第12話 旅路 06

 心肺機能が血液に酸素を与え体の隅々まで送り出すように、”バラの心臓”は血液に霊気エーテルを込め、細胞のひとつひとつに行き渡らせる。


 かつての魔王”いばらの女王”が創造し城を築いた”いばらの森”に、ただ一輪だけ咲く生命の結晶より生み出される心臓は驚異的な力を秘め、ひとたび起動すれば死者すらよみがえらせる。


 まさしくそうして蘇ったジンは、ひと呼吸、ひと鼓動ごとに膨大なエーテルを取り込み、身体能力、感覚器官、筋力、骨力、反応速度を爆発的に強化させることが可能になる。


 ゆえに――。


「くたばれ死にぞこないがァ!」


 怒声と共に振り下ろされたこん棒を空中でもぎ取り、振り下ろした当の獣人がそれに気づくより速く顔面に投げ返し、粉砕する―― といったことも可能なのだ。


「ベギャアアァァッ!」


 獣人のハイエナじみた鼻梁が完全に潰れて顔の中にめり込み、頭蓋骨を激しく歪ませて血と脳漿が撒き散らされた。


「……はッ!?」


 3体の獣人のうち残り2体はあっけにとられ、動きを止めていた。


 その間に、ジンはわずか一秒前に立っていた場所から姿を消していた。


「野郎どこへ消えやがっ」


 言葉の途中で獣人の口中に剣の切っ先が突き立った。長い舌が切り裂かれ、気道を貫いて頸椎にまで達する。噴水のように血を飛ばし、2体目も倒れた。


 ジンの加速された剣技に獣人は対応できない。


 もはや嘲りの笑みは消えた。最後の残り一匹は、突然の攻撃にようやく気が付き――何らかの魔術的手段が加味されたものであろうと判断した――身を低く構えて神経を張りつめた。さらに首輪で制御していた妖獣たちを素早く解き放ち、防備を固める。


 ――こっからどう攻めてきやがる、人間め!?


 直立したハイエナに筋力増強薬を投与し続けたような獣人の男は、風のにおいを嗅いだ。


 と、強烈な波が頭上うえから来た。


「ぬおおッ!?」


 こん棒を頭の上に構えると、そこに強烈なジンの兜割りがかち合った。衝撃。こん棒の木肌が大きく削れ、木くずが宙を舞った。


「ぬァめるなあ!!」


 獣人は吠え、全身の力でジンのいる方向にこん棒を突き出した。まともに喰らえば内臓破裂必至の一撃である。非力な人間では完全に受け止めることは出来ないはずだ。


 しかしジンは非力な人間ではなく――ここに至っては純粋な人間であるともいい難い――強烈な打撃を半身になって背中でかわし、そこから回転を加えて獣人の小手に斬撃を加えた。


 肘ごと吹き飛ばずに済んだのは並々ならぬ筋肉とびっしり生えた剛毛が装甲の役割を果たしたからだろう。血が飛び散ったものの切断はされず、こん棒を取り落としただけで切り抜けた。


 こん棒がダメでも拳がある。


 獣人はもはや頭で考えず動物的カンのみで無事な方の腕を突き出し、生意気な人間の身体を掴んだ。


 ジンは当然振り払おうとしたがここは獣人の動きがわずかに早い。怪力を振るい、ジンは狂える四足の魔族、妖獣種がよだれを垂らして待ち構えるゾーンに放り投げた。


 妖獣たちはすぐにその意図を理解し、ジンに噛み付いて服ごと肉をえぐろうと噛み付いてきた。


「ぐあッ!?」


 思わずジンは悲鳴を上げた。右のふくらはぎと足首に同時にキバを立てられ、もう一匹の妖獣に正面から喉元を狙われ、転倒を余儀なくされる。


「ジン!!」


「くるなムウ!」ジンは猛攻に悶ながらもムウを制した。「ムウはそこでラニさんたちを護るんだ!」


「抜かせ人間ごときが! 死ネッ!!」


 妖獣に群がられるジンに対し、獣人は拾い上げたこん棒をぶん投げた。


「うおおッ!」


 飛来するこん棒を死の危険として認識した瞬間、ジンの心臓はさらなる高まりを見せた。鼓動とともに生じたエーテル光で全身が包まれ、身体が神経伝達と筋力の限界点を超えた反応を実現した。


 一瞬のち。


 ジンに噛み付いていたはずの妖獣は首根っこを掴まれてこん棒の盾となって死亡。


 ふくらはぎを汚らわしい犬歯で引き裂いていたもう一匹は剣で首を刎ねられ、足首を押さえていた最後の一匹は膝蹴りを鼻っ柱に食らって悶絶し、無理やり引き離された。


 ジンの呼吸が、心拍数が急激に早まる。


 バラの心臓に身体が追随できなくなってきたサインである。


 それを見た獣人は機を見るに敏だった。ジンに向かって身体を低くしたタックルを敢行。傷ついた方の足に食らいつき、思い切り押したおした――はずが、逆にタックルを切られて肩甲骨の間に肘打ちを叩き込まれた。


 深手を負わされてなぜ動ける、と獣人は激痛の中でそう思った。


 たしかに普通なら動けないほどジンの片足は引き裂かれていた。


 しかしバラの心臓が起動中のジンの肉体は巨大な魔石エーテルジェムのごとくエーテルを溜め込んでいる。破壊された身体箇所にはすぐさまエーテルが集中し、強力な治癒術をかけたのと同じかそれ以上の効力を発揮するのだ。


 最初に受けた顔面の破損はすでに修復が終わり、鼻血がこぼれている程度まで回復している。足の怪我も同様だ。


「おおおッ!」


 ジンは猛然と蹴りを繰り出し、獣人のあごの先端にかち込んだ。ついで、顔面に二撃、三撃、そしてとどめの胴回し回転蹴り。獣人の脳は激しく揺さぶられ、そのまま立つこともできず鉱山の殺伐とした地面に崩れた。

 

 そこでジンの強烈なパワーも途絶えた――完全に身体がオーバーヒートを起こし、ふつりと糸が切れたように卒倒し、土埃にまみれて大の字になった。


 バラの心臓は活性化を停止し、ジンの体内で内蔵各所の良き隣人として収まっていった。


     *


 バシアヌ鉱山の東側では、西側で用いられていたゾンビ・ワーカーではなく、生身の人間が鉱夫として働いていた。


 しかしその実態は強制労働所同然の苛烈な奴隷労働が課せられ、多くの命が無駄遣いされていた。


 鉱夫たちは皆はげしい労働と劣悪な環境下でやせ細り、どちらがゾンビなのかわからないほどだっった。


 ラニの夫、ギネイは生きた姿では見つからなかった。


「……ギネイさんは肺をやられて、もう長くない状態で……結局何日か前に倒れて、そのままなくなりました」


 ジンたちはギネイのことを知っていた奴隷鉱夫のひとりから顛末を聞くことが出来た。彼によれば、ギネイはすさまじく悪い坑道の環境の中でも周囲を励まし、希望はかならずあると説いて回る人物だったという。それはしばしば疎んじられる行動でもあったらしい。しかし励ますという行為の、その人間性こそが周りに希望と勇気を与えていたのは間違いなく、その鉱夫もギネイの死をいたんだ。


「これ……ギネイさんの遺品です。奥さんに手渡しできてよかった」


 ペンダントには、ギネイとラニの名が打刻され、その下に金釘か何かでリーキの名が刻まれていた。


 遺体は妖獣に食われたらしく、遺骨は残っていなかった。


 それでも、ラニは寂しそうに笑った。


「ようやく諦めがつきました……たぶん、これでよかったんだと思います」


 そう思うしかなかった。


 他になにかできることがあったのだろうか。


 きっとあったのだろう。


 だが、それは可能性の問題にすぎない。


 ともかく、決着はついた。


     *


 鉱山奴隷は解放されたものの、異変に気づいたウルルク派やザンド派の魔族が再び制圧に来るのは時間の問題と思われた。


 その前に全員がそれぞれ行くべき場所へ脱出することになった。近隣の都市や集落から集められたものは元いたところへ。食い詰め者、難民も多くはそれに同行し、なんとか食いつなぐ道を模索するということになった。


 さらにどこにも行く場所のない者は、山賊や盗賊に身を落とす覚悟でどこか野山に消えていったりした。それ以外には、身ひとつで傭兵になることを望んだり、さらに一部は最後の騎士団への参加を表明するものもいた。その数12人。


 ジンは戸惑った。


 12人とはかなりの数である。騎士団の戦闘要員に加われば戦力はそれなりに厚くなる。慢性人手不足の最後の騎士団からすれば喉から手が出るほどほしいカードだ。だがそれは本当に使い物になればの話だ。胆力、膂力に加え人類を救う不退転の覚悟を要求される最後の騎士団は、半端な力自慢程度には務まらない。


 そんな窮屈な誓いを立てさせるから人手不足になるんだ――とジンは思わなくもなかったが、高い士気を保つにはやむを得ないのだろう。


 結局、ジンが12人の入団志願者を最後の騎士団本拠地・アベローネ要塞へと引率することになった。


 ムウを連れて戻るだけでも何が起こるかわからない旅路になるというのに――勇者は魔族の天敵なのだ――さらに大人数を指揮するというのは準騎士のジンには荷が重すぎるかもしれない。


 ――でも、リデル隊長ならきっと全部をうまくまとめたに違いない。


 そう思えば、やる意味も理由もある。


     *


 ラニとリーキ親子は何度もジンとムウに礼をして、元のエドゥアトの町に戻っていった。


 魔族に支配された町で生きていくのは、魔族と闘うのと同じくらい厳しいのかもしれない。それでも、住み慣れた場所で隣人たちと力を合わせて生きていく道を選んだ。ジンに何かできることがあるとすれば、リーキに対してお母さんを守ってやるんだぞ――と頭をなでてやることくらいだった。


     *


 今の人間界において、どこに進み、どこにとどまり、どこで生きるとしても必ずぶつかるのは魔族の存在だ。


 魔族の支配は日に日に領域を拡大し、苛烈さを極めていく。そう遠くない未来、魔族間の権力争いが勃発し、人類がそれに駆り出される時代が来るだろう。


 魔族の天下取りに、前線で駒としてぶつかりあう人間同士。


 考えただけで怒りがこみ上げる光景である。


 それを避けるためには、勇者を戦力に加え、最後の騎士団による反転攻勢を成功させることしかないだろう。道は狭く険しい。


 だがどうあってもやらなければいけない。


 人間界を再び人類の手に取り戻すには。


 本当の戦いは、まだ始まってもいない。 

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