どうしようもないその事情(2)

◎◎



 黒き炎の森の病ペスト

 悪寒をともなうその〝〟は、人の肉体を穢し、心まで蝕むのだという。

 この〝やまい〟に感染したものは、ほぼ確実に死ぬ。

 人も、モンスターも、獣たちも、みな死に絶える、そんな怖ろしい呪いなのだという。

 俺の住んでいた村の人たちも、あの騎士たちも、それどころか世界中の人間が、いまこの〝やまい〟におかされてしまっている、らしい。

 特効薬はなく、唯一、白き風の森の、その聖なる風だけが、〝やまい〟の進行を遅らせるのだという。


「あたしはペストの治療法を探していたの。あたしはこの森の、白き風の森の魔女だから、世界が黒き炎の森の影響を強く受けたことはすぐにわかった。遠くない未来、あーちゃんの住んでいる村にまで、この森のすぐそばまで病が届くことも予想できた。だから必死に探したの、みんなを助ける方法を」


 だけれど、その完成よりずっとまえに、彼女の予想よりずっとはやく、ペストは白き風の森のそばまで来てしまったのだ。

 そして。


「あーちゃんたちが、ペストに罹患した。あたしは、なんとかしなきゃって、そう思った……」


 そうして彼女は、俺を殺した。

 俺だけじゃない、村の人たちすべてを殺し、そしてしたのだ。


「このカプセルは、祝福された清風が循環していて、いのちの刻限ときを止めることができるの。どんな病が身体を蝕んでいても、その時さえ止めてしまえば、侵攻はしない。その間に、ペストの特効薬を作ればいいと思った。だから、あたしは」


 彼女の小さな手が震える。

 その手には、銀の短剣が握られている。

 いのちを止めるには、心臓を止めるしかない。

 鼓動を奪う魔法がかかった短剣で、心臓を貫くしかなかったのだ。

 彼女はそれを実行した。

 人殺しをやってのけた。

 その結果、この部屋の中には俺の村の人々が全員、


「でも、魂はいつまでも凍結しておくわけにはいかないの。いつか凍えてしまうから。だから、みんなの魂を、モンスターたちの中に移したの。森の中なら、安全だから。でも、あーちゃんは、思っていたより汚染が酷くて。だから目が離せなくて。いちばんそばにいる、使い魔の中に……」


 ごめんなさいと、彼女は言った。

 こんなこと、酷過ぎるよね、と。


『…………』


 俺は押し黙る。

 黙って、ただ考えていた。

 いったい、いったいどんな覚悟があれば、そんな真似ができるのだろうかと。

 ひとを殺し、その肉体を凍りつかせ、魂をモンスターの中に閉じ込める。

 銀の短剣をもう一度突き刺せば鼓動は戻ると彼女は言うが、たとえそれが皆を救う為でも、人の命を奪って、心が痛まないはずがない。

 イリスティアは、俺の幼馴染は。

 彼女は魔法が使えること以外、俺となにも変わらない優しい人間だというのに。


「あたしは、みんなを助けたいと思った。でも、それは調停者である森の魔女として、いけないことだった。だって、ペストは自然の摂理だから。ひとの心が、善きほうに偏った自浄作用だったから……でも、でもね、あーちゃん」


 あたしには、見過ごすことなんて、出来なかったんだよ。


 彼女はそう言った。

 そして、俺のくちばしに、短剣を挟ませる。


「あたしのこと、嫌いになったよね……? だから、あーちゃんがそれを望むなら――いいよ」


 自分の胸に、銀の短剣を飾って欲しいと彼女は言う。

 いまにも泣き出しそうな顔で、いまにも、壊れてしまいそうな表情で。

 ……ああ。と、俺は思う。

 こいつは優秀な癖に。誰よりも優しいくせに。

 こいつは、本当に――


『ホッフルー』


 俺はくちばしを開いてひと鳴きした。開かれたくちばしからは、当然、刃がおちる。

 ガチャリと音を立てて、短剣は床を転がっていく。

 彼女が、驚いたような顔で俺を見た。

 本当にこいつは、頭がいいくせに、バカじゃないか。

 あのなぁ、イリス?


ホッル俺はホゥルルルおまえの使い魔なんだぞ?』


 使い魔があるじを裏切るなんてこと、ありえねーんだよ、バーカ。

 それに、


「真実のナイフが飾られるのは俺の胸だ。そして、俺の胸に銀のナイフが飾られるのは、俺が答えを得たときだ」


 それは、いまじゃない。

 ペストの治療薬も、おまえはまだ完成させていないし。

 なにより俺の、心が決まっていない。

 使い魔としてではなく、幼馴染としてでもなく、ひとりの男として、おまえとどう向き合うべきか、その答えが。


「だから、それまでは俺は、おまえの使い魔でいるさ」


 言って、俺は彼女の額に、自分の額をぶつけた。


「あーちゃん」


 彼女は。


「あーちゃん……」


 イリスティアは。


「――あ゙ーぢゃーん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙~!!!!」


 みっともなく崩れ落ち、大声で泣いた。

 その両の瞳から、綺麗な琥珀色のおめめから、いくつもいくつも、透き通った涙がこぼれ落ちるのを、俺ずっと見ていた。

 ずっと、寄り添って見ていた。


 いつまでも、いつまでも。

 彼女が泣き終えて、立ち上がる――その瞬間まで。

 俺は、見守っていたのだった。

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