第18話 集結 06

 ”黒狼”ウルルク。


 先代の亡父”焔の牙”ドメルクから手勢を引き継いだ強大な魔族である。獣人種の中でもひときわ目立つ巨躯を誇り、群れの統率者であると同時に肉弾戦闘能力も飛び抜けた実力を持っている。


 猫背気味にかがめた姿勢ながら身長は大人の男の2倍を超え、その手には愛用の大金棒が握られている。凄まじい膂力りょりょくで振り回される鉄の塊は、かすっただけで人間を血肉の飛沫に変えてしまう。


 大侵寇後に人間界を分割統治し互いの勢力を削り合う豪族の中でも目覚ましい戦果を上げ、いまや七大魔公に迫る勢いと噂される大魔族が、味方の軍勢をかき分けて最前線にまで登ってきた。


「ウルルク! ウルルク! ウルルク!」


 獣人種の魔族たちはウルルクの登場に沸きに沸いた。


「なかなか面白いじゃねえか、ええ? 野郎ども」ウルルクは不敵に笑い、喉を残忍な音色で鳴らした。「俺も混ぜろやァ……なあ?」


「うおおおおおお!!」

「殿だ! 殿が参られたァァ!!」


 それに対してベイディルド・キャンプの城壁内は体感気温が下がるほど重苦しい空気が流れた。これまで死守してきたキャンプ正面の門を破られ、さらなる流血は不可避。敵大将ウルルクの、見るものに有無を言わさぬ恐怖感を与える姿。


「ジン、ジン! しっかり!」


 ムウは身体から湯気を上げるジンを揺さぶった。バラの心臓を起動して戦場を駆け回ること10分近く。すでに肉体の限界を超え、ジンは高熱を発して身動きが取れなくなっていた。


「……ム、ウ……」


「ジン!」


「僕は、だい……じょうぶ……だから……」


 かすれる声でそう言って、ジンはかたわらにしゃがみ込むムウの手を握った。


「どうしよう……魔族のでっかいのが……すごいつよそうなのがでてきたよ……? ねえジン、どうすれば?」


「やっちゃえ」


「えっ?」


「ムウの力……”勇者”のちからで、みんなに……きぼう、を……」


 そこまでが限界だった。ジンは意識を失い、ぐったりと力が抜けた。


「『みんなにきぼうを』……」


 ジンの言葉を繰り返し、ムウは立ち上がった。


 血と泥と怒声にまみれた戦場に向き直り、城壁の上から見下ろす。ウルルクの出現によって死体の数はまた増えるかもしれない。人間も、魔族も。


 と、ウルルクの血に飢えた視線とムウの眼差しが交差した。


 ムウは無意識に一歩下がった。これまで目にしてきたどんな生物よりも危険で恐ろしい存在であることがありありと理解できた。


 同時に、これこそが敵であると――勇者が立ち向かうべき邪悪であると知り、意志の力で一歩前に踏み出た。


 敵味方双方がしんと静まり返った。最後の騎士団には女の身で参加している者も多い。だがムウが勇者と魔王の血を引いた存在だということを知るのはごく一部に限られている。多くの兵士にとって、一見ただの少女にしか見えないムウと大魔族ウルルクが睨み合うさまは奇異に映った。


「女子供が何のようだ?」


 ウルルクは大きな口で舌なめずりをした。


 ムウは険しい顔で拳を握りしめた。が、何も言い返せない。


「さっきのよく動くあれ・・はどうした? 連れてこい、ちょいとやろうじゃねえか、一騎打ち」


 おお、と魔族たちから声が上がった。ウルルクはこの戦いにおける包囲側の総大将である。自らの身を白刃のもとに晒して一騎打ちを望む必要はないはずだ。それを敢えて持ちかけるというところに肝の太さを感じたのだろう。


「それとも……」ウルルクはゆうゆうと戦場を歩きつつ、「正門からねじ入って全員死体に変えてやろうかァ!?」


 叫びというよりは咆哮だった。血に飢えた野狼の吠え声ははるか遠くまで鳴り響き、気の弱い人間なら足をその場に釘付けにされるほどの恐怖を乗せていた。


 だが。


 剛毛に覆われたウルルクの耳が、ほんの微かな音とともに痛みを捉えた。


 何かがかすめた――ウルルクは耳に指をやって、凶猛な表情をすっと冷ました。指先に血がついている。


 その傷が、投げつけられた小さなバラのトゲによるものだと気づいた瞬間。


「グゥォオオオッ!」


 ”黒狼”ウルルクは巨躯を揺らし、城壁の上に立つムウを狙って跳んだ。巨躯に似合わぬ信じられないほどの俊敏さである。城壁の石組みを強引につかみ、怒りも露わによじ登っていく。


「い、いかん! ヤツを止めるんだッ!」


 気を呑まれかかっていた人間側の兵士は慌てて武器を構え、迫り来る小山のような魔族に攻撃を放った。だが降り注ぐ矢の雨もウルルクは一顧だにせず、行く手を遮ることが出来ない。


 そのまま城壁を握力だけでよじ登ると、ウルルクは丸太のような腕をふるってムウの上半身を一瞬にしてミンチに変えた。


 まるでバラの花びらが無数に舞い散るようにして――いや、違う。飛び散ったのは血肉ではなく、本当にバラの花びらだった。


 ウルルクの動きに一瞬のためらいが生じる。その間に、ムウだったはずの人影は完全に溶け崩れ、全てが花びらとなり風に巻かれて舞い上がった。


「ぬう!?」


 突如、獣人の逞しい指にいばらが絡まった。引き剥がそうとするとトゲが皮膚と毛皮を食い破る。ムカデにでも巻きつかれているかのように、いばらは蠢き、さらに深くトゲを伸ばし、噛み付いてくる。


 こんなものがいったいいつから――ウルルクはぞっとするほど鋭い目で左右を見渡した。


 いた。


 ついさっき花びらの群れになって消えたはずのムウが、離れた場所から両手を突き出していばらを伸ばしていた。エーテル光がゲシュタルト化、さらに周囲の質量を取り込んで実体化している。


 ウルルクは怒りに任せていばらを引きちぎろうとした。しかしますますトゲが食い込み、手指が切り裂かれてしまう。


「どうだ!」


 必死ながら優勢を取ったという表情でムウが挑発する。


 しかしウルルクは獰猛な笑みを浮かべて、「誇るか? この程度で」


「むぅ~!」


 ムウはさらに念を込め、いばらを強く太く、そして鋭く生成する。


 それがウルルクの付け入る隙を産んでしまった。


 手に指に突き刺さるトゲを物ともせず、ウルルクはいばらを掴み、それを思い切り振り回した。


「わぎゃっ!?」


 実体化させたいばらを強く引っ張られたことで、それにつながったムウの軽い身体は冗談のように高く投げ出された。あわてていばらを消さざるを得ず、結果としてウルルクの手を拘束していた部分までが雲散霧消する――だけにとどまらず、ウルルクはさらに自らも跳躍して空中のムウに殴りかかった。


 が、ウルルクは再び手応えのなさを感じて舌打ちした。


 ムウの身体はまたも無数のバラの花びらに姿を変え、風に乗って散ってしまった。かと思うと別の場所に花びらがわだかまり、人ひとり分ほどの大きさに膨れ上がるとそこから無傷のムウが姿を表した。


「”変わり身の術”ってところか」ウルルクは歯をむき出しにし、怒りと愉悦の両方を発散した。「やるじゃねえか、人間の小娘が」


 一方のムウは、体を包むマントにいつの間にか出来た裂け目を見て下腹部がきゅっと縮こまった。バラの変わり身で攻撃をすり抜けたはずなのに、服を引き裂かれている。完全にはかわしきれていなかったのだ。当たりどころが悪ければすでに殺されていたかもしれない。


「ならばこいつはどおだあ!?」ウルルクは一度半壊したキャンプ正門に飛び降り、大金棒を拾い上げ、それをムウの眼前に突きつけた。「噴ッ!!」


 瞬間、ベイディルド・キャンプの城門に嵐が吹き荒れた。ウルルクの凄まじい棒さばきで突風が巻き起こったのである。


「その変わり身でどこまで逃げ切れる?」

 

「お……」


「お?」


「おしえてやらない……!」


「はっはっは、ならひき肉になってから後悔しろや、小娘!」


 ウルルクは哄笑とともに大金棒をムウの身体に叩き込んだ。間合い、速さ、いずれも拳をふるうよりも遥かに鋭い。


 ムウの身体はついにバラの変わり身をも超えるスピードに捕捉された。


「ああッ!?」


 人間側の兵士から悲鳴が上がった。大金棒がムウを真正面から打ち据えた。花びらになって消えるよりも早く叩き込まれれば、その体格差から見ても助かる可能性は皆無に等しい。


「ぬう?」


 だが、ウルルクは怪訝な表情を見せた。手応えがありすぎる・・・・・。ウルルクの怪力をもってすれば、ムウのちいさな身体など水風船を割るが如き手応えしか残さず血肉の水たまりに変えてしまうはずだ。


 しかし実際には、ムウの身体は粉々に砕けてもおらず、バラになって逃げることもせず、大金棒を受け止めていた。


「……なんだと?」


 ありえない。いったい何倍の体格差があると思っているのか。ウルルクを始め、戦局を固唾を呑んで見守る両軍の兵士たちは目を疑った。


     *


「う……ムウ……?」


 そのとき、かすかに意識を取り戻したジンが目にしたのは、ムウが彼女の足元から芽吹いた大きなバラのつぼみに飲み込まれ、その中から光が溢れて大輪を咲かせるという光景だった。


 こんなものは見たことがない。


 大輪の花から、光りに包まれてムウが姿を現す。纏っていたフード付きマントははらりと幾条もの光の糸にほどけ、その下の服も同様に光になって分解していく。一糸まとわぬ輝く姿になった。


 こんなものは全く見たことがない。


 肌を晒したムウは真剣な眼差しでウルルクを睨み返し、そして――その手で大金棒を掴み、受け止めていた。


 バラ分身ではない。何か別の能力だった。


 見る間に変化が起こった。大輪の花ははらはらと散り、今度はムウの身体に張り付き、溶け合い、”服”になった。


 それは華やかなドレスのようでもあり、可憐な舞姫の舞台衣装のようでもあり、無垢な少女の命の輝きそのものが具象化したようでもあった。


 真紅からマゼンタ、薄桃色とグラデーションのかかったその”服”はムウの銀髪によく映えて、疲弊しきったジンの薄ぼんやりとした視界の中でもそれは素晴らしく、この世で一番大切なもののように見えた。


「へやぁッ!」


 美しいバトルドレスを身にまとったムウは、受け止めた大金棒を跳ね除け、天高く跳躍した。普段のムウとは明らかに身体能力が異なっている。バラの心臓を起動させたジンの動きをも凌駕しているようだった。


「ぬぁんだその力はァ!」


 のっぴきならない火力の臭いを本能で嗅ぎ取ったウルルクは小山のような体躯をぐっとかがめ、金棒を構えた。


「光を!」


 ムウの叫び声は、その言葉通り空中に光を生み、それは光で構築されたバラの花にゲシュタルト化した。光のバラは花弁を慎ましやかに開き、その中心部から一条の光のを放出する。強烈なエーテル光のビームだ。


「ぐわおお!?」


 光は純粋な破壊の槌となり、ウルルクの大金棒を灼き、弾き返されつつもなお光量を増し、獰猛な獣人の肩の肉をえぐった。剛毛が焼き焦げ、血が蒸発する。


 ――すごい……あんな魔族を押している!


 ジンは上半身を起こすのもやっとの状態だったが、興奮を覚えた。


 ――ムウ、君はやっぱり勇者なんだ……正真正銘の!


 だが、前触れ無く光の放射が止まり、光でできたバラは散ってしまった。同時にバトルドレスのバラ色も内側から発光するような明度がさがり、こちらも元の服に戻ってしまう。


 ムウは空中に放り出され、無防備のまま自由落下していく。


 それを見逃すウルルクではない。


「消え失せい!」


 怒りに任せて大金棒を振り上げて、直接打擲ちょうちゃくせんと踊りかかった。


「ムウ……!」


 ジンは歯噛みした。この距離、タイミング。バラの心臓を起動できれば止めに入ることが出来たはずだ。しかしいまは身体を酷使しすぎている。クロスボウを拾い上げて引き金を引くことさえ困難だ。最後の騎士団の兵士たちも、あっけにとられて動きが止まっている。


 このままでは目の前でムウが殺されてしまう!


 ムウが死ねば、勇者が死ねば、人間界からは本当に希望が失われてしまう。


 そのことの意味がジンにはようやく本当に理解できた。


 あの姿。あの強さ。勇者とは、本当に魔族の天敵なのだ。


 絶対に死なせてはいけない。


 自分が守らなくてはならない。


 それなのに、なぜ僕は動けないでいるんだ――。


 ついにウルルクの大金棒が振るわれた――かに見えた。


 悲鳴を上げたのはウルルクの方であった。


 ウルルクの恐ろしく頑丈そうな脇腹に丸太のような”矢”が刺さり、その勢いで獣人の大魔族は吹っ飛ばされた。


「最後の騎士団の戦士たちよ」キャンプ中に聞こえる拡声音で、ナスホルン将軍が司令塔から呼びかけた。「何を気を抜いている、いまこそ魔族どもを誅戮ちゅうりくせしめよ!」


 人間側の兵士、そして魔族たちも、視線が司令塔に集中した。


 その塔の頂上に備え付けられた巨大な攻城弩バリスタから矢が放たれたのだと誰もが納得し、そして悟った。この戦い、人間側の勝利となるであろうことを。


「そうはいくかあ!!」


 総大将ウルルクは、法術による拡声音にも劣らない大音声で吠え、立ち上がった。脇腹の巨大な矢を握りしめ、一気に引き抜き、こぼれ落ちる血と臓物を手で押さえ込む。


「人間ども、この度の戦いみごとだったと言っておく……だが次は殺す。全員殺す。ひとり残らずだ。この基地を更地に変え、攻め上ってアベローネ要塞も皆殺しにする……恐怖に震えて待っているがいい!」


 ”黒狼”ウルルク。


 黒いたてがみが燃え盛る炎のように逆立って、憎悪の念を撒き散らした。


「撤退! 撤っ退ーッ!!」


 ウルルク軍の伝令たちが戦場を駆け回る。


 人間側は可能な限り逃げていく魔族兵を討とうとしたが、死を惜しまない撤退戦術により大きな損害は出せぬまま、ウルルク軍は潮が引くように去っていった


 戦いは、幕引きとなった。

 

     *


 ジンが意識を取り戻したのは丸一日後で、ベイディルド・キャンプはすでに兵員の再編成と城壁の修理を始めていた。


「よぉ、ジンさん!」


 声をかけてきたのは元鉱夫で元盗賊のアマンだった。いまは最後の騎士団の服を着込み、すっかり兵士の一員となっていた。


「すごかったねえ、あの嬢ちゃんの戦い。あの子、勇者だとか何とか言われてるけど本当なのかい……ああ、あんたもすごかったねえジンさん」


 ジンは照れくさくなって曖昧に礼を言った。自分の力はあくまでムウに与えられたバラの心臓のおかげで、努力して手に入れたものではない。


「嬢ちゃんなら司令塔に行ったよ、会いに行ってやりな」


 アマンの言う通り、ムウはベイディルド・キャンプ司令塔の最上階にいた。ナスホルン将軍も同席していた。


「……ジン、ムウ。今回の戦いご苦労だった」ナスホルン将軍は、いくさの前より幾分和らいだ表情で言った。「どうやらお前たちの力は普通ではないようだ。それは認めよう」


「むふーっ」


 ムウが得意気に鼻息をもらした。

 

「だが、とてもではないが不安定で使い物にならん」


「も、申し訳ございません」


「謝ってどうこうという問題ではない。たとえ勇者の力だったとしても、肝心なときに使えないのでは意味が無いということだ」


「使ったのはきのうがはじめてだったんだもん」ムウは不機嫌になり、そっぽを向きながら、「なれてないからしょうがないじゃない」


「そういうことだ。訓練を詰め。お前も、小僧もだ」


 ナスホルンは厳しくも、どこか楽しげな雰囲気があった。


「さあて、お前たちは一刻も早くアベローネ要塞に行け。次にいつ魔族軍が攻めてくるやもしれん。急げ」


 将軍はきっぱりとそう言いきって、一方的に話を打ち切った。


「ムウ、身体は大丈夫?」


「へーきだよ、ジンのほうが心配」


「まあ、僕も大丈夫だよ」


 本当は体の節々に砂を詰めたような疲労が溜まっていたが、泣き言はいいたくなかった。


「じゃあ、準備をしたら早速行こう、僕らの本拠地、アベローネ要塞に」


「うん!」


 ムウはうなずいた。癖のある銀髪がふわりと揺れる。


 愛らしい少女だ。


 ムウにこの先待ち受ける運命がいかなるものであったとしても、ジンはムウのことを守ってあげたいと思った。


 自分に与えられたバラの心臓はそのためにあるのだ。


 きっと。


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