には普通のチェーンメールと何ら変わりないのかも知れません。


 また、すでに受け取っている人には無効というルールもあるため、不幸を回避するには相手がまだ受け取っていないことを確認する必要があり、私も紅実ちゃんからそのことを尋ねられたので、まだ受け取っていないと答えたのです。



「じゃあ、こうめちゃんにも送っていい?」


「ホント!? 嬉しい~! 楽しみに待ってるね!」



 そんな会話を交わしたのが、前週の末頃のことでした。





 その後、来る日も来る日も『いつ届くのだろう?』と楽しみに待っていたのですが、私宛てのはがきは一向に届かず、念のため母に尋ねてみたものの、



「知らないわよ、そんなもの!」



 そう言い放ち、それどころか、



「そんなくだらない遊びをしてる暇があったら、もっと他にやる事があるんじゃないの!? だいたい、あんたは…(以下略)」



 逆に、母の機嫌を損ねてしまったため、それ以上は訊くことを断念せざるを得ず、紅実ちゃんに確認するのも『幸福の手紙』を催促するような気がして、もうしばらく待つことにしたのです。





 そんな中、木曜日の全校朝礼で、校長先生から全校児童に向けて『幸福の手紙』に関するお話がありました。


 一部の保護者から、子供たちによる郵便物を使っての『ねずみ講』を模したような遊びは不適切であり、すぐに止めさせるよう厳重注意があったとのことで、以後、こうしたチェーンメールの類をやり取りすることは禁止されてしまったのです。


 まだ『幸福の手紙』を受け取っていなかった私は、紅実ちゃんからのはがきが届くのを楽しみにしていたものの、学校で禁止されたのなら仕方ないと、あまり深く考えていなかったのですが、実は私が知らなかっただけで、私にもちゃんと『幸福の手紙』は届いていたのです。



 差出人は、西脇紅実ちゃん、その人からでした。



 私宛てに届いたはがきを見た母は、私には無断でそれを学校に持ち込み、『こんな遊びは即刻辞めさせるべき』とクレームを入れたことから、学校側が対応し、校長先生の朝礼でのお話に繋がるのですが。





 その前に、一般的なチェーンメールの場合、相手の不幸を前提としているものが多く、差出人の氏名は記載しないのが通例ですが、『幸福の手紙』の場合は、少し事情が異なります。


 基本的には、自分宛に届いたはがきに記載された内容を丸写しするところまでは同じですが、文末には数名分の差出人の名前が遡って記載されており、次の人に出す際には、最初の一人を削除して、最後に自分の氏名を新たに加えるというシステムになっていました。


 要は、自分や相手だけではなく、過去にそのはがきを出した人たちの履歴まで記載されており、これが事件の発端となったのです。





 母が学校に乗り込んだ翌日、早急に職員会議が開かれ、学校としてチェーンメールの禁止を決定する運びとなったのですが、念のため、証拠として提出されたはがきに名前の記載があった児童に、個別で事情を聞くことになりました。


 それにより、紅実ちゃんと数名のお友達は、放課後、職員室に呼び出され、保護者からのクレームがあったことを説明された上で、今後こういうことをしないようにと注意を受ける形になったのです。


 紅実ちゃんにしてみれば、はがきは私本人の了承を得た上で出したのにも関わらず、その親から学校にクレームが入ったというのですから、たまったものではありません。


 おまけに、先に自分にはがきをくれたお友達まで巻き込んでしまい、立場がなかったと思いますし、私の母が学校へクレームを入れたことによって、大きな波紋を引き起こしてしまったのです。



 恐るべき『幸福の手紙』の呪い。





 学校へクレームを入れた私の母親というのは、何かと周囲とトラブルを起こすことが多い人間でした。母が原因で、私自身がトラブルに巻き込まれたことは、これが初めてではありません。


 母の性格を一言で言うなら『守銭奴』という言葉がぴったり来ます。


 母は『物は共有して使うもの』という独自の考えを持っていて、自宅ではいつも私たち姉弟に一つの物を与え、『姉弟三人で、仲間で使いなさい』というのが口癖でした。


 兄弟やお友達と、みんなで一緒に仲良く『物』を使うこと自体は、別段悪くないことですし、『皆で仲良く共有して物を使う教育方針』と言えば、一見それらしく聞こえますが、それはただ単に、母の超ドケチな性格から来ていました。


 とにかく、自分以外のためにお金を使うことが嫌いで、リコーダーや絵具などの学校の教材さえ、姉弟で共有させて節約しようとするほど。


 母にとっては『共有=節約』であり、3人の子供に、一人1つずつ、計3つも買い与えるなど、勿体以外の何者でもなかっただけなのです。


 実家が教材費にも事欠くほど、経済的に困窮していたのであれば、子供心にも納得して、我慢や協力もしようと思うのですが、我が家は父が会社を経営しており、どちらかといえば比較的裕福な家庭でした。


 父の会社の創業者であり、同居していた祖父母からは、孫のための潤沢な教育資金が渡されていたにも関わらず、そのお金のほとんどは私たちに使われることなく、大半を母が横領していたような状態だったのです。





 たとえば、こんなこともありました。


 お友達と一緒にお人形ごっこをするのに、自分のお人形を買って欲しいと頼むと、その代金以上の金額を祖父母から預かっておきながら、私には『誰かの余っているお人形を借りれば事足りるだろう』という母。


 でも、お人形が余ってなかったり、貸して貰えなかったらどうすれば良いのか、と尋ねると、『自分だけ人形なしで遊ぶか、そんな友達とは遊ばなければ良い』と、子供にとってはあまりに酷な選択肢を突き付けるのです。


 お人形を持っていなかった私は、仕方なく、毎回お友達のお人形を借りていたのですが、世の中には、他人と共有する(させる)ことを快く思わない家庭もあるということ。


 そうした私の行動を不快に思った一部のお友達の母親たちから、私を仲間外れにするといういじめを受けたことがありました。


 彼女たちにしてみれば、自分が遣り繰りしている中から子供に買い与えた物なのに、たとえ子供同士がお互い了解した上であっても、私のように一方的に借りることが常態化しているような子に対しては、違和感を覚えるというものです。




~ いつも使うものなのに、なぜこの子の親は子供に買い与えないのか?


~ 親は、この状態を知らないのか、知っていて放置しているのか?


~ 家に買う余裕がないのか、ただ単に図々しいだけなのか?




 金銭的なことは勿論ですが、たかがお人形、たかが色鉛筆一本であっても、それが自分の子供が頑張った御褒美に買い与えた物だったりすれば、尚更穏やかではなくなり、一度気になりだすと自分の中で悶々としてしまうものです。


 子供のすることですから、自分一人ならグッと胸の内に留めたでしょうが、他の人も同じように感じていたと分かると、お互いに共感したことで閾値が低くなり、そのストレス解消に、母親の一人が自宅に遊びに来た私を、ひそかに仲間外れにして追い返すという行動に出たのを知り、我も我もと後に続いたのだと思います。


 もう少し成長すれば、家の内と外での行動を使い分けることが出来るようになるのですが、当時の私は、まだそこまでの判断が出来るには至らない時期での出来事でした。


 自身の方針で、自分の子供にそうさせるのは自由ですが、それを不快に思った相手の親から、私が嫌われた挙句、周到に仲間外れにされていたことを、今でも母だけが知りません。





 そして、非常に自己中心的な性格でもある母には、物事の良し悪しを、その時々の自分の気分や感情で決めてしまうという、非常に厄介なところがありました。


 今回の『幸福の手紙』の件にしても、子供の遊びに関して自分なりの判断基準があるわけではなく、思い付きで学校に乗り込んだ節が否めません。


 確かに、あまり褒められた遊びとはいえませんが、そのことで私が酷く悩んでいたとか、同様に困っている子供がたくさんいるというなら、学校への相談も分かりますが、そんな事実は全くありません。


 何より、送付した個人が確定出来るはがきを持ち込めば、学校側も本人への事実確認をするでしょうから、こうなる可能性は十分考えられるはずなのに、自己中で中途半端な正義感から、母は、しばしばこうしたトラブルを招き、大抵私がその犠牲になるのでした。





 そういうわけで、直接注意を受けた紅実ちゃん他数名は勿論、彼女たちに共感したクラスメートたちからも、しばらくの間、私への陰湿な仲間はずれが続きました。


 せめてもの救いは、若干名ではありましたが、そうしたことに加担せず、普通に喋ってくれるクラスメートもいたということ。


 その中の一人から、今回の経緯を知ることになり、迷惑を掛けてしまった紅実ちゃんたちに、正直に事の次第を話し、母が仕出かしたことへの謝罪をしたものの、受け入れてはもらえず。



「それって、おかしくない? こうめちゃん、私が手紙を出していいか聞いたとき、良いって言ったよね? それなのに、どうしてこうめちゃんのお母さんが、学校に文句を言うの?」


「だからそれは、うちのお母さんが勝手に…」


「本人が言ってもないのに、お母さんが勝手に文句言いに行くって、どう考えても変じゃない?」


「そうじゃなくて…」



 いくらうちの母がそういう人間性であることを説明しようとしても、良好な母娘関係の彼女にとって、母親が勝手にそんなことをするなど理解出来るはずもなく、私の身勝手な言い訳にしか聞こえなくて当然だったと思います。



「嘘ついて、お母さんのせいにするなんて、最低だね」


「違う、私は…!」


「ホント、気分悪い! こうめちゃんって、そういう人だったんだ」



 関係を修復するどころか、さらに彼女の感情を逆撫でする結果となってしまいました。


 それからというものは、こちらが話しかけても完全に無視されるようになり、私にはただただ、この状況に甘んじるしかありませんでした。





 転機が訪れたのは、それから数か月が過ぎた頃でした。私のクラスに、転校生がやって来たのです。


 彼女の名前は『箕輪茂登子』ちゃんといい、銀行員だった父親の仕事の関係で、1~2年毎に転勤があり、小学生になってから、もうすでに3回目の転校とのことでした。


 転校生の物珍しさも手伝って、休み時間になるたび、彼女の周りにはたくさんのクラスメートが集まっていましたが、数日もすると、元の仲良しグループで固まるようになりました。


 まだ慣れない教室で、一人ぽつんとなった彼女は、淋しさからか、同じく一人でいる私に声を掛けてきたことがきっかけで、それ以来、何となく私たちは一緒にいるようになったのです。


 色々話をするうちに、好みや苦手なものが似ていたり、母親の実家が近かったりと、多くの共通点があることも分かり、次第に仲良くなっていったのですが、ちょうどその頃から、あれだけ徹底して私を無視していた紅実ちゃんに変化が現れたのです。





 休み時間に、私と茂登子ちゃんが喋っていると、



「何喋ってるの? 私も混ぜて~♪」



 と、まるであの出来事がなかったかのように、ごく自然に私たちの輪に入って来て、楽しそうに喋り始める紅実ちゃん。


 やっと私のことを許してくれたのかと錯覚を起こしそうになるものの、よくよく見ると、彼女の視線は常に茂登子ちゃんに向けられ、笑顔を向けるのも茂登子ちゃんにだけ。


 たまに偶然私と視線が合えば、氷のような冷たい目で睨み付けて、すぐさま目を逸らせ、茂登子ちゃんが席を外すと、それまでのにこやかな雰囲気は一転、あからさまに態度を硬化させました。


 彼女に対して、私が ~正確には『私の母が』~ それだけのことをしてしまったのですから、そういう態度に物申す立場ではないことも分かっていましたし、むしろ、そこまで傷付けてしまったということに対し、本当に申し訳ない気持ちが私の中には募ります。


 何も知らない茂登子ちゃんは、私にも紅実ちゃんにも同じようにフレンドリーに接し、事情を知っているクラスメートたちも、この状況を不思議そうにかつ、興味深く見ていて、訳アリ仲良し3人組みは、微妙なバランスの上に成り立っていました。





 そんなある日、お昼休みになり、いつものように茂登子ちゃんのところへ行こうとすると、教室に彼女はおらず、紅実ちゃんの姿もありません。


 トイレに行ったのかと、少し待ってみたのですが、一向に戻る気配もなく、茂登子ちゃんと席が近いクラスメートに、



「ねえ、茂登子ちゃん、どこへ行ったか知らない?」


「ああ、さっき紅実ちゃんとふたりで、中庭のほうへ歩いて行ったのを見たよ」



 そう聞いて、私に声を掛けてくれないなんて、水臭いなと思うのと同時に、ふと妙な胸騒ぎを覚え、急いで中庭へ向かうと、そこには何やら神妙な面持ちで話し込んでいるふたりの姿がありました。





 声を掛けようかとしたのですが、何だか深刻な雰囲気に、出しかけた言葉を飲み込みました。


 そして、少し離れた物陰から様子を伺うことにしたのですが、そこで耳に届いたのは、私の悪口を吹き込んでいる紅実ちゃんと、それを聞いている茂登子ちゃんの話し声でした。



「…でね、自分では『いいよ~』って言ったくせに、お母さんに告げ口して、学校に文句言わせたんだよ。おかげで、私や手紙に名前が書いてあった子たちみんな、先生に呼び出されて、注意されたんだから」


「ふうん」


「だからね、茂登子ちゃんも気を付けたほうがいいよ。あの子、嘘つきだから、いつハメられるか分からないもん」


「へえ、そうなんだ~」


「それでね、今からこうめちゃんのこと、仲間外れにしない?」



 あまりにも大胆かつストレートなその発言に、私は心臓が飛び出しそうなほどの衝撃を受けましたが、これで彼女が再接近してきた理由が納得出来ました。





 自分がされたことへの報復として、私を無視して仲間外れにすることで、孤独感と惨めさでいっぱいにしてやろうと画策していた紅実ちゃん。


 ところが、転校して来た茂登子ちゃんが、よりによって私と仲良くなってしまうというイレギュラーな状況になり、思惑が外れた彼女にとって、不愉快極まりなかったに違いありません。


 そこで、自ら仲間に入るふりをして、茂登子ちゃんを味方に引き入れて私から引き離し、再び私を孤独の縁に突き落とそうという魂胆だったのです。


 紅実ちゃんの手前、未だクラスの半数からの意図的な無視は続いており、これで茂登子ちゃんが離れて行けば、私はまた一人、ぽつんと教室の自分の席に座っているだけの日々に逆戻り。


 紅実ちゃんの目論見通り、孤独で惨めじゃないといえば嘘ですが、母のとばっちりで理不尽な被害を被ることにはもう慣れっこになっていましたので、ダメージ自体は少なく済んでいたのだと思います。


 ただ、人間というのは、少しでも楽しい環境に慣れてしまうと、またあの孤独な状態に逆戻りするのは、酷く切なく感じるのだということを知りました。


 それでも母が私の母である以上、私にはこうした報復を受けることも致し方ないのだと、自分の中で覚悟したときでした。



「ちょっと待って。何で、私までこうめちゃんを仲間外れにしないといけないの?」


「え? だって、あの子嘘つきだし…」


「私はこうめちゃんに嘘つかれてないよ?」


「でも…」



 思ってもいなかった展開に、明らかに動揺している紅実ちゃん。


 でもそれ以上に驚いていたのは私のほうで、物陰から一言一句聞き逃すまいと、必死で聞き耳を立てていました。



「紅実ちゃんは、こうめちゃんが嘘ついたって言うけど、もしかしたら本当に、こうめちゃんのママが勝手に学校に文句言ったのかも知れないじゃない?」


「そんなこと、あるわけないじゃん! だって、お母さんなら、普通子供の味方するでしょ!?」


「そうかな? うちのママなんて、その時の自分の気分次第で、言うことがコロコロ変わったり、これって絶対八つ当たりだよな~、って思うこと、結構あるよ?」


「でも、それは…!」


「私が『言わないで』って言ったのに、勝手に誰かに喋っちゃって、後でこっちが文句言ったことだって、これまでに何回もあったし」


「・・・」


「こうめちゃんに出した『幸福の手紙』が原因で、紅実ちゃんがとばっちりを受けたのは間違いないし、それは本当に同情するよ。でも、紅実ちゃんが思ったような、こうめちゃんが嘘をついたのかどうかは分からないよね?」


「そうだけど、でも…」


「もしもね、その『幸福の手紙』が私宛てで、たまたま私とママが大喧嘩してる時に、ママがそれを受け取ったとするよね?」


「うん」


「それを見て、ママが余計にイライラしちゃって、意味の分からない八つ当たりで学校に文句言いに行っちゃうことも、絶対にないって言い切れる自信ないもん」



 そこまで言われて、ぐうの音も出ずに、複雑な顔をして立ち去る紅実ちゃんの姿が、完全に中庭から消えたのを見届けると、私は隠れていた物陰から出て、茂登子ちゃんの傍に歩み寄りました。



「こうめちゃん! 聞いてたの?」


「ごめんね。ふたりが中庭に行ったって聞いて、来てみたらこうなってて、出るに出れなくて…」


「そう。話は全部聞いたよ。何か、いろいろ辛かったね」


「うん…」



 どうやら、全面的に子供の気持ちを優先する紅実ちゃんの母親とは違い、茂登子ちゃんの母親は、私の母寄りの、自分の感情や気分によってムラがあるタイプのようでした。


 あまりに感情的になると、しばしば娘でも傷付ける発言をすることもあるらしく、そういうときは『触らぬ神に祟りなし』で、父親と一緒にしばらくそっとしておくという家庭内ルールが存在する環境でしたので、彼女には私の言い分が受け入れられたのでしょう。


 とはいえ、私の母などとはまるで比較にならないレベルであり、同列に見たりしては、茂登子ちゃんのお母さんに対し、失礼以外の何物でもありませんが。





 この出来事をきっかけに、クラスメートからの無視は徐々に減って行き、一か月も過ぎた頃には、大半の子たちとは普通に話せるようになっていました。


 どうやら、茂登子ちゃんからクラスメートたちに話をしてくれたようで、少なからず、感情的になった母親の理不尽な行動あるあるに賛同出来る子がいたのも、私にとって幸いでした。


 きっとまた独りぼっちになるのだと覚悟していただけに、とても救われた気持ちでしたが、残念ながら、紅実ちゃんとの関係だけは修復することは出来ず仕舞い。


 彼女の策略がバレたうえに、それが裏目に出たことで、さらに気まずい空気になってしまい、私たちの間にはますます距離が出来てしまいました。


 私に対し、逆恨みする気持ちも分からなくはありませんし、相当な葛藤があったことも推測出来るだけに、どうしても彼女を責める気にはなれず、本当に罪作りな母親だと思うばかりです。


 中学からは別々の学校に進学し、それから何年か経って偶然再会したときは、お互いに言葉を掛けることもなく、無言ですれ違うのが精一杯で、大きなしこりだけが残っていることを痛感したものです。





 率直に当時の気持ちを言えば、あの孤独感といったら、ある程度そうしたことには免疫が出来ているはずの私でさえ、今思い出しても辛いものがありました。


 麻里さんの受けた仕打ちは、その比ではなかったわけですし、私のケースとは違い、少なくとも彼女には何の落ち度もなかったのですから、あまりにも理不尽としか言い様がありません。





 と同時に、私にはもう一つ気掛かりなことがありました。それは、ちか子さんの娘、月渚ちゃんです。


 私がそうだったように、母親が原因で彼女が辛い思いをするようなことが、この先なければ良いと切に願うばかりでした。


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