第4話
手話講座に通い始めて三ヶ月くらい経った頃、手話講座の先生に、手話通訳技能認定試験の受験を薦められた。手話通訳士として活動していくためには、この試験に合格して認定される必要がある。
「ふたりともまだ早いかな、と思ったんだけど、手話通訳技能認定試験は一年に一回しかないからね。小手調べにもなるし、この際、受けてみてもいいんじゃないかな」
先生の言葉に、カオルは迷わず、
「はい! ぜひ受験させてください!」
と目を輝かせて即答していた。
「エリさんは?」
そう訊かれて、一瞬言葉につまった、私は別に、手話通訳の資格をほしいと思ったことはないし、取るつもりもない。
でも、手話講座に参加しておいて受験しないのも先生に失礼かな、という気もしてくる。
カオルも、期待を込めて私を見ている。
沈黙に耐え切れず、
「あ、はい。じゃあ、私も」
と答えてしまった。とたんに、
「わぁ! がんばろうね!」
カオルが嬉しそうに抱きついてくる。
これでもう引き返せない、と思いながら、ちょっぴりワクワクした気持ちが頭をもたげてきているのが、自分でも意外だった。
実は、まだよくわからないなりにも、少しずつ手話を面白く感じてきていたところだった。
手話は、言葉だけでなく、感情や思いも伝える。それらを意味するサインを出すだけでは伝えきれない領域は、手だけでなく全身を使って表現する。まるで指揮者が楽団からメロディを引き出すように、体を使って言葉に感情を乗せて紡ぎだす。
その動きには話し言葉のように、いや、それ以上に個性が滲み出るのだ。ああいう表現のしかたがあるのか、とか、自分だったらこうするかな、などと考えながらベテランの人の手話を見るのが楽しく、その奥の深さに興味を惹かれていたのだった。
試験は二ヶ月後だ。カオルはともかくとして、私はそのとき、どれくらい手話をマスターしているだろう? まあ落ちたところで、ヘコむほど熱心なわけではないのだけど。
「エリが一緒で心強いよ。ありがとう!」
手話教室からの帰り道、カオルは小鳥のようにピョコンと飛び跳ねながら言った。
「いや、うん」
まだ不完全な覚悟しか抱いていない気まずさで、あいまいに応えて目を逸らす。そんな私の反応に気づいているのか、いないのか、カオルは嬉しそうに笑っている。
「私さ、この間、駅で困っている外国人を見かけたのね。それで声をかけてみたら、その人、耳の聴こえない人だったの。それで、手話でちょっと話してみたんだけど、手話って国によって微妙に違っていたりするんだよね。そんなこと知らなくて、本当にびっくりした」
「へえ」
「筆談も交えながら、なんとか乗りたがっていた電車まで案内することができたんだけど。手話ってジェスチャーみたいなものだから、てっきり万国共通なんだと思ってたんだよね。エリは知ってた?」
「ううん、私もそう思ってた」
というか、そこまで考えてみたことすらなかった。
「だからさ、これからはもっと国際社会になるわけだし、日本語を手話に通訳するのももちろん大事だけど、違う国の手話同士の通訳も必要だな、って思っちゃったの。私、その両方をできる手話通訳士になりたいな! そのためには英語やほかの外国語も勉強しないと。だからまずは手話の試験を、早いとこパスしなくっちゃ!」
カオルはなんて優しいのだろう。そして、なんてステキな夢を持っているのだろう。
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