3章 集結

第13話 集結 01

 切り立った岩山に穿たれた洞穴の奥に、轟々と篝火が焚かれる巨大地下空間がある。


 その奥の奥から、地鳴りのような衝撃が響いた。


 岩をくり抜いて作った荒々しい玉座から身を乗り出した獣人種の魔族が、怒り任せに大金棒を石床に叩きつけた音だった。


 そこはシャーディ水簾洞と呼ばれる天然洞窟を改造した地底城であった。主は、玉座の上で蒸気のように鼻息を吐き出す黒い小山のような獣人。


 名を”黒狼”ウルルクという。


「……もう一度言ってみろ」


 重低音がウルルクの喉から漏れた。背を屈めた姿勢でも並の獣人の倍もあるほどの巨躯である。ささやき声さえ恐ろしい唸りを伴い、小心のものであれば卒倒しかねない威圧感を放っている。


「バ……バシアヌ鉱山、にて……」ウルルクの前にひざまずく伝令員が声を震わせて言った。「何者かの手引によって奴隷たちが反乱し、全員逃亡、陥落……したとのこと……」


 やっとの思いで報告し、伝令員は石床に頭をこすりつけるようにして許しを請うた。


 ウルルクは喉を鳴らし、玉座に座り直した。


「ザンドの差し金か?」


「いまはまだ材料不足にございますれば」


 ウルルクの問いに答えたのは、信じられないほど美しい女体に薄絹をまとっただけのキツネ顔の獣人であった。ウルルクの愛妾にして託宣者、ラスモアである。


「ですがザンド派の所有地でも同様の反乱があったと報告がございます」


「何か普通ではないことが起こったと?」


「仰せの通り」


「何だ?」


「人間」


「人間だと?」


「はい。手引したのはザンド派でも別の勢力でもなく、人間であるとわが占術には出ておりまする」


「ふぅーむ……」


 ウルルクは恐ろしく頑丈な下あごに手をやり、考え込んだ。


 託宣者ラスモアの占いは単なる吉凶を占う迷信めいたものではない。複雑な妖術儀式の帰結として導き出される高度な情報として重んじられる。そのラスモアが魔族ではなく人間の介入をはっきりと告げているのであれば、ウルルクはその可能性を重んじる。そういう男であった。


「……”最後の騎士団”か」


 ウルルクのつぶやきに、ラスモアは目を伏せた。魔族の制圧下にあっても未だに抵抗を続ける勢力は少なくない。しかしほとんどが散発的なもので、まともに組織として成り立っているのは最後の騎士団が最大のものである。地理的に最も近くにある前線基地――ベイディルド・キャンプから騎士団が何らかの干渉を行ったと見るのは妥当であった。


「フィリカーエはどう出る」


 ウルルクが問うた。フィリカーエとは七大魔公の一角・冥土王ザンドを後ろ盾に持つ邪鬼種の大魔族であり、すでに2年以上ウルルク軍と対峙を続けている。目下ウルルクにとって最も邪魔な勢力である。


「ふむ、バシアヌ鉱山の一件は自分たちも被害者であるという立場をとっておるようだ」


 老いているがよく通るが地底城に響いた。ウルルクの叔父にあたる軍師・マハである。


「ウルルクよ、早く動かねばまた鉱山を横取りされかねん。ここは急いで……」


「無論だ、叔父貴。ここの戦力の半数は即バシアヌ鉱山に向かわせる。フィリカーエの変態どもにアンデッドの巣にされてたまるか。そちらは任せる」


「承知した、ウルルクよ。だがお主はどうするつもりだ」


「俺? 俺か?」ウルルクはぞろりと生えた牙をむき出しにした。「いい加減、ここらが潮時だと思っている」


「では、いよいよベイディルド・キャンプを?」とラスモアが見事な肢体をくねらせた。


「潰す」


 ウルルクははっきりと宣言した。地下の大ホールに詰めていた将軍、武官のたぐいから大きな歓声が波を作った。


「人間、人間、人間め。いまだに足元をチョロチョロする子ネズミが。奴らを潰せば、俺の地位はさらに確固たるものになる。野郎ども、武器を整えよ! カチコミの準備だ!」


 シャーディ水簾洞の中は、戦争の始まりに沸きに沸いた――。


     *


 一方。


 はからずもバシアヌ鉱山からザンド派、ウルルク派双方を追い出した形となった人間たち、すなわちジンとムウは、奴隷労働から解放され最後の騎士団に参加を希望する12人の男たちとともに山道を歩いていた。


 過酷極まる強制労働で男たちは痩せてはいたが、引き締まった筋肉と、それ以上にぎらぎらと復讐心に燃える眼差しを持っていた。魔族にあったらその頭を叩き割りたくて仕方ないという傭兵上がりの男もいれば、元は魔術を学んでいたのに無理やりさらわれて望まない鉱山に放り込まれて人生を踏みにじられた術士の男もいた。


 脛に傷持つ人間も中には含まれる。最後の騎士団への入団希望者といっても、果たしてどれだけがお眼鏡に叶うかどうか。ジンは次第に不安が高まってきた。


「ジンさんよ、ここらでちょいと休憩入れねえかい?」


 男たちのひとり、盗賊上がりを公言する小柄で日に焼けたサルのような男が甲高いかすれ声を上げた。


「……アマンさん、さっきから1時間も経っていませんよ」ジンはなるべく平静を装って言おうとしたが、自分で思うよりもうんざりした顔になった。「森のなかで何が出てくるかわかりません、もう少し急ぎましょう」


 ジンの懸念はもっともで、いま彼らがぞろぞろと進んでいる山道は危険な野生動物が多く、それ以上に危険な妖獣種の魔族が住み着いている地域に当たる。一刻も早く安全なところ――この場合、最後の騎士団の前線基地ベイディルド・キャンプを指す――に向かわなければ何が起こるかわからない。入団志願者の難民の命を奪われることは何としてでも避けたかった。


 ベイディルド・キャンプには備蓄品も寝起きする設備も整っているはずだ。そこに志願者たちを預け、ムウだけを連れてアベローネ要塞に戻る。ともかくそこまではジンの責任においてなんとか道を付けてやらねばならない。ここは忍耐力の訓練だとジンは自分に言い聞かせた。


「ムウは大丈夫? 疲れてない?」


「うん……」ムウは浮かない顔でジンのすぐ横について歩いている。「つかれてはいないけど」


「けど? どうかした?」


「あのね……」


「なに?」


「……男の人、怖い」


 そう言って、ムウはジンの袖を掴んでもう半歩ジンのそばに近づいた。


「男の人って……あの鉱山労働者ひとたちのこと?」


「うん」


「そんなこといっても……僕も一応男なんだけど」


「ジンはジンだからいいの!」


 ムウは少しむくれた。


 ジンはムウの言わんとすることがいまひとつ理解できなかった。男は怖いが自分だけは平気? 自分は男と見なされていないのだろうか?


「あっ」ムウが急にうつむいていた顔を上げ、「ジン、崖の上!」


 ムウの叫びとほぼ同じタイミングで、山肌の上から巨大な獣が縦列で進む一行の真ん中あたりに降ってきた。大きな卵型の胴体に野太い首とくちばし、鳥足の生えたダチョウの化物のような妖獣種の魔族だ。


「クカァアアアーッ!!」


 文字通り怪鳥の鳴き声を山全体に響くような音量で発し、妖鳥は眼下にいた入団志願者の男に思い切り蹴りつけた。落下のスピードと恐ろしい筋力の乗った蹴りは男の脇腹に直撃し、まるで丸太になぎ倒されたように吹っ飛んだ。


「みんな散開して! 離れるんだ!」


 ジンは叫びつつ腰の剣を抜き払い、全高がちょっとした馬ほどもある妖鳥に突きを放った。妖鳥はトトッとステップを踏んでかわすと、お返しとばかりにごついくちばしをハンマーのように振り下ろした。


 ジンは剣でそれを受け止める。


「くッ」


 衝撃がガツンと腰まで響いた。直撃すれば頭をかち割られるほどの威力だ。


 ジンの脳裏に、”バラの心臓”を起動させるか否か考えがよぎった。


 だがそれはすぐに打ち消した。


 ただの野良妖獣相手にいちいちあの能力に頼っていては、心臓なしには何とも戦えなくなってしまう。


 ジンは体勢を立て直し、身を低くかがめて鳥足のスネを切りつけた。だがそれは華麗にかわされた。妖鳥がその場でジャンプし、空中でジンの胸板めがけ猛烈な蹴りを放ってきたのだ。


 かろうじて体を捻って直撃は避けた――だが左の鎖骨の下に荒々しい打撃が叩き込まれ、ジンは身体をよろめかせた。息がつまり、吸気が肺まで入ってこない。


 ――まずい!


 次に蹴りかくちばしをくらえば大ケガは免れない。これでは志願者たちやムウを守るどころか犠牲者を増やしてしまう……。


「ジン!」


 ムウの叫び声だ。山道を飛ぶように駆けつけると、両手を広げていばらを投網のようにして放った。ムウは自らのルーツであるいばらを掌の中に具現化する能力を備えているのだ。


 怪鳥は突如出現したいばらの網に翻弄され、手がつけられないほど大暴れした。もがけばもがくほどに鋭いトゲが全身を引き裂き、血に染まった羽毛が無数に舞い散った。


「いまだ、やっちまえ!」


 入団志願者の誰かが叫び、突如始まった戦闘に足をすくませていた男たちに活を入れた。手に手に木切れや石つぶてを持って、山道に転げ回るけだものめがけて滅多打ちにした。


 およそ10分後。


 ようやく息絶えた妖獣種の周りを取り囲んで男たちは肩で息をし、自分たちの無事を互いに喜んだ。


「ああ、こいつはまずいな」


 最初に妖鳥の蹴りを食らった男は、ひどい内出血を起こしていた。肋骨も骨折か、最低でもヒビが入っているらしいと、入団志願者たちの中で応急処置の心得のある者が言った。


「ち、ちくしょおお痛え、痛えよお……こんなところで死にたくねえ……!」


「……だれか治癒術を使える人は?」


 ジンの問に、男たちは首を振った。


 ジンは自ら受けた打撲の跡を押さえつつ、「置いていくわけにはいかない、みんなで担架を作って運びましょう」


 ベイディルド・キャンプまで、徒歩であと何日か。


 ――あと5日……いや一週間は見ておくべきか……?


 ジンは焦りを感じながら、なんとかこの集団のリーダーとして動けるように自分を鼓舞した。


 先はまだ長い。

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