第23話 使命 04

「ムウは勇者じゃないの……?」


 しゃくりあげながら、少女はジンの顔を見上げた。泣き腫らした目が痛々しい。


「勇者じゃない、って……」


 ジンは戸惑い、ムウの様子を見た。ジンに抱きついてこんなに感情をあらわにするのは初めてのことだ。


「落ち着いて、いったい何があったの、ムウ? 誰がそんなことを……」


「わらわじゃ」と、言ったのは腕を組んでふんぞりかえるレイロウであった。「そこな娘は勇者にあらず。ゆえにこの世を救う器にあらず、と申した」


「どうしてそんなことを!」


 ジンは思わず声を上げた。自分でも驚くほど大きな声だった。


「あ、いや……なぜ、そんな話に? ええと、あなたはいったい……?」


 問われ、一瞬面食らっていたレイロウは少し憤慨したように腰に手を当てた。


「わらわはレイロウ、ヒスイに伝わりし予言官、由緒正しき探女サグメの血を引きし巫女姫なるぞ。わらわの存在は秘匿されておるゆえ、これまで知らぬといえども無理はないがな!」


「巫女姫……」


 ジンはあっけに取られた。東方のヒスイ国は神秘の力を持つ高貴な血筋がおり、神権政治で国を治めていたということは知識としては知っているが、ヒスイもまた大侵寇によって滅びた国だ。


 そうなると、これはすごいことかもしれないとジンは思った。巫女姫というくらいなのだから、レイロウは高貴な血を持っているということになるだろう。貴族か、もしかしたら王族に連なるのかもしれない。そうだとすれば、最後の騎士団にとってまたとない旗印、人類復古の御輿になれる存在だといえる。滅びた国々の軍人の寄せ集めが、王家の血を引く人物の王位継承を掲げて戦うとなればわかりやすい大義名分が立つということだ。


「わらわの予知はそのムウとかいう娘と違って由緒のはっきりした力。守るべきはどちらか、重きはどちらか、はっきりしておるであろ?」


 そう言われても、ジンにとって勇者とは泣きながら自分にすがりついてくる目の前のムウなのだ。


 ジンはムウの手を握り、優しく頭を撫でてやった。


「ムウ、ごめんね。僕の口から説明すれば、きっとわかってもらえるよ」


「むぅ……?」


「ムウは勇者だ。僕はそう信じてる。地上の人々を救うために戦う力を持っているって」


「うん……でも、ここのおばあさんとかえらい人とか……あの子が……ムウは勇者じゃないって……」


「そっか……」


「うん……」


「じゃあ、証明しよう」


「しょうめい?」


 ムウは小首を傾げた。


「うん。勇者じゃないっていうのなら、わかってもらうようにがんばるんだ」


 ジンはそう言って、バラの心臓を起動させた後遺症でふらつきながらもムウの手を取って立ち上がらせた。


「ジョウゼン教導長」


 ジンが声をかけると、ジョウゼンは無言でうなずいた。


「それに、ええと、レイロウ姫」


 レイロウは不興げな風を装った。


「このムウと僕は、たぶんふたりでひとりの勇者なんです」


「どういう意味かや?」とレイロウ。


「ムウも、僕のバラの心臓も、不安定で未完成……だけどお互いに補い合えば、きっと誰にも負けない。僕はそう思っています」


「ジン……」


 ムウはジンの手を握り、そっと寄り添った。他の誰に否定されても、ジンに勇者だと信じてもらえるのが嬉しかった。


「フン、そのようなことを言っていられるのも今のうちぞ」


 レイロウは勝ち気な調子でジンの目をじっと見つめ――艶やかな笑みを作った。


「ジンよ、そなたはわらわの護衛とする。きっとそうなる。わらわの予知に誤りはないからの。覚えておくが良い」


 言いたいことは言ったとばかりにひらひらと手を振り、レイロウは背を向けて第2訓練場を去っていった。


「……ジンよ」


 ジョウゼンが、どう捉えればいいのかわからないといった顔でレイロウの背中を見送るジンに声をかけた。


「今さら隠し立てはできぬから話しておこう。レイロウ様は……御自おんみずから申されていた通りヒスイの巫女姫というお立場だ。表向きは存在せぬことになっているがな。理由は……わかるであろう」


「……魔族に狙われるから、ですか」


 ジョウゼンはうなずき、「御輿として担ぐにはまだ我々の戦力が整っていない。魔族に知られれば真っ先に殺されるであろう。何しろ、探女サグメの血筋は途絶えたと思われているのだから」


「その、探女サグメというのはいったい……?」


「予知能力をもってヒスイの国主に神託を与える神権政治の中心となっていた一族のことだ。他の多くの異能者と同じく魔族に皆殺しにされた……ということになっている。しかしただひとり虐殺を免れた御方おんかたがいた。それがレイロウ様だ」


 ジンは眉をひそめた。彼女もまた大侵寇で癒せぬ傷を負ったひとりということか。


「今は予言官として円十字教会にその力を貸しているのだが……あの通りのご気性。隠匿され公にできぬものとされることに、いささか飽いているようだ」


「僕を護衛に、という話でしたが……」


「うむ……それだが……」


 ジョウゼンは言葉を濁し、苦慮の色を濃くした。


 と、そのとき。


「そこから先はわたくしからお話しいたしましょう」


 背後から声がかかった。


 円十字教会のアンカレラ尼僧長が立っていた。


     *


 勇者は人類に残された唯一の希望――それは最後の騎士団結成以来、いや大侵寇が始まってからずっと言われ続けてきたことだ。


 300年前のいばらの女王を倒した勇者を最後に、勇者は現れていない。


 新たな勇者を降臨させるのは円十字教会の法王による儀式が必要となる。


 しかし法王は魔族により殺害され、法王庁は崩壊。法位を次ぐ地位にあった継承者も軒並み虐殺された。


 その結果、勇者降臨の儀式の詳細は失われ、勇者なき地上界で最後の騎士団は絶望的な戦いを余儀なくされている。


「勇者を降臨させる儀式が失われたのであれば、それを復活させればよい……という考えは根強くあります。マイヨ伝承長は教会に残された伝承を可能な限り集め、儀式を執り行う方法を探っておられました。そしてたどり着いたのが、ヒスイ国に伝わっていた”知恵の神樹”です」


 ジンとムウは円十字教会の一室に招かれ、アンカレラの話を聞いていた。ジンにとっては幼い頃から聞かされてきた事柄が多かったが、ムウには円十字教会にまつわる知識は皆無に等しい。


「ちえのしんじゅ……」


 そのムウがオウム返しに口にした。やはり強い言霊がある。そう感じていた。


「神話の時代、天界におわす霊帝アルマキアがまだ楽園と呼ばれていたこの世界にお創りになられた最初の樹。人間……そして魔族にも……知恵を授けた樹。楽園が地上界と魔界に分かたれた時にその大半が失われてしまったとされていますが、わずかに枝葉が残された。そのひとつがヒスイの地に根付いていたというわけです。かの探女サグメは、その神樹によって霊感を得ていたといいます」


「あの子も?」とムウ。


「ええ、そうです。レイロウ姫にも強く影響を及ぼしています」


「でも、魔族によって全部燃やされたか奪われたものかと思っていました」とジン。


「はい。わたくしたちも、ヒスイ国の生き残りも、皆そう思っていました。しかしレイロウ姫は”ある”とのたまわれました。1年ほど前のことです」


「ある、ん、ですか……?」


 ジンはおそるおそる尋ねた。準騎士の立場では知らされていなかった情報を告げられ、腰のあたりに落ち着かないものが生まれた。


 アンカレラはしわびた首をうなずかせ、「彼女いわく、あるのだと。ただし神樹の断片……おそらくは”実”の状態になっているだろうということでした。いずれにせよ存在はしている、はっきりと断言できるという話でした」


「その実で……」ムウが苦手なアンカレラの表情をうかがうようにして尋ねた。「その実で、なにをするつもりなの?」


「……”知恵の神樹”には人類の歴史が刻まれ、天界とつながっているとされています。それゆえ、その断片でも手に入れることができれば、失われた勇者降臨の儀式を復活させることも可能である、というのがマイヨ伝承長の見解でした」


「ちょ、ちょっと待って下さい」ジンが慌てて制した。「そんな重大なものがあるなら、何をおいても神樹を探すために兵を送り込むのが先決だと思うんですけど……」


 勇者捜索隊に先行して”神樹捜索隊”が結成されたという話は聞いていない。たとえば勇者捜索隊の規模、人員の割き方と同程度の部隊が送り込まれれば、末端の準騎士といえどもそれとなく察するところはあるはずだが、そうした記憶はなかった。


「いまのところ、最後の騎士団は……レイロウ姫の訴えとマイヨ伝承長の意見をもってしても兵を送り込んではいません」


「なぜ……」


「なぜならば」アンカレラは、部屋の壁に貼られた地上界の地図を指差した。「レイロウ姫の””た神樹の実のありかが……かつてのカルセドニア王国の国境線上だったからです」


 ジンはゴクリとつばを飲み込んだ。カルセドニアも、もうこの世にはない。他の多くの国々と同じく王族や国家元首の家族は根絶やしに、歯向かうものも皆殺しに、降伏したものは奴隷とされ、悲劇と死体が積み重ねられた土地である。


「かる……せどにあ?」


 ムウはそのことを知らず、キョトンとした目でジンを見た。


「……大侵寇で滅んだ場所だよ。その後も、大魔族同士の奪い合いが起きて……いまでも七大魔公が入り乱れてずっと戦争が続いている」



 ジンは椅子から立ち上がり、地図上のカルセドニア王国だった場所に人差し指を置いた。


「東に”流血侯”バルドル、西に”闇の蛇”ウーピール、南に”大赤龍”グラナガン、北には”氷の女王”イリス……それぞれの支配する土地に囲まれてる最大の激戦地なんだ。とても人間が踏み込める場所じゃあ……ない」


 七大魔公――現在の地上界を我が物顔で支配する七柱の大魔族。


 地上界のあるじはもはや万物の霊長であるはずのヒトではなく彼らであり、人類は非支配階級、奴隷、資源、食料となっている。


 その大物魔族が入り乱れて争っている土地に、兵士を送り込むことがどれだけ危険なことか。


 いや、危険という言葉では足りない。人命という熟れた果物を壁に投げつけるのと同義と言えよう。


「おおむねその通りです。ライゼン総長もそのように判断しました。たとえ残された希望だったとしてもあまりにも無謀過ぎる。到底成功の見込みのない決死行に人は割けない。希望と呼ぶには遠すぎる場所です。ゆえにレイロウ姫の予知は隠され、封印され、表沙汰になることを禁じられた。そのことで彼女が不満を募らせる結果となったことは想像がつくでしょう」


 ムウに対する当たりの強さは、そうした不満のやるかたなさが爆発したからということだろうか。


「そんな折に舞い込んできたのが、勇者固有の念波波形の受信という一大転換点です。場所はいばらの森。300年前に放棄されたそこならば魔族の支配下にはなく……それでも危険な旅だったのは致し方ないところですが……まだしも生還の可能性があった。そうした中で結成されたのが勇者捜索隊であり……」


「ムウがそこにいた……んですね」


「はい」


 部屋に沈黙が降りた。


 結局生還したのはジンと、森で見つかったムウのみだった。


「ですが」アンカレラはムウから目をそらし、「そこな少女、ムウは現時点で勇者であるとは認定しがたい。むしろ魔族の血統が強く表出していると我々円十字教会は見ています」


「魔族? そんな!」


「驚くには値しないでしょう。彼女の能力……いばらを出現させる力は彼女の母親とされるいばらの女王のそれを受け継いでいると考えるのが妥当です」


「でも、ムウの霊気エーテルには邪悪なものがない! ベイディルド・キャンプで見せた戦い方は魔族のものとは思えません!」


「その能力を見せてもらえるものと期待したのですが、実際には手負いの魔族を始末することもできず、反対に人質にされかかったのです」


「それは……!」ジンはムウのもとに駆け寄り、両肩に手をおいた。「ムウ、どうして? あのときの力を出せば、みんなもムウが勇者だと認めてくれるよ?」


「だって……」ムウは目を潤ませた。「けがしてた。おびえてた。ころすひつようなんてないって、思ったから……」


「ムウ……」


 ジンは安堵とともに、ある種の諦めの念が喉元を過ぎるのを感じた。


 どういう場面か、直に見たわけではないが想像はつく。おそらく捕虜になった魔族相手に能力を発揮して殺せと言われ、ムウはその魔族をかわいそうに思って手を出さなかったのだろう。


 ムウがそういう反応を示す女の子であることは理解できる。魔族をやっつける気持ちがあるのと、目の前で傷ついた哀れな捕虜を殺すのは別物だ。そういうこころの持ち主であることは、むしろひとりの人間として喜ばしいことであるとジンには思えてならなかった。


 そうであるならば、ジンの気持ちは強くたくましいものになっていった。


「僕がいます」


「え?」


「僕はムウにバラの心臓を与えられて、短い時間ですが常人にはない力を出せる。ムウが戦えないのなら、僕が代わりにやります。だから」


「……彼女を勇者だと認めろ、と?」


「はい」


「勇者……」


 強い眼差しで決然とした態度を取るジンに、アンカレラは憂いたため息を禁じ得なかった。


「……そうまで言うのなら、貴方アナタがたには任務が託されることになるでしょう」


「任務、ですか?」


「ええ。それは勇者だと認められないことよりも遥かにつらいことになるやもしれません。せっかく生きてこのアベローネ要塞までたどり着いた貴方アナタがたを、今度は本当の死地に送り込むことになります。そう……」


 アンカレラは顔を上げ、ジンとムウをしっかりと見た。


 そして、言った。


「……神樹の実の探索に」

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