第36話 解放 05

 アンジェリネ・ポイントは一見すると洋上に突き出した岩山にしか見えない。


 上陸するには険しすぎるようなのだが、ボートで近づくと全く別の顔を見せる。


 実は岩山は煙突のような筒状になっており、ボートでのみくぐれる岩の隙間から入ると、中には白い波打ち際のある美しい入り江が隠されていた。


「きれい……!」


 ボートに乗って、”天上の駿馬ソブリン・スティード”号から入り江に入ったムウは見事な秘境の風景に息を呑んだ。


「ほう、海の只中にこんな場所があるとはの」


 同じくレイロウも、秘密の入り江をひと目で気に入ったようだ。


「いいだろ? ちょっとした補給もできるように資材を置いたりもしているが、まあ羽根を伸ばすための場所だ」


 グライフが自慢気に胸を張った。


 ボートから降りて砂浜に上陸すると、ムウは嬉しそうに走り回って太陽を浴びた。空は岩山に丸く切り取られ、一種の別天地である。


「グライフ船団長、他の2隻との合流まではまだ時間の余裕があるはずじゃな?」


「ん? そうだな」


「ジンよ」


「え?」


「喜ぶがよい。こんなこともあろうかと荷物に水着が用意してある」


 いきなりそんなことを言われたジンは少しむせた。


「ついでにムウの分もある。後で披露してしんぜよう」


 レイロウは流し目で魅惑的なポーズをとってみせた。


 秘密の入り江にはゆったりとした椅子や帆布のシートが用意されていて、波打ち際で日光浴を楽しむことができる。


 グライフはお気に入りの椅子に身体を横たえ、ジンも装備を解いてシートの上に寝そべった。


 そうこうするうちに、一度船に戻ったレイロウとムウが着替えを済ませてやってきた。


 ジンは思わず目を奪われた。


 褐色の肌に白いセパレートの水着を着た、見事なプロポーションのレイロウ。


 長い銀髪を頭の上でまとめ、フリルの付いたワンピースの水着を着たムウ。


 ふたりとも魅力的で、いつもとはまた違った雰囲気で、かわいく、美しかった。


「どうじゃ、ジン? 中々のものであろ?」


「ジン、にあう?」


 ジンは口ごもり、顔を赤くして何度もうなずいた。


 青い空、あおい海、白い砂浜。ゆったりとした時間が流れ、日差しを浴びて輝く少女たちの姿を眺めて過ごすバカンスの心地たるや、これから待ち受ける苦難の道をいっとき忘れさせてくれるのに十分だった。


 魔族に脅かされる同胞たちのことを考えると後ろめたささえあるが、グライフはたとえどんな時代であっても人生に豊かな時間を持ってはいけないなんてことはないんだ、と持論を述べた。


「確かに今は魔族の侵略を受けて人類は苦境にあえいでいる。だがその中で希望を見出すことも尊いことなんだ。この時間を大切にしろ、ジンよ。今を楽しんで生きることは未来を作る礎になる。オレはそう思うね」


 ジンはグライフの言葉を噛み締めた。ムウやレイロウとともに未来を作っていく。自分たちの使命はそのためにある。


 苦しくてもやり遂げる価値のある目的だ。


 ジンは決意も新たに――少しくらいは鼻の下を伸ばしながら――使命を果たすことを心に誓った。


     *


 その上空。


 かすかな羽音のような音を立てて忍び寄る、大きな球体があることにジンたちは気づいていない。


 球体は、”目”を下に向け、”天上の駿馬ソブリン・スティード”号を、アンジェリネ・ポイントを、密かに一望した。


 ”知り子”である。


 離れた場所を見聞きして親元に送る魔導装置が、密かに飛来していた。


 球体の側面には、三日月と目を組み合わせた紋章が描かれている。”闇の蛇”ウーピールを示すものだ。


 この知り子は、アドンの情報を受けてエスメラルダ私掠船団の様子をうかがうためにウーピールが送り込んだものだった。


 会話を聞き取り、目につく人間ひとりひとりを走査スキャンして、その様子を記録していく。


 ”勇者”を特定するために。


 一通りの情報収集を終えた頃には、日は傾き夕日が海を照らしていた。


 知り子は、気づかれぬよう距離を保ったまま上空に待機した。


 何かを待っている。


 何を?


 日が暮れ、夜になるのを。


 夜。闇に紛れ、知り子は”天上の駿馬ソブリン・スティード”号後部甲板へと近づいた。


 内部に仕込まれた機構によって全身に隠蔽粒子を纏った知り子は、すぐ近くに迫っていてもそれと見分けることは難しい。ましてや夜になればなおさらである。


 そして知り子は、粘性のある影を一滴、甲板に投げ落とした。


 影は薄く伸び、黒い絹のように広がった。


 闇絹、と呼ばれるそれは、ほとんど厚みのない、暗がりに紛れれば影にしか見えない姿ながら、生きて意思を持つ夜魔種の魔族であった。


 闇絹は音もなく甲板を滑り、船内に入り、通路を渡り部屋をめぐり、構造を把握しつつ乗組員らの会話を盗み聞きした。


 影に同化し、物陰に隠れ、誰の注意をひくこともない。完全な隠密行動であった。


 やがて闇絹は、ひとりの乗組員に狙いを定めた。


 グライフの副官ゴンズである。


 暗がりでゴンズがひとりきりになるのを待ち構えた。じっとしている限り、それはやはり影にしか見えない。


 待った。ただ静かに、隙を見せるその瞬間を。


 そして――その背中から、滑るように覆いかぶさった。


 ゴンズは悲鳴を上げるいとまさえなかった。その口を闇の膜が包み、塞いだ。抵抗しようにも闇絹には掴み所がない。


 指の間をするりとすり抜け、顔面にひとかたまりとなった闇絹は、そのままゴンズの口から鼻から体内に侵入した。


 ゴンズは棒立ちのまま身体を痙攣させ、操り人形を雑に扱ったようになっていたが、やがて落ち着いた。


 ゆっくりと見開かれたその目は、白目も瞳も全てが闇一色のようになっていた。


「ユウシャ……勇者ムウ……」


 ゴンズの口から、その言葉が漏れた。体内で一体化した闇絹が脳にまで達し、記憶を読み取ったのだ。


「300年前の勇者と……いばらの女王……その血を引く存在……?」


 確かめるようにつぶやくと、闇絹ゴンズは目を閉じ、もう一度見開いた。今度は、普通の人間の目に戻っていた。


「今のは……?」


 ゴンズは自分の体に触って何が起こったのか思い出そうとした。しかし記憶は巧妙に消されていた。


 結局何がどうなったのかわからないまま、ゴンズは日常業務へと戻っていった。


 その体内に、闇絹を抱えたまま――。


     *


 秘密の入り江で望外の優雅な時間を過ごしたジンたちは身も心もリフレッシュして、”流星ミーティア”号らとの合流を待った。


 実際に合流を果たしのはそれから2日後であった。


 解放奴隷たちはいずれも着の身着のまま無一文で、そのまま船から降ろしても野垂れ死にされては夢見が悪く、幾ばくかの金銭や食料を渡した上で陸地に上げさせたので、2隻の物資はやや心もとなくなっていた。


 アンジェリネ・ポイントに貯えられていた保存食や、”天上の駿馬ソブリン・スティード”号の食料を融通することで補い、3隻揃って次の目的地、ウィランドリア沖へと向かった。


「ザンドの重要拠点をぶっ潰した以上、追撃されると見て間違いないだろう。各員、気を引き締めておいてくれ」


 グライフはそのように船団全体に通達した。


 今後の船旅は今まで以上に危険が増すことになる。それでもジンたちも、他の乗組員も、誇り高い気分を持っていた。


 魔族の忌むべき支配を、ひとつの島とはいえ覆すことができたのは大きな戦果だ。大侵寇以来、ずっと抑え込まれていた人類に希望を指し示す足跡となったことは間違いない。


 いずれはこの勢いを最後の騎士団本隊とつなげ、抵抗の炎として燃え上がらせる日が来る。ムウたちの戦う姿を見た者は、そのように感じていた。


 だが――その一歩を示したことで、これまである意味で黙殺されてきた最後の騎士団そしてエスメラルダ私掠船団が大物魔族たちの興味を引くことになるのもまた、自然の流れであった。


     *


 ”冥土王”ザンドの支配領地で大規模な反乱ありとの報せは、耳聡い魔族たちの格好のゴシップネタとなった。


 魔族は地上界を席巻し、人類は至るところでその支配と抑圧を受けている。そのような状況である以上、反乱の発生はそれほど珍しいものではない。


 それでも散発的な蜂起はすぐに潰され、多少の血を伴う粛清をもってたやすく鎮圧されるのが関の山だった。


 そんな中、ひとつの島で施設が破壊され、奴隷がまるごと逃げ出しおおせたという噂は強い関心をもって受け止められた。


 ザンドの冷酷な支配が綻びを見せたと見るものもいた。最後の騎士団の脅威を感じ、一刻も早く叩き潰すべきと唱えるものもいた。


 魔族は一枚岩ではない。それゆえ反応も多種多様であった。


 ザンドと勢力圏を奪い合う関係の”黒狼”ウルルクにとってもこの噂は興味深いものだった。


 七大魔公に迫る勢いと目されるウルルクは、先のベイディルド・キャンプでの戦いで受けた傷を癒やすべくシャーディ水簾洞に籠もっていたが、この一件から機運の高まりを鋭く嗅ぎ取っていた。


「多くの目が海に向いておりまする」


 狐頭の美しい獣人種、ウルルクの愛妾にして託宣者ラスモアは、包帯を巻いて玉座に腰掛けるウルルクに語りかけた。


「エスメラルダ私掠船団……か」ウルルクは己の内側から力が湧き出る心地を楽しみつつ、わずかに喉を鳴らした。「面子を潰されたザンドはそちらに注力するだろうな。傷の具合を確かめるには頃合いということか」


「出るか、ウルルクよ」


 ウルルクの叔父、軍師マハが言った。


 ウルルクは犬歯を見せて、「ああ、叔父貴。少々癪だが、ベイディルド・キャンプを叩くのは後回しだ、まずはバシアヌ鉱山、それから奪えるだけ土地をいただく」


 シャーディ水簾洞に集う獣人たちの間に、主の覇気が伝わっていく。ウルルクの力強さに引かれた剽悍ひょうかんないくさ好きたちが揃っているだけあって、新たな戦いの兆しに血が沸き立つ音が聞こえてくるようだった。


「フン、七大魔公、何するものぞ。黒狼ウルルクの名を天下に轟かせるまたとない機会だ」


 野心と征服欲が熱を帯びる。


 大陸の西では動乱が起きようとしていた。


     *


 最後の騎士団本拠地、アベローネ要塞。


 そこにもまた、ストーンアーム島での反乱は伝わっていた。


 エスメラルダ私掠船団の、そしてジンたち特務班の活躍は様々な憶測を呼び、”勇者”ムウの評価も賛否が別れた。


 大事の前の小事に首を突っ込んだ分をわきまえぬ行動とみなす意見もあれば、誇るべき最初の戦果として勇者を褒め称える者もいた。


 これまで忍従を強いられ、横たわる絶望の中で息の詰まる思いをしてきた最後の騎士団にとって少なからぬ衝撃をもたらしたことだけは確かだった。


 ストーンアーム島でエスメラルダ私掠船団が成功したのなら、他の土地でも抵抗の狼煙を上げるべきではないか。


 そのような声も上がった。


 最後の騎士団最高司令官ライゼン総長は、様々な足下そっかのざわめきをあえて抑えようとはしなかった。


 ムウが活躍し、魔族の目を集めるならばその分アベローネ要塞に余裕が生まれる。間隙を縫っての反転攻勢を密かに目論んでいるライゼンにとって、少なくとも朗報ではあった。


 勇者と魔王、その双方の血を引く宿命の子、ムウ。


 いまだその真価は定まってはいないが、人類のために戦う意志と力があると証明されたと見ることはできる。


 世界の命運は、紛れもなくムウへと焦点が絞られつつあった。

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