第22話 使命 03
一方その頃。
アベローネ要塞第2訓練場におもむいたジンは、そこで教導長のジョウゼンと対面していた。
ジョウゼン教導長は東方のヒスイ国出身の戦士であり、その剣の腕前は達人の域にあった。ヒスイ国が魔族によって陥落した後に逃げ延び、最後の騎士団に参入してからは兵士たちに指導する剣術指南役を担っている。
ジンもまたジョウゼンによって鍛えられた経験がある。
元々は従軍コック志望であったジンが曲がりなりにもリデル隊長の下で戦うことができたのはジョウゼンの訓練によるところが大きい。
「ふむ」
ジョウゼンはヒスイの男らしく
「あの……」
じっと見られたジンは声をかけようとしたがジョウゼンはそれを制し「死地を、くぐったな」
死地。いまや地上のどこもかしこも死地だらけではあろう。だがジョウゼンの言いたいことはそういうことではなく、ジンが恐るべき危難を払い除けアベローネ要塞に帰還した事実を評したのだと感じた。
胸の中に熱いものがこみ上げた。尊敬していた隊長のリデルを初め部隊の仲間はいずれも命を落とした。自分自身もまた一度死んだ。”バラの心臓”を埋め込まれ息を吹き返したのだから、ムウがいなければここに再び立つことは叶わなかったはずだ。
「……部隊は全滅、私自身もあの子が……勇者ムウがいなければそのまま死んでいました」
「あらましは聞いている。いずれにせよお前は生きている。その事実、どう見る?」
ジョウゼンの問いはヒスイの地の風土に根付いていた哲学的な風合いを含むことが多い。単なる剣士ではなく高い教養と精神性が一体化しているのがヒスイの戦士であるとされ、ジョウゼンはその理想像が結実したような人物であった。
「……この命は勇者ムウに授けられたもの。だから、勇者とともに戦う。全てをそのために使うべきものだと思っています」
ジンは素直に己の気持ちを伝えた。本心である。ムウを守り、ともに戦う。そのことだけが、ひとり生き残った運命に理由をつけてくれる。
「わかった」
とだけ言うと、ジョウゼンはかたわらに静置されていた訓練用の木剣を二本取って、一本をジンに手渡した。
そして木剣を正眼に構える。
空気が張り詰め、エーテルが静かに高まりを見せた。
「構えよ。まずはどれだけ腕を上げたか見る」
こくりとうなずき、ジンもまた木剣を構えた。
ジョウゼンの構えは一見すると無造作にも思え、打ち込めば勝てる気がしてくる。隙だらけに見えてくるのだ。あえて力を抜いているのだとしても、その誘いにジンは重圧を感じた。当然これは罠だ。迂闊に動けば瞬時に叩き伏せられる。
だがこちらから動かなければやはり打ち込まれる。どう動いても、動かなくても、やられる。
――ならば。
ジンは自分から動いた。
ジョウゼンの切っ先を払い肩への一撃を加える。
しかしジョウゼンは払いに対して受け流し、逆に力を利用してジンの剣筋をずらした。
――くッ!
瞬時に距離が侵略され、左から横薙ぎの一撃が来た。
木剣をかち合わせて弾き返し、小手狙い――を跳ね上げられて、ジンはさらに一歩の間合いを詰められた。
近い。
鍔迫り合いの状態になり、力比べ。背丈はジンのほうがやや高いくらいだが、ジョウゼンの迫り方は凄まじいものがあった。
まばたきひとつでも油断があれば押し切られ、後ろに倒れてしまうだろう。ギシギシと木剣同士が軋みを上げる。
全身の力を剣に集中させ、押し返す。
が、いきなりジョウゼンは力を引いた。
ジンは前方にわずかながらつんのめる。バランスが崩れた。
まずい、と思う暇さえもなく、ジョウゼンの切っ先はジンの喉元へ突きつけられていた。
実戦なら死んでいる。
「ま……」喉がカラカラで、舌が口の中に張り付いた。「参りました」
全身からどっと汗がにじむ。わずかの間の打ち合いではあったが、ジョウゼンの剣は分厚い岩盤の如き圧を感じさせた。到底及ばないレベルだ。
「腕は上がったようだ」ジョウゼンはひらりと木剣を舞わせてから納刀の動きを見せ、ジンを正面から見据えた。「だが真っ正直に過ぎる。眩ましに対応できるようになればもっと良くなるであろう」
眩まし、つまりフェイントのことをジョウゼンは指摘している。
ジンは無言でうなずくのが精いっぱいであった。
「さて、本番といこう」
ジョウゼンはす、と目を細めた。
「本番……」
「"バラの心臓"と言ったか。その力、測らせてもらう。見せてみよ」
第2訓練場にピシリと緊張が走った。ジョウゼンの言葉とそこにみなぎるエーテルが空気を張り詰めさせる。
ジンはゴクリと唾を飲み込んだ。
"バラの心臓"。あの強大な力を魔族以外に向けて使えというのか。果たして制御し切れるか。胸がざわつき、バラの心臓がアイドリング状態に移行する。
「……やり過ぎてしまうかもしれません」
胸に手をやり、ジンはこわばった面持ちで達人を見た。
「遠慮は不要だ。来なさい」
ドクン。
ジョウゼンの言葉が合図となり、バラの心臓が胸郭を内側から突き破る勢いで跳ね上がった。
血流に乗って膨大なエーテルがジンの全身を駆け巡る。
手足が痺れ、知覚が研ぎ澄まされる。時間が掴み取れそうなほど緩やかに感じる。
ジンは、跳躍した。
先ほどまでの動きとは段違いの素早さで木剣をジョウゼンへと打ち込んだ。
風を切る一閃。
目にも止まらない動きであったが、ジョウゼンの体に触れるはずの剣先は空を切った。反対に打ち込みが来た。ジンは勢いがついた体を強引に捻ってそれをかわし、訓練場を走り抜けた。そして正面の壁を蹴って再びジョウゼンに躍りかかる。
右から、次いで左からの連続攻撃。これまで倒してきた魔族であればこれに対応できる者はいなかった。
風を切る。しかし手応えはない。ジョウゼンは打ち返すことなく最小限の動きですべてをひらりとかわしてしまう。
――当たらない!?
ジンは困惑した。先程の生身の状態より遥かに増している速度の技が相手に触れることすらできないのは意外だった。
まだ力のすべてを引き出せていないということか――ジンはそう判断した。
距離を取り、胸に手を置く。
もっと素早く、もっと全身にエーテルを行き渡らせ、それを爆発させる。その姿をイメージし、バラの心臓を解放させようとした。
ドグン。
体が震える。心臓が高ぶり、手足にしびれるような力がみなぎった。
「うああッ!」
咆哮とともに、矢よりも早く前へ出た。
稲妻のような突きを繰り出す。この威力がまともに命中すれば木剣といえども大怪我を負わせることになるだろうが、そうでもしなければ勝てる見込みはない。ジンはバラの心臓を信じた。ムウにもらった心臓の力を信じた。
しかし。
ジョウゼンの姿がかき消えた。
代わりに衝撃がジンの脇腹を襲った。打ち込みを食らったのだ。信じられない。ジンはバランスを崩し、勢いをつけたまま訓練場を突っ切って壁に激突した。
「う……」
ギリギリで体を捻って頭から突っ込むことだけは避けたものの、背中を強打して息が詰まった。
と、そこに次が来た。
鋭敏になっていた知覚で察知し、素早く立ち上がって木剣を構える。その切っ先を払いのけられ、小手に打ち込みが来たと思ったらあごを打ち痛みを感じるよりも早く右肩に叩き込まれ姿勢が崩れたところに足払いが入り対抗手段を講じるどころかいつの間にか地面に倒れ伏されていた。
まさしく流れるような動作である。
打たれた痛みは全身に
「あ……ぐ……!」
ジンの体が痙攣した。うまく体を動かせない。バラの心臓の力を強引に引き出した上で打ち据えられ、心の動揺がエーテル制御を乱したせいだろう。行き過ぎた活性化が仇となった。
「ふぅー……っ」ジョウゼンはうつ伏せたジンの首筋に剣先をあてがったまま長く息を吐いて、「それまで」
バラの心臓の火が急速に落ちる。
激しい鼓動とエーテルの流れが沈静化し、ジンの全身は反動で虚脱状態に陥った。
ジョウゼンは納刀し、「なかなかの動きだと言っておこう。原理としては内丹法に近いもののようだな」
「う……?」
内丹法とはヒスイに伝わる剣術の技法で、体内で
「だがその力に頼りすぎだ。これまでの戦いでは見切られるよりも早く敵を倒せたようだが、そう容易い相手ばかりとも限るまい」
ジンはうまく力の入らない体で何とか顔を上げた。
ジョウゼンほどの達人であれば、溢れ出る力任せの打ち込みは見切ってしまえるものなのか。バラの心臓の力さえ引き出せれば無敵だと思いこんでいたところのあるジンにとって、手痛い指摘であった。
「申し訳、ありません……」
「使いこなせ。そうすれば最後の騎士団においてまたとない戦力となるであろう」
一応は認められたということか。ジンは呼吸を整え、無様な体勢から何とか起き上がり、ジョウゼンを見上げた。
「どうすれば……使いこなせますか」
「剣心一如」
ジョウゼンは短くそれだけを言った。
ヒスイの哲学である。
武技と内面はひとつのものである――という考え方だとジンは理解している。どちらか片方だけでもダメで、こころを磨いてこそ剣も上達する、といったことは今までの訓練でもジョウゼンの口から聞いた記憶があった。
そのときは、この窮乏苦難の時代において必要なのは魔族を打ち払う武力であり、倒すためならどんな手段でも使うべきだと軽い反発を覚えたものだが、今はどうか。
――バラの心臓だけに頼っていてはダメ、ということか。
行き過ぎた力に振り回されるのではなく制御する方法を学べ、ジョウゼンはそれを言おうとしているのだろうか。
心臓を起動させた後の反動で動けなくなるのもその一例だろう。戦場で動けなくなればそれは命に直結する。それだけのリスクをどう見極めるか、それも内面次第といえる。
「おもしろいのう!」
突然、訓練場に少女の声が響いた。
いつの間にか訓練場には見物人が増えていた。ジンは余裕がなくて気づかなかったが、ジョウゼンとの立ち会いを多くの関係者に見られていたらしい。
「よっ、と」
壁を超えて、褐色の肌と黒髪の少女が訓練場に入ってきた。ジンは見覚えがあるが話したことはない。ジョウゼンと同じヒスイの出身で、円十字教会の関係者――というか、大雑把に”
褐色に白いヒスイ風の薄衣をまとった少女は全く無遠慮にジンへと近寄り、堂々と値踏みする眼差しで見た。
「その
「準騎士のジン、と申します」
ジンは反射的に答えた。体にうまく力が入らず、できればすぐにでもベッドで横になりたい気分だったが、失礼があってはまずい相手だという意識が先に来た。
「途中から見ておった。そなた、良い動きをするな。バッタのようじゃ。バッタか?」
ジンは返答に困った。バッタではありませんと答えるのはあまりにも間が抜けている。
「ジョウゼンよ、このジンとやらの実力いかがかや? 使い物になるのかや?」
「レイロウ様」ジョウゼンは少女に一礼し、「未熟なれど、人類の危難に立ち向かうための良きつるぎとなりましょう」
「ほほう」
少女――レイロウは再びジンをじろじろと上から下まで眺め、
「決めた」
「は」とジョウゼン。
「ジンよ、その方をわらわの護衛とする」
「え?」
「え、ではない。名誉に思うがよいぞ。このレイロウの側用人として召してやろうというのじゃ」
「え、あ、いやでも僕は……」
「僕は、なんじゃ?」
「……僕は勇者ムウにバラの心臓を与えられたのです。ムウを守らないと……」
「はッ!」レイロウは大仰に手を広げ、きつい眼差しでジンを睨んだ。「あのようなニセ勇者、守るに値せぬわ! 人々に必要なのは”新しき真の勇者”。その降臨のために必要なわらわこそが唯一にして最後の希望なのじゃ!」
「真の勇者……?」
ジンは戸惑った。人類に残された唯一の希望は勇者の存在であり、それを探すために自分は派遣されたのではなかったか。そのために命がけでアベローネ要塞までムウを連れ帰ったのだ。
「レイロウ様、お控えください。そのことは秘中の秘でありましょう」
ジョウゼンがレイロウを制した。
レイロウはフンと鼻息荒く黒髪を後ろに流し、「いずれにせよ、あの娘には荷が重すぎる。これからはわらわに仕えよ、それが世のため人のためとなろう」
「ちょ、ちょっとまってください。いきなりで何のことだか……」
「ジン!」
と、もうひとり別のところで叫んだ少女がいた。ムウだ。
「ムウ?」
「ジン……!」
ムウは目に涙をいっぱいにためて、ジンに飛びついてきた。
「ど、どうしたの、ムウ?」
ムウは泣きじゃくり、ジンの胸に顔をうずめた。
いったい何がどうなっているのか――ジンの困惑は深まるばかりだった。
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