第37話 解放 06
エスメラルダ私掠船団の名が、魔族たちの間でにわかに取り沙汰されていた。
七大魔公の一角、”冥土王”ザンドの重要拠点ストーンアーム島の反乱。武装船を沈め、反乱を成功へと導いた最後の騎士団所属の船。
これまでも海賊行為で魔族の海上輸送を妨害してきた”前科”はあったが、そのような散発的なものではなく、明確な抵抗の意思をもって魔族の支配領域を攻撃したと捉える魔族は多かった。
すでに地上界は人類のものではなく、魔族同士の勢力争いが繰り広げられる時代である。その認識を覆す一撃は、今後さらに広がりを見せるのか、それとも有力な魔族の力に抑え込まれてしまうのか。
魔族の軍事研究家たちは、ザンドと同じく組織的に海上戦力を運営している”流血侯”バルドルがどう動くかにかかっていると口をそろえる。
利害関係を超え、七大魔公同士が協力して攻めれば最後の騎士団、ならびにエスメラルダ私掠船団などひと捻りであろうと多くの魔族は考えている。おそらくそれは正しい。
だが、たとえ人類の抵抗勢力を潰すためとはいえ、七大魔公の中でも最大の勢力を擁し、強力な支配欲と尽きせぬ暴力性を持つバルドルが、一時的にでも他勢力と協力することをよしとするかどうかは疑問符がつく。
そのような状況下で、私掠船団は東へと進み、ウィランドリア沖を抜ける進路を取ろうとしていた。
いったい船団の目的は何なのか。
さらに魔族の支配権を脅かす軍事行動に出るのか。
ザンドの追撃軍が迫る中、熱い注目が集まる。
*
グライフの副官ゴンズに憑依した闇絹は、誰にも悟られることなく情報を集めていた。
勇者ムウの存在を知ってしまった闇絹は、半ば非実体的な肉体しか持たないにもかかわらず、血の
勇者とは、天界の霊帝アルマキアが地上に送り込む最終兵器として有史上幾度となく行われた魔族の地上侵略を頓挫させてきた存在である。
先の大侵寇が成功し、地上支配を人類から魔族が奪い取ったのは、その勇者降臨をまず阻むべく霊帝アルマキアを信仰する円十字教会の組織を徹底的に破壊したからだ。新たな勇者を降臨させることができぬがゆえに、魔族は地上を制した。
にもかかわらず、勇者ムウは生まれた――全く思いもよらぬ方法で。
300年前の勇者と、その勇者に倒されたはずの当時の魔王いばらの女王、その血を引く娘だというのだ。
勇者と魔王の子供など、考えられない。
勇者は魔族を倒すための神兵であり、魔王の天敵である。
その両者にいったい何が起これば子をなすことができるのか。
闇絹は、己が入手した情報が本当に真実なのかを確かめようと必死になった。
このスパイ活動が、魔族の歴史を動かす転機となる。”闇の蛇”ウーピールのいち眷属に過ぎなかった自分が、その運命に選ばれたのだという感触があった。
ゴンズの目で見、耳で聞いた情報を総合し、時に聞き込みを行い、何食わぬ顔でグライフに随行し、人目を盗んで船の念波通信機を使ってウーピールに報告を流した。
勇者ムウ本人とも対面した。
普通の人間の少女に見えた。
数々の能力を発現させることのできる、少なくとも異能者ではあった。
だが、何をもって勇者は勇者たらしめるのか。
闇絹は、勇者とは何かという本質的な問にぶつかった。
明らかにそれと分かる特徴はなかった。しかし船団の乗組員たちは少女のことを勇者として受け止めているようだった。
ゴンズの記憶を覗いても同じ感想が得られた。
勇者と魔王の娘、ムウ。
闇絹は、結局ありのままをウーピールに伝えた。
すなわち――”このままでは、ムウはいつか本物の勇者となりうるだろう”と。
*
ムウたちの目指す旧カルセドニア王国は大陸の東側に位置しているが、そこは七大魔公たちが凄まじい領土争奪を繰り広げる修羅の
特に最大勢力”流血侯”バルドルと”闇の蛇”ウーピールとの間での戦争は両者一歩も引かぬ激しいものであり、土地は荒れ、呪詛で汚染され、人はもちろん魔族ですら寄り付けぬ場所が日に日に増えつつあった。
支配すべき領土が荒廃していくのは本末転倒である。
両者ともそのように考えてはいたが、大魔族特有のプライドと闘争心が講和の道を妨げていた。
そんなバルドルの居城、無限宮殿に異変が起こったのは、ストーンアーム島の反乱から10日後のことだった。
世界中からかき集めた人間の美女が生ける家具として配置された玉座の間で、バルドルはおよそ地上で手に入る最高の美酒を飲みながら部下の報告に耳を傾けていた。
青い肌、螺旋を描き見事に張り出した角を持つ堂々たる姿は、生まれながらの支配者というべき風格をまとい、見ているだけで心が自ら屈服を望むような冷たいカリスマ性を感じさせる。
「……ザンドは私掠船団に追撃軍を送り込んでいるようですが、いまだ補足はできておりません。船団がこのままウィランドリア沖へと進めば、ザンドと”鋼鉄伯”ヤーガラートとの間でトラブルになる可能性が生じるでしょう」
情報士官が、世界地図の立体幻像の前でそのように語った。
「ヤーガラートか」バルドルの部下のひとりが、愉快げに笑った。「あのブリキの兵隊どもがザンドのアンデッドと殺し合うさまは見ものであろうな」
「人間の反乱を抑えられぬとあれば、西の勢力図は書き換わる可能性もあるのでは?」と、別の将官が発言した。
ざわめきが広がる。
大陸の東側に大版図を築くバルドル軍だが、西には影響力が薄い。ザンド派勢力が弱まるのであればそこに付け入る隙が生まれる。あるいは、今が攻めどきなのかもしれない――様々な意見が交わされた。
「お待ちを、諸兄」
と、玉座の間の扉が開け放たれ、鎧姿の絶世の美女が現れた。
バルドルの妹、ロミアである。バルドルの将のひとりであり、美と力を併せ持ち最前線を好む姫将軍として名高い。
「戦線を西に拡大すれば、ウーピール軍のみならず”大赤竜”グラナガンへの抑えが弱くなります。地竜の介入を招けば、また係争地が焦土と化すでしょう。それでは旨味がなくなる。違いますか、兄上」
一同の視線が、バルドルへと集まる。
「そうだな、我が妹よ」
バルドルは美酒を飲み干し、テーブルにグラスを置いた。
新たな酒を注ごうとする召使いを無言で下がらせ、じっとロミアを見つめる。
「必要なのは土地と資源、それはいつの時代も変わらぬ。愚昧なるグラナガンが如きに攻め入られるのは業腹だ。しかし……」バルドルは冷笑を浮かべ、「ロミアよ、その言葉、お前らしくもない。ずいぶんとしおらしくなったではないか」
流血侯の妹ロミアは兄にも勝る残酷さで知られ、根っからの武闘派として知られている。
誰が何を仕掛けてこようと全て刈り取るように斬殺する、普段のロミアであればそのように発言するのが常であった。
「状況が変わりました」
ロミアは嫣然と微笑んだ。
「状況?」
「はい」
「どのような状況だ。人間どもの抵抗勢力が多少跳ねたところで、大海は揺るがぬぞ」
「……勇者」
「何?」
「勇者が現れたとすれば、兄上はいかがするつもりですか」
玉座の間はざわついた。魔族にとって忌むべき存在の名を告げられ、バルドルの配下は互いに顔を見合わせる。
勇者。円十字教会の上層部が根絶やしにされ、今に至るまで降臨していない人間側の最終兵器。
それが現れたとすれば――。
「奇妙な問だ」バルドルは鷹揚に手を広げた。「ロミアよ、お前は……何を知っている? ザンドの領地で起こった反乱に、勇者が関わっているとでもいうのか?」
「いかにも」
ロミアの返答に、玉座の間は静まり返った。
「面白い。話してみよ、我が妹よ。いや……お前は……何者だ?」
バルドルは目を細め、ロミアを魔眼で見据えた。七大魔公最強の男の眼力が、何かを捉えていた。
ロミアは、美しいほほ笑みを浮かべたまま、身体を痙攣させた。
そして頸を後ろに傾け、口をぱかりと開いた。
美姫らしからぬ挙動である。
その口から――闇が這い出てきた。
漆黒の流体がこぼれ落ち、ひとかたまりにわだかまって、仮面のような頭部が覗く。
目も鼻もなく、ただ口だけが赤い切れ込みのように入ったその顔。
”闇の蛇”ウーピール。
玉座の間に集うバルドルの武官らは、一斉に身構えた。
長年に渡り敵対関係にあるウーピール本人が姿を表したのだ。
だが。
玉座のバルドルは、愉快そうに笑っていた。
「久しいな、友よ」
「いかにも、バルドルよ。言葉をかわすのはいつぶりだろうな」
魔と魔の直接対面に、配下たちは手を出しあぐねた。
「勇者――といったな」バルドルは玉座からウーピールに語りかけた。「その言葉の真意を聞こう」
「エスメラルダ私掠船団の船に、人間どもが勇者と呼ぶ娘が乗っている」
「迂遠な言い回しだ。勇者そのものではないように聞こえる」
「正確には、300年前の勇者とかのいばらの女王との間に生まれた子供だ」
「勇者と……魔王の……子供?」
「いかにも」
「ありえぬ」
「だがその娘が力を使ったことで反乱が起こり、成功したのは事実だ」
バルドルはあごに手をやり、「正体はどうあれ、傾注に値する能力を持っている、と?」
ウーピールは無言でバルドルの言葉を待った。
「……面白い話だ。だが、なぜそれをわざわざ告げに来た?」
「ゲームを、しようではないか」
「ほう」
「勇者を先に倒した方が、カルセドニアの地を支配する。終わりのない戦いで土地が荒れ果てていくよりははるかに有意義だとは思わんかね」
ウーピールの提案に、バルドルはしばし思案した。そして、軽く天を仰いだ。
「……なるほどな。くくっ、面白い。いや、これは愉快だ。我が友よ、いいだろう。その条件、飲んでやる」
「そう言ってくれると信じていたよ、バルドルよ」
「勇者を倒した者が魔王となる」
「そういうことだ」
流血侯と闇の蛇はここに契約を結び、互いの兵を一時引いた。
勇者を倒す、そのことに全力を注ぐために。
カルセドニアの地に訪れた奇妙な平和。その行方がどうなるか、まだ誰にもわからない。
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