6章 解放
第32話 解放 01
洋上のラストリーフ基地を襲撃したアドン率いる海の魔族軍団は、ムウたちの活躍によってアドンが倒されたことで統率が大いに乱れ、反対に大勢を立て直したエスメラルダ私掠船団によって猛反撃にあい、各個撃破された。
「どうやら片付いたみたいだな」
捕縛され、あるいは散り散りになって逃げていく魔族たちの様子を眺め、私掠船団長グライフは安堵のため息を漏らした。
船団側も死者を出す事態にはなったが、襲ってきた軍勢の数からすると奇跡的に損害は最小限で抑えられたようだ。
――いや、奇跡というわけではないか。
グライフは、互いに肩を貸し合って何とか大灯台まで戻ってくるムウたちを見て思い直した。
敵の首魁と真っ向から戦って破ってみせた”勇者”とその仲間がいたのだから、これは当然の帰結と考えるべきだろう――と。
*
「ムウ、傷の具合は?」
バラの心臓の力を解放させて身体に力が入らない状態のジンが、それでもムウを心配して声をかけた。
ムウはアドンの三叉のモリを投げつけられ、かなりの深手を負っていた。肩から二の腕にかけて肉をえぐられ、服が血に染まっている。
それでも応急処置としてエーテルで創り出された黄色いバラの花びらが傷口に貼り付いていて、これに治療効果があるらしく、出血は止まっているようだった。
「包帯をとってきやす。嬢ちゃんたちはここで休んでいてくだせえ」
アマンがフットワークの軽さを見せた。
大灯台の正面の広場は、宴の後と戦闘の混乱でひどい状態であったが、けが人が並べられ、その周りを衛生班が忙しく動き回っている。
ジンはぐったりとへたり込み、ムウも言葉少なに座り込んでじっとしていた。
アドンは手強い相手だった。殺されていてもおかしくなかった。それでも勝利できたのは、短いながらもアベローネ要塞で技を磨いた成果だろう。ジンはそう思った。
「さっきの、すごかったじゃないか! 久しぶりに血が
興奮を隠しきれない様子でそう声をかけてきたのは、”
ムウたちを
「話には聞いていたが、あれが勇者の力かい?」
「ムウの力、ではある」答えたのはレイロウだった。「だが勇者の力と決まったわけではない。あのバラは、ムウの母たるいばらの女王に由来するものやもしれぬでの」
いばらの女王は300年前の魔王であり、つまりは魔族の力を使って魔族を討った――とレイロウは言っている。
だが、そこには初対面の頃の刺々しさとは別の感情が籠もっている様子だった。ジンには、魔族の力であってもそれはムウの備えている能力なのだと認めているようにも見えた。
「ま、これまで散々魔族に苦しめられてきたあたしたちにとっちゃ、どんな力であれ福音だ。敬意を表すよ」
「けいい?」
ムウはキョトンとしてクラアメルを見た。
「ムウのこと、頼りにしてるって」
ジンに翻訳され、ムウは照れくさそうに首をすくめた。
「そういうことだ、勇者さま」今度はグライフが近づいてきた。「血統のことはひとまず置いといて、お前さんたちがいなければこの基地は乗っ取られていたかもしれない。被害がこの程度で済んでよかったよ、感謝する」
「出港はできそうですか?」とジン。
「問題ない範囲だ。心配するな」
そこに治療器具を持ってきたアマンが戻ってきた。
「さ、嬢ちゃん、傷を見せてくだせえ……おお、この黄バラのおかげで傷はふさがってるみたいですな。傷跡が残らなきゃいいんですが」
アマンの手で器用に包帯が巻かれていく。
「船団長、話を聞けそうな魔族がいましたぞ」
”
グライフは捕虜となった魔族を隻眼で見下ろし、「あのアドンとかいうヤツの手下か。大人しく口を割るなら、命の保証だけはしてやろう」
「……何を聞きたい」
磯臭い魔族は頭から紫色の体液をわずかににじませ、呻くように言った。
「なぜここを襲った。誰の差し金だ」
「マルバンだ。ヤツがアドン様に情報をよこした……もはやザンド派の庇護下にはないという話と、補給のため船が停泊している隙を狙えばいいと……アドン様がそれに乗ったのだ」
「フン、大方そうだろうとは思ったが、やはりな。しつこいヤローだ。他にマルバンから何を聞いた?」
「そ、それ以上は知らない……本当だ。知っていたとしても、アドン様しか聞いていないことだ」
「そうか。ならば……」
と、グライフが何かをいいかけたとき。
「船団長!」
誰かが叫んだ。
「何事だ」
「あ……あの大きいサメ魔族……敵の親玉が!」
「何?」
「いません! さっきまでそこに倒れていたのに!」
その場にいた全員の視線が、アドンの死体があったはずの場所に集まった。
しかし、いない。
血痕と水たまりを残し、その巨体は忽然と消えていた。
「まさか……まだ息があったのか!」
グライフが苛立たしげにブーツを踏み鳴らした。ジンに剣で突き刺されたにも関わらず、急所をそれて絶命はしていなかったということか。そしてはしけとはしけの隙間から海に飛び込んで逃げていった。そうとしか考えられない。
「追いますか」とパイコーン。
「いや……相手は海の魔族だ。海中に逃げられたら追いつけない」グライフは唇を噛み締め、「今は放っておくしかあるまい。基地には守備の人員を残し、出港を急ごう」
そういうことになった。
「すみません船団長、僕がちゃんととどめを刺していれば……」
ジンが悔しげに言った。魔族の中には異様にしぶとい個体もいる。首をはねていてもなお安心できない場合すらあるのだ。
「なあに、やむを得んさ。また襲ってくるようなことがあれば返り討ちにすればいい」
グライフにそう言ってもらえるのは救いだった。
ジンはこれも己の未熟さゆえと自戒の念を刻み、もっと強く、速く動けるようになれるよう誓うのだった。
*
暗い海の底。
手負いのアドンは死にものぐるいで泳ぎぬき、ラストリーフ基地から手の及ばない海域まで逃れていた。
「ゲヒューッ、聞いた……聞いたぞ……!」
海の中で、アドンは鋭い歯をむき出しにして笑った。
確かに聞いた。あの言葉。
「勇者、じゃとぉ……?」
アドンは、忌々しくもクラーケンを打ち破り己を殺しかけたふたりの人間のことを思い浮かべていた。
「どっちが
しばらく前に噂は耳にしていた。突然、人類の守護者たる勇者の念波がわずかに捉えられたと。だがそんなものは何かの間違いだと鼻で笑っていた。
なぜなら魔族の大侵寇は勇者を呼び降ろされることのないように真っ先に円十字教会の上層部を皆殺しにしたのだから。
そうすれば、人間どもには勇者を降臨させることはできない。魔族はそれを調べ上げた上で侵略を開始したのだ。
だが、人間たちの中に異能をもって魔族を討つ存在が確かにいた。
そして、”勇者”と人間どもが呼んでいる以上、あれが、あのガキどもこそが勇者なのか――。
アドンの中に、暗い情熱が燃え上がった。
勇者は魔族の天敵である。
はるか昔からそうなのだ。
魔族が地上に大規模な攻撃を仕掛けるたびに天界から降臨する救世主。
300年前、いばらの女王が仕掛けた戦争でも勇者は猛威を奮った。
もし、もし本当に勇者が降臨したとなれば、これは現在の魔族の支配が全てひっくり返されるかもしれない事態だ。
魔族にとっては絶対に看過できない。
ではこの情報を、七大魔公に売ればどうなるか?
「ゲヒューッヒュッヒュッ、面白えじゃねえか。ええ?」
アドンは深く海水を吸い込み、これから起こるであろう激動の時代の転換点に己が立っていることに興奮した。
傷の痛みなど、それに比べればいかほどのことがあろうか……。
*
事後処理を終え、旗艦”
居残り組の盛大な見送りを帆に受けて、魔導ガレオン船は堂々と波を割って進む。
「ムウ、怪我はもういいの?」
船の
「うん。すこしいたいけど、へーき」
「そっか。すごいねムウは」
「すごい?」
「うん。傷まで治せちゃうんだ」
「えへへ、いろんなバラの出し方はママにおしえてもらったんだ」
母親に教わった能力。いばらの女王、つまり魔族由来のものだ。ということはこれは本来勇者の振るう能力ではないということになりはしないか。だがバラからエーテル光を発して敵を焼き切ったり、光りに包まれてバトルドレスを身にまとうさまは、魔族の力の有り様とは異なっている気がしてならない。
己の胸の中で息づくバラの心臓もそうだ。そこから引き出されるエーテルは正の力であり、魔族特有の負の力、闇のエーテルとは本質的に違うものだ。おそらく勇者と魔王の能力がムウの中では混じり合い、不可分なものになっているのだろうとジンは感じていた。
ではムウは勇者ではないのか?
そのことを考えても、今のジンには結論を出せない。
最後の騎士団上層部、円十字教会も勇者とは認められないが完全には否定もしていない。その公式見解を覆すだけの材料がないからだ。
だが信じることはできる。
血統や力の性質の問題ではない。
ムウは、確かに勇者の魂を持っている。ジンはそれを信じているし、それ以上のものは必要としていない。
海風に乱れるムウの髪を、ジンは撫でつけてあげた。
バラの心臓の使い方は、少しずつだが実戦を積むことでうまくなって来ている。もっと強くなって、ムウを守り、ともに戦う。ふたりでひとりの勇者と呼ばれること、それがジンの望みだ。
そんなふたりの様子を物陰からうかがうレイロウは、複雑な表情だった。
「新たなる勇者が必要というわらわの見立ては間違っておらぬ」そうひとりごちて、足元でじゃれつくトラネコサイズのビャクエンのヒゲを左右から引っ張った。「しかしムウのあの力、頼りにせねば本懐を遂げることは叶わぬであろう。初めはそれが厭わしかったが……」
ビャクエンはその場でころんと寝転がり、腹を空に向けた。
「ふん、まあよい。この先どうなろうと、わらわの予知の力は絶対に必要なのじゃからな」
ビャクエンのお腹をかき混ぜて、レイロウは結局本来の自分に立ち返った。すなわち、尊大で自信に満ちた巫女姫としての自分に。
さまざまな思いを載せて船は征く。
*
そして数日が過ぎた頃。
「ジン、あれみて!」
その日も甲板で時を過ごしていたムウは、船の行く手のずっと先、水平線を指差した。
「どうしたの?」
ジンがそちらに目を凝らすと、かすかに木切れのようなものが海に浮かんでいるのが見えた。
乗組員を呼び止めて、ジンは遠眼鏡を借りた。覗き込むとそれは木切れではなく沈む寸前のボートで、そこには上半身裸の人間が突っ伏していた。
「人……? 誰か! 人が乗っていますよあれ!」
ジンの声に、グライフを初め乗組員が舳先へと集まってきた。
「遭難者か? まだ生きているかもしれん、こちらからボートを出して救難に向かえ」
グライフが指示を出すと、乗組員たちは速やかに準備を始めた。
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