第11話 旅路 05
バシアヌ鉱山は大侵寇以前から良質の
一時は魔族の軍勢が共有していたとされているが、現在では魔族同士が領有権をかけて小競り合いを続ける危険地域となっている。
「それで魔族同士が潰し合いし続けるだけなら良かったんだけど……」ジンは薄っすらと砂煙に霞む鉱山を遠くに望みながら肩をすくめ、「実際の資源採掘は一番弱い立場に押し付けられたんだ。つまり掘っているのは人間なんだ」
行方不明となった鉱夫・ギネイを夫に持つラニとその息子リーキを連れてジンとムウがバシアヌ鉱山に訪れたのは、ギネイの生死をはっきりさせるためであると同時に、魔族を相手取って自分たちに何ができるのかを確かめるためであった。
それは『勇者を一刻も早く最後の騎士団本拠地に連れて帰る』という至上命令を一部無視する形になる。ジンはそうと知りつつも、今まさに目の前で魔族に虐げられる人間を見て見ぬふりすることに我慢ができなかった。10日ほどの行程が数日超過したところで何が変わるわけでもないのだから、人々を手助けできる機会があるならそれを見逃さないで進む。苦しむ人々を救うことがムウが勇者であることの箔付けにもなるはずだ――とジンは少々拡大解釈をした。
ムウは勇者としての肩書などどうでもよく、困っている誰かを助けたいと願っている。純粋無垢にそう思い、行動する。そこに余計なものは含まれない。
ラニは偶然居合わせただけで、最後の騎士団が自分の手助けをしてくれるなどとは思っていなかった。が、ジンの提案を飲んだのはやはり決着をつけなければ前に進めないという思いがあったからだろう。
「夫の最後の手紙には、新しく見つかった西三番坑道という場所で採掘を行っているとありました。ひとまずそこが一番可能性が高いのだと思います」ラニはやや強い風に目を細めながら、「魔族がうようよしているはずだから、闘うよりも鉱山労働者のフリをして中に入ったほうが安全だと思います」
「わかりました。ムウもわかった?」とジン。
ムウはそれに答えず、自分の手のひらをじっと見つめていた。
「ムウ?」
怪訝そうに顔を覗き込むジンに、ムウは答える代わりに両手のひらをぱっと広げてみせた。
そこにはエーテル光がゲシュタルト化したいばらが巻き付いていた。鋭いトゲを生やした茎、驚くほど鮮やかで、まるで本物のバラに具現化されているような赤い花。よほど強力、かつ正確なエーテル制御ができなければこのような現象は起こらない。
「つよいよ? ムウは」
そう言って、勇者と魔王の娘はニンマリと笑った。
ムウはジンの言うことを全て理解した上で、自分のやりたいことをはっきり意思表示した。
闘うつもりなのだ。
*
鉱山に近づくに連れつるはしが岩を掘り、ハンマーが石を砕く音が四方から聞こえてきた。
「ジン、あれ……」
フードをかぶったムウが、岩場の陰で誰かが倒れているのを指差した。
ジンはムウたちに少し待つように言い、小走りに駆け寄った。
死体だ。
人間のもので、まだ新しい。しかし腹の部分に大きな穴が空き、内臓がごっそりなくなって肋骨と脊椎が白さを晒している。野犬か、人肉食嗜好のある魔族に貪り食われたのだろう。鉱山周辺にはこうした野ざらしの死体が平然と転がっているようだった。
ジンは形ばかりの祈りを捧げて円十字の印を切ってから、死体の所持品を調べた。事故がつきものの鉱山、おまけに魔族間での紛争の舞台になっている場所である。いつ何が起こるかわからない。身元を割り出せるものを身につけているはずだ。
「……夫ではないようです」
錆びたペンダントを見て、ラニが言った。安堵と、何ともいい難い疲れの混じった表情。
「誰か生きている人間に話を聞いたほうが早いのではないでしょうか……」
ラニのいうことはもっともだった。しかし邪鬼種や獣人種の魔族の姿はあっても、人間はどこにも見当たらない。奇妙なほど魔族ばかりだった。
「おいそこの人間、さっきから何をしている」現場監視官らしき魔族がとうとうジンたちに目をつけた。「グズめ、生きた人間は東側に行けと言われなかったか?」
「……生きた人間?」
「ああ? 聞こえなかったか人間ども! 西側は我らが”冥土王”ザンド派の領域だ、ウルルクの奴婢どもが入り込んでいい場所ではない!」魔族は並んだ剃刀の刃のような鋭い歯をむき出しにして、「それとも何か? 死んで奴らの仲間入りがしたいのか?」
「ま……待ってください、わたしは行方不明になった夫を探していて……」
ラニは何とか話を聞き出そうとした。
「だァまれ、さっさと立ち去れ。そうでないなら……ぐげェウッ!?」
突然、魔族の首があらぬ方向にねじられ、地べたに転倒した。
首には
「ぐあ……なんだこれは! にっ人間風情がッ……!?」
魔族の喉元にブツブツとトゲが刺さり、幾筋も血がにじみ始める。
「うるさい」ムウは冷たくあしらって、他の魔族の目の届かない物陰へと引きずっていき、さらに思い切り首を締め付けた。「ジン、何を聞けばいいの?」
愛らしい顔を怖くさせるムウに少し驚きながら、ジンは魔族の横に膝をつき、「『生きた人間は東側に』……って言ったな? どういう意味か教えてくれるか」
*
”黒狼”ウルルクはここ三年ほどで急拡大した勢力の頭目で、いずれは”七大魔公”と呼ばれる人間界の強大な支配者たちに迫るのではないかともいわれている大魔族である。
ウルルク一党に属する軍勢はバシアヌ鉱山に攻め入り、これまで冥土王ザンドの領域だった鉱山の半分を
「”死んだ労働者”は便利だからなァ、なにせいくら働かせても疲れもしないしメシも要らない!」
首に鋭いいばらを巻きつけた魔族の男はそう言って自らが属するザンド派の素晴らしさを喋った。
「ねえジン、しんだろうどう者ってどういう意味? しんだらはたらけないでしょ?」
ムウが当然の疑問を口にした。
ジンは数秒の間口を閉ざし、「ザンドは……冥土王ザンドは命を弄ぶ。死んだ人間を……蘇らせて働かせるなんてことはお手の物だ」
「ハハッ、よくわかっているじゃないか。死霊術で蘇らせたアンデッドだ。ゾンビだよ、”ゾンビワーカー”。もう山の西側には生きた人間はいない……すべてゾンビワーカーに置き換わっているからな! おかげで我々は何もせず貴様ら人間どもから富を巻き上げられる、ザンドさま万歳だ!」
魔族の男は喉元を傷だらけにしながら、なおもザンドへの称賛の声を上げた。狂信的であるとも言えた。
「……見たくないかもしれませんが、坑道に入りましょう」
ジンは血の気の失せた顔のラニに言った。あなたの夫はもうゾンビワーカーになっているかもしれない――それを確かめるために坑道に入れというのは、それを口にするジンにとっても胸の痛みを伴った。
人間界にとって人間とは何なのかを考えずにはいられない。
*
坑道の中は、カビくささと干からびた腐敗臭で充満していた。
「消え失せろ人間どもがァ!」
坑道を侵入者から守っていた邪鬼種の魔兵が、雷撃の妖術を放ってきた。しかしムウが機転を利かせて首を縛っていた魔族を盾代わりに突き出し、事なきを得た。代わりに魔族は脳髄を焦がされて死んだ。
「……もしここにいなければ、東側にも行きましょう」
合わせて3体の魔族を斬り、肩で息をしながらジンはラニに言った。ラニはゾンビワーカーのひとりひとりの顔と見て回り、そのおぞましさにますます血の気の失せた顔になりながらも、気丈にうなずいた。
「ムウ、大丈夫?」
坑道の隅っこで朝食を戻していたムウに声をかけると、リーキ少年の手を借りながらふらふらと立ち上がり、ジンの胸の中に倒れ掛かった。
「きもちわるい……」
「うん、しょうがないよ。ほら、口ゆすいで」とジンは水筒を手渡した。
「……ジンはへいきなの? ゾンビ」
「平気ってわけじゃないけど。でももう慣れちゃったからね」
「ゾンビに?」
「……人が死ぬことに」
ムウはきょとんとした。彼女は大侵寇で実際に何が起こったか理解しきれていない。いや、体験しなければわかり得ないことかもしれない。
ジンだけではない。
魔族によって人が死ぬ場面を当たり前のものとして見なければならなかった世代には、ゾンビ程度を忌避している余裕はないのだ。
*
「ひゃあっはっはぁ~ッ! 『労働者を解放しろ』? 馬鹿かこの虫けらどもが!」
バシアヌ鉱山の東側を制圧しているウルルク派の魔族たちはザンド派の狂信者的態度とは異なり、強烈な暴力性と反抗心、そして身内重視主義の塊が奇抜な服を着ているような連中だった。獣人種はたてがみを炎のように逆立たせ、鉄鋲を打ち込まれた首輪を嵌められたペットの妖獣種が辺り構わず吠え立てて、ジンたちをあざ笑った。
「おいコゾウ……膝が震えてるぜ」
ジンはひときわ身体の大きな獣人種の魔族に耳元で囁かれ、背筋にぞっと寒気が走った。恐怖。感情の中で最も原始的なものは恐怖だというが、その中でも特に原始的なもの、『けだものに食われる』という恐ろしさにジンは襲われた。
ジンを取り囲んでいるのは直立したハイエナのような獣人種が3体。これ見よがしに血にまみれたこん棒をぶらつかせ、全員すさまじい悪臭を放っている。
ムウたちは離れた場所で隠れている――ラニ、リーキ親子を戦いに巻き込むわけにはいかない。
「どうした? 尻尾巻いて逃げねえのか?」獣人のひとりがさらにせせら笑う。「だったらお前もあの坑道で働いてみるか、血反吐ぶちまけながらなあ!!」
ジンは無意識に一歩下がってしまいそうになって、必死に足を踏ん張った。
いまジンはある種の賭けに挑戦している。
それは全く文字通りの意味で、命を賭けることになる。
恐怖に縮み上がる四肢に対し、永久器官”バラの心臓”がどこまで作用するか。それをぶっつけ本番の実地で試せばどうなるか。
そういう賭けである。
「や……」
「あ?」
「なんだコゾウ?」
「言いたいことがあるなら言ってみな、オレたちの小ベンでも飲みたくなったか? ええ?」
「や……れるもんなら、やってみろ……この……」
ドクン、と全身に響くような心音。そして。
「この畜生どもが!!」
次の瞬間獣人のこん棒がジンの横っ面を襲い、ジンは顔の右半分を砕かれながらすっ飛んで、砂利の山に頭から突っ込んだ。
「ジン!?」
ムウが岩場から立ち上がり叫んだ。癖の強い銀髪がフードからこぼれ落ちる。
獣人のこん棒には血がべったりと張り付き、砂利に身体半分埋もれたジンはピクリとも動かない。
「じーーーん!!」
取り乱し、ジンのもとに駆け寄ろうとするムウだったがしかしその足は止まった。
どう、と突風が起こった。
それはジンを中心にした同心円状に広がり、バシアヌ鉱山を、その坑道を、その頂上を、さらにその向こうへと突き抜けていった。
「……ムウ、僕は大丈夫」
いつのまにかジンは砂利の上に立ち上がり、傷ついた顔の右半分から赤い蒸気を立ち上らせていた。
”バラの心臓”が起動する。
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