第30話 航海 05
ラストリーフ海上遺跡ははるか昔から海の只中にそそり立つ巨大な塔で、古くから人々は洋上の灯台として利用してきた。
いつ頃からか、エスメラルダの地に集う海賊がそこに住み着き、
「……というわけで、我々私掠船団は以後このジンたちを大陸の東の地まで送り届けることを第一優先事項とする」
大灯台の中にある会議室で、一堂に会した船団首脳陣を前にグライフ船団長がジンたち特務班の任務を語っていた。
「いよいよ潮の流れが変わるときが来ましたな」
感慨深く口を開いたのは、禿頭に船長服姿の初老の男、”
「300年前の勇者と魔王の子供が新たな勇者降臨のために死地へ赴く……か。いいねぇ、美しいじゃないか。吟遊詩人も夢中になるだろう」
同じく船長服を着た艶やかな中年女性、”
「よろしくおねがいします」
ジンは緊張の面持ちで頭を下げた。船団が総力を上げて自分たちを運んでくれる、命を張って神樹の実への道を切り開いてくれるのだ。そのことが実感としてようやく理解できた。
「補給が済み次第の出港になるが……懸念がひとつ」とグライフ。「念波通信で報告した通り、マルバンとの関係は破綻した。これまではザンド派の庇護下でやってきたがこれからはそうはいかない」
と、グライフは副官リオラを見た。
リオラが手元のスイッチを押すと、会議室のテーブルの上に魔導装置がラストリーフ遺跡周辺の海図を立体的な幻として浮かび上がらせた。さらにリオラが操作をくわえると、東西に長い大陸全図が表示され、ラストリーフ基地と対地区の東とを結ぶ赤い破線が明滅した。
「今まで使ってきた航路はザンド派の息がかかった領域だった。今後そこを通ろうとすれば反対にザンド派の船に襲われるのは目に見えている。それを避けるためには、少々遠回りになるがウィランドリア沖を通過する必要があるだろう」
基地からずっと南東にあるそのポイントが大写しとなった。
「ウィランドリアは現状、”鋼鉄伯”ヤーガラートの勢力圏に含まれている。大きく戦況が変わらない限りザンド派は手を出せない。うまくいけば何事もなく抜けられるはずだ」
鋼鉄伯ヤーガラートは七大魔公の中でも特に異質な存在だ。妖機種とよばれる生けるからくり人形の群れを率い、自陣の領地を全て機械に置き換えようという、人間にも魔族にも理解し難い行動原理で活動をしており、じわじわと領土を拡張しその過程で邪魔になるもの破壊し器物に再構築すること以外には興味がない――少なくとも外部からはそうとしか見えない――という勢力である。
「この旅が成功すれば人類の勢力地図が塗り替わる。そのために尽力できることはこの上ない名誉だ。各員そのつもりで臨んでくれ」
グライフは一同の顔を見渡した。静かな士気の高まりを感じ、グライフは満足気にうなずいた。
「……とまあ、堅苦しい話はここまでとして、だ。勇気ある若者たちを歓迎して、今日は盛大に宴会といこうじゃないか」
おお、と会議室が沸いた。
「さすがは海の男、
レイロウが楽しげに手を叩く。
「ねえジン、えんかいってなに?」
ムウは周囲の盛り上がりようにつられて目を輝かせた。
「ええと……みんなで美味しいものを飲んだり食べたり、一緒になって騒いだり踊ったりすることだよ」
「ほんと? すごい!」
ジンの言葉にムウはふんすと鼻息を荒くした。
「じゃあさっそく準備に取り掛かってくれ。ジン、お前さんたちには部屋を用意している。夜まで休むといい。リオラ、案内してやってくれ」
「は」リオラはぴしりとした礼をして、「ではみなさん、こちらへ」
ラストリーフ基地の根幹をなす遺跡内部は改造され、見晴らしのよい高い城のようになっている。
ジンたちにあてがわれたのはそんな城の中でも特等といってよい部屋で、そこから見下ろす大海原、沈みゆく夕日、夜へと移り変わる空と海の表情の変化は格別なものがあった。
そして夜空には、天界の聖なる輝きが散りばめられ三日月が昇った。
宴は塔の外、満天の星空のもとで行われた。
魔族の船から略奪したり、密貿易の積み荷からちょろまかしたりした高級な酒が開けられ、多種多彩な海の幸を豪快に調理したご馳走が並んだ。
みな大いに飲み、食べ、歌い、踊った。
魔族の支配が及んだ地では失われつつある人間の歌が歌われ、楽器がかき鳴らされた。
少し酔いが回ったレイロウは、ヒスイに伝わる見事な民族舞踊を舞ってみせた。
ジンは得意の料理の腕を披露して、船乗りたちに酒のつまみを振る舞った。
ムウは基地にいた少年少女たちの輪に加わって質問攻めにあい、ゲシュタルト化したエーテルのバラの咲き乱れさせて喝采を浴びた。
船乗りたちは大騒ぎをした。酒を飲み、力比べをして、喧嘩をして、賭け事をして、歌を歌った。
夜が深まって、酔いつぶれるものは酔いつぶれ、飲むものは飲み、楽しく時は過ぎていく。
ムウは宴から少し離れ、はしけの上に寝そべって空を見ていた。
「きれい……」
どこを向いても空と海。信じられないほど雄大で美しい。ずっといばらの森で育ち、ジンに連れ出された先にこんなに広い世界があることなど知らなかった。
「星がよく見えるね」
ジンもムウの隣で体を横たえ、同じように空を見た。
「うん……すごいね、ジン」
「ここは魔族の手も及んでいないし、海賊たちの根城だった頃からこんな風に広々としてたんだろうね」
やがてどちらからともなくふたりは手を握った。
穏やかな気持だった。
「ずっとこんなふうだったらいいのに」
これから待ち受けているのが苦難の旅であるとしても、いまこの瞬間のきらめくような世界の姿を忘れたくない。
ジンはそう思ったし、ムウも同じことを考えていると確信できた。
「あぁ~、こぉんなところで何をしておるのじゃ~?」
と、そこにろれつの怪しくなったレイロウが現れた。
ヒスイ風の装束が微妙にはだけ、見事な曲線を描く肢体のあちこちが見え隠れしている。
「よ、っと!」
「わっ!」
レイロウは何の遠慮もなくジンとムウの間に飛び込み、寝転んだ。
「ふっふっふ、なぁにを見ておったのかや~?」
「……レイロウ、酔ってるね?」
「酔ってなどおらぬぅ~ぅ、おらぁ~ぬぅ~」
「んもー、せまい!」
「あ、空を見上げておったのかや? なかなか風流ではないか」
「あ、あの……」
「ん~? なんじゃ」
「あんまりくっつくと、その……」
「くっつくとなんじゃ~? うりうり」
「あっ! ちょ、ああっ、む……胸が……!」
「むぅ~、レイロウ、ジンにくっつくな!」
「ほほほ、これも護衛のつとめぞ?」
「そんな護衛聞いたことないよ!」
レイロウはしなやかな身体をジンに絡め、半ば覆いかぶさるようにして柔らかさを押し付けていた。
「あ~、楽しやのう。こんなに楽しいのは生まれて……初めてかもしれぬの」
人差し指で、ジンの胸をくすぐりながらレイロウはジンの頬に額を寄せた。
ジンはどぎまぎした。かすかな酒の匂いと、褐色の肌から立ち昇るえも言われぬ花のような芳香。
「んもー! なんでジンとそんなにくっつくの!」
ムウはレイロウを引き剥がそうとするが、レイロウはその分ジンにしがみついた。
「いやじゃ。わらわはこの
「ムウだって!」
頬を膨らませ、ムウはレイロウの反対側に回り込んでジンに抱きついた。
「ちょ、ムウまでそんなくっつかなくても……」
ジンの腕をしっかりと抱きしめ、肩のあたりに顔を埋める。
ふたりの少女に挟まれて、ジンは身動きが取れずにいた。
下手に動くといろんなものがいろんなところに触れてしまいそうで、動くに動けない。
「ジンよ、しっかりわらわを守ってたも」
「ジンは、ムウのジンなんだからね」
吐息の暖かささえ感じられる距離で左右からそんなことを言われて、ジンはひとりで赤くなった。
嬉しくもあり、悩ましくもある。責任の重さと、肌のぬくもりと、甘い匂い。
夜空を、一筋の流れ星が横切っていった――。
*
深いふかい海の底。
暗いくらい波の下。
忍び寄る黒い塊は、静かに、しかし着実に目的地へと近づいていた。
それに気づいた魚の群れが、大急ぎで道を譲る。
大きい。
流線型をした巨体にはいくつものヒレと触手が生え、水底すれすれをかき分けて泳いでゆく。
クジラとダイオウイカを混ぜ合わせたような、しかしもっと禍々しい何か。
魔族である。
海の妖獣種、それも規格外の大きさの魔族が、夜の海中を突き進む。
その後を追って、いくつもの航跡が伸びている。
水中に、水面に、水上に、巨海獣を先頭にいくつもの影。いずれも海棲生物と悪夢を煮詰めたようなおぞましい姿をしている。これらもやはり魔族だ。
海の魔族の軍勢が目指すのはただ一点、海上にそそり立つ巨大な塔。
ラストリーフ基地だ。
逆巻く潮の流れの間に、
「ミ・エ・テ・キ・タ」
暗号化された念波信号が海に放たれる。
魔族たちは、身を震わせ、あるいは下卑た笑いを漏らした。
「ユッ・クリ・チカ・ヅケ」
再びの念波に従い、魔族たちは微速で泳いでラストリーフ基地へと突き進んでいく……。
*
「はッ!?」
脳天を針でつくような閃きがあって、レイロウは目を覚ました。
すぐには自分がどこにいるのか思い出せない。
満天の星空の下、隣にはジンが眠っている。
一瞬、レイロウは青ざめた。酔った勢いでジンと寝てしまったのか。
だが服は着たままであった。それに、ジンを挟んで反対側にはムウがすやすやと寝息を立てている。
次第に記憶が戻って、状況を把握できるようになると、今度は焦りの念が沸き起こった。先ほどの閃き。あれは予知の天啓だ。
「ジン、ムウ、起きよ! 何かが……危険が迫っておる!」
「……うん? レイロウ?」ジンがのろのろと体を起こし、寝ぼけ眼でレイロウを見た。「どうしたの、いきなり?」
「視えたのじゃ!」
「視えた……視えたって、何が?」
「群れが……この基地を襲う群れの姿じゃ!」
ジンの顔に緊張がみなぎった。
「魔族?」
「おそらくはな」
ジンは立ち上がり、周囲の様子を見渡した。時刻は深夜を回り明け方に近い。
まだ飲んでいる者もいたが、そのほかのほとんどはジンたちと同じように屋外で寝入っていた。
「みんなを起こそう、急いで……」
と、言いかけたところで、海面から巨大な水柱が噴き上がった。
水面を割って、イカやタコの如き触手を持つ化け物が顔を出した。大きい。クジラを直立させたような巨体がはしけに乗り上げ、押し潰そうとしている。
さらに基地をぐるりと囲むようにして何十体もの魔族が這い上がってくる。
「ゲヒューッヒュッヒュッヒュッ、油断しやがったなあ!」
ひときわ体の大きな、人型のサメのような魔族が薄闇の中で爛々と目を輝かせた。手には三叉のモリを持ち、ヒレのついた脚ではしけに水跡を残していく。
珍しい水棲型の獣人種である。
「人間どもめ、この基地は今日からこのアドン様の住処としてやるけぇのう!」
アドンに付き従うように海中から次々と魔族の群れが上陸を果たしていく。
一方のエスメラルダ私掠船団は、宴の後始末さえしておらず完全に出遅れる形になっていた。
中央の大灯台で見張りについていた船団員は接近に気づかず、上陸を許してからようやく警報を鳴らした。
「ゲヒューッ、歯向かうものは皆殺しにしろや!」
アドンの号令の下、海の魔族たちは目につく人間に対し無差別に攻撃を始めた。
ほとんどの船団員は丸腰であり、太刀打ちができない。あちこちで悲鳴が起こっていた。
「くそッ、なんてことだ!」
船団長グライフは酔い覚ましにバケツいっぱいの水を頭からかぶり、ぶるぶると水飛沫を飛ばした。
「これはいけませんな」パイコーン船長が険しい顔で言った。「いったん大灯台に撤退して大勢を立て直すべきです」
「やむを得ん、指示を出せ」
「はっ」
グライフたちは混乱の只中で船団員たちに命令を下した。宴の終わりの気だるげな豊かさは一気に吹き飛び、血なまぐさいいくさの空気が充満している。
アドンはそんな私掠船団の動きを見て、ぞろりと生えたギザギザの歯を剥き出しにした。
「ゲヒューッ、さすがに動きが早ぇじゃねえかよ、ええ? だがよぉ、今のうちに船を乗っとっちまえばどうじゃろうのぉ!」
三叉のモリを掲げ、アドンは号令を下した。
魔族たちは、人間狩りの手を止めて停泊している船へと向かう。
"
鬨の声。叫び声。悲鳴。怒声。
基地のあちこちから人間の、魔族の声が聞こえてくる。
そこに、巨海獣が動いた。
はしけによじ登り、樽や木箱を押し潰し、触手を伸ばして逃げ遅れた人間を捕まえる。
濃密な潮と腐敗ガスの入り混じった悪臭を吹き出しながら、大灯台へと迫る。
「うわあ!」
まだ年若い、子供と言って差し支えない船団員が触手に足を掴まれ、はるか頭上まで振り回された。
そして巨海獣は、クレバスのような大口を開け、少年を丸呑みにしようとする……。
そこに、白くまばゆいエーテル光が空を薙いだ。
ムウの作り出したバラから撃ち出された光の
うぉぉん、と腹に響く鳴き声を上げて巨体がよろめく。
持ち上げられた少年の触手が緩み、頭からはしけの上に叩きつけられる、直前にしなやかな白虎が跳び上がり、襟首を捕まえて着地した。ビャクエンだ。
「大丈夫!?」
そこにジンが走り込んできて、ビャクエンから少年の身柄を受け取った。
少年を逃がし、自らは巨海獣に立ちはだかる。
反撃が始まった。
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