第29話 航海 04

 マルバンは焦っていた。


 地上界を席巻する七大魔公の一角、”冥土王”ザンドの配下として港町レットラッシュを支配していたマルバンにとって、エスメラルダ私掠船団はよい金蔓であった。


 人間の抵抗勢力などたかが知れており、ザンド派以外の魔族の船がいくら襲われても懐は傷まない。最後の騎士団に少々の物資を横流ししていたからといって魔族全体の支配体制を覆すことなどできはしない。目こぼししているだけでいくらでも上前をはねることができるのだ。相手が人間だからといって、金が手に入るなら何を遠慮することがあろうか……。


 だが、そうしたうまい汁をすすってきた裏事情が同じザンド派の魔族フィリカーエに露見していたのは誤算であった。


 バシアヌ鉱山を運営するフィリカーエは、ザンドに強い忠誠心を抱いている上に少々病的とも言える人間嫌いで有名だった。人間は魔族の奴隷として生きるのがふさわしい、文明や経済の担い手ではなくあくまで労働力として使役するべきだという思想を持ち、のみならず死ねばアンデッドとして蘇らせてまで酷使しようという性格の持ち主なのだ。


 マルバンも屍鬼種の長たる冥土王に臣従する身である。ゾンビ・ワーカーはあえて自分から使おうとは思わないが忌避感は薄い。だがザンドに心酔しているかといわれれば、マルバンは同じ重さの黄金を取るだろう。


 ザンドの勢力下に加わることがより富と権力の近道だと感じたまでのことで、死体愛好癖まで真似する気はない。


 フィリカーエは違う。


 ザンドの目を盗んでエスメラルダ私掠船団とつながりを持っていることを非難し、ザンドに報告すると脅しをかけてきたのだ。


 エスメラルダのグライフと手を切るのは、マルバンにとって相当の痛手となる。ザンド派の船は襲わないという約定を破棄されて船荷を狙われても困るし、密貿易で吸い上げることのできる富が失われるのはもっと困る。


 だからグライフにはより深い関係、つまりは完全に魔族の下について専従の海上戦力となるよう持ちかけたのだ。


 マルバンは、グライフという男が嫌いではなかった。


 有能であるだけでなく、最後の騎士団に所属しながら魔族の事情を理解し、なによりカネを共通言語として話ができる知恵があるからだ。


 マルバンに言わせれば最後の騎士団などカスである。しょせん敗残者の寄せ集め、烏合の衆であり、難攻不落の要塞に引きこもっていることをいいことに見逃されているだけに過ぎない。


 だから最後の騎士団を裏切らせるのはそれほど難しくないと目論んでいたが――それは見当違いだった。


 グライフはあくまでも人間のために活動するという一点を譲ることがなかった。


 交渉は決裂し、せめて貴重な魔導ガレオン船だけでも接収しようと部下を動かしたのだが、これも失敗に終わり、まんまと出港されてしまった。


 これではうまい汁を吸うこともできず、フィリカーエには威厳を示すこともできず、ザンドへの面目も立たない。


 ――かくなる上は。


 マルバンは、レットラッシュの旧首長舎を改築した建物の一室で、大きな水晶球を埋め込んだ魔導装置の前で意を決した。


 念波通信機のエーテルコンデンサが安定してくると、受信器が念波を拾い、雑音混じりの音声として出力する。


『……何の用じゃい、マルバン』


 ヒューヒューと聞き取りづらい呼吸音に混じって声が聞こえた。


「アドンよ、古馴染みの貴様にいいネタがある。特別にタダで教えてやろう」


『ゲヒューッ、マルバン、お前が? タダで? ゲヒューッヒュッヒュッ、面白え! 話だきゃあ聞かせてもらおうじゃねえか』


 アドンと呼ばれた何者かは、魔族であっても不快に感じる笑い声を上げた。どうやら興味を惹かれたようだった。


「いいかよく聞け。貴様、エスメラルダ私掠船団を知っているな……」


 マルバンは酷薄な笑みを浮かべ、企みを語った。


     *


 洋上、”天上の駿馬ソブリン・スティード”号。


 天気は快晴。波も穏やかで心地よい航海が続いていた。


「いい天気……」


 癖のある銀髪を海風になびかせ、ムウは船べりに手をついて海を眺めていた。生まれてからずっといばらの森で暮らしてきたムウにとって海の風景は特に目新しいようで、魔導ガレオン船がかき分ける波の様子を飽きずに見つめ、疑問が浮かべばジンと言わず近くにいる船員を呼び止めて質問攻めにした。


「海が好きかい、かわいい勇者様?」


 グライフが話しかけた。


「うん!」ムウは元気よくうなずいて、「ひろくて、しずかで、かっこいい」


「そうかい。そりゃあいい。だがいつもいつも静かとは限らないぜ」


「むぅ?」


「嵐のときは荒れて船ごと飲み込もうとするんだ、魔族なんかよりよっぽど恐ろしい」


「船ごと? すごい!」


 ムウは目を輝かせた。


「はは、肝が据わってるな。さすがは勇者様ってところか。ま、穏やかなうちは楽しい船旅をしっかり味わってくれ」


「うん!」


 一方、レイロウは早くも退屈していた。ムウにとっては刺激に満ちた船旅も、彼女にとっては単調ですぐに慣れてしまった。


 気位の高いレイロウは船員たちの仕事を手伝うという発想はそもそもなく、ネコの姿になったビャクエンと日がな一日戯れて時が過ぎ、客室と甲板を行き来してはムウをからかうか、時おり厨房で働くジンの様子を見に行くくらいで、後はやることがない。


 そんなレイロウだが、少し気になっていることもあった。


 港町レットラッシュで刺客に襲われた際、妖術で眠らされた――そのこと自体、不名誉で腹立たしくはあるが――後にジンとムウが出会ったという不思議な少年、ヨシュアのことだ。


 レイロウは眠っていて直に会っていない。だがジンとムウは危ういところを救われたという。間接的にはレイロウ自身も救っている。


 重要なのは、眠らされることもヨシュアという少年が現れることも事前に全く予知できていなかったという事実だ。


 自分に降りかかる運命を先に知ることができるゆえの、自信と高慢さである。それが挫かれ、胸に汚点が残るような感じがした。


 何が原因かはわからない。それがまたもやもやとした気分を生むが、そうしたものを引きずるのは自分らしくない。


 ここは頭を切り替えようと、レイロウは厨房に向かった。もちろん仕事を手伝うためではなく、ジンを冷やかしに行くためだ。


 ジンはというと、厨房のあるじの言いつけで黙々とイモの皮むきに没頭していた。


「地味な絵面よの」


 レイロウは呆れたようにそんなことを言った。一応仮にも勇者の――あくまで勇者候補ではあるが――守り手という立場にあるのだから、もっと堂々と構えていればいいものを、ジンは裏方に回ろうとする。レイロウにとってはある種の口惜しささえ感じる。


「わらわには何が面白いのかわからん」


「いいんだよ、好きでやってるんだから」


「ふーん。料理の最中にわらわが魔族に襲われたらどうするのじゃ。護衛の仕事は?」


「ビャクエンがいるじゃないか」


「それはそうではあるが。では、ムウが襲われたらどうする?」


 そう言われると、ジンの手は止まった。


 少し考えてから、「ムウは強いから。僕よりもね。でもちょっと心配かな……」


「ふーん……」


 レイロウは唇を尖らせた。レイロウにはビャクエンがいるから平気と言っておいて、ムウは自分より強いけど心配。その、微妙な差が気に入らない。


「まあよいわ。そなたがわらわの護衛であること、ゆめ忘れるでないぞ」


 そう言ってレイロウは厨房を後にした。


「……おめえさん、いろいろと背負い込んでいるようだな」


 それまで黙って食材を刻んでいたコック長が、ジンに背中を向けたまま言った。


 ジンは曖昧に笑って、「任務ですから」


「こっちとしちゃあ助手ができてありがたいが、仕事の足引っ張るようなことがあるなら遠慮せず言えばいいからな」


「はい、ありがとうございます」


「ん」


 それきりコック長は押し黙り、作業に戻った。多くは語らないが、なんとなく信頼関係を築けているようである。


     *


 3日が過ぎた。


「見えてきたぞ」


 グライフはジンたちを甲板に招き、前方を指差した。


 波間の向こうに、海上にそそり立つ灯台のようなものが見えた。


「あれがラストリーフ海上遺跡、正確にはそれを改造したおれたちの海上基地だ」


 距離感がうまく働かないが相当な大きさであることがうかがえた。


 天候に恵まれ、妨害もなく、船はすんなりと基地までたどり着くことができた。


 相当の覚悟を持って臨んでいたジンは、少し拍子抜けではあったが、安全に移動できるならそれに越したことはない。


「何事もないことは予知でわかっていたが、こうも穏やかだと退屈よの」


 レイロウがあくびを抑えるような仕草をしながら言った。


「予知? そんなことまでわかるの?」とムウ。


「ほほほ。ヒスイの巫女姫たるもの、その程度は造作も無きこと。探女サグメとはそういう特別ッ! な存在なのじゃ」


「そいつぁありがてえ話ですな」


 アマンが言った。この男はすっかりと船乗りたちの間に溶け込み、移動の間は博打をして過ごしていたようである。


 船が海上基地に近づくにつれ、その大きさが鮮明になる。


 屹立する大灯台を中心に大小様々ながいくつも集まって人工的な小島を形成し、コンテナや樽、バラックが立ち並んでいるほか、目に入るだけで3隻の船が停留しているようだった。


 基地には大勢の人影があり、釣り糸を垂れていたり、船に物資を積み込んでいたり、甲板の掃除をしていたり、破損箇所の修繕をしていたりして動き回っている。


 そして基地に接舷すると、すぐさま移動式のタラップが”天上の駿馬ソブリン・スティード”号に寄せられ、出迎えの姿がはしけに並んだ。


「お帰りなさいませ、船団長」


 海軍式の敬礼をして先頭で待ち構えていた女が、いかにも凛々しい女軍人然とした態度で言った。


「おう、出迎えご苦労。何事もなかったか、リオラ?」


「はい。”流星ミーティア”号の修理も終わり、すぐにでも出港可能です」


「そいつぁいい。これから忙しくなるぞ」


「それでは……?」


「ああ。紹介しておこう」と、グライフはジンたちにタラップから降りてくるよう手招いた。「最後の騎士団からの”お届け物”だ」


 ジンたちはタラップを降り、リオラたちの前に整列した。


「ラストリーフ基地の指揮を取っているリオラだ」とグライフが紹介した。


「お初にお目にかかります、最後の騎士団特務班正騎士のジンであります」ジンは敬礼し、それから隣のムウたちの方を見た。「こちらは……いばらの森から連れ帰ったムウと、巫女姫レイロウ。それに工作員のアマンです」


「リオラです、よろしく」


「さて、詳しい話はあの塔の中で話すとしよう。ゴンズ、後は頼む」


 グライフが副官ゴンズにそう言うと、さっそく出迎えの船団員たちが”天上の駿馬ソブリン・スティード”号の保守点検と補給に取り掛かった。


 と、そのとき。


「なッ! 魔族がおるぞ!」


 レイロウが声を上げた。


 巫女姫の視線の先には、樽を抱えて魔導ガレオン船に乗り込もうとする青肌の、まだ年若い邪鬼種と思しき魔族がいた。


「驚いたか?」


 グライフはからかうように言った。


「お、驚くも何も……」ジンも困惑を隠せず、「私掠船団の基地にどうして魔族が?」


「正確には半魔ハーフブリードだ」


「ハーフ……混血?」


「そうだ。魔族と人間の間に生まれた子供を引き取って、働いてもらっている」


 半魔ハーフブリード。大侵寇によって地上を侵略した魔族が、人間を殺し奪い支配していった過程の中で人間との間に子をなすこともあった。ほとんどの場合、彼らは不幸な事象の帰結として生を受け、人類にとっては忍従の象徴とも言える存在だ。人間からは異端視され、魔族からも差別されることが多い。


「行き場のない子供たちは今の御時世いくらでもいる。その中に半魔ハーフブリードが少しくらい混ざっているからといってそんなに不思議じゃないだろう?」


 そう言われてしまうと、ジンにはそれ以上のことは何も言えなかった。どうごまかしてもこの地上界には魔族との混血児が存在し、生まれた以上は生きていかなければいけない。見たところ、半魔ハーフブリードの少年は他の船団員たちと別け隔てなく働いており、周囲が納得しているならそれは単なる日常風景だ。


 だが、レイロウは不満顔だった。


「エスメラルダ私掠船団といえども最後の騎士団の一員であろ? 魔族を許さず地上を取り戻そうとしているのではないのかや?」


「ふむ」グライフはレイロウを隻眼で見つめた。「つまりこういうことかい? 最後の騎士団なら、この世界に存在する魔族はひとり残らず根絶やしにすべきだ、と」


 基地の上を海風が吹き抜ける。


「やめとけやめとけ」


「え?」


「いくら魔族が悪いからと言って、その考えの先に待つのは互いを絶滅させる道だけだ。魔族に立ち向かうのはいい。勇者を呼ぶのもいいだろう。だが、お互いがお互いを最後のひとりまで狩り尽くすような戦いは無益だ。オレはそう思うね」


「ではどうするというのじゃ? わらわは物心付く前に故郷を焼かれ一族を皆殺しにされたのだぞ!」


「どうすればいいかは自分で考えることだ。自分たちが正しいからといって、何をしても許されるわけじゃないってことは覚えておいてくれ」


 グライフの言葉に、レイロウは眉根を寄せ、そっぽを向いた。何を言い返せばいいのかわからなかったのだろう。


 ジンも同じだった。いままでは魔族を倒す、そのために勇者を探す、それだけの単純な図式だった。だが魔族をこの世から全ていなくなるまで戦うとなれば、地上はいま以上に陰惨な血まみれの世界と変わるだろう。


 そんな戦いにムウを巻き込むことは本意ではない。


「ま、それはまだ先の話だ。いまは任務のことを優先しよう」


 グライフはそう言って、大灯台に向かって歩き出した。


 ジンたちもそれに続く。

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