第28話 航海 03

「貴様らは魔族に反逆した罪で拘束する! 全員船から降りろ!」


 魔導ガレオン船にかかったタラップの上で魔族が声を張り上げた。


 だが船の乗組員はエスメラルダ私掠船団、つまり最後の騎士団の一員である。魔族に敵対する組織の人間として捕えられた末路を考えれば、諾々と受け入れるわけにはいかない。


 当然武器をとって抵抗する。


 だが船を取り囲む魔族たちはそれを承知の上で訪れてきていた。


 甲板の上に突入しようとする魔族とそれを防ごうとする乗組員との間で戦闘が発生する。


 物資の積み込み途中であった甲板にはまだ木箱や樽が散乱し、状況は混沌としていた。


「絶対に乗り込ませるな!」


 すでに船に戻ってきていた副官ゴンズが叫び、手にした片手斧を魔族に叩き込んだ。


 あちこちで切り結ぶ音が聞こえ、血が流れる。魔族は手強いが、乗組員たちも荒っぽい海の男である。決して引かず、戦況は五分という様子だった。


 しかし魔族の中には妖術使いが複数いた。


 激しい戦闘の合間を縫うようにして暗黒のエーテルが飛び交い、乗組員たちを突き崩していく。


 そしてついには妖術によって、魔界の闇が凝縮したような暗黒の傀儡くぐつが現れた。”闇傀儡”の妖術はエーテルをおぞましい亡霊のような姿にゲシュタルト化させて操り、生者を闇の沼に引きずり込むというものだ。


 このような妖術に抵抗することは、海の男たちが勇敢な戦士であっても容易ではない。傀儡が伸ばす手は冷たく怖気の走る感触で、生気を吸い取ってしまう。


 この術で防御側が陣形を崩された。


 すかさず魔族は攻め入り、甲板の上はさらに混乱した。


 副官ゴンズは歯噛みした。グライフがまだ戻ってきていない状況下でこれはまずい。このままでは死者が増え、船を乗っ取られてしまう……。


 と、魔族の軍勢が背後から大きく乱れた。


 乱れたどころか宙を舞い、跳ね飛ばされ、吹き飛ばされて海に転落した。


「何事だ!?」


 魔族のリーダーが振り返った。


 そこには、膨大なエーテルの流れを身にまとう男がいた。


 そしてかたわらにはいばらのムチを手にした少女。


 ジンとムウだ。


     *


 バラの心臓によって身体能力を僕発的に高めたジンは後ろから魔族に近づき、首根っこをひっつかんでぶん投げた。


 ムウはいばらのムチをザワザワと増殖させ、魔族の足にヘビのように絡みつかせて転倒を狙った。


「な、何だ貴様ら!」


 魔族らの半数は慌ててジンたちに対応するために振り返った。甲板と港側でタラップの上で挟み撃ちの形になっている。


「邪魔をするなァ!」


 緑色の大鬼が鉄棒を振り下ろしてきた。


 今のジンにはずさん過ぎる動きだ。膨れ上がるようなエーテルの流れを制御して鉄棒をくぐり抜け、太い胴に剣を叩き込んだ。


「何だこの動きは!?」

「は、速いぞ!」

「捕まえろ!」


 魔族が口々に叫び反撃をしてくる。


 ジンは冷静にひとりずつ排除していった。脳天に打ち込み、武器を持つ手首を狙い、喉元に刺突を入れる。ジョウゼンとの特訓の成果は直実にジンの武技を磨いていた。


 埒が明かないと見た魔族は妖術使いの助けを求めた。術士たちはジンの常識はずれの身体能力に目を丸くしながらも、足止めのために”蜘蛛糸”を放った。文字通り、エーテルを蜘蛛の糸のような粘つく物質にゲシュタルト化させ、噴出して動きを鈍らせる妖術である。


 ジンはこれを、大きく後ろに飛んでかわした。バラの心臓による機動力をフルに活用した跳躍には妖術も追いつけない。


 しかし距離が開いてしまった。


 魔族たちは二手に分かれ、一方は船に切り込もうとし、もう一方はジンたちを捕まえようと襲いかかってきた。


 そこに立ちふさがるのはムウである。タラップの上にいばらの生け垣を創り出し、行く手を阻んだ。


「このガキめ、術を使うか!」


 恐ろしい棘を生やしたエーテルの生け垣はそのままでは通過できない。魔族らは生い茂るいばらの群れを切り開くのに手間取って、なかなか前に進めない。


 と、今度はカウンターのつもりか妖術使いたちはムウを標的に術を打った。


 ムウの足元から暗黒エーテルの渦巻が沸き起こり、そこから小さな粒子が飛散してムウに群がった。


 妖術”黒蝿群生”が呼び起こす粒子のひとつひとつは毒を持つ羽虫だ。わんわんと羽音を唸らせて、ムウの肌をさいなもうとする。


「うわ、わわっ!」


 服の隙間から潜り込もうとする毒虫をはたき落とそうとして、ムウの集中が途切れた。


 するとエーテルの生け垣が緩み、ゲシュタルト化が曖昧になっていく。


 それを見逃す魔族たちではない。一気に生け垣を斬り裂くと、ムウを殺すべく殺到した。


「させるかァ!」


 ジンが叫び、再び大きく跳躍して先頭の魔族に飛び蹴りを食らわせる。そして剣を叩き込む、斬りつける、薙ぎ払う。


 そのとき船側では、ジンたちの活躍により攻め手が混乱し、副官ゴンズに率いられた乗組員たちが盛り返していた。陣形を整え、敵をタラップの方へと押し込んでいく。


 こうなると完全に地形の不利が生まれる。狭いタラップに前後から押し挟まれる形になり、魔族たちに逃げ場はない。切りつけられ、さらに何人かが海に落ちた。


「おのれ、人間どもめ!」


 魔族たちのリーダーは戦闘の潮目が変わったことを察知し、歯噛みした。壊滅を免れるには退くしかない状況だ。


「……撤退、撤退だ!」


 リーダーが叫んだ。


 魔族たちは連携を見せた。船に煙幕弾を投げ込み目をくらまし、一気に港側へと押し寄せる。数は6、7名。それらが生き残るためにムウとジンのふたりに必死になって襲いかかってきた。


 勇者の守護者といえども、それだけの人数がひとかたまりになって歯向かってくれば全てを足止めするのは難しい。


 ムウはようやくすべての毒虫を払い落としたところで、再び生け垣を発生させるのには時間が足りない。


 魔族たちはそのままタラップを降り、一目散に逃げ出そうとして――雷光に撃たれた。


「おいおい、オレの船に攻め込んでおいて無事に帰れると思ったか?」


 先端から煙を上げる短杖ワンドを片手に構え、エスメラルダ私掠船団の船団長、グライフが現れた。


 魔族たちは顔色を変えて立ち止まった。うかつに動けば狙い撃ちにされる。しかし逃げなければ後ろから追撃される。


 そこに。


「……んっ、ふわーぁ……何じゃこの状況は」


 レイロウが気絶から目覚め、伸びをしながら起き上がった。


「お目覚めかい、お嬢さん」


「グライフ船団長、何じゃ、何が起こっておる。あの魔族は?」


「オレの船を襲いやがった。マルバンの手下だ」


「大体わかり申した。ビャクエン!」


 レイロウの足元に、白黒のトラネコがすり寄っている。


 呼ばれたビャクエンはキッと顔を上げ、ヒクヒクと鼻先を震えさせると、猛然と魔族たちの真ん中に疾走っていった。


「やっておしまい!」


 走りながらビャクエンは聖獣――白虎の姿へと戻った。


 いきなり大きなトラが現れ、魔族たちは大混乱に陥った。ビャクエンはそんな哀れな魔族に飛びかかり、容赦なく噛み付いた。


「いまだ、押し包め!」


 グライフがよく通る声で号令をかけた。ジンとムウ、そして乗組員たちがタラップを降り、魔族たちを包囲した。


「や、やめろわかった! 降参する!」


 もはや逃げ場はない。魔族たちは武器を捨て、両手を挙げた。


「いいだろう。縛り上げろ」


 乗組員たちからわっと歓声が上がった。


 危うく船を乗っ取られるところからの勝利。


 人類解放の礎となる、まず最初の一歩であった。


     *


「改めて、我が”天上の駿馬ソブリン・スティード”号へようこそ」


 隻眼のエスメラルダ私掠船団長グライフは甲板に立ち、船長のコートを身にまとい見事な男ぶりで両手を広げた。


 私掠船団の旗艦となる魔導ガレオン船は魔族の襲撃の後、物資搬入を切り上げて追撃が来ないうちに出港していた。


「船はこのまま南回りの航路で大陸を横切り、はるか東の旧ヒスイ国までお前さんたちを送り届ける。その後は陸路でカルセドニアまで向かってもらわにゃならんが……それまでは我が船団が必ず守ると約束しよう」


「ありがとうございます、グライフ船団長」


 ジンは礼を言い、頭を下げた。波をかき分け進む船上は海風が心地よい。


「大船に乗った気でいてくれ、文字通りな。だがその前に」


「はい?」


「補給と船体の点検をすっ飛ばしてレットラッシュを出てしまった。おかげで長旅にはちと心もとない。そこで、ちょっと寄り道をさせてもらう。ここから南にある私掠船団の本拠地、ラストリーフ海上遺跡に向かいそこで船の修繕と補給、そして船団の他の船と合流する」


「海上遺跡……」


「ああ。まだエスメラルダの海賊団と呼ばれていた頃から使われているアジトだ。そこを中心にオレたちは魔族の交易船を襲って物資を奪ったり、密貿易で世界中の港を回って最後の騎士団を海から支えてるってわけだ」


 アベローネ要塞に籠もっていては見えていなかった最後の騎士団の全体像がジンの頭の中で像を結んだ。最後の騎士団にとって欠かせない存在だということがよく分かる。


「海は陸と違って魔族の支配が強固じゃない。七大魔公の勢力もそれほど行き届いていないからな。だからある程度自由に活動ができる」


「では船旅は安全ということかや?」


 優雅に木箱に腰掛け、レイロウが言った。


「もちろん、と言いたいところだが危険がないわけじゃない。海をテリトリーにしている魔族にはクジラみたいにデカい個体がいるし、船団を目の敵にしている一派もいる。戦闘になる可能性は五分五分といったところだな。ま、そのときにはお前さんたちの力も貸してもらうことになるだろう」


「くじらってなに?」


 ジンの隣でムウが尋ねた。初めて見る海の様子に興味津々で、新しい知識をどんどん吸収している。


「大きな海の生き物だよ。魚に似てるけど魚じゃなくて、この船よりも大きかったりするんだ」


「おお……」


 スケール感に驚いたのか、ムウは大きな目をパチクリさせた。


「船にいる間、僕たちに何かお手伝いできることは?」


「仕事を手伝ってもらえればありがたいが、慣れていない女子供にゃちと荒っぽいからな。客室を用意しているから普段はそこにいればいい」


「ジンはおりょうりじょうずだよ? ね、ジン」


「ほう」


「元々は従軍コック志望だったんです。色々あって、剣を取ることになりましたけど」


「そうか。厨房で助手を欲しがっていたはずだ。後でゴンズに聞いてみるといい」


 魔導ガレオン船は風を受けて進む帆船であると同時に大型の魔導機関を搭載しており、船体の安定化や法術的防御機構、念波通信、大型魔導兵器、海水を濾過して真水に変える機能などを担っている。防火や火力を生み出すこともできるので、それなりではあるが厨房も備わっているのである。


 ”天上の駿馬ソブリン・スティード”号は悠然と波間を進む。


 その行く手に待ち受けるのはいかなる運命か――。

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