だいよんわ

どうしようもないその事情(1)

 村が燃えている。

 白き風の森から、少し離れたところにある村だ。

 いや――

 炎がすべてを焼き尽くす。

 汚れた風が、ここまで厄災を運んできたからだ。

 白き風が、ずっと吹き散らしていたのに。

 吹き散らしてくれていたのに、それでも災厄は持ち込まれてしまった。

 人々が燃える。

 人々が狂う。

 憎悪に、怒りに、苦しみに、悪寒に。

 殺しあい、憎みあい、あんなにも仲の良かった村人たちが。

 その災厄は、世界に吹き荒れた。

 すべてを狂わせた。

 恵みの有り難ささえ忘却した人間は、このまま。

 だから、このまま――


「 ――だれも、死なせたりなんか、しない―― 」


 眩い光が、俺を包む――



◎◎



「あ、おはよー、あーちゃん! 今日はお寝坊さんだねー!」


 朗らかで快活な声が、朝日とともに俺へと降ってくる。

 感覚器をひらく。

 イリスティアが、笑顔でそこにいた。

 ベッドの上、まだ彼女の姿も、ネグリジェのままだ。


 ――夢。


 そんな単語が脳裏をよぎる。

 でも、それはあり得ない話だった。

 なにせ俺は、


 手乗りスライムから、にジョブチェンジしていたからである。


「って! なんじゃこりゃああああああああああ!?」


 という叫びも、


『ホゥ! ホッホフルウウウウウウウウウウウウ!?』


 そんな感じにヴァージョンアップ(?)されていた。

 いやいや、いくらなんでもこれはないだろう……


「おいこら、イリス、いい加減事情を説明してもらうからな!」


 なんだよこれは!


「え、えっと……その、これには、深い事情が……ごにょごにょ」


 ごにょごにょじゃない。いいから話せよ、イリス。


「……あたしのこと、嫌いにならない……?」


 あのねぇ……

 そういうのは、聞いてから決めることだし。

 それに、イリス。


「俺はおまえの、使い魔なんだぞ?」


 裏切りなんて絶対にしない。

 嫌いになんてなるもんか。

 俺はミミズクの口で、そう告げた。


『ホッフルー!』


 ……実際には、こんな感じだったが。



◎◎



 まるで羽箒のように、俺がツバサを一掃けすると、そこに積もった埃がきれいとれた。

 地下へと続く扉。

 いつも、イリスが消えていく、俺が立ち入りを禁じられた扉だった。


「あーちゃん」


 名を呼ばれ、音もなく舞い上がった俺は、彼女の肩にとまる。

 琥珀色の瞳が俺を見る。

 長いまつげが、そっと伏せられる。


『ホッフール』

「……そうだね。話すって、言ったもんね!」


 地下への階段をくだりながら、彼女は重たい口をひらいた。


「魔女と、一部の王侯貴族しか知らないんだけどね、世界には二つの〝極〟が存在するんだよ。ひとつはこの森、白き風の森。この世の汚れ、厄災、そのすべてを癒す場所」


 そうしてもうひとつ。


「黒き炎の森。あらゆる病、あらゆる罪過が燃え上がる場所。そこからは絶えず〝よくないもの〟が溢れ出ているの」


 くるりと手に持った杖をまわし、その先端に淡い光を生じさせるイリス。

 その灯りを光源にしながら、俺達はゆっくりとその階段を下って行く。


「そのふたつの森は、常に同じぐらいの力を持っているのね。黒き炎が強まっても、白き風が吹き散らしてしまうし、白き風が世界を覆おうとしても、黒き炎がそれを許さない」


 バランスだよと、彼女は言った。

 天秤のように、どちらかが強くなっても、いつかは元に戻るのだと。


「ある賢者によると、このふたつの勢いは世界に生きる命の心で決まるらしいの。善き心が強くなれば、黒き炎がそれを邪魔して、悪しき心が強くなれば、白き風がそれをなだめる。そうしてバランスを取る。調和をはかる……でも、いまその均衡が、崩れつつある」


 あーちゃん、覚えてる?

 イリスが、不安そうな顔で、俺に尋ねる。


「あの日、あなたは真っ青な顔で、この森に駆け込んできたの。真っ青で、その顔を血に濡らして」


 ……血?

 なんで、血が?


『ホゥル……』


 いや、違う。

 

 思い出せなかったこと、理解できなかったこと、それはもう、把握できている。

 俺は、あの騎士たちと同じだったんだ。

 錯乱して、怒りに震えて、そして――


「そうして、あーちゃんはこうなったんだよ」


 彼女が言った。

 階段を降り切ったさきにある、大きな扉。その隙間から、光が、溢れて。


「あーちゃん――いえ、ブルンスマイヤー・アーダルベルト」


 その名を、俺のフルネームを呼んで、彼女は扉を、



 ――開けた。



 整然とした室内に立ち並ぶ、百を超える輝く楕円形の物体。

 森の木の葉と同じ透き通った、だけれど、もっと清浄な光を湛えたその大きな〝カプセル〟の中に、すべての答えはあった。


「これが、真実だよ、あーちゃん」


 カプセルの中には――黒く変色した、俺の肉体があったのだ。

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