第35話 解放 04
金切り声を上げて砲弾が飛来する。
初弾は”
「こちらも砲撃態勢に移るぞ! 取舵いっぱい!」
グライフ船団長の声が魔導伝声管で総員に通達され、速やかにガレオン船が方向転換する。
その間にも砲弾は次々と飛来するが、一発も当たらない。
霊帝アルマキアの加護――だけの幸運ではない。これには理由がある。
魔導ガレオン船である”
雷撃法を防いだエーテル遮蔽幕もそのひとつだ。
現在、船は周囲に法術で蜃気楼を発生させている。
実際の位置を覆い隠し、別の場所に船影を出現させ、敵に狙いを誤認させているのである。
逆に言えば、敵の指揮官はそれなりに有能だということがわかる。盲撃ちではなく、しっかりと狙いを定めているからこそ幻に砲撃が降り注ぎ、ゆえに本体は無事なのだから。
敵の斉射が続く中、”
「射て!!」
号令一下、大型魔導砲が火を吹いた。炸薬化させたエーテル結晶を爆発させ、発生した爆圧で砲弾を打ち出すオーソドックスな火砲である。
砲弾は闇夜を突っ切り、見事敵船に直撃した。
船舷を食い破り、破片が撒き散らされる。
だが一発命中しただけで沈むほどやわな武装船ではない。すぐに反撃が来た。
「そろそろからくりに気づかれる頃だ。距離を空けておびき寄せろ」
着弾した砲撃のコースから実際の船の位置を割り出してくるほどの手練れであれば、そのまま蜃気楼の防御のみに任せるのは危険だ。グライフは船首を返し、再び沖へと移動させた。
*
業を煮やした餓狼丸の船長ヌオバだったが、沖へと移動する敵魔導ガレオン船の動きは誘いであろうと判断した。
敵はまだ2隻控えている。うかつに飛び込めば要塞砲のある守り手側の有利が帳消しになってしまう。
しかし僚船の捨牛丸は違った。餓狼丸の前に出て、今度こそ砲撃を命中させようと動いたのだ。
「バカめ、功を焦るような局面か!」
ヌオバは伝令に、捨牛丸に信号を送って要塞砲の射程圏内に留まるよう伝えさせた。
が、敵の連携はそれよりも速かった。
3隻の船が互いをカバーするように配置され、驚くほどの船速で捨牛丸を取り囲む。
速すぎる――ヌオバは戦慄した。魔導機関を用いた特殊な推進方法を前提とした、自分の知らない戦術を使われているのか。
そして、砲火が交わった。
*
一方、精製工場を爆発性のエーテル結晶を用いて精製されたエーテルごと爆破したジンたちは、繋がれていた奴隷を引き連れて地下鉱山へとなだれ込んでいた。
解放された奴隷たち手に手につるはしやスコップを持ち、奴隷を監督していた魔族に襲いかかる。凄まじい恨みを込めた大群となって押し寄せる解放奴隷たちにジンたちの戦力が加わり、魔族たちは混乱の極みに陥った。
「生きている人は返事をしてください!」
ジンが叫んだ。地下鉱山の、目を覆わんばかりの過酷な状況の中でも生き延びている奴隷を次々解放し、蜂起を促した。
虚を突かれた形の支配魔族たちは血祭りにあげられ、奴隷たちでは手に負えない個体にはムウが前に出て戦った。
「よし、鉱山の生き残りはこれで全部ぞ!」
レイロウは能力で生命活動を探知し、一同に声をかけた。
解放奴隷たちは健康状態もまちまちであり、ぎらぎらと魔族への殺意を燃え上がらせる者もいれば、もはやゾンビ・ワーカーへの転換処置を待つばかりの瀕死状態の者もいた。
死にかけている者には、ムウがピンクのバラを咲かせ、エーテルの雫を分け与えた。この回復効果は眼を見張るものがあり、起き上がることすら困難な重症者を動けるように立ち直らせた。
ムウは立て続けに能力を使って疲弊していたが、それでも気丈に振る舞った。
「この島から脱出します。皆さんの力を貸してください」
命を救われた解放奴隷たちを前に、ジンは切り出した。
食い入るように見つめる解放奴隷たちは、生き延びるためならどんなことでも協力すると拳を突き上げた。
見張りや監督官を倒しても、魔族たちにはまだ警護を担っている兵士がおり、アンデッドガレー船が残っている。それらを片付けなければ、海を越えて脱出することはできない。
「外のアンデッドガレー船は僕らの仲間、エスメラルダ私掠船団が必ず何とかします。その間に、この要塞に設置されている魔導兵器を無力化するんです。そうすれば船が接舷できる。皆さんを載せて、この島から脱出します」
解放奴隷たちはうなずき、ひと塊の怒涛となって要塞砲のある岸壁へと向かった。
魔族らは、これだけの規模の奴隷の反乱は初めてのことで、指揮系統が大いに乱れてはいたが、それでも要塞砲の守りは固かった。
死霊術でアンデッド化した大柄な邪鬼種や妖術使いが要塞砲の周りに立てこもり、奴隷たちの前に立ちはだかった。
ムウの赤い花吹雪が舞い、着火して一気に焼き払うと、ビャクエンがバリケードを飛び越えて魔族に襲いかかった。
ジンも戦った。バラの心臓を起動させずとも、血路を切り開くのは自分の役目とばかりに剣を振るった。
アマンも、クロスボウで的確に敵の指揮官を狙撃して大いに活躍した。
要塞砲がひとつ落ち、ふたつ落ち、そのたびにジンは用意していた発煙筒に火をつけて煙を立ち上らせた。グライフへの目印だ。
そして最大の難関、要塞砲の中で一番の大物、長射程雷撃砲に向かった。
そこには支配魔族を束ねるザンド派の将軍が待ち構えていた。
妖術が、飛び道具が飛び交い、解放奴隷たちに犠牲者が出るのを見て、ムウとジンが怒りの中で真の力を解放した。
バラの心臓で凄まじい機動力を発揮するジン。
バトルドレスを身にまとい、エーテル光で敵陣を斬り裂くムウ。
なおも抵抗する将軍にとどめを刺したのは、ジンの剣によってバランスを崩したところに殺到した解放奴隷たちの怒りの集中攻撃であった。
棍棒で滅多打ちにされ、強制労働の象徴であるつるはしが顔面に食い込み、将軍は死んだ。
これに追い詰められたのは、完全に形勢が逆転してしまった生き残りの魔族たちである。島を支配するのは今や魔族ではなく解放奴隷たちの熱狂的な自由への渇望だ。
魔族の生き残りは悲鳴を上げて港の方へと逃げた。
しかし島から逃げ出そうにもアンデッドガレー船は2隻とも港を離れ、敵船と砲撃戦を繰り広げている。
残された小舟に我先へと魔族が群がり、醜い足の引っ張り合いをした挙げ句、人数が多すぎて沈んでいく慌てようを見て、解放奴隷たちは大いに溜飲を下げた。
その時、洋上でも決着がつこうとしていた。
*
捨牛丸に3隻の砲撃が集中し、爆散炎上して沈んでいく様を見て、餓狼丸船長ヌオバは怒りの唸り声を発した。
愚かにも敵の戦術にはまり集中砲火を受けるなどザンド派海軍の面汚しである。だがそれ以上に、人間の船、エスメラルダ私掠船団への憎悪が燃え上がった。
伝令に要塞砲の援護を要請するよう指示を出すが、一向に砲声が上がらない。かわりに発煙筒の煙が立ち上るのを見たとき、ヌオバの中で感情が一線を越えた。
「……一番手近の船に接舷しろ。いや、衝角突撃だ」
一瞬、餓狼丸の船上は静まり返った。魔導兵器で武装した軍船相手に、単騎で突撃する。そのことの意味をわからぬ乗組員はいなかった。が、ヌオバに異を唱えることのできる魔族士官も皆無であった。
船底に詰め込まれたアンデッドの漕手に命令が下され、最大船速で動き出す。
真っ直ぐに、魔導ガレオン船の土手っ腹めがけて
もちろん敵船もただではそれを許したりしない。魔導砲が火を吹き、次々と着弾する。
餓狼丸の甲板は、砲弾の破片で引き裂かれた魔族の血で赤や青に染まった。ヌオバ自身も爆風で耳をやられた。
それでも止まらない。
餓狼丸は突き進み、アンデッドの漕手が物理的に崩壊するまで船足は早められた。
「突撃ーッ!」
ついに敵船を捉えた。船首の衝角が、魔導ガレオン船の船舷に突き立てられる――。
しかし、あるはずの手応えが、すり抜けた。
餓狼丸が突っ込んだのは”
「なッ!?」
ヌオバは、目に入る血で見えづらい視界の中で、交差する敵船の船長を視認した。
グライフは、ニヤリと笑っていた。
「ゼロ距離射撃だ、射て」
”
間近で全弾命中を受け、餓狼丸は粉々に吹き飛んだ。
ヌオバは下半身がなくなり、多くの魔族の船員、哀れなアンデッドたちとともに海の藻屑と消えた。
*
夜が明けた。
勝利の朝だ。
水平線から立ち昇る雄大な朝日が、ストーンアーム島を照らしていた。
*
解放奴隷たちは一旦”
”
ムウによって命を救われた者たちは、救世主そのものを見る目で少女を見て、順番に並んで握手を求めた。
ムウは照れくさそうにしながらもそれに応じた。その姿は紛れもない本物だとジンは思った。人々の窮地に現れて救いの手を差し伸べる、勇者とはそのような存在であるはずだ。
「ねえジン、ムウえらい?」
少し誇らしげに、少女は胸を張った。
「ああ。もちろん」
ジンはムウの肩に手を置き、しっかりと答えた。
心晴れやかに、ジンたちは解放奴隷たちの行く末に幸運が訪れることを祈った。
*
「勇者……だと?」
大陸中東部に位置する、どこもかしこも真っ黒な城、通称”影の館”。
玉座の間に設置された魔導装置が投射する立体幻像は、かのサメ獣人アドンの姿だった。
幻のアドンは玉座に向かって平伏し、玉座の主の反応をうかがった。
「もはや現れぬものと見ていたが、その話、まことか」
玉座の主は、闇夜を切り取ったよう全く光沢のない漆黒のローブを身にまとった――まるで人型の闇。その顔は目も鼻もなく、つるりとした黒い仮面の如き容貌で、口だけが赤い切れ込みのように開いている。
七大魔公が一角、夜魔種に戴かれる”闇の蛇”ウーピールである。
『ワシの前に現れたんが本物の勇者であるかどうかはわかりませぬ』念波通信機を通し、雑音の交じる声でアドンの幻が喋った。『しかしニンゲンどもは”勇者”の名を口にしちょりました。少なくとも、あの最後の騎士団の間ではそのような存在として見られているかと』
ウーピールは、全く読めない表情のまましばし沈黙した。
アドンは緊張とともに手応えを感じていた。ウーピールに通信会話を申し入れたものの、まるで相手にされず無下に断られる可能性もあった。しかしこうして映像とはいえ闇の蛇本人と話すことができただけでなく、興味を引くことに成功している。
――あンのガキどもめ……ワシが直接仕留めるのが無理でも、七大魔公に目を付けられて生き延びることなぞできんわい。
殺されかけ、手下は散り散りに、手塩にかけて育ててきた
マルバンにも落とし前をつけさせたいところだが、まずはあの小娘たち、”勇者”の抹殺だ。
そのために、情報を売り込んでいるのだ。
「……よかろう」
ウーピールは、音もなく玉座を滑り降りた。その動作は黒い流体のようで、関節の存在を感じさせない。
そして、ぬう、とアドンの幻の前に立った。
念波通信を挟んでいてもなお、アドンは恐怖に背筋が凍りつく思いを味わった。大魔族の圧倒的な気配がまるで耳元に貼り付いているかのように錯覚した。
「まずは調べてみようではないか。エスメラルダ私掠船団とやらを」
『へ……へへぇ』
アドンはぎこちないおもねりの笑みを浮かべるのが精一杯であった。もし直に触れられたら――それだけで心臓が止まってしまいそうだ。
平身低頭、何度も礼を述べ、アドンの幻像はかき消えた。
静寂。
玉座の間には、いつの間にか複数の影の存在が整列していた。
「勇者……もし本当に存在するのなら、これは……面白いことになりそうではないか」
影の存在――夜魔種の魔族たちは主の喜びに同調するように体を震わせた。
影の館に集いし闇が、密かな蠢動を始めていた――。
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