第14話 集結 02

 ベイディルド・キャンプ。


 ”最後の騎士団”本拠地から最も近い前線基地である。黒狼の異名を持つ大魔族ウルルクと、”七大魔公”の一角である冥土王ザンドを後ろ盾に勢力拡大をはかるザンド派魔族フィリカーエ、互いに相争う魔族たち双方からの攻撃を防ぐために作られた。


 キャンプにたどり着きさえすれば、あとはよほどの異常事態でもない限り安全にアベローネ要塞まで帰還できるはずだ。


 延々と続く山道の徒歩は騎士団への入団を希望していた男たちの忍耐力をじわじわと削り、元は12人いた志願者のうち4人はいつの間にか姿を消していた。


 彼らは丸腰に近く、山道でジンたちから離れ逃亡していったとしても生き延びられる保証はない。それでも心が折れてしまったのなら仕方がない。戦力外の人間の後は追わず、探すこともしなかった。やむを得ないことだ。


「皆さん、そろそろ野営の準備をしましょうか」


 日が傾くのを見て、ジンは声を張って宣言した。くたびれた返事がポツポツと返ってくる。皆に疲労が蓄積していた。


 ジンはそんな疲労を自らを練磨するために与えられたものであると考えるようにして、弱音を吐くことを自分に禁じていた。いま、この一行に最後の騎士団の正規団員はジンひとりしかいない。自分を通して最後の騎士団の実態を低く見られるのはメンツが立たない。意地でもしっかり地に足をついて立たなければ……。


「ジン、ひどい顔いろ」


 焚き木の炎を前に半ば意識を失っていたジンは、目の前にひざまずいたムウに頬を左右に引っ張られるまで気配を感じることもできなかった。


「……ムウ?」ジンはビクッと肩を震わせ、「ごめん、眠ってた……何かあった?」


「何にもないよ。ジンはそのまま眠ってて」


 そう言うと、ムウはジンのそばに寄り添うように座って、枯れ枝を一本焚き火に投げ入れた。


「……ごめん、ムウ」


「どうしてジンがあやまるの」


「うん……何ていうか……もっとムウにはいろんなことを話しておかないといけないはずなのに、あんまりちゃんと話ができなくて」


「どんなこと?」


「例えば”最後の騎士団”のこと」


「人間界を人間の手にとりもどそうとしているんでしょ? で、ジンはそのひとり」


「うん、そうだけど……なんて言ったらいいのかな。騎士団のみんなは、全員人間界が平和になればいい、って、そんなふうに考えているのは間違いないんだ。でも、騎士団の中でみんながうまくやっていけているかっていうと、そうでもなかったり。『一枚岩じゃない』って言ってわかるかな?」


「むぅ~……?」


「ごめんね、やっぱり口で説明するのは難しいや」


「じゃあ、ジン」ムウはジンの膝に手をおいて、ぐっと顔を近づけた。「ジンのはなしをきかせて?」


「僕の?」


「うん。ムウのしらないときのジンのこと。ね?」


 ジンは思わぬ問いかけに少し面食らった。300年前の勇者と魔王の子供という、これ以上ないほど特別な存在のムウとは違い、ジンは自分のことを平凡だと思っている。たとえば肉親や隣人を魔族に殺されたという忌まわしい記憶も、この時代の人間であれば珍しくない体験のはずだからだ。


「僕の話なんてそんなに面白くないよ?」


「おもしろくなくてもいいよ」ムウはネコのように伸びをして、「ジンのことを知りたいの」


     *


 ジンが生まれたのは魔族の大侵寇が始まって2年ほどが経ち、はっきりと世界の脅威として認識され始めた頃だった。


 歪んだ闇の領域・魔界から侵食し、とてつもない大軍勢となって襲いかかる魔族。多数の国と地域に分かれて所属する個々の兵力では抑止できないことは目に見えていたはずなのに、人間界の国々、その権力者たちは団結することからは遠くはなれていた。


 結果として取り返しのつかない暴虐の嵐が人間界全土を遅い、おびただしい血が流れることになった。


 幼少期のジンもそれに巻き込まれ、両親を含む家族全員と、当時暮らしていた町の隣人たちを皆殺しにされている。


「僕は運が良かったんだ」ジンは小さく肩をすくめ、「まだ小さかったし、襲われた時は半分眠っていてひどい現場はそれほど見ずに済んだ。それになにより、ひとりだけ死なずに済んだからね」


 そこからしばらくはジンの記憶は曖昧となる。


 飢えと寒さと身体が沈み込むような疲れが何日も続いたことだけはぼんやりと覚えている。具体的にどこで何をしていたのか判然としない。


 気がつくと――これも実に運がいいことに――ジンは円十字教会の僧兵隊に救われていた。


「円十字教会は国同士の関係にとらわれることなしに魔族への徹底抗戦を標榜ひょうぼうしていた……つまり、どこの国に居ても関係ない、何があっても引かずに戦う、って決めていたんだ」


 人間界のありとあらゆる場所が戦場となり、重要な穀倉地帯がいくつも焼き払われ、膨大な難民と深刻な食糧不足、魔族に由来する伝染病よってさらに多くの人が死んだ。大侵寇が始まって10年に満たない期間で、人間界の人口の四分の一が失われたと言われている。


「ひどかった――といえばこれ以上ひどい話もないと思うけど。でも、やっぱり僕は運が良かったんだと思う。孤児院で僕より小さい子どもたちの世話をする仕事について、一応食事にもありつけたし。料理もそこで覚えたんだよ」


 やがて魔族の動向は巨大な勢力に収斂し、”七大魔公”とよばれる七つの巨大勢力が生まれた。彼らは魔族同士で諍いを始め、皮肉なことでそれによって無秩序な人類への残虐行為は減少に転じる。人間は被支配者であり、奴隷労働として使える道具であり、エーテルを算出する資源であり、血肉を持った食料として”有効活用”されるようになった。


「それからしばらくして、”最後の騎士団”が生まれた。滅んだ国の軍隊や傭兵団が円十字教会の生き残りとひとつになって作った人類最後の砦。『これでだめなら人類に未来はない』。だから最後の騎士団なんだ」


 最後の騎士団はまさしく背水の陣で組織を編成し、人類が勝利しうるためのありとあらゆる可能性を模索した。その結果の全てが、ひとつの特別な存在に行き着いた。


「それが……勇者?」ジンのかたわらでうずくまっていたムウが言った。「ムウのこと?」


「どちらかといえば300年前に姿を消したムウのお父さんかな」


「でも、人間って300年も生きられないよね?」


「普通の人間ならね。でも勇者は円十字教会の法王が『降臨させる』存在らしいんだ。詳しいことは、大侵寇直後に法王庁そのものが人間界から吹き飛ばされたから、よく伝わっていないんだけどね」


 最後の騎士団は魔族に対する攻勢と人類社会の再生を掲げ、徹底的に戦った。その流れの中で、ジンは戦闘要員としての才能を見出され、準騎士として騎士団に参加することになった。


「そうして僕は勇者捜索隊に入って、いばらの森でムウ、君と出会ったんだ」


 パチンと焚き木が爆ぜる音がした。


 しばしの沈黙の後、ムウがもじもじとしながら「……ムウが勇者じゃなかったら、みんながっかりするかな?」


「わからない。ムウが勇者と魔王の娘だというのは、僕は本当だと信じているけど。でも最後の騎士団や教会の上層部がどういう判断を下すのか、そこまでは……」


「……なんか、やだな」


「え?」


「なんだかこわい」ジンの膝の上で、ムウのちいさな手が握りこぶしをぎゅっと作った。「『おまえは勇者なんかじゃない』とか、そんなこと言われたらどうしよう」


「それは……気にしすぎだよ」


「ほんとに?」


「たぶん。それにさ」


「むぅ?」


「たとえ何を言われようとも、ムウにバラの心臓をもらった僕の力を見れば、上層部うえは納得すると思うよ。ムウが戦えなくても、僕が頑張ればいい。それでいいんじゃないかな」


「そう、かな……」


 ムウは唇を尖らせた。ジンが少し都合よく考えすぎているような気がしたからだ。いや、都合よくというよりも、自分が盾になって矢面に立ってでもムウを守ろうという、自己犠牲のにおいを感じた。


 しばらく沈黙が横たわった。


 疲労が頭の芯まで登ってきて、眠気に支配される。


 ――残り……あと何人だっけ……とにかく残りの人たちを前線基地まで連れて行かなきゃ……後のことは、その時考えよう……。


 ジンの意識は遠のいて、かくりと眠りに落ちた。


 朝まではまだ遠い。


     *


「アマンさんがいない」


 寝起き早々に報告を受け、ジンは一日の始まりからつまづいた。アマン。すぐに休憩を入れようとする、少々サボりグセの有る男。元盗賊と自らうそぶくあまり信用ならない人物だと思っていたが、結局脱落したということか。


「……仕方ない、出発を30分だけ遅らせましょう」


 ジンはそう言って、岩肌に体重を任せた。もう出ていって帰ってこないかもしれない人間を連れ戻しに行く体力は残っていなかった。


「おそらく今日の日が沈む前にはベイディルド・キャンプにたどり着けるはずです。もう少しです、もうひと踏ん張りお願いします」


 カラ元気を出して呼びかけた人の声に、最後の騎士団入団志望者たちは三々五々に返事をした。しょせんは寄せ集め、士気を期待するのは難しい。


 それでもキャンプで訓練を受ければ戦力に数えられるはずだ、とジンは可能な限り楽天的に考えるよう務めた。暗く考えればいくらでも考えることはできるが、そんなことをしても意味はない。


「さあ、行きましょう……」


 と、出発を告げようとしたちょうどその時。


「待った待った、おおーい待ってくれみんな!」誰かが駆け寄ってきた――アマンの声だ。「大変だ、こいつを!」


 アマンは小脇にロープで縛り上げられた動物か何かを抱えてきた。近づいてくるに連れて、それは野生動物ではなく魔族――小柄な獣人種であることがわかった。


「ジンさんよ、こいつを見てくれ」


 息を切らせ、アマンはその獣人を地面に放り投げた。リスのような面相の、一般的な人間の大人の半分ほどしか背丈のない魔族である。猿ぐつわをはめられてもがいているが、アマンの束縛は見事に必要最低限の箇所だけにロープを巻いているようで、動けそうでいて全く動けない。うまいものだとジンは感心した。


「いったいこれは?」


「わからん。俺たちを見張っているようだから、追いかけてとっ捕まえてやったんだ。いやあ、朝から疲れたぜ」


 アマンは伸び放題の無精髭をざりざりと撫で、つま先で軽く魔族を蹴った。


 ジンはひと呼吸置いて、「尋問しましょう。猿ぐつわ、外してみてください」


     *


 小柄な獣人は、黒狼ウルルクの手下であることについてはすんなり喋ったものの、その目的を聞き出すには指三本をへし折る必要があった。


「オ、オレはただの偵察兵だ! まだなにもしちゃいねえ……人間も殺したことねえんだ! チクショオ、殺さないでくれ!」


 情けなく命乞いをする獣人を、その場にいるジンたちは冷たい目で見下ろした。全員が魔族から何らかの傷を負っている。それは自分自身の身体であったり、家族や恋人であったり、所属していた国であったり様々だが、苦痛を与えられていない者はいなかった。


「なにを偵察してたんで? 答えてくれよぉ、でないとこの場の全員から袋だたきだぜぇ?」


 アマンがナイフをちらつかせ、小さな獣人に返答を迫った。どうやら自称盗賊というのは嘘ではないらしい。


「……ウルルク様の命令だ」


「黒狼ウルルク?」


「そうだ。ウルルク様が命令を下した……人間どもの前線基地を破壊すると……そのために斥候部隊が先行して派遣されたんだ……オレはそのひとりだ」


 ジンは一気に顔を険しくさせた。タイミングは最悪だ。キャンプにたどり着いても戦闘が行われていたら補給どころか休憩もできるかどうかあやしい。


「……もうすぐ本隊が来る、ってえこったな」アマンは手元でナイフを器用に弄び、それからぴたりと獣人の首筋に刃先を当てた。「嬢ちゃん、少し向こう向いてなせぇ」


 アマンは獣人の気道を切り裂いた。血の泡がこぼれ、それで終わった。


「アマンさん、ありがとう」とジン。


「呼び捨てで構わんですよ。それより……」


「ええ。ベイディルド・キャンプまで急ぎましょう。襲撃が事前にわかっていれば対処の仕様がある。きっと」ジンたちはその場にいる全員に視線をやり、「ことが後先になりますけど、あなたがたはもう最後の騎士団の一員だと思ってください。キャンプが陥落したら次はアベローネ要塞まで攻め入られる。それだけは食い止めなきゃ」


 アマンたち入団希望者はここに至ってもはや逃げられない状況だと理解したらしい。


 全員が決意の、あるいは待ち受ける戦闘に対する高揚感に目をギラつかせた。


 魔族の思い通りにはならない。


 その共通認識が、彼らを単なる寄せ集めから絆のある集団へと少しずつ変えていた。

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