第16話 集結 04

「……妖術兵器の射手に集中攻撃しろ、正面は何があっても死守だ」


 ベイディルド・キャンプ司令塔最上階にナスホルン将軍の命令がずしりと響いた。


 伝令官は切迫した表情で了解を伝え、風が翻るように現場へと向かう。


「ウルルクめ、このタイミングでここを取りに来たか」


 ナスホルン将軍は己のあごを掴むようにしてテーブル上の布陣図を睨んだ。


 これまでも幾度か戦戈を交えてきたウルルク派の軍勢だが、総大将自らが最前線に出張ってきたのはこれが初めてのことであった。相手の出方を慎重に探らなければならない反面、獣人の軍勢は行動が素早く、極めて切迫した局面でもある。


「伝令ーッ!」新たな伝令官が司令室に飛び込んできた。「東側城壁にはしごがかけられました! 増員要請です!」


「……だ、そうだ」


 ピンと張り詰めた空気を貫くようにして、将軍の視線が少女に向けられた。


 勇者と魔王の血を引く少女・ムウは驚いて隣りにいる背の高い鎧姿の男・ジンの背中に隠れたが、すぐに顔を出して神妙な顔でうなずいた。


「お前たちにはすぐにアベローネ要塞に向かうよう指示したはずだがな、小僧」


「しかしこの状況では危険が伴います」小僧呼ばわりされたジンは緊張しながらもナスホルンに言った。「いまこの場を平定することを最優先にするならば、彼女の……勇者の力を使うことが一番の安全策です」


「私は勇者の力を見ていない。お前の言う”バラの心臓”とやらもだ。本当に魔族に対抗しうるだけのものか。もしこの場でお前たちが敗れるようなことがあれば、どうなるかわかるか」


「……い、いいえ」


「『勇者は残された唯一の希望』なのだ。最後の希望にもし土がつけば、り所が失われる。人心麻の如く乱れるだろう、いま以上にだ。その覚悟はあるのか」


 ジンは息を呑んだ。ナスホルン将軍の迫力に気圧けおされたからではなく、『ムウが負ける』ことを想定していなかったからだ。


 やってみなければわからない――などという理屈は将軍の前では吐けない。最後の騎士団は人類最後の砦であり、勇者はナスホルンの言う通り残された唯一の希望なのだ。あやふやな精神論を背景に運用はできない。そのことを将軍は言っている。


「しょうめい、する」


 ムウは眉根を寄せて、ナスホルンの視線の強さに対抗し前へ一歩踏み出した。


「ムウが勇者だって、しょうめいする」


 怒声、罵声、衝突音。様々な戦場の音が司令室に伝わってくる。城壁を挟んで恐ろしい攻防が繰り広げられているはずだ。


「……できるんだな?」


「やる!」

「やらせてください」


 ムウとジンが同時に言った。


「そうか。ならば征け。西側壁面からだ」


「はっ、はい!」


 金属鎧に身を包んだジンは直立不動で敬礼し、ムウはフード付きマントを頭にすっぽりかぶって首紐をキュッと絞った。


「……これで駄目なら、どのみち人類に未来などない」


 司令室から出ていったふたりの後ろ姿を見送って、ナスホルンはひとりごちた。


     *


 キャンプ東側の城壁は、群れ集う獣人たちの血と肉が飛び散り、地獄のようになっていた。


「絶対に壁を越えさせるな! 叩き落とせ!」


 上級騎士の誰かが号令する。人間の兵士たちは、はしごを掛けて一気に城壁を陥落おとしにかかる獣人の突撃を大盾を構えて防ぎ、矢を打ち込んで陣形を崩していく。


 しかし一度かかってしまったはしごを外すのは容易ではない。俊敏な獣人は次々と大盾を乗り越えて城壁の上に着地し、兵士たちと激しく切り結んだ。双方の死体が増え、城壁に戦士の血が流れていく。


 ――このままじゃ、時間の問題だ。


 ジンはギリッと奥歯を噛み締め、自分の胸を鎧の上から叩いた。すでに混戦状態に突入している以上、数にまさるウルルク軍がじわじわと押してくることは必定だ。”バラの心臓”を起動して、一気にはしごを叩き落とすことができれば……。


「まって、ジン!」


 すでに覚悟を決めたジンを、ムウは後ろから慌てて呼び止めた。


「どうしたの、ムウ?」


「心臓をつかったら、ジンはしばらく動けなくなっちゃう」


「わかってるよ、でもこのままだと」


「ううん、そうじゃなくて。もっとだいじなときが来るはずだから」


 大事な時。ジンは足を止めた。言うことはわからなくもない。今回の攻撃には、ウルルク派総大将が自ら戦闘に参加しているという。人間の力では抗いきれない敵を対処するには、切り札が必要になるだろう。ジンはその一枚である――とムウは考えているのだ。


「じゃあ、どうすれば」


「ムウがやる」


 そう言って、ムウは小さな握りこぶしを作って前に突き出した。そこには強いエーテル光がいばら状にゲシュタルト化している。


「わかった。僕はどうすればいい?」


「はしご! あそこまで行きたい」


 敵味方のど真ん中だ。


 ジンは力づくうなずき、ムウの身体をおんぶして素早く城壁の上に踊りで出た。


     *


 ウルルク第2軍、つまり東側城壁を突いた獣人たちは戦闘高揚感で脳内が満たされていた。


 剣や槍で多少目玉や鼻を削ぎ落とされたくらいではその足を止めることはない。


 はしごの上を縦列で突き進むその獣人も、肩にクロスボウの矢弾ボルトが突き刺さって血がこぼれ落ちているというのに全く痛みを感じていなかった。


 雄叫びを上げながら人間の防備に正面から躍りかかり、盾を構えた重騎士のバランスを崩した。


「いまだ! 一気にのりこめェ!」


 切り込み隊がついに人間側の防衛ラインを割り込み、一番乗りを許してしまった。


 が、そのとき。


 壁にかかっていたごついはしごが、突如として花を咲かせた。バラの花である。


 現場にいあわせた誰もが目を疑った。およそ流血の戦場には似合わない美しい花。見れば、はしごは頑丈な補強の入った角材ではなく、いばらを束ねて作った縄梯子のようになっていた。


「うわァッ!?」


 いばらの縄梯子はあっというまに保持力を失って崩れてしまった――そこに登って攻め入ろうとしていた獣人もろともに。


 いったい何が起こったのか。その場で理解できたのは誰もいなかった。


 ただひとり、ムウの手から密やかに伸びたいばらがはしごに絡みつき、触れたそばからはしごをいばらへと変質させてしまったのをジンだけが見ていた。


 触れたものをいばらに変え、それを操る。ムウのもつ特別な力だ。


「敵は墜ちたぞ、矢を射かけろ!」


 ジンはここぞとばかりに大声を上げ、その場の兵士たちを鼓舞した。ごくわずかの間、動きの止まっていた人間側は我に返ったようにやるべきを事を思い出し、矢を放ち、熱湯を浴びせかけ、瓦礫を城壁の下に投げ落とした。


「てい!」


 こっそり城壁の上によじ登ったムウは、さらにいばらをざわざわと生い茂らせ、投網のようにして眼下に放り投げた。恐ろしく鋭いトゲを生やすよう”品種改良”されたいばらは、獣人たち複数を絡め取り行動不能にさせた。

 

 風向きが変わった。


 ベイディルド・キャンプの兵士たちは積極的に打って出て、ウルルク軍の攻城兵器を近寄らせないよう徹底的に集中攻撃した。獣人からも手やりや投石が飛んでくるがそれを重騎士が素早くサポートする。ムウのいばらがそれに加わって、城壁を破壊しよじ登ろうとしていた獣人たちはむしろ壁から遠巻きなって体勢を立て直さざるを得なくなっていった。


「ムウ、ここはしばらく大丈夫みたいだ!」ジンが叫んだ。「降りてきて、今度は正門に移動だ!」


 ムウは自らの行動で戦況を左右したことに興奮して、白い頬が紅潮していた。


「行くよ」


「うん!」


 城壁を巡る攻防が人間側の優勢に傾きつつあるのを背中で聞きながら、ジンとムウはキャンプ内を駆け抜けた。


     *


 蒼い稲光が閃いて、ベイディルド・キャンプ正門に強烈な爆発が起こった。


 ウルルク軍の妖術兵器、雷撃砲が再度発射されたのだ。


 石積みが崩れ、鉄芯が焼き切られ、土煙とオレンジ色の火花が飛び散る。両開きの門扉は片側ががたつき、基部からちぎれ飛びそうになった。


「突っ込め! 打ち壊せ! 人間どもを皆殺しにしろ!!」


 ウルルク軍の怒号が飛び交い、正門には手に手に武器を構えた獣人たちが集結した。大きな木槌が狂ったように打ち下ろされ、斧の刃が、つるはしが、次から次へと襲いかかる。もはや正門の耐久力は限界だった。


 それでもナスホルン将軍指揮する戦士たちは退かない。


 城壁の上から解けた鉛をぶちまけ、嫌というほど石塊を投げ落とし、術士の発生させたガスで強制的に眠らせる。その間にも弓矢が長筒の妖術兵器周辺に雨あられと降り注いだ。


 しかし獣人たちの剽悍ひょうかんさは、総大将のウルルクが陣の後ろに構えていることも手伝ってか鬼気迫るものがあった。片目を貫かれても腕を折られても、血腥い獣人の群れは大波のように押し寄せ、城壁を越えようとする。


「怯むな、妖術兵器を潰せ! もう一発食らったら門を破壊されるぞ!」


 人間側も必死だった。これまでの数年、ベイディルド・キャンプを守り通してきた誇りがある。ここを抜かれればアベローネまで魔族の手が及ぶ。それだけは何をどうしても許すわけにはいかない。


 その状況下で、ジンとムウが到着した。


 すでに何人もの兵士が血を流して倒れている。むせ返るいくさ・・・の臭いに、ふたりは思わず足を止めてしまう。


「ジン……」


 ムウがジンの袖を掴んだ。不安でいっぱいの瞳でジンの顔を見上げる。


 ジンもまた、顔を強張らせていた。かつて幾度となく繰り広げられたベイディルド・キャンプ防衛戦。その激しさ。聞くと見るとでは大違いだ。体内エーテルの流れが乱れ始めているのは、無意識にバラの心臓が起動しそうになっているせいだろう。


 その時、城壁の上で悲鳴が起こり、ひとりの甲冑姿の兵士がジンたちの足元に落ちてきた。次いで、ぱたぱたと血の雨が降る。兵士の兜ははじけ飛び、代わりに野太い手槍が刺さって貫通していた。即死だ。


「……行こう、ムウ」悼む暇もあればこそ、ジンはムウのほっそりした手を握った。「僕らの力があれば、なんとかなるかもしれない……いや、違うな」


「なんとかする!」


「うん、何とかしよう。僕が前に出るから、ムウは援護を頼む」


「わかった」


 ムウはコクリとうなずき、ジンの胸に平手を重ねた。ポウ、とエーテル光が舞い、ジンの体内に吸い込まれていく。


 ドグン――。


 まるで地鳴りのように鼓動がひとつ、そしてふたつ。


 みっつめが鳴る前に、ジンの姿は消えていた。


 その身はすでに戦場に、その最前線へと――。

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