4章 使命
第20話 使命 01
アベローネ要塞。
三方を山に囲まれた天然の要害に築き上げられた、最後の騎士団の本拠地である。
つづら折りの坂道を登り要塞に近づく馬車が一台。前線基地ベイディルド・キャンプからたどりついたものである。
「おっきい……!」
馬車の荷台から要塞の外観を見て、宿命を背負った銀髪の少女ムウは目を丸くした。ベイディルド・キャンプも頑丈な城塞ではあったが、アベローネは規模が違う。幾重にも張り巡らされた高い石壁と鐘楼、水をたたえた堀、そこかしこに描かれた防御用魔法陣、
「いやはや、噂に聞いてはいやしたが本当にすごい砦ですなあ」
と、同じく感嘆の声を上げたのは盗賊上がりの男アマンである。
ジンとムウがアベローネ要塞に向かうことを聞き、自ら同行を申し出たのだ。
「ここに籠もっていれば、少なくとも魔族に怯えて暮らさずに済みそうだ」
「アマンさん、それが理由で僕たちについてきたんですか?」
ジンが胡散臭いものを見る目でアマンを見やった。ベイディルド・キャンプは前線基地であり、たびたび魔族と命がけの戦闘を行っている。そこにいるよりもアベローネ要塞に潜り込んだほうが安全と考えての行動であればずいぶんと身勝手だと思わざるを得なかった。
「呼び捨てで構いませんよジンさん。いやまあ、そういうことでは……あったりもしやすが」アマンは悪びれもせず言った。「あっしとしては自分が生き残れる最良の道ってやつを考えたまでで」
「それがアベローネ要塞だと?」
「嬢ちゃんとジンさんのそばにいることが、ですよ」
「僕たちのそばに?」
「へい。聞けば、嬢ちゃんはかの勇者サマであらせられるとか。それにジンさんはそれを守るためにこりゃまたすげえ力を持っておられる。あっしは一兵卒として組み込まれるよりですな、ジンさん、あなた方の近くにいるほうが安全だと考えたんでさあ」
勇者。
人類の守護者、魔族に対する最終兵器、円十字の神兵、霊帝アルマキアの使徒。
その名と力は伝説であり、人々の間で語り継がれている。その力の一端を、ムウは先のベイディルド・キャンプ防衛戦において人々の前に顕した。
飄々としているのでどこまで本当かはわからないが、どうやらアマンはムウとジンに心酔しているらしい。
「ま、そんなわけで付き人として身の回りの世話はさせてもらいやすぜ、ジンさん」
「それは……まあ、助かりますけど」
自分のことはともかく、ムウをひとりで守ることには――自分で誓いを立てたことだとはいえ――人類の希望をまるまる背負うかのような重圧であり、それを分かち合う人がいてくれることは素直にありがたいとジンは思った。
「ねえジン」
「なに?」
「あそこでムウはなにをしたらいいの?」
ムウの問いかけに、ジンはわずかにあごを引いて考え込み「まずは勇者捜索隊の成果としてムウのことを報告する。たぶんその後で、ムウが本当に勇者かどうか調べられると思う」
「どうやって?」
「円十字教会の偉い人たちが、法術やら儀式を使うんじゃないかな。詳しいことは僕もわからない。けど、ナスホルン将軍から書簡を……手紙をもらって、それにはムウが特別な力を持っているってことが書かれているはずだから、大丈夫……だと思う」
「ふーん」
ムウは果たしてどこまで理解したのかわからない顔で、うんと伸びをした。
「とにかく、まずは要塞に入ろう」
馬がひとつ
堀を挟んで巨大な跳ね橋が上がっており、このままでは入ることができない。
「何者かー!」
城壁の上で見張りが大声を上げた。
「勇者捜索隊、上級騎士リデル
下から負けじとジンも声を張り上げる。
すると城壁に穿たれた小窓から、ぶんぶんと音を立てて人間の頭ほどの大きさの球体が浮遊して近づいてきた。”知り子”だ。法術によって組み上げられた自律魔導機械で、遠隔地の情報を知覚し親元に飛ばすことができる。
知り子はぶんぶんと馬車の周りで円を描き、魔法の目でジンたちを
4周を数えたところで空中を静止し、ピイッと笛のような音を鳴らした。
それが合図だったらしく、跳ね橋のレバーが降ろされ巻取り鎖が緩み始めた。大きな軋み音とともに鋼鉄の補強を重ねられた跳ね橋が傾いてくる。
腹に響く音を立てて跳ね橋が降りきった。
「入れ!」
再び見張りが叫んだ。
馬車が跳ね橋をガラガラと車輪を鳴らして渡っていく。城門を通り、城壁の中へ。
――やっと戻ってこれた……。
ジンは小さく安堵のため息を漏らした。
いばらの森から戻ってくるまでの行程で起こった様々なこと。まるで数年も旅していたかのように錯覚してしまう。
だが。
荷台の上でかたわらに座るムウのことを見て、ジンは気持ちを引き締めた。
まだだ。
まだこれから。
勇者ムウを守り、ともに戦い、地上を再び人類の手に取り戻す戦いこそが真の目的なのだから。
*
要塞の内側は法術によって清浄さを保たれ、魔族の気配を全く感じずにすむ。このような場所は、今や世界にはそれほど残されてはいない。
あちこちから騎士団の兵員が訓練する撃剣と気合の音が聞こえてくる。
空いた土地には作物が植えられ、魔導技術によって日光を模した光を与えられている。
誰もが忙しく動き回り、余念なく保守点検がなされているのはここが文字通り人類最後の砦だからだ。
馬車から降りたジンたちを兵士が迎え入れる。藁にもすがる探索行で多くの仲間はそのまま帰らず、ようやく連れてこられた少女に好奇と期待の視線が集まった。
「これを。ナスホルン将軍からの書簡です」
迎えの兵士に蝋で封をした巻物を手渡すと、ジンたちは控室に通され、お茶を振る舞われた。
ムウは初めて飲む味に無邪気に喜んだが、ジンは落ち着いて飲める余裕はなかった。
かなり長い時間待たされた後、ジンとムウだけが呼ばれた。要塞の奥の作戦会議室へと招かれた。
準騎士の身であるジンがそれまで立ち入ったことのない場所である。
緊張で身をこわばらせながら直立不動の姿勢を保っていたがやがて奥側の扉が開き、数名の
ジンは息を呑んだ。
”最後の騎士団”最高司令官ライゼン総長。
最後の騎士団中、最大の兵員を束ねるサクソン将軍とバージル参謀。
円十字教会ガナハン枢機卿。
勇者の伝説を今に伝えるマイヨ伝承長と、アンカレラ尼僧長。
現在の人類に残された最後の秩序ある権力機構、そのトップに位置する面々だ。
「……勇者捜索の任務、大儀であった」
ライゼン総長が口を開いた。
白髪の老紳士然としているが、その眼光は抜き身の刃のように鋭い。かつての軍事大国ディアマント帝国の将官であった人物で、大侵寇初期からずっと魔族と戦い続けてきた英雄と呼べる存在である。
「リデルは戻ってこなかったか。惜しい男を亡くした」
ベイディルド・キャンプのナスホルン将軍と同じように悼みの言葉を述べた、ライゼンがディアマント帝国に所属していた頃からの部下であり、ともに戦い続けてきたからだろう。
「……準騎士ジン。ナスホルン将軍からの書簡は読ませてもらった」
話が自分にに及び、ジンはいっそう顔を引き締めた。
「にわかには信じがたいことだがナスホルンが偽りの報告をするとは考えがたい。それではその……少女……が本当に勇者であると?」
ジンはわずかに瞑目し、それから真剣な表情で顔を上げた。
「……リデル隊長から後事を託され帰参いたしました。私はこのムウが勇者であると確信しています」
会議室はしんと静まり返った。
大侵寇により国を焼かれ、家族を失い、絶望の淵に追いやられてきた人類の希望である勇者が本当に存在し、最後の騎士団に連れ帰られたとすれば、それはいままでの忍従と屈辱を晴らす唯一にして最大の契機となる。そのことの重大さが、上層部をして沈黙せしめた。
「……ですが、ナスホルン将軍は断定はしておらず”その可能性あり”とまでしか言及なさっておりません」
そう言ったのは円十字教会に属するマイヨ伝承長だった。伝承長とは円十字教会が過去から連綿と受け継ぐ神話や伝説のたぐいを検証し、未来へ正確な真実として継承させるための機関を束ねる長であり、今回の勇者探索の発端となった勇者固有の念波波長を最初に指摘した人物である。
ローブに袈裟姿、長髪を背中に流し、手には古めかしい書物を手にしている。
「その少女が真に勇者であるかどうかは……十分な検証が必要と申し上げるしかありますまい。それよりも問題は」マイヨは神経質そうに乱れた前髪を指で撫でつけ、「300年前の魔王”いばらの女王”と勇者の間に生まれた子であるという話。こちらの方がよほど重大事項でありましょう、ガナハン
「うん……そうだね」猊下と呼ばれたガナハン枢機卿が神妙な面持ちでうなずいた。「マイヨくんの言う通り、いばらの女王の血を……つまり魔王の血を受け継ぐ者であればそれは勇者ではなく魔王なのかもしれない。特別な力を持っていたとしても、それが魔王に由来するものであるとすれば……大変だよ」
大侵寇が始まった当初、法王庁は魔族により真っ先に破壊と殺戮の対象になった。法王は殺され、次期法王を受け継ぐべき候補も軒並みこの世を去った。ガナハン枢機卿は現在確認されている円十字教会の関係者の中では一番位の高い人物であるが、血色の良い好々爺という雰囲気が強く、良くも悪くも威厳や威圧感といった装いのない老人であった。
「必要なのは戦力だ。たとえ魔王の係累であろうとも、使えるなら使うべきだ」
サクソン将軍が軽く拳を振り上げつつ言った。
この横幅の広い矮躯で髭面の男、サクソン将軍と対照的に背が高くそのうえ縦長の帽子をかぶったバージル参謀はともに大侵寇が起こる以前はディアマント帝国と幾度も軍事衝突を繰り返していたコランダム王国の軍閥貴族であった。大侵寇によりすでにいずれの国家も滅び、すでに形骸化してはいるものの、最後の騎士団に合流してからもその配下の兵はコランダム王国出身者が多くを占めている。
「ことはそう単純ではありますまい、サクソン将軍」マイヨ伝承長が異議を唱えた。「勇者とは救世主。美しき御旗です。絶望に打ちひしがれた人類に希望を与え、立ち上がらせ、戦力として
「戦うのは我らの仕事だ! 戦力になるならば毒をも食らう! そうでなければいくさには勝てんぞ!」
サクソン将軍は声を荒げた。坊さんは引っ込んでおれと言わんばかりである。
「……真の勇者であるかどうか、ひとまずその裁定を教会の手に委ねようではないか、将軍。使えるかどうかはその上で判断すればよい」
ライゼン総長がそう言うと、サクソンは
「それではアンカレラ尼僧長、手筈通りに頼む」
「かしこまりました」
修道服に身を包んだ鷲鼻の老婆が歩み出て、戸惑うムウの前に立った。皺の中に光る灰色の瞳が、冷たく少女を見下ろす。
「
反射的にジンが先導しようとすると、アンカレラはそれを制した。
「本人に直接確認すべきこと。付き添いは不要です」
きっぱりと言い切られ、ジンに反論の余地はなかった。
「ジン……」
ムウが不安げにジンの顔を見上げた。
ジンがいくらムウのことを勇者だと信じていても、円十字教会はそれを認めないかもしれない。勇者と魔王の間に生まれたという話はそもそも本当なのか。
いばらの女王をママと呼んでいることは間違いないのだ。魔王の血筋。いったいムウは何者なのか――心配いらないよと声をかけはしたが、ムウの心細さは解消されることはなかった。
アンカレラに従い、ムウは別室へと出ていった。
「さて、準騎士ジン」
ライゼンがジンのことを見た。
「は、はい」
「報告では、貴官にも特別な能力があるという。”バラの心臓”……といったな。これも検証しなければならない」
「はい……」
「第2訓練場に行きたまえ。ジョウゼン教導長に話をつけてある。少し……もんでもらうといい」
「は、拝命します!」
ジンは敬礼し、踵を返して作戦司令室を出た。
――ムウ、大丈夫かな……。
後ろ髪を引かれる思いだったが、今のジンにはどうすることもできない。
信じるしかない。
そして、自分自身に待ち受ける試練のことも考えた。
ジョウゼン教導長。最後の騎士団剣術指南役。”もんでもらうといい”というライゼンの言葉が意味することは、つまりバラの心臓を使ってジョウゼンと手合わせせよということだろう。
準騎士の腕前ではどう逆立ちしても勝てない相手に、果たして通用するのか。
ジンはくっと奥歯を噛み締め、決意とともに第2訓練場へと急いだ。
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