第10話 旅路 04

「ここがエドゥアト。いま僕たちがいる場所だ」


 ジンたちは再び宿に戻り、ぼろぼろになった地図をテーブルの上に広げふたりで顔を突き合わせて覗き込んでいる。


「ムウが暮らしていたいばらの森がこのあたり。で、こっちの街道をぐるっと回ったところにあるのがベイディルド・キャンプ。最後の騎士団の前線基地だ。そこからさらに山の中に入っていくと……」


「アベローネ要塞?」とムウは細い指で地図をなぞった。


「そう。一応、今の僕たちのゴールってことになる」 


 そこから先が大変なんだ、とは口に出さなかった。人類を救う最後の希望である勇者に、このあと安息の日が訪れるかどうか、ジンには全く先が見えなかった。


「こっちから近道はできないの?」


 ムウは地図上にある旧街道をつついた。そのルートなら移動距離を5日分は短縮できるだろう。


 しかしその道周辺の土地は魔族同士の紛争地帯になっていて、とてもではないが安全に通ることが出来ない。


「しかも争っているのはただの地方豪族じゃないんだ」ジンは地図上に簡単な勢力図を書き込んだ。「東側にはウルルクっていう大魔族が陣取って、西側に絶えず攻撃を仕掛けてる。今すごい勢いづいている連中だ。で、西側の領主には”七大魔公”の一角、”冥土王ザンド”が後ろ盾についている」


「ななだいまこう……一番つよい七人の魔族?」


「そう。そのひとり、冥土王ザンド。そいつのおかげで昔は穀倉地帯だったはずの土地がいまでは屍鬼種だらけ。食糧不足は進む一方ってわけだ」


「人間はどこに行ったの? その……ふんそう? のせいで」


 ムウの素朴な疑問に、ジンは長い溜息をつき、「ほとんどが追い出されて難民になるか、奴隷として働かされている。魂を喰われて屍鬼になった数も半端じゃない。最後の騎士団でもすぐにはどうしようもない状況なんだ」


「じゃあ、その魔族を追いはらわないといけないんだね」


「いつかは、ね。根こそぎ追い払って、全部を人間の手に取り戻して。それを何度も繰り返して人間の生きていける土地を増やさない限り、地上はずっと魔族のものだ。でも、いつになるのか……」


 ジンは自嘲気味に唇を歪めた。最後の騎士団がもっと厚い戦力を持っていれば、魔族によって苦しむ人々をもっと救えるはずだ。だがそれが一朝一夕にいかないことは身に沁みていた。正騎士の叙勲を受けていないジンが人類の救世主たる勇者をひとりでエスコートせざるを得ない状況がそれを証明している。


「さ、そろそろ出発の準備しよう。先はまだ長い……」


 と、ジンが切り出したのとほぼ同時に、誰かがドアをノックした。


「……どちら様で?」


「ホテルのものです」ドア越しの何者かが返事をした。「昼食の準備が整いました」


 ムウはそれを聞いて『おひるごはん!?』と目を輝かせたが、ジンは唇に指を当てて”静かに”と示した。


「お昼は頼んでませんよ?」


 ジンはそう答えつつ、音を立てずに窓際まで近寄り、そっと外を見た。邪鬼種の魔族がひとり、ふたり。ローブに身を包んでいるが、その下に武装しているのがわかった。


「……当店のサービスです。どうぞ下の食堂までお越しください」


「ジン?」とムウが小声でジンの出方をうかがった。


「……ええ、じゃあせっかくなので頂きます」


 そう言ってから、ジンはムウの身体を荷物ごと肩に担ぎ、窓をぶち割ってホテルの外に出た。


     *


「くそ、しつこい!」


 ジンは背後から妖術を仕掛けてくる魔族に業を煮やし、逃走の足を止めて反撃した。


 邪鬼種の魔族が合わせて4人。マーケットでムウに恥をかかされた青い禿頭の男が仲間――手下か金で雇ったのかもしれない――を引き連れて、律儀に報復に来たらしい。すでに10分近く、エドゥアトの町の裏路地で追跡劇が展開されていた。


「この!」


 剣を抜き払い、ジンは襲い掛かってきた魔族のひとりに叩き込んだ。金属音、火花、衝撃。邪鬼種が好んで使う短めの曲刀がジンの一撃を受け流す。


 逆にローブをひるがえして撃ち込まれる斬撃をバックステップでかわし、ジンは再び逃走に転じた。


「もー、ちょっところばしたくらいでこんなにおいかけてくるなんて!」ムウが走りながら憤慨した。「魔族ってこんなのばっかなの?」


「いろいろだよ、でも下っ端は人間のちんぴらと大して変わらない……っとォ!?」


 喋っている途中で、ジンの足元で白い煙が弾けた。妖術で作り出した強酸性ジェルを投げてきたのだ。飛沫がかかったブーツに水疱のような焼痕がつく。


 ジンは歯噛みして素早く考えをまとめようとした。


 このまま逃げて町の外まで走るか。


 それとも返り討ちにしてから立ち去るか。


 あるいは……。


「しまった!」


 勢いで曲がった路地裏は袋小路になっていた。このままでは追い込まれてしまう。やはり斬り伏せるしかないのか?


「……そこの人」急に路地裏に面した勝手口が開き、中から中年女性が顔を出した。「どうぞこちらへ、早く!」


 ジンとムウは顔を見合わせ、女の手招きするままに民家へと入った。


     *


「あなたは……」


「はい、先日はそちらのお嬢さんに助けていただきました」


 ジンたちを家に匿ったのは、マーケットで魔族に締め上げられていた魔石ジェム売りの女だった。


「たまたまここからお姿を拝見して……出過ぎた真似でしたでしょうか」


「い、いえそんなことは……助かりました」


 ジンは呼吸を整えて一礼をし、ムウにも同じように感謝を伝えるよう言った。


「あ、あのときの子だ!」


 母親の前に身を挺して守ろうとした男の子が、柱の陰から恥ずかしそうにジンたちを見ていた。


 どうやら、なんらかの縁が結びついているらしい。


     * 


 魔族の男たちはしばらく往来を凶器を持ったままウロウロしていたが、結局ジンたちの姿を見つけられずどこかへ消えた。


「本当に助かりました、余計な血が流れることになったかも」ジンは改めて頭を下げ、「それに夕食まで頂いて……ムウ、ちゃんとお礼をしなきゃダメだよ」


「おいひい!」


 ムウは女の手料理をがふがふ・・・・と夢中で食べている。豪華な料理とはいい難いが、素朴でごく普通の夕食だった。


 女はラニと名乗り、息子のリーキとともにエドゥアトの町に暮らす親子だった。


「本当は夫のギネイも一緒だったのですが……もう半年も連絡がないのです」


 ギネイは魔石鉱山の鉱夫で、町に持ち帰ってそれをマーケットで売ることで一家の生計を立てていたという。しかしある日を境に連絡がパタリと途絶え、一家は店頭に並べる商品にも事欠くようになった。生活はみるみる困窮し、その結果魔族の徴税官に目をつけられてしまった。


「わたしはもうこの町で暮らしていけないと思っています。魔石が入荷しないなら商売のしようもないし、夫は……何か良くないことに巻き込まれてもう……戻っては来ないと、そう思っています」


 ラニは眉間のしわを深くして、消え入りそうなため息を漏らした。息子のリーキは母の言葉に何かを言おうとしたが、ジンの顔をちらりと見て押し黙った。おとうさんは死んでなんかいない――そんな言葉を飲み込んだのではないかとジンは思った。


「ギネイさんはどちらの鉱山で働いていたんですか?」とジン。


「バシアヌ鉱山ですが……」


「実際に行って確かめたことは? その……ギネイさんの安否を」


「いえ……鉱山は魔族同士の所有権争いでとても近づける状態ではないと聞いています。実際に足を運ぶのが一番だとは思っているのですが……」


「それなら、こういうのはどうでしょう?」


「え?」


「僕たちと一緒にこの町を出て、鉱山に行ってみませんか?」


     *


 翌早朝。


「むっひゃぁぁぁ~~ん……」


 握りこぶしが入りそうなほど大口を開け、ムウがあくびをした。


「ムウ、お行儀悪いよ」


 ジンがたしなめるも、ムウはひたすら眠そうにして立ったままふらふらと揺れている。


「あの、ジンさん」とラニ。


「なんでしょう?」


「本当に良かったんでしょうか、わたしたちを一緒に連れて行くなんて」


 不幸がしっかり身に染み付いたようなラニの物腰にジンは苦笑して、「どうせ通り道のようなものだから大丈夫ですよ」


 ジンたちがこれから向かおうとしているのはラニの夫が消息を絶ったと思われるバシアヌ鉱山である。最後の騎士団本拠地・アベローネ要塞までは、通り道とは言いすぎだが少なくとも同じ方向ではある。


 ジンはそこに寄り道し、ラニ親子にギネイが生きているのか死んでいるのかだけでも確かめて欲しいと提案したのだ。


 魔族が世界を牛耳る時代である。住む場所を失い難民となる人々は数知れない。エドゥアトの町を出て親子が心機一転生活を立て直すとしても、やはり何かの踏ん切りは必要なのだ。


 肉親の死の事実を突きつけられるのはとても厳しいことだ。ジンにもその経験はある。いまの人間界においてはありふれた話とも言っていいかもしれない。それでもジンには、あやふやな情報しか持たないままどちらにも進めなくなるのは結果として苦しみを長続きさせるだけだという想いがあった。


「でも、危険でしょう? 魔族が小競り合いをしているような場所だなんて。いくらおふたりが”最後の騎士団”の方とはいえ……」


 ラニの心配はもっともだった。魔石鉱山は魔族にとっても重要な資源であり、長期的な視野を持つ魔族の当主なら領土経営のために厳重に抑えようとする場所である。刹那的に生きる山賊まがいの魔族が略奪に来るのとはわけが違う。警備に当たるのも、それなりの訓練を受けた兵士というのも珍しくない。


「おふたりの身柄は絶対に守ってみせますから、安心してください。そうだよね、ムウ?」


「うむぅ」


 ムウは半分以上眠りながらこくりと頭を下げた。


「じゃあ、行きましょう。きっと、そうするだけの価値はあります」


 少し前向きすぎかな、とジンは思った。おそらくラニの夫はもう死んでいるだろう。ラニ自身、すでにそう覚悟していることは何となく分かる。それをわかっていながら、ジンは努めて明るく振る舞うことにした。


 悲しみを癒やすには時間が必要だ。


 だが曖昧な不幸を終わらせるには決断が必要になる。


 ジンはかつて聞かされた言葉を思い出した。


 このときジンもまた、ひとつの決断を下していた。


 この機会を最大限に活かし、見極めたいことがあった。


 ”勇者”ムウ、そして永久器官”バラの心臓”を与えられた自分自身が、魔族を相手にいったい何をなし得るのかを。

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