第8話 旅路 02

 およそ20年前から始まった大侵寇により人類は魔族に敗北した。


 抵抗を続けた国家の首脳や政治家、王侯貴族、軍人兵士に対しては血も凍る大虐殺が行われたが、それが人間界のあまねく全てに適応されたわけではない。魔族は絶滅ではなく支配を望んだ――あるいは”資源”として生かしておくことを。


 残された人々はたとえ魔族の制圧下にあっても生きていかざるを得ないし、魔族の全てが人間を食料とするわけでもない。


 法も秩序も社会の仕組みも魔族により塗り替えられたとしても、人が生きている限り生活が営まれ、必需品の物流があり、交易があり、富が生まれる。


 エドゥアトという名前の町はそうした大侵寇以後に栄えてきた場所である。かつて使われていた交易路が魔族同士の紛争で閉鎖され、代わりに使われ始めたルート上にあった小さな村が、ここ10年ほどで大きく膨れ上がった。あちこちから人と物が行き交う街並みは活発で無国籍風で、酔うほどの人通りがずらりと続いている。


 いばらの森を離れ数日。


 携帯食料の底が尽きたジンは、ムウを連れてエドゥアトに訪れていた。


「ひとがいっぱい!」


 ムウは群衆のかたまりを見て興奮気味だった。ずっといばらの森の中で両親と過ごし、そのあと20年以上も”たまご”に封印されていた彼女にとっては、生きて動いて喋っている人間の社会自体が初めての体験ということになる。


「ここでなにするの?」


「食料を買い込むんだ」


「おひるごはん!?」


「うん、それもだけど、目的地までは10日以上かかるからね。長持ちする食材とかそういうのを。ああ、それと」


「むぅ?」


「僕が”最後の騎士団”の一員だってことは他の人に教えたら駄目だよ。魔族の耳の入ったら大ごとになるからね」


 魔族からの人類解放を標榜ひょうぼうしている武装組織である最後の騎士団は、魔族にから見れば危険なテロリスト同然の存在である。


 ムウは大きな目をぱちくりさせた。いまいちわかっていないという表情だ。


「うーん……」


 ジンは腕組みして唸った。ムウは今の人間界についてほとんど何も知らない。無知というよりあまりに無垢すぎる。そんな相手に最後の騎士団という組織の立場をどう説明すべきか。経験上子供の扱いには長けているジンでも悩むところがあった。


 と、ジンの視線が道行く人々の端で留まった。


「ちょうどいいや、ムウ、あそこにいる連中。見える?」


「ん~? どこ?」


「あの二人組」


「あっ」ムウはその場で小さく地団駄を踏んだ。「魔族だよ、あれ!?」


 人間と体型は当変わらないが、体毛や肌の色、そして頭に生えた角で人類ではないとわかる。邪鬼種と呼ばれる魔族がゆうゆうと街中で人の波に混じっていた。


「ジン、どうしよ……どうするの!?」


「落ち着いてムウ」


「だって、魔族は人間のてきだって……!」


 ムウはじれったそうに眉根を寄せた。人間界が魔族の侵略によって滅茶苦茶にされ、ジンは最後の騎士団のひとりとして人間界を再び人類の手に取り戻すために戦っている――ジンからそう聞かされていたのだから、人間社会に平然と混じる魔族の存在を見て動揺するのも当然のことと言えた。


「魔族は人間の敵。その敵に、人間は逆らえないんだ」ジンは苦い顔で言った。「ちょっと待ってて……ほら」


 ジンたちがこっそりと見守る中、邪鬼種の魔族たちは果物屋の軒先に入っていった。応対をする人間の店主は顔を強張らせ、必死で愛想よく振る舞っているように見えた。いくつかのよく熟れた果物の詰め合わせに、サテン生地の金袋を紛れ込ませたバスケットを腰を低くして手渡し、二言三言かわしてから丁重に見送る。魔族の二人組はいかにも満足げに笑い、去っていった。


「……いまの、なにをしてたの?」


「徴税官だよ」ジンは小さくため息を付き、「この町は、ここいらの地方を支配する豪族の所有物なんだ。あがり・・・の何割かを”人間税”として差し出して、人間でも商売をしていいっていう許しをもらってる」


「にんげんぜい?」


「『人間だから』……って言う理由で人間に課せられる税金のことだよ。相応の金を払わないと、僕たち人間は一般市民にすら数えられないんだ」


「そんなのひどい!」


 ムウは憤慨した。社会の仕組みをよく理解していない彼女にとって税金という概念は少し難しすぎるようだが、人間が人間であるという理由で金銭を巻き上げられるという言葉に納得いかなかったらしい。


「やっつける!」


 ムウは袖まくりをして白い腕をむき出しにし、魔族二人組を追いかけようとした。が、ジンに手を掴まれて制止された。


「待って待って、ダメだよムウ。あいつらだけやっつけても、すぐに別の魔族が役目を代わりに務めるだけだ」


「じゃあぜんいん!」


「いくらなんでもそれは無茶だよ、数がどのくらいなのかわからないし、派手に暴れたらこの町の人に被害が出る」


 ムウは頬を膨らませ、「むぅ~! じゃあどうすればいいの!?」


 いまは下手に手を出せない――と、ジンは空気が色褪せるようなため息をついた。


「いいかい? たとえこの町から完全に魔族を追い出しても、他の土地から支配権を狙って別の勢力が攻めてくる。自衛する……人間が自分で自分を守れる力がないと同じことの繰り返しになっちゃうんだ」


「んむぅ……」


 ムウはまだ納得しない様子だった。


 納得できないのはジンも同じだ。魔族にへつらわないと果物屋さえ商えない世の中に、何かを叩きつけたくなる衝動がみぞおちあたりにわだかまっている。魔族は人間界を侵略した。その過程で血が流れた。ジンの肉親も、隣人も。


 だがいくら末端の魔族の首を刎ねたところで地上は人類の手に戻ってなど来ない。


 大規模な反転攻勢で魔族の支配する領土ごと取り戻さない限りは同じことの繰り返しなのだ。


「さ、行こう。何かムウの食べたいもの作ってあげるよ……ん?」


 ジンは横にいるつもりでムウに話しかけたが、ムウの姿は忽然と消えていた。


「……ムウ?」


 いない。ジンはマーケット全体を見渡した。くりくりと癖のある長い銀髪は走り回ればよく目立つはずだ。


 と、どこかの店先でわっと悲鳴が上がった。


「誰が口答えしろと言ったんだぁん!?」


 甲高い声で誰かが叫んだ。先程とは別の魔族が、みすぼらしい身なりの女を宙に浮くほど締め上げている。


「俺は先々月の分からまとめて出すというから待ってやったんだ。それを踏み倒すんならここでの商売は諦めるんだな!」


 青い禿頭、眉からこめかみのあたりにインパラのような角が生えた邪鬼種の魔族――いかにも妖術使い然とした服装をしている――は、女を放り捨てると、女が店先に丁寧に並べていた鉱物資料のようなものをケースごと蹴り倒した。


 ねじれた虹を詰め込んだ水晶のようなそれは、魔石エーテルジェムと呼ばれる天然の魔力吸蔵物質だった。魔術を使用するときには様々な用途があり、重宝される品物だ。


「やめて! おかあさんをいじめないで!」


 まだ十にも満たないくらいの男の子が女の前に飛び出し、魔族から護るように手を広げた。親子なのだろう。


「ハッ! ガキめ、何ならお前を代わりにもらっていってもいいぞ? 妖獣いぬのエサくらいには役立つだろうよ!」


 ゲラゲラと笑い出す青肌の魔族の振る舞いに、群衆の怒りと諦めのないまぜになった毒気じみた雰囲気がマーケットに広がり始めた。このままでは、何かをきっかけに乱闘か暴動でも起きるかもしれない。


 ジンは無意識に奥歯をギリッと噛み締めた。


 女はおそらく魔術用品を取り扱う商人だ。だが何かの理由で売上が落ち、納税が滞っていた――そんなところか。この町ではありふれた風景に違いない。魔族と人間が表面上は争いを起こさず日常が過ぎていくように思えても、しょせん魔族は人間のことなど賤民か奴隷、さもなくば家畜のようにしか見ていないのだから。


 ――どうする!?


 ジンは自分に問いかけた。答えは決まっている。『心苦しいが、今は関わってはいられない』。そう決まっている。そう答えるべきなのだ。


 怒りがこみ上げた。


 そんなアタリマエのことをアタリマエに言おうとする自分自身に対して。


 任務は最優先だ。だが最後の騎士団とは人類最後の砦でもある。目の前で苦しむひとりの市民を救えない無力な存在が、一体何を守れるというのだろう。根本的な何かをごまかして、無力感に首根っこを掴まれるようだった。


 思考の整理がつかないまま立ち尽くすジン。


 と、そこに再びどよめきが上がった。


「うわぁッ!?」


 青い肌の邪鬼は、いきなり目に見えない何かに鷲掴みにされたかのように空中に放り投げられ、そのまま地面に叩きつけられた。


 砂ぼこりが舞い上がり、事の次第を見守る群衆が静まり返る。


 そこには不思議な色の瞳を爛々と輝かせる銀髪の少女、いばらの森の勇者姫・ムウが立っていた。

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