第21話 使命 02

 円十字教会の伝承はこのように伝える。


 曰く、はるか昔の劫初ごうしょのとき、天界におわす霊帝アルマキアは”楽園”を創り出した。


 そこには様々な生き物が満ちていたが、やがて誰が最も天に近いかを争うようになり、混沌としていた。


 そこで霊帝は楽園を地上界ともうひとつの合わせ鏡の世界とに分け、地上を人間のすみかと定め、もうひとつの世界にはまつろわぬものども、すなわち魔族を移住させた。


 こうして人類は地上界を人間界とし、霊帝をあがめ奉り、もうひとつの世界は魔族の住む魔界と呼ばれるようになった――。


 魔族は魔界に落とされたことに恨みをつのらせ、歴史上幾度となく地上界へ干渉し、戦争を仕掛けた。


 恐ろしい力を持つ魔族は時として人類社会を根底から揺るがし、恐怖を振りまいた。


 人間だけでは手に負えない巨大な敵を前に、人間たちは円十字教会を通して魔を打ち払う力を願う。


 それに応えて降臨するのが霊帝アルマキアの使徒、対魔最終兵器”勇者”とされる。


「記録されている限り、最後に勇者が降臨したのが300年前……”いばらの女王”による地上侵攻軍を平定せしめた折のこと」


 アンカレラ尼僧長は灰色の眼差しでムウを見つめ、滔々とうとうと語った。


 場所はアベローネ要塞内に築かれた円十字教会の一室。尼僧たちによる入念な身体検査ですっかり疲弊したムウは居心地悪そうにうなずいてみせた。話の内容はあまり頭には入っていなかった。


「勇者とは円十字教会の法王自らが霊帝アルマキアへの祈りによって地上に現出せしめる存在のはず。よって本来この時点で貴方アナタを勇者と呼ぶことはできません」


 きっぱりと断じる口調。そんなことを言われても、ムウは自らを勇者だと主張して回っているわけではない。この鷲鼻の老婆のことはなんだか怖くて好きになれなかった。


「ですが、伝承されている勇者固有の念波波長が貴方アナタから発せられたことは事実……これはなぜですか?」


 ムウは自分が質問されていることに気づくのに1分近く時間がかかった。


「……わかんない」


 目を伏せ、それだけを答えた。事実だった。


 ムウは記憶の中で両親と過ごした日々を反芻する。父が勇者であり、母はいばらの女王。そのことは知っている。しかし自分が勇者であるという認識にはない。念波を使えるのは生まれつきで、そのことを不思議に思うことは今まで一度もなかった。その波長が勇者の固有のものだと聞かされてもまるでピンとこない。


「……貴方アナタの言葉が真実であると仮定しても、貴方アナタの半分は魔王の血筋ということになります。その点においても勇者とは認めがたい。むしろ人々に仇なす可能性すら示しています。今のところ貴方アナタを仮にも勇者と言わしめる理由は、念波波長とベイディルド・キャンプでの戦いにおいて発揮したという……能力……のみです。何か反論は?」


 責めるような言葉に、ムウはすっかり怯えて首を振った。


 アンカレラ尼僧長は小さくため息をつき、「勇者とは何者か。言葉だけでは確かめられないこともまた事実。勇者の能力があるというのであれば、それを確かめることにいたしましょう」


「のうりょく?」


「魔族の襲撃に際して、貴方アナタは不可思議な力でそれを撃退した。ネズミを捕れるネコであれば、少なくとも人類の敵ではないとみなすことはできるでしょう」


「ムウは魔族とたたかうよ?」


「そう願いたいものです。ではついてきなさい」


 言われるまま、ムウはアンカレラに従った。


     *


 案内されたのは、要塞の地下にある円形の空間であった。


 伝承長のマイヨが円十字教会の分析官数名を引き連れてムウの一挙手一投足を記録につけている。


 天井から下る魔導灯の白い明かりで照らされる足元の石畳にはいくつもの黒っぽいシミが見える。ムウは何だか寒気を感じた。冷えた空気が漂っているせいばかりではない。神経を逆なでするような感覚。


「ねえ、ジンはどこ……?」


 不安から尋ねてみても、問いに答える者は誰もいない。


 やがてムウの正面にある鉄格子から、唸り声が聞こえてきた。けだものの声。ゾクリとした。野生動物のものにしてはやけに恨みがこもっているように聞こえた。


 鉄格子が開き、奥から檻に入れられた魔族が荷台に載せられ運ばれてきた。


 羊のような角の生えた青黒い肌の人型。邪鬼種である。檻の中でうずくまり、口輪と手枷をはめられている。


「騎士団が捕えた魔族です」アンカレラが口を開いた。「貴方アナタが勇者の力を持つのであれば何らおそるるに足らない個体のはず。これを――殺してみなさい」


 空気がさらに冷えたように感じた。


 ムウは戸惑った。殺すとはどういうことだろう。魔族と戦って、結果として命を奪うことはすでに経験した。しかし目の前の魔族はすでに無力化されており、ムウの目からは傷つき怯えているように見える。これ以上、何かをする必要があるとは思えなかった。


「できない、ということですか?」


「そうじゃなくて……」


 ムウは口ごもった。うまく説明ができない。ジンがいてくれたら代わりに話をしてくれただろうが、自分ではアンカレラにどう伝えればいいのかわからない。


貴方アナタが自分自身を勇者であるという証を立てねば、我々は貴方アナタを信用するに値しないと判断するでしょう。それでもいいのですか?」


「ちがう……そうじゃない……むぅ……」


 ムウは、殺したくなかった。


 あえてそうする理由がない。


 だが自分が勇者でないと指さされることも嫌だった。ジンが、ムウのことを勇者だと信じている。それを裏切るのは嫌だった。


「アンカレラ尼僧長、これでは埒が明かない」マイヨ伝承長が手元の書物から顔を上げ、ムウを見た。「我々が確認しなければならないのはその者の勇者としての能力です。戦いとなれば発揮せざるを得ないはず。拘束を解きましょう」


 そういうことになった。


 邪鬼種の魔族は檻から出され、兵士たちによって口輪と手枷を外された。


「うう……!」


 解放された魔族は膝をつき、怯えと憎しみの混ざった目で周囲を睨む。


 数人の兵士と分析官らに囲まれて、正面にはムウがいる。逃げ場はない。何のために自由にされたのかわからないという様子だ。


「魔族よ、お前に生き延びる機会をやろう」とマイヨ。


 魔族ははっと固まって、マイヨのことを見た。


「眼の前にいる少女と戦ってみろ。倒すことができたなら、お前を要塞の外に解き放つ」


 円形の空間は静まり返り、魔族の荒い息遣いだけが流れる。


「戦う……」


 ムウはつぶやいて、相対した魔族の姿を観察した。体中に傷があり、どす黒い血が乾いている。おそらく兵士たちに痛めつけられた痕だろう。


 じり、とムウは一歩を踏み出した。


 魔族は、一歩下がる。


 背後には槍を構えた兵士が控えている。


 ムウは霊気エーテルを高ぶらせた。手首のあたりから淡く輝くいばらがゲシュタルト化した。


 周囲の分析官らがおお、と声を上げた。勇者かもしれない少女の、その能力を垣間見て驚きを禁じえないというところだろう。


 マイヨとアンカレラにも緊張が走った。


「いばら……」


 マイヨが訝しがるような表情を浮かべた。今までの報告と分析により、ムウがいばらを操る能力を持つことはすでにわかっていた。その実物を見て何を思ったのか。いばら。いばらの女王。魔王の血筋。


「あれは勇者の能力でしょうか?」とアンカレラも疑問を呈した。


「わかりません。邪悪の気配は感じないが……」


 とにかく見てみよう、そういう雰囲気だった。


 ムウと魔族は対峙したまま、動かない。


「どうした? 双方戦って見せよ!」


 マイヨの声。


 それに煽られたように、周囲を取り囲む兵士らも囃し立てる。


 やれ、殺せ、勇者の力を見せてみろ。そんな声が四方から飛ぶ。


 ムウは、いばらを鞭のように振るって石畳を叩いてみせた。


 魔族は――怯えた目でムウを見た。


 そして、目線を落とした。


 諦めの顔、とムウの目には映った。傷つき追い詰められた魔族はもはや戦うことを諦めた。殺されることを覚悟した……。


 決着はついた、とムウは思った。


 ゲシュタルト化したいばらはかき消え、もう敵意がないことを示すためにとことこと魔族のそばに近づいた。


「ねえ、もう――」


 戦わなくていいでしょ、とアンカレラに言いかけたところで、魔族は跳ねた。


 ムウに襲いかかり、押し倒し、その細い首筋に爪を押し当てた。


「こいつを……人質にするッ!」


 魔族は叫び、周囲を威嚇した。ムウに首に鋭い爪が食い込み、わずかに赤いものがにじむ。


「どけ! お前ら、オレから離れろ! こいつを殺されたくなかったら道を開けろッ!!」


 必死の形相であった。


 一変、兵士たちに動揺が走った。少女を人質に取るなど浅ましい魔族の許されざる行為だが、ムウは仮にも勇者として連れ帰られた存在である。そのムウが殺されるようなことがあれば、最後の騎士団に、ひいては人類の希望が失われてしまう――。


「いけません、あの子を助けなくては」


 アンカレラは青ざめた顔でマイヨに言った。


 マイヨは据わった目で魔族の行いをじっと見つめ、無言で成り行きを見守るばかりだった。


 魔族はムウを無理やり立たせ、首根っこを掴みながら地上への出入り口へと移動する。


「やめて……はなして……!」


 ムウが苦しげに身をよじる。


「道を開けろ! こいつが死んでもいいのか!」


 魔族が叫ぶ。


 兵士たちはやむなく距離を取り、マイヨは沈黙を守った。


 このままでは魔族は逃れてしまう――。


 と、そのとき。


 何か大きな影が走り込んできて、兵士たちの頭上を飛び越えた。


 その影は魔族の背後に降り立ち、丸太のようなかいなを振り下ろした。


「ぐぎゃぁッ!?」


 魔族がうめき、血が飛び散った。


 その影は、白地に黒模様の毛皮に覆われたトラであった。白虎だ。


 白虎は一声高らかに咆哮を上げると、魔族を抑え込み、その頚椎に噛み付いた。


 喉が詰まったような音を立て、やがて魔族は動かなくなった。


「あーあ、つまらぬのう」


 兵士たちの背後から、少女が現れた。


 褐色の肌に濡れ光るような黒髪。見事な曲線を描く肢体を異国風の薄衣で包んでいる。


「ビャクエン、おいで」


 白い猛虎を手招きする。ビャクエンと呼ばれたトラは、ころろと喉を鳴らして少女の元へと駆け寄った。


「なぁーにが勇者か。かくの如き体たらくで人類の希望とは、はっ!」少女は首筋の傷を押さえてうずくまるムウに向かって吐き捨てた。「笑わせてくれるものよ。やはり必要なのは”新たなる真の勇者”! まがい物では役には立たぬえ?」


「……レイロウ、貴方アナタをここにお呼びした覚えはありませんよ」


 アンカレラが眉をひそめ、黒髪の少女をたしなめた。


 レイロウと呼ばれた少女は鼻で笑い、「わらわは誰に呼ばれたから来たわけではない。この顛末てんまつを予知したまでのこと」


「ですが……」


「お黙りあれ、わらわをなんと心得るか?」


 レイロウはそのままムウに歩み寄り、黒い瞳で頭から足先まで無遠慮に眺めた。


「大した怪我がなくてよかったのう、娘よ」


「……だれ?」とムウ。


「ほほほ! 東方の宝玉、ヒスイの探女サグメの血を引きし巫女姫みこひめレイロウなるぞ。見知りおくがよいぶざまなニセ勇者よ」


「……ニセ勇者?」


「そうじゃ。勇者とは名ばかり、邪鬼の一匹も始末できぬ小娘に、この地上界をあるべき姿に正すことなどできぬであろ? ん?」


 ムウは押し黙った。よくわからないが、このレイロウという少女から刺々しいものを感じる。


「マイヨ伝承長!」


 レイロウに名を呼ばれ、マイヨは一礼して前に出た。


「これでわかったであろ? 円十字教会ががまことに耳を傾くべきはわらわの言葉であると。得体のしれぬまがい物に救世は成せぬ! わらわの言う通り、”神樹”の探索こそが地上平定の唯一にして最後の道であると!」


 巫女姫を名乗る少女は芝居がかった仕草で両手を広げた。薄衣がはらりと揺れる。


「しん、じゅ……?」


 わからぬことだらけで混乱するばかりのムウは、しかし”神樹”という言葉に反応を示した。


 聞き覚えはなかった。だがその言霊ことだまに強い力が感じられる。


 ヒスイの巫女姫レイロウ。


 彼女との邂逅によって、運命はさらに大きな流れへと動き出そうとしていた。

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