第34話 解放 03

 屍鬼種は死を超えた魔族だ。


 アンデッドとも呼ばれる彼らは正しい意味での生命活動をしていない。その肉体はいわば一度死んだ肉の塊であり、それを動かしているのは闇のエーテルである。


 魂は浄化されることなく肉体に縛られて、他者の生命エーテルを吸収するか、魔石エーテルジェムからエネルギーの供給を受けることで歪んだ負の生命活動をしている。


 死から無理やり蘇らされた人間のゾンビ・ワーカーを最下級として、保存妖術を用いた特別な死体であるマミーや、死体を貪り食うグール、さらに上位となると自らの意志で死を超越するためにアンデッドへと転生したリッチなどという化生のものまでさまざまな屍鬼種が存在し、その頂点に立つのがかの七大魔公の一角”冥土王”ザンドである。


 ザンドは死と腐敗を広める生ける疫病のような魔族であり、長命のものが多い魔界の者どもの中でも特に長い年月活動している――ただし生ける死体としてだが。その名が歴史に登場したのは、300年前のいばらの女王の乱以前にまで遡ることができると言われている。


 強大な魔力を操るリッチ・オーバーロードとして百万の屍鬼種を操り、生けるものに対しては永遠の生命を与えると約束して忠誠を引き出し、地上侵略においても、平定が終わった後の魔族同士の闘いにおいても、常に闇の存在感を持っているザンドは、主に大陸の西側に強大な死の帝国を築き上げている。


 ザンドは、他の多くの魔族がそうである以上に魔石を欲している。


 死霊術と呼ばれる死と生命を弄ぶ妖術の行使にはエネルギー源が必要であり、魔石が多ければ多いほど新たなる屍鬼種を生み出し操ることができるからだ。


 だからこそ、西のバシアヌ鉱山やストーンアーム島は重要な拠点として強い体制で防備を固め、支配している。


 そんなストーンアーム島はまさしく要塞島であった。


 他の魔族の手が万が一にも及ばないよう昼夜を問わず巡回の魔族がおり、警備の手が緩まることはない。


 闇夜に紛れて港から離れた岩場に接岸し、ジンたちは島に上陸したものの、その厳重な見張りを避けるために難儀していた。


 物陰に隠れつつ、先頭を行く盗賊上がりのアマンが、後続のジンたちに”待て”を示した。


 奥の方を指差し、敵がふたりいることをハンドサインで知らせる。


 そこには皮も肉もない、骨格が武具を身に着けただけの屍鬼種、骨兵士スケルトン・ソルジャーがカシャカシャと乾いた音を立てて見回りをしていた。筋肉もないのにどうやって動いているのか不思議だが、闇のエーテルが全身を操り、擬似的な生命を得ているのである。


「……どうするのじゃ」


 レイロウが小声で囁いた。


「迂回しよう」


 同じく声を潜めて、大きな背嚢を背負ったジンが言う。目的は地下の奴隷たちの解放だ。いちいち警備と戦闘になっていたら、露見する可能性がその分上がって作戦の遂行が難しくなる。


 身を低くして、物音を立てないよう見張り塔の探照灯をかいくぐり、島の奥へと進む。


「……あれが精製工場ですな」


 アマンの目線の先に、煙突を生やした大きな建物が見えてきた。


 採掘された魔石が運び込まれ、より扱いやすい状態に加工するための工場。そこでも人間の奴隷が酷使されていると、逃亡奴隷のウォレスから話を聞いていた。


 正面入口には、守衛として大型で獣の頭蓋骨をもつ特殊なスケルトンが2体陣取っていた。大型の獣人種の死体から造られたものだろう。


「どうしやす?」


「……気づかれずに倒すのは難しそうだ」


 ジンは冷静に判断した。バラの心臓を起動するか、ムウの能力を使えば強引に追い散らすことはできるだろうが、それでは他の魔族に気づかれてしまうだろう。


「裏手にも入口があるはずじゃ」レイロウが予知を働かせた。「そちらに回ったほうがよいであろ」


 一同はうなずいて、忍び足で工場の裏に回った。


「……見張り塔がある」


 裏口は固められていなかったものの、すぐ近くに塔があり、探照灯が周期的に裏口を照らしている。扉を開けるところを見られればおしまいだ。


「塔によじ登って見張りを倒すか……それとも……」


 と、考え込むジンの横でムウはじっと見張り塔の上にいる魔族の様子をうかがっていた。


「あの魔族、いきてる」


 つまり屍鬼種ではないとムウは見抜いた。


「だったらどうするというのじゃ」とレイロウ。


「こうする」


 ムウは手のひらを突き出し、手首から長いいばらをゲシュタルト化させた。いばらの蔦はヘビのように見張り塔を這い上がるようにして伸び、音を立てずに見張り塔の上の手すりにまで巻き付いた。


 魔族が、そのいばらに目を留めた。


 なぜこんなところにいばらの蔦が巻き付いているのか――一瞬警戒を忘れ、その邪鬼種の魔族はうかつにもいばらに顔を近づけた。


 そこに、すみれ色の可憐なバラが蕾を付けて、ふわりと咲いた。


 そのバラから妖しい香気が立ち上り、それを吸い込んだ魔族はたちまち深い眠りに落ちた。


 探照灯が動かなくなったのを見て、ムウはいばらを消した。


「ねむらせた。いこ?」


「さすが嬢ちゃんだ。ちょっとお待ちくだせえ」


 アマンは無音で裏口に歩み寄ると、ドアノブを確かめた。どうやら鍵がかかっているようだったが、サルのように素早く見張り塔に昇って見張りの魔族の腰から鍵束を盗み、手際よく鍵を開けてしまった。


「やるではないかアマンよ。見直したぞ」


 レイロウは音を立てないように拍手の真似をしてアマンを褒めた。


「へへっ、そこはまあ昔取った何とやらで。さ、急ぎやしょう」


 工場の中は白色エーテル灯の明かりが灯り、奥からは様々な魔導装置が稼働する音が響いてくる。


「まずは働かされている人たちを見つけないと」


 一行は安全を確かめつつ工場の奥へと進んだ。


     *


 トロッコに乗せられた魔石の原石を人力で押して、中身を集積場に積み上げる。


 積み上げられた原石を大型錬金炉の中にシャベルで次々と投げ入れる。


 溶け出した精製エーテルの釜を人力クレーンで傾け、耐熱容器に移し替える。


 そうして出来上がったエーテル結晶を、港のアンデッドガレー船に積み替えるため、別のトロッコに乗せる。


 こうした一連の作業は繊細さを要求されるため、ゾンビ・ワーカーは使われていない。生きた人間の奴隷が作業に従事させられていた。


 それを監督するのはムチを手にした屈強な魔族である。


 反乱を防ぐために奴隷には足枷や首輪がはめられ、鎖でイヌのように繋がれていた。


 監督官は奴隷が死ぬまで作業するのを見張り、死んだら処置室につれていく。死後もアンデッドとして役立ってもらうためだ。


 単調で過酷な強制労働が繰り広げられる中、監督官は暇を持て余していた。


 戯れに奴隷を鞭打つ”遊び”は、すでに飽きてしまった。死なれては精製工場では働けないので、処置室に運ぶ手間がかかるし、補充人員が寄越されるまで作業が滞ってしまう。そうなれば無駄に効率が落ち、報酬の査定に響くからだ。


 嗜虐趣味を満足させるよりは、楽して報酬を得るほうがいい。監督官はそのように考えていた。


 外の見張りが厳重なため、工場内の警備は緩い。何者かが侵入することなど、監督官の仕事についてこれまで一度もなかった。反乱や奴隷が起こすトラブルさえ抑え込んでおけばいい。楽な仕事だ。


 ただ、退屈なのは否めない。


 昨日の夜も、一昨日の夜も、その前の夜も、代わり映えはしない。ザンド派の支配が行き届いている証拠であり、ザンドの旗のもとに加わった自分の目の確かさを我褒めしたくなるが、とにかく代わり映えはしない。


 気がつけば、椅子の上でうつらうつらとしていた――そのとき。


「うぐッ!?」


 突如、喉元に何かが絡みついた。


 首にざわざわと這い回る何かが蠢き、叫ぼうにも口までも覆われてしまう。


 引きちぎろうとするが、その指に鋭い痛みが走った。トゲだ。トゲが生えている。


「動くな」


 監督官は目を疑った。鼻先に剣を突きつけられている。


 いつの間にか、周りを囲まれている。人間だ。反乱か。しかし見るからに奴隷ではない。


「はいはい、その手に持ってるモンを渡してもらいましょうか」


 剣を持った男とは別の小男が、有無を言わさずムチと腰に結わえた鍵束を奪い取った。


「奴隷はここにいるだけで全部か?」


「うう……!」


 冷たい切っ先が、監督官の鼻の頭に触れた。


「答えるんだ」


「ち、地下の……宿舎、に……交代要員が休んでいる……」


「本当だな? ウソをつけば即座に刺す」


「ほ、本当だ……何なんだお前らは……いったいどこから……」


「余計なことは喋らねえこったな」


 小男――アマンは懐からナイフを取り出し、監督官の頬に刃を当てた。もみあげが音を立てて切り落とされる。


「ジンさん、あっしが地下を見てきやす」


「頼むよ」


 ジンは剣を突きつけたまま答えた。その間にも、ムウがゲシュタルト化させたいばらが魔族の喉に食い込む。


「皆の衆」何事かと手を止めてざわつく奴隷たちの前に、レイロウが歩み出た。「騒ぐことなきよう聞いてたもれ。わらわたちは最後の騎士団じゃ。そなたらを助けに来た」


 奴隷たちは、何を言われたのかわからない顔でレイロウを見た。絶望しきった脳髄が、理解を拒んでいるかのようだった。


「わかるかや? 最後の騎士団。そなたらを救い、この島から脱出するためにここに来た」


「……脱出、だって?」


 奴隷のひとりが、呆然と口を開いた。


 ざわつきが、少しずつ広がっていく。


 すべての作業は止まった。


 錬金炉の火が燃え盛る音だけが、ごうごうと音を立てていた。


     *


 ストーンアーム島の港側にある魔族用の宿舎は豪奢な作りで、屍鬼種ではない魔族たちが惰眠を貪っていた。


 アンデッドたちの制御と奴隷たちの監督さえ手綱を緩めなければ、平穏が保たれていたからであろう。


 その静寂を、突如の爆音が打ち破った。


 島中を揺るがす大音声である。


 何事かと飛び起きた魔族たちが見たのは、精製工場から赤々と立ち昇る火柱であった。


 次いで、爆発がもう一度起こった。燃え上がる工場の屋根が吹き飛び、宿舎の方まで破片が飛んできた。


「敵襲ーッ!」


 魔導装置により、全島に警報が鳴り響いた。


「島の南東に所属不明の船影あり! 数は3! 総員配置につけ! 繰り返す……」


 拡声器にかけられた見張りの声。燃え盛る工場。島内は、一気に大混乱へと陥った。


     *


「敵船からの砲撃か?」


 港に停泊する武装アンデッドガレー船”餓狼丸”船長の魔族、ヌオバは報告に来た部下の襟首を掴み上げ、問いただした。


「ふ、不明です! しかし船影は島に近づき航行中とのこと!」


「ふん……まあいい。出港だ。迎撃するぞ」


 ヌオバは部下を解放し、寝起きの首をコキコキと鳴らした。


 おそらくは”流血侯”バルドルあたりの海軍が攻めてきたのだろうとヌオバは判断した。海上戦力を持ち、領土拡張に熱心で、ザンド派とは幾度となく戦戈を交えている。


 だが、それは無謀な試みだとヌオバは思った。


 ストーンアーム島は難攻不落の要塞である。各方位に向けられた魔導砲と、アンデッドガレー船からの砲撃があれば防げぬ敵はいない。


 七大魔公の中で最大の勢力を誇っているバルドルの軍勢であっても、これまで陥落させることはできなかった。


 今度も防ぎきってみせる――ヌオバはコートを羽織り、堂々とした体躯で甲板に上がった。


 アンデッドガレー船は、文字通りゾンビ・ワーカーたちがオールを漕ぐことで推進力を得る船である。遠洋に乗り出すには力不足は否めないが、波の穏やかな海域では帆船よりも小回りがきく上に、漕手はすでに死んでいるので体力的な限界なくいくらでも酷使できる。


 餓狼丸はゾンビ・ワーカーの腕よちぎれよとばかりにいきなりの最大船速で港を出た。


 僚船の”捨牛丸”もほぼ時を同じくして動き出した。


 どちらの船も、大型魔導兵器を積み込んだ軍船である。


「敵船との距離を保ちつつ前に出ろ。捨牛の連中に先を越されるな!」


 ヌオバの号令が響き渡り、船員魔族がゾンビの漕手に指示を出した。


 2隻は速やかに連携をとって配置についた。即座に撃てるよう、船舷を敵船の方角へと向けさせる。


 一方の敵船は――射程外にとどまり、様子をうかがうような動きを見せる。


「誘い出そうというのか? バカめ!」ヌオバは伝令を捕まえ、「島の砲手に伝えろ! 長射程雷撃砲で狙い撃て!」


 伝令は転がるようにして通信室に走った。


「この島に手を出して無事に帰れると思うなよ……!」


 ヌオバは残酷な笑みを浮かべ、夜の海に浮かぶ3隻の船が燃え上がる瞬間を待ち構えた。


     *


 一方、その敵船――エスメラルダ私掠船団、旗艦”天上の駿馬ソブリン・スティード”号。


霊力エーテル探知機に感あり! 敵要塞に大型魔導兵器発射の兆候を認む!」


 乗組員が、念波観測室から魔導伝声管を通じて報告を上げてきた。


 船団長グライフは船べりをしっかりと掴み、「全速前進だ。総員、対砲撃防御態勢を取れ」


 命令を受け、3隻のうち”天上の駿馬ソブリン・スティード”号だけが先行する。


 そして、ストーンアーム島からまばゆいエーテル光が明滅した。


 乗組員らに緊張が走る。敵の要塞砲から狙いをつけられて涼しい顔はしていられない。


 グライフは、琥珀色の隻眼でしっかりとストーンアーム島と敵ガレー船の配置を視認した。島は先ほどの爆発で火災が起き、照り返しで敵の様子を確認するのは容易かった。その点では私掠船団は有利といえた。


 だが、先に撃ったのは魔族の方だ。


 チカッと閃光が広がったと思った次の瞬間、青白い稲妻が砲口からまっすぐに”天上の駿馬ソブリン・スティード”号へと走った。


 強烈な衝撃が魔導ガレオン船全体を揺るがした。防御態勢を取っていなければ、海に投げ出されるほどの激しさである。


 白煙が立ち上り、振動が収まる。


 しかして船は――無傷であった。


     *


「エーテル遮蔽幕だと!」


 雷撃砲の直撃を見届けた餓狼丸船長ヌオバは、驚きに目を見開いた。


 直撃の瞬間、敵船に見えない繭のようなものが張り巡らされ、雷撃は散らされてしまったのだ。魔導機関によって広い範囲にエーテルの幕を張り巡らせてのシールド防御である。


 ヌオバは己が見誤っていたことに気づいた。通常の船にはこのような装備は搭載されていない。バルドル軍の船にもそのような装備はなかったはずだ。


 バルドルは命を重んじない。


 配下の兵を守るくらいなら多くの武器を積んで殲滅力を高めることを選ぶ――ヌオバの認識ではそうなるはずだ。


 ならば、世界に君臨する大魔族バルドルが方針転換をしたか、さもなくば、考えられるのはただひとつ。


「ニンゲンの船……エスメラルダの海賊どもか!」


 大侵寇前に建造された、かつての人類最高峰の技術を集めて作られた船を有するエスメラルダ私掠船団ならば、それは可能だ。


「忌々しい連中め!」ヌオバは船べりに拳を叩きつけ、こめかみに太い血管を浮かべた。「砲撃戦準備だ、整い次第叩っこめ!」


 餓狼丸の船舷ハッチが次々と開き、魔導投射砲がぞろりと突き出される。エーテル結晶の強力な力で石や鉄の砲弾を弾き出す大型魔導兵器である。


 魔族の砲手がエーテルの火を焚べると、投射砲が震え、唸る。


 純粋な運動エネルギーに変換されたエーテルが、砲弾を凄まじい勢いで跳ね飛ばした。

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