第15話 集結 03

 ナスホルン将軍はベイディルド・キャンプの司令を3年務め、その間幾度となく攻め入ってきた魔族に対し一歩も引かず護りきった智将である。


 騎士団本拠地アベローネ要塞が魔族の侵入を一度も許していないのは、事前に将軍が侵入者を全て叩き潰してきたからだとも言われている。いずれにせよ、最後の騎士団には無くてはならない大人物といえる。


 ジンとムウは、キャンプ司令塔最上階にてその英雄と直接対面していた。


「……リデルは戻ってこなかったか」


 ナスホルンは長い沈黙の後、そう言って窓から空を見上げた。勇者捜索隊のリデル隊長は将軍の旧知の仲で、すでに滅びた国に仕えていた上司と部下の関係であった。


「申し訳ありません、僕が……あ、いや、私がもっと隊長の部下としてしっかりしていれば」


「思い上がるな小僧」リデルの死について詫びようとしたジンを、ナスホルンは厳しく制した。「リデルは任務に殉じた。それはヤツが決めた道だ」


「はっ、はい!」


 ジンはそれ以上は解剖学的に不可能であるほど強く背筋を伸ばした。


「結果として部下のお前はこうして私の前に立ち、そこの……連れてくるべき人物……を連れてきた。任務は成功したといえる」


 ナスホルンは後ろ手を組んで、『連れてくるべき人物』すなわちムウの前に進んだ。


 するとムウは、ナスホルンの古傷だらけのいかつい顔を怖がり、ジンの背中に隠れてしまった。


「ムウ、ムウ、だめだよちゃんと話をしないと……」


 ジンが小声で促すが、ムウはすっかり怯えてジンから離れようとしない。


「ずいぶんとなつかれているようだな、小僧」とナスホルン。「まあいい。詳しいことはアベローネのばあさまどもが調べることだ。私としてはそれよりも、別の報告のほうが気になるな」


「は……はい。黒狼ウルルクがこのキャンプを攻めてくるのは時間の問題かと思われます」


「うむ。それも重要な話ではあるが。それよりもあのバシアヌ鉱山をお前とその娘だけで解放したという報告だ。つまり……小僧、お前も『特別』なのだな?」


 ジンはナスホルンの放つ気配の太さに気圧されながら、「申し上げたとおりです。一度死に、この……ムウに命を救われました。そのときに”バラの心臓”を埋め込まれ……普通ではない力を発揮できるようになった。その結果、鉱山を解放することになりました。私ひとりの力ではとても……」


「見ればわかる」


 ナスホルンはあっさりと言い放った。


「だが実力であろうとなかろうと力は力だ。我々に選り好みしている時間はない。使えるものはなんでも使う。お前もそのひとつだ。心得ておけ」


「はい!」


「よし。それとお前が連れてきた人員、彼らもだ。24時間の休息後、早速訓練を始めこのキャンプの兵員として組み込む。お前たちはふたりでアベローネ要塞に向かえ。馬車をこちらで準備する。以上だ」


「は、拝命いたします!」


 ジンは敬礼し、ぎくしゃくした動作のまま小脇にムウを抱え、ナスホルンの執務室を後にした。


     *


「……というわけでみなさんはこのベイディルド・キャンプの防衛隊に編入されることになりました」


 バシアヌ鉱山から解放され、最後の騎士団に入団を希望してジンに同行してきた奴隷労働者たちは、そう告げられてどこか拍子抜けしたような表情を見せた。


 魔族がどこから出てくるかわからない道のりを、ほとんど装備らしい装備ももたず旅してきた疲れのほうが勝っているのだろう。入団が許されて嬉しいというよりも24時間の休憩がもらえると聞かされたときのほうが反応が大きかった。 


「それで、ジンさんと嬢ちゃんはどうするので?」元盗賊のアマンが全員を代表するように訊ねた。「もうすぐここにウルルクの軍勢が攻めてくるって話ですし……」


 ジンは人見知りして自分の背中に隠れようとするムウを押し出すようにして、促した。


「……ジンといっしょに、アベローネ要さいまで行く」


 ムウはおずおずと答えた。


 ムウが勇者と魔王の血を引く娘だという話は、彼らには一切話していない。騎士団のとあるVIPの親類であると言う説明にとどめている。勇者の存在を余計なところから漏らすわけにはいかないからだ。


「そうですか、お気をつけて」


 アマンたちは素直にうなずいて、それ以上は踏み込んでこなかった。ジンは、もしかしたら自分たちだけアベローネ要塞に逃げ込むのかとなじられることも予想していた。だが何人かが脱走して脱落した結果として、最後の騎士団にどうしても入団したいという考えを持つある程度覚悟の決まった人員だけが残ったらしい。


「水を差すようで悪いけど、騎士団の訓練は厳しいですよ? 特にこのキャンプは」


 ジンが冗談めかしてそう言うと、男たちもおどけてそれは大変だ、と笑いを漏らした。


 ――いい人たちだな。


 ジンはほっとして、こういう男たちと知り合えたことに感謝の念を覚えた。つられてムウが口元を抑えて笑っている。


 いまの人間界はボロボロで、食べて寝るだけの生き物としてならまだしも――それとて飢饉の危険性は常につきまとっているのだが――人間の尊厳が顧みられることは少ない。そんな中で最後の騎士団は一体何を守っていけばいいのか。その答えが、男たちとのやりとりにあるような気がした。


 ”笑顔”だ。


 最後の騎士団、そしてそこに所属する自分は誰かの笑顔のために戦う。これからムウに待ち受けている運命はどんなものだろう、とジンはずっと考えていた。勇者として、戦いに身を投じる事を余儀なくされるのだろうか。おそらくそれに近い扱いになるだろう。ムウのような少女をそのような環境に置くべきなのか、それが本当に正しいのか。


 もちろん人間の未来の為に勇者の力が必要なのはわかっている。だが、その運命をムウは受け入れてくれるのだろうか?


 笑顔のために。


 誰かの笑顔のために戦う。


 それならばムウはきっと理解してくれるはずだ。その答えがあるなら、ジンはムウのそばで彼女に生き返らせてもらった恩の全てを返すために戦える。そう感じた。


 ジンはまた少し己の中の迷いが削ぎ落とされたような気分になった。


 だが――それもまた甘い考えにすぎないと言わんばかりに、雷鳴が突如としてベイディルド・キャンプ全域に響き渡った。


「……来たのか!?」


 ジンは天を振り仰ぎ、それからキャンプの正面入口を素早く振り返った。


 白煙が立ち昇っている。


「ジン!」


 ムウがジンの袖を掴み、差し迫る不穏の気配がただごとではすまないことを察知した顔をした。


「行こう、ムウ」


 ふたりは走り出した。


     *


「雷撃砲、次弾装填用ォー意!」


 獣人種の魔族が数人がかりで大砲に魔石カートリッジをセットする。雷撃砲とは名の通りカミナリを放出する妖術兵器のひとつであり、妖術の苦手な獣人種がほとんどを占めるウルルク派が包囲戦術を運用するにあたって採用したものである。岩や鉄球を振り投げて城門を破壊する攻城兵器よりもコンパクトで、轟音の鳴り響くインパクトにまさる。


「正門は後何発で崩せる?」


 輿に乗ってそう問いかけたのは、誰あろうウルルク派総大将の”黒狼”ウルルクそのひとであった。


「3発もあれば粉砕できるかと」


 獣人軍師たちはそのように言い、へつらいの笑みさえ浮かべてみせた。


「雷撃砲をかまして・・・・いる間、切り込み隊の連中は遊ばせておくつもりか?」


「と、とんでもない!」軍師のひとりが命の危機を感じたかのように飛び上がり、「左右に分かれて回り込み、城壁の破壊ないし侵入を図ります。三方からの同時攻撃に人間どもは大混乱! あとはそこに殿とのが進軍なされれば、難攻不落と呼ばれたこの前線基地も赤子の肝を食い破るがごとくに……!」


「そうか、わかった」ウルルクは軍師の言葉を遮り、かたわらに置かれた大金棒をミシリと掴んだ。「人間どもの砦、今日こそ更地にしてしまえ。その次はやつらの本拠地を食う!」


「ははーッ!」


 ウルルクの家臣一同は主の覇気に鼓舞され、その忠誠心を駆り立てられた。


     *


 ベイディルド・キャンプの空気は目で見えるほど緊張していた。


 最後の騎士団の前線基地である。幾度となく魔族の攻撃を受け、そのたびに防備を増強して今日まで威容を保ってきた。ナスホルン将軍麾下の兵士たちは士気も高く、人間の意地を示し続けてきたという意味では騎士団の象徴のような存在だ。


 だからこそ、決して油断は許されない。


 バリケードが強化され、城壁の上、各所に立つ見張り塔に射手と術士がずらりと並ぶ。


「撃てーッ!」


 鋭い合図の声がキャンプ内に響く。


 ざあ、と音を立てて長弓から一斉に矢が放たれ、正面入口前に待ち構える獣人の軍勢に大波のように襲いかかった。


 盾や遮蔽物に隠れる者。武器を振るって矢を打ち落とす者。巨大な体躯の頑健さにまかせて射たれるままに進撃する者。


 それ以外の兵卒は矢の雨に刺し貫かれて大小の手傷を負い、何割かはその場で息絶えた。


 生き残った獣人の兵士たちは反撃に移り、怪力に任せて手槍や瓦礫を投げ込んで城壁の上の人間兵たちを撃ち落とそうとする。


 しかし最後の騎士団は手慣れた動きで第二波を放った。長弓の次は、射程は短いが威力の高いいしゆみが敵陣に直射された。厚い木の盾が撃ち貫かれ何体もの獣人が穴を開けられて斃れる。人間側にも被害が出るものの、その数は多くない。


 ウルルクの兵士は仲間の血にまみれてなお一層猛り狂い、城壁をよじ登ってキャンプ内になだれ込もうとする。獣臭。唸り。憎悪の念。しかしナスホルン将軍は冷静に三段目の攻撃を指示した。


 遮蔽物の陰から姿を表した術士たちが、それぞれの手にした杖や宝珠からエーテルの炎を照射する。城壁のふちまで登りかけたかぎ爪が燃え爆ぜ、脳髄が煮え、ばたばたと倒れていく。


「うおおおおおーッ!!」


 城壁内から鬨の声が上がった。ベイディルド・キャンプの精兵たちの大音声は、獣人どもをして進撃をためらわせるものがあった。


「面白いじゃねえか、人間どもめ」


 ウルルクは輿の上で低く笑った。


「雷撃砲、第二射準備よろし!」


「やれ」


 伝令が届き、キャンプ正面入口に青白い雷光がほとばしった。


 城壁からの怒声に、何割か悲鳴が混じった。


 雷撃砲の直撃で鉄壁の守りが一部瓦解し、その裏で左右に別れていた獣人の2軍3軍が側面から攻撃を開始する。


「よぉし、一番最初に城壁を乗り越えたものには10倍の褒美をくれてやるッ! 行けい!!」


 ウルルクの号令が獣人兵たちを沸き返らせた。


 ベイディルド・キャンプに暴虐の群れが迫る――。

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