第9話 旅路 03

 ムウの大きな目からは清冽な生気がきらめくように放射され、手首辺りからエーテル光が鋭いトゲを生やしたいばら状にゲシュタルト化している。そのいばらを鞭のようにして魔族の足首に引っ掛け、振り回して投げたらしい。


 青い禿頭にインパラのような角を生やした邪鬼種の魔族は、のっそりと起き上がって服の埃をはたいた。怒りのあまり顔がどす黒く染まっている。


「……そこの小娘、お前か?」


 問われたムウは、答える代わりに鼻の穴をひろげて得意げにふむーっと鼻息を吹いた。


「遊びのつもりかもしれんが、ただで済むと思っているんじゃあるまいな?」


「そんなのしらない!」


「なにィ?」


「アンタたちが何者かなんてしらない。でも……」ムウはもう一度ふんっと鼻息をならしてから腰に手を当てて魔族を睨みつけた。「こんなのゆるさない!」


 周りの聴衆がわっと歓声を上げた。誰も逆らえないことをいいことに人間を虐げる魔族が人間に好かれているはずがない。ムウの可愛らしい啖呵は彼ら群衆の代弁でもあった。

 

「ほう……」邪鬼のつるりとした青い顔が、人間とは異なる角度に表情筋の歪みを作った。「だったらどうする? 人間風情が」


「……」


「ん?」


 いかにも小賢しいふるまいを見せたあと、ムウは腰に手を当てたまま反応を見せない。


「どうした、言いたいことがあるなら言ってみろ。人間が魔族様に逆らって何をする気だ? あぁ?」


「あの……」


「は?」


「……どうすればいいのかわかんない」


 ムウは急に所在なげになった。今になって周囲からの視線を意識したのか、恥ずかしそうにその場でウロウロ足踏みをしている。場は奇妙にざわつき始めた。


 その様子を見ていたジンはさっと血の気が引いた。


 ――あの子、なんにも考えずに出ていったな!?


 思わず頭を抱えたくなった。やはりここで騒動を起こさせるわけにはいかない。なんとかしなければ。最優先なのはムウの身柄の安全だ。無事最後の騎士団の本拠地アベローネ要塞に届けなければ、任務を託して死んでいったリデル隊長らに顔向けできない。


 ジンは騒然とし始めた群衆に紛れて背を屈め、こっそりムウの近くに寄って腕を掴んだ。


「あっジン!」


「静かに。逃げるよ、ここから」


「でも……」


「話は後で聞く!」


 ジンはムウの手を引き、野次馬と買い物客とでごった返すマーケットを抜け出した。


「はなしてジン、あいつまだやっつけてない!」


「今はダメ!」


 ムウの抗議を遮り、ジンは人目の少ない裏路地へと消えた。


     *


 ほとぼりが覚めるのを待ち、ジンは宿屋を一部屋借りてそこに一旦引きこもった。


 町を出てしまっても良かったのだが、この町のマーケットを通り過ぎてしまうとまともに買い物をできる場所は少ない。最後の騎士団本拠地・アベローネ要塞まで補給無しで行くのは無謀すぎる距離のため、結局エドゥアトに一晩泊まることにした。


 ――まいったな、明日はちゃんと買い物ができればいいけど。


 ジンは念のため誰かが見ていないか窓の外をうかがってから、全部の雨戸を閉めた。


 備え付けのソファに腰掛けると――あちこちがほころびたひどいボロだ――いばらの森に入る直前に泊まった宿のことが脳裏をよぎった。あの時はリデル隊長がなにをどうすればいいか把握していたし、アルハリ、ブリックという頼もしい先輩もいた。


 いまは全部自分で考えないといけない。伝説の勇者の娘をひとりで預かって、最後の騎士団本拠地に戻る。ひとりでこなすのは大きなプレッシャーだ。とはいえ他に手助けを得ることもできない――少なくとも騎士団の前線基地であるベイディルド・キャンプまでは自力で進まなければならない。


「ジンー、ジンー!」


 バスルームからくぐもった声が聞こえてきた。


「どうしたのムウ?」


「おゆがでない!」


「お湯? わあっ!?」


 ジンはバスルームに顔を覗かせ、泡以外なにも身に着けていないムウと鉢合わせになってあわてて引っ込んだ。


 勇者と魔王の娘という、ただでさえ考えられないほどややこしい出自の上、どうも彼女の両親の教育法はかなり手抜かりがあるらしい。ムウは自己申告に従えば14歳のはずで、身体的には十分すぎるほど発育が良い。それなのに振る舞いはまるで小さい女の子のようで、はじらいというものもあまり感じていないらしいのである。ジンのことをよほど信頼しているのかもしれないが、年頃の少女に目の前で無防備に振る舞われればそれなりに気になるのだ。


 最後の騎士団勇者捜索隊の生き残りとしては、そんなことを気にしていられるほど余裕のある状況ではないのだが……。


 ムウの面倒を見てから再びソファに身を沈めると、自然と長い溜息が出た。


 ――あの力なら。


 頭にふと永久器官”バラの心臓”が激しく鼓動したときのことが浮かんだ。


 全身の血が沸騰するほど力が湧いてくる”あれ”を使えば、魔族のひとりやふたりこの場で瞬時に葬り去ることはできるだろう。


 ――あの力があるなら、マーケットにいた魔族なんて軽く倒せていたんじゃないか?


 胸の奥に暗い熱が宿った。


 暴走する力に身を任せ、魔族共を残さず斬り伏せる。大侵寇によって肉親や隣人が虫けらのように殺される情景、その恐怖をどれだけの思いで克服してきたことか。いっそ何もかも捨ててただの凶器に成り果ててやろうか……。


 だが、そこまでだった。


 一線を乗り越えるだけの熱量には達さない。蛮勇に身を捧げるにはジンの心は穏やかすぎた。


 ――僕の役割はそれ・・じゃない。


 ジンはかぶりを振った。騒ぎを起こしてもし最後の騎士団だと知られれば、必ず厄介なことになる。災いになる、といったほうがいいかもしれない。魔族にとって最後の騎士団の名はテロリスト同然なのだ。一般人の中に内通者がいるかどうか調べ始めるであろうことは想像に難くない。おそらくは理不尽な取り調べが行われ、拷問が行われるだろう。魔族とはそういう存在なのだ。


 やはり一刻も早くムウといっしょにこの町を立ち去るべきだ。

 

「ジン、おふろあいたよ!」


 長い濡髪を頭の上でまとめたムウが、嬉しそうにベッドの上で飛び跳ねた。機嫌だけは絶好調のようだ。


「うん、わかった」


 ジンはごちゃごちゃとした思考を中断し、いまはムウを守りきる役目に徹するよう自分を戒めた。


 バスルームはムウの残り香がした。


     *


 翌朝。


 なるべく人の行き来が少ない朝の時間を狙い、ジンはムウを連れてマーケットに向かった。ふたりとも、フードにマスクを付けた申し訳程度の変装をしている。昨日の青い禿頭の邪鬼に出くわしたら言い逃れ出来ないだろうが、そうでないなら問題のない格好のはずだ。


 買い込まなくてはならない物資は多い。まずなにより保存の効く食料品。ムウの着替えと、野営用の装備。医療用品もほとんど使い果たしている。


 ついでに形のないもの――情報もあれこれ必要だ。ここ最近の魔族の動き。特に近隣の土地を支配する豪族気取りの連中には注意が必要だ。いばらの森に突入したときに待ち構えていた魔族がいる以上、どこかで必ず”勇者”の目覚めとその動向を確かめようとしている勢力があるはずだ。それは個人かもしれないし、どこか一つの勢力であるかもしれないし、もっと大きな、それこそ”七大魔公”と呼ばれる最大勢力の魔王たちかもわからない。


 最後の騎士団の行動が筒抜けになっていたとしたら、最悪の場合強大無比な魔族集団からの攻撃をすり抜ける必要がある。


 ジンは目まぐるしく動いた。干したフルーツを一包み買ったその足で人間向けの安酒場に出向き、いくらかカネを掴ませて客に話を聴き込んだ。かと思えば古着屋に行って旅用装備を整え――愛用していた革鎧は胸から背中にかけて思い切り傷が貫通しているので捨てざるを得なかった――ついでにムウ用の下着も何揃えか買ってあげた。


 ジンは少し迷ってから、思い切ってムウにもいくつか仕事を振ったみた。


 具体的には聞き込みだ。


 エドゥアトの町にも子供はいる。その子たちから何か有用な話があれば引っ張ってこさせるのだ。少し不安ではあるが、いばらの森の中で両親以外の人間と過ごした記憶がないというムウの話を聞き、少しでもコミュニケーションのとり方を学んでほしいという目論見があった。そうしないと、この先ムウがたとえ勇者としての力を使い褒め称えられる事があったとしても、ひとりの人間としてはアンバランスになってしまうのではないか――という、ジンの配慮である。


 大きなお世話で終わるならそれで良し。何か逆効果だったとしても、そこから学べることもかならずあるはずだ。


 自らも孤児であり、孤児院で子どもたちを守り育ててきた経験が、ムウに対する”教育方針”となった。ある意味で放任することになり、これは勇者を安全にアベローネ要塞まで連れて行くという任務に反することではないか――と言えなくもない。だが、たかが交易町の聞き込み程度で過保護が必要だというなら、そんな勇者に世界を救うことなど期待できない。そういう判断を下した。


 ムウには、勇者である前に人間としての生活を知ってほしい。


 それがジンの、ひとりの人間としての望みだった。

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