第17話 集結 05
ベイディルド・キャンプ正門を巡る攻防の只中に、クロスボウの
正門を打ち壊すべく振り上げられた巨大な木槌が獣人の手から吹き飛ばされ、突如のことに動きが止まったところにさらに銀色が閃いた。喉を切り裂かれ、大柄な獣人が血を吹いて斃れる。
何が起こっているのかわかるより早く、破壊衝動に身を委ねていた獣人の兵士たち2、3人が次々と斬撃を食らって吹っ飛んだ。
ひとかたまりの熱狂になって城壁を攻略せしめんとしていたウルルク軍の足並みがわずかに乱れる。
何かが戦場を飛び回って、兵士を斬殺している。
いかなる法術の効果か、獣人たちの間を縫うようにして鎧姿の剣士が恐ろしい速度で駆け抜け、手当たり次第斬りかかっていた。
「なんだあれは」正門から少し離れた本陣で、総大将ウルルクが遠眼鏡を乱暴に部下に投げ渡した。「……邪魔だな。殺せ」
「仰せのままに!」
ウルルクの命令はすぐさま伝令によって運ばれた。本陣に控えていた選りすぐりの獣人兵らが増援として前線へと向かう。恐るべき身のこなしで味方を切り刻む剣士の生き肝を食らう――楽しい仕事の始まりだとも言わんばかりに、彼らはにやりと犬歯をむき出しにした。
*
バラの心臓が起動したジンの肉体は細胞レベルで
最後の騎士団の人間たちも、ウルルク軍の獣人たちも、戦場を飛び回るジンのスピードは目で追うことが難しいほどであった。
――”妖術兵器”……あれか!
手近の獣人の膝を切り裂き、ジンはやや高台となっている場所に据え置かれた大きな筒状の砲に焦点を合わせた。雷撃砲。これを破壊できなければ正門を吹き飛ばされるのは時間の問題だ。おそらく耐えられるのはあと一発のはず。しかし砲の周囲には全身を分厚い皮膚に覆われたサイのような獣人が4体控えていた。見るからに頑丈そうで、身体には矢が何本か突き刺さっているが意にも介していないようだった。
いくら猛スピードで斬りかかっても致命傷を与えるのは難しいだろう――そう判断したジンは、転がっていた血まみれの手槍を拾い上げ、速度を落とさずサイ獣人に向けて思い切り投げつけた。
鼻から角を生やした獣人は、かわすことなく全身の筋肉を引き締めて防御の姿勢をとった。肉と骨を貫く音。加速された手槍は獣人のひとりの前腕をぶち抜いた。
しかし致命傷にはならない。恐るべき耐久力である――が、それはジンの予想の範囲内であった。
ジンの姿は再び戦場から消えた。
上空にジャンプしたのだ。
サイ獣人の頭上から、ジンは何かを投げつけた。地面で握りしめた砂利だ。目潰しの砂利を投げつける。ただそれだけの行為だが、全身の身体能力が高められている今のジンから放たれるその威力は強烈だ。
悲鳴が上がった。無防備な頭上から浴びせられた砂利が、サイの小さな目に入ったのだ。
「潰せ、あの人間を落とすんだ!」
「殺せーッ! 雷撃砲を取らせるな!!」
ウルルク軍の兵士たちが口々に叫ぶ。戦場の視線が、ジンの行動に集中した。
人間側はこれをチャンスと見て弓矢と法術をありったけ魔族たちに叩き込んだ。
矢が皮と肉を突き破る不気味な音、そして悲鳴と唸り声があちこちから上がった。血が飛び散り、臓物と肉片が泥に混ざる。
――ここで!
ジンはサイ獣人たちの立ち位置に若干の隙を見出した。
1体のサイの頭を踏み台にしてくるりと宙返り。雷撃砲の装填手たちの背後まで跳んで着地した。金属鎧を身に着けてなおこれだけの運動能力を発揮できるのは、全神経がバラの心臓の生み出すエーテル流によって超人的に研ぎ澄まされているからだ。
雷撃砲に次の魔石カートリッジを装填しようとしていたネズミのような姿の獣人は、一瞬自分の立場も役目も忘れて棒立ちになり、なすべきことを判断するより先に小手を打たれてカートリッジを取り落とした。妖術兵器は強力だがそれに見合うパワーソースがなければ作動しない。
ジンはバラの心臓の激しい鼓動に全身がしびれるような衝撃に襲われながらも、腰のベルトに挿していた酒瓶のようなものを抜き、カートリッジに引っ掛けた。
――まだだ、動けなくなる前に、少しでも敵を……!
溢れ出る力に振り回されそうになるジンだったが、それを根性のみで耐えきり、再び戦場を跳んだ。
残されたカートリッジを呆然とした表情で拾い上げようとした魔族の装填手たちは、そこに仕掛けられていた手投げ弾の爆発に巻き込まれ、吹き飛んだ。
*
「面白い!」
戦場の趨勢を眺めていた大魔族・ウルルクは、巨大なクレバスのような口を開け、舌なめずりをした。
「お、お待ちあれ殿!?」
輿のそばに立てかけられた大金棒を鷲掴みにして立ち上がるウルルクに、軍師のひとりが慌てて声をかけた。
しかしウルルクはそれを退け、「気が変わった! いいぞ、久々にオレ自ら
こうなったウルルクを止められるのは、叔父のマハか託宣者にしてウルルクの愛妾・ラスモアくらいである。いまはどちらも不在であり、配下の何者にもウルルクの凶猛を押しとどめることはできなかった。
*
キャンプ正門前には血と、死と、叫びが渦巻いた。
バラの心臓を起動させたジンの文字通り超人的な戦いに鼓舞された最後の騎士団は徹底的に正門を護りきって魔族の群れを一歩たりとも踏み込ませず、一方のウルルク軍もひとりでも多くの人間を引き裂いて生き肝を食らわんとして命を捨てた突撃を躊躇なく実行し、双方時間の経過とともに死者の数が増えていく。
「いかんな」とキャンプ総司令ナスホルン将軍は戦況に暗雲の気配を嗅ぎ取った。
ベイディルド・キャンプの兵士たちは恐るべき士気を発揮している。それはおそらくジンの活躍に焚き付けられたものとみて間違いないだろう。
しかし、司令塔からその動きを見ているナスホルンには、ジンひとりにその期待が大きくのしかかりすぎているとしか見えなかった。
「小僧が息切れてしまうのがわからんのか」
伝令官にジンを引っ込めるよう命を下すべきか。しかし混乱した戦況でピンポイントに命令を下すことは難しい。
「……あの娘は何をやっている?」
ナスホルンは、引っ込み思案の少女・ムウのことを思った。報告が真実であれば、勇者はジンではなくムウなのだ。ナスホルンはムウの活躍こそを見極めねばならない。
勇者とはいったい何者か。
過去の文献や伝承では、”魔族の天敵”としていかなる悪をも滅ぼす”対魔相殺の神兵”であるとされている。
その力がいかなるものか。もっと端的には、役に立つのかどうかがナスホルンの興味であった。
敵の襲撃は絶対に跳ね除けなければならない。しかし勇者の力をこの目で確かめる必要もある。その上で、新しく加わった戦士たちを可能な限り生かしてやらねばならない。
「……小僧を死なせるわけにはいかんな」
ナスホルンは決断した。
あの”勇者”が一番心を許しているのがジンであることは明白だ。ジンがあたら命を散らしては、ムウを勇者という名のコマとして動かすことは難しくなるにちがいない。
「ジン、それからムウ。このふたりを絶対に殺させるな。状況によっては城門から兵を出して討って出ることも許可する」
「ははっ!」
伝令官は再び最前線へと走り出た。
「……さあて、どう出る? 我らが勇者よ」
ナスホルンは幾筋も赤線を入れられた布陣図を見下ろし、ある種の高揚感を噛み締めた。
*
「ぐうッ!?」
ほとんど立ち止まることなく敵陣を撹乱し続けたジンの体に、オレンジの火花が音を立てて絡みついた。オーバーヒートの兆候だ。膝から力が抜け、全身に張り詰めていたエーテル流が弱まっていく。
その隙を見逃してくれるほど、ウルルク軍の獣人たちは甘くない。
爪が、牙が、無骨な武器が、よろめくジンへ狙いを定める。10体を超える獣人が殺到した。
人間側の兵士はそれに気づきながらも、助けに入ることのできる者は誰もいない――このままでは間に合わない……。
そこにいきなり現れた赤い吹雪によって、獣人たちは視界を遮られた。
「なンだこれはァ?」
「花びら?」
「バラだ、バラの花だ!」
突然吹き荒れたのは、真紅のバラ吹雪であった。
それが収まったときには、周囲を獣人に囲まれていたはずのジンの姿はなかった。
「クソッ、消えたぞ!?」
「あの人間め、どこに行った!」
怒れる獣人たちは体表に貼り付いたバラを払いのけようとした。
そこに。
「てぇ!」
ムウなりの気迫の声とともに、少女は両手を突き出して銀色の炎のごときエーテル流を放出した。次の瞬間、炎は全ての花びらを引火させ、広範囲に連鎖爆発を起こした。
「ぐわあ!」
獣人たちは火達磨になって、戦場を転げ回る。花びらは貼り付いたまま離れず、皮膚を、その下の肉を焼き焦がした。
一方のムウは、力を使い果たしてぐったりとするジンを抱きしめ、手首からいばらの茎を幾筋も伸ばして素早く城壁の上に飛び上がった。熟練のレンジャーのロープさばきもかくやという動きである。
「今だーッ! 射てーッ!」
最後の騎士団の上級騎士が叫んだ。敵の精鋭たちは消えない火に巻かれて無力化され、獣人兵士たちもあっけにとられて一時的に士気が下がっている。おまけに雷撃砲のカートリッジは装填手のネズミ獣人と共に手投げ弾で吹き飛んだ。
これを逃す機はない。
矢と怒号。
法術の火。
溶けた鉛に投石。
もはや一矢たりとも残さない勢いの攻撃が、ウルルク軍を圧倒した。
勝てる。
熱気がベイディルド・キャンプに流れ始めた。ジンの働き、そしてムウのサポートが、攻め手の行動を挫き、陣形も何もでたらめに寸断することに成功したからだ。
ウルルク軍の前線指揮系統は乱れた――ここからどう立ち直すか、総大将ウルルクの指揮を仰がねばまともに兵が動かない。
だが。
雷撃砲をも上回る強烈な衝撃がキャンプ正門に走り、ついに片側の門扉が付け根から引きちぎれて倒れてしまった。
戦場は、一瞬沈黙に凍りついた。
風に砂埃が舞う。
「どうした、ええ? ずいぶん静かじゃねえか」
ウルルク軍の乱れた陣形を後ろからかき分けて、漆黒に燃える炎のかたまりのようなものが現れた。
”黒狼”ウルルクその人である。
ウルルクの投げつけた大金棒が、正門の門扉にとどめを刺したのだ。
「さあ、続きをやろうか」
凶悪な野獣の相貌。ぞろりと耳まで裂けた口からは血に飢えた牙が並んでいる。
圧倒的な暴力の気配を放ちながら、ついに総大将自らが戦場に臨んだ。
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