なら、喜べばいい
魔将シルヴァは、悔しそうに、本当に悔しそうに帰って行った。まさか、巨将ギルガンがここまで献身的に力を貸すなんて思わなかったのだろう。ここまで完膚なきまでにシルヴァの策略をぶっ壊すとは……なんなんだろうか、この子は。
「よかったですねぇ、無事に話し合いがうまくいって」
帰りの馬車の中、マリアに口を開いた。その能天気な阿呆面に思わず胸がざわついた。
「……今回のような茶番はこれっきりにしていただきたい」
「茶番……ですか?」
キョトン顔で聞き返すマリアに思わず顔を手で覆ってしまう。
「もしかして……気づいてなかったのですか?」
あんなにあからさまだったのに。あんなにあからさまな茶番だったのに。
「だって、勇者アルターさんも、村人たちもみんなわかってくれたじゃないですか」
そうか、貴様は正気じゃなかったんだったな。
「あんなの強制的にやらされたに決まってるでしょうが! 巨将ギルガンが積極的に村に働きかけたおかげです。あんな巨人に脅されれば、村人たちは言うことを聞く以外選択肢などなかったでしょう」
「……そうだったんですか」
初めてわかったのか……信じられない……そのあまりの能天気ぶりに思わず苛立つ。天然もここまで来るとただの阿呆か。
「今回の件はたまたま巨将ギルガンがいたからああなっただけです。せいぜいあの巨人に感謝することですね……次からはその偽善めいた平和的解決を試みるなどと吐くことのないようにお願いします」
なるべく感情は抑えたつもりだったが、自然と嫌味な口調になってしまっていることを自覚した。
「そんなっ! お互い傷つけ合う前に、まずは平和的な解決を試みるのはなさねばならぬことでしょう?」
「……」
その、あまりの偽善者ぶりに二の句がつけない。次に言葉を吐いてしまうと、確実に罵倒になってしまうだろう。
「あの……なんでさっきから怒っていらっしゃるのですか?」
その雰囲気を察したのか、おずおずと聞き返してくるマリア。
なんだ、俺は柄にもなく、本気で苛々しているのか。自分でもその理由がわからず、まるで原因を探すかのように問いかける。
「マリア様は、この侵略の締めくくりをどう思われます?」
「えっ……締めくくりって、撤退してくれたじゃないですか。他に何があるんですか?」
その瞳をパチクリしながらいつもの様子でかたる。
「ならば、あなたは侵略を止めたところで締めくくるというのですね?」
「……はい。互いが傷つけずに済んだのです。よかったではありませんか」
そう、マリアは答えた。
そして、その答えにだんだんその苛立ちの理由が見えてきた。なぜ、この結末に納得がいかないのか。なぜ、俺がマリアを世間知らずと断じるのか。
「ちょうど……ここら辺か。おい、止まってくれ」
そう言って馬車を止めてマリアの腕を持って外へ出た。そこには巨樹が多くそびえたち、その前でゴブリンたちが悲痛な様子で佇んでいた。
「この方々は……?」
「……人間風に言うならば、ここはゴブリンたちの墓標です。彼らには墓を建てる習慣はありませんが、遺体は森に埋められそこにリコの実を埋めるのです。それはやがて、巨樹となりゴブリンに恵みをもたらす実をつけます」
遠くからゴブリンたちを眺めた。
「マリア様は、勇者アルターがどれだけの同胞を殺したのかご存知ですか?」
「……」
報告書には勇者アルターによって五体のゴブリンが殺されたと記されていた。そこに八歳くらいだろうか、子どものゴブリンが放心状態で座っていた。
「意外でしたか? 人間たちが死んだ者に墓を建てて哀しむように魔族であるゴブリンもこのように死を悼むのですよ」
「意外だなんて……そんなこと……」
マリアは、うつむいた。
「あなたは『よかった』とおっしゃった。我が同胞が殺されておきながら。ならば、もっと喜べばいい。誇ればいい。さあ、ご遠慮なさらずに」
「……わたし、知らなくて」
そう、力なくつぶやいた。なんとか、力を振り絞って吐いた台詞なのだろうが、そのなものはなんの免罪符にもならない。
「想像すらできませんでしたか? もちろん、あなた以外の者は、どれだけの被害が起こっているかもだいたいは理解していたでしょう。むしろ、あなたが知らなかったことなんて、誰も知りませんでしたので」
「……」
「俺と初めて会った時のことを覚えていますか? あなたは人間の子どもたちを必死に守ろうとしましたよね。もし、仮に俺があの子どもたちを皆殺しにしたとしたら『まずは話し合いましょう』などと言う言葉が吐けますか?」
「……」
「あなたは平和だなんだとことあるごとに仰るが、平和なのはあなたの周りのことだけであって、大陸全体が平和だったときなど一度だってあると思いますか? 人間との境では常に壮絶な争いがあり、戦が行われています。俺が理解できぬのは、それでも平和万歳と高らかに謳いあげる人間の神経です」
ここまで、言うつもりはなかった。しかし、一度口にしてしまったら次々と言葉が出てくる。それを止められなかった。
平和を口にするのは母を殺した貴様ら人間だろう。貴様らは、俺の母を無残に殺しておいてどの口で平和万歳だの口にするのだ。
「戦が始まる前ならば、百歩譲ってそれもいいでしょう。しかし、もう始まってしまった。突然襲ってくる人間たちにご高説で応戦しろとでも? 最前線で戦う者にとってはあなたの言葉など戯言にしか聞こえないでしょう。そして、我が領土を守っているのはそんな彼らなのです。彼らからの信頼なくして魔王などと誰が言えましょうか」
最早、マリアの表情は見なかった。どうせ、泣いているか震えているのだろう。魔王とは、世間知らずの人間の元シスターが簡単に務まるものではないのだ。しかし、俺の仕事は、彼女を一人前の魔王にすること。だから、怒る。諌める。守るだけでは強くなど、ならないから。それで潰れれば、それまでの器だったということだ。
うつむくマリアに距離をあけ、リコの木の前で立ち尽くしている子どものゴブリンを見つめた。
静かに目を瞑れば、あの時の光景が目に浮かんでくる。
*
つめたくなった血まみれの母さんをおぶって、ひたすら歩いた。甘えんぼうで、いつもは母さんにおぶってもらってたから。『早く大きくなってお母さんをおぶってね』、そう笑っておでこをつついてくれたから。
山頂まで登って、母さんを座らせた。ここは少し寂しいけど、母さんの好きな花が咲いていたから。人間も魔族も仲間外れにした僕と母さん、二人だけの秘密基地。
ここは少し寒いけど、僕がずっと側にいるから。
――それからどのくらい一緒にいただろう、目がかすんで意識が朦朧としてきた時、後ろから声が聞こえた。
「……それはもう死体だ。死体と共にするか?」
振り返ると、そこには屈強な男が立っていた。漆黒の鎧を纏い、魔騎にまたがっている男。
「……死体じゃない。母さんだ」
反射的にそう口にしていた。
「死体だな。貴様の母親の死体だ。貴様が弱かったから、母親は死体となった」
漆黒の鎧の男はそう言って魔騎から降りてこちらへ近づいてきた。
「……るさい」
「悔しくはないのか? 母親を無残に殺されて。貴様は母親に命を守られて。すべては貴様が弱かったからだ。貴様に守りたいものを守る力がなかったからだ」
「……うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい! うわあああああああああっ!」
気がつけば叫びながら男に向かっていた。何度も何度もその拳を男の漆黒の鎧にぶつけて。拳に血が噴き出しても、骨が突きだしてきても。
やがて立ち上がる力すらなくなり地面に倒れ込んだ時、漆黒の鎧の男は僕を担いで魔騎兵に再び跨った。
「弱いな……弱すぎる。我と共に来い。戦い方を教えてやる」
それが、我が主である魔王レジストリアとの出会いだった。
*
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