いい加減に

「魔王……様!?」

 その声の方に振り返ると、そこには少し茶色がかった年老いたゴブリンがマリアのそばに立っていた。

「ブンドド……さんですか?」

 マリアがオズオズと尋ねた。

「こ、こんな所まではるばるお越しくださいまして。聞きました、我々のために人間どもの侵略を止めて下さったようで。私はあなた様をまったく誤解しておりました。本当になんとお礼を言っていいか」

「……いえ、私はなにも」

 悲痛な面持ちで答えるのは、少しでもこの小娘に遺族の悲しみが伝わったからだろうか。

「おーい! みんな、魔王様が来てくださったぞ。集まれ―!」

 そう大声でゴブリンたちを集めるブンドド。

 すぐに、大勢がマリアの元に集まってきたがその表情は硬かった。

「聞け。この魔王様が勇者アルターなる人間の侵略を止めて下さったのだ。魔王様が直々にだぞ? ほらっ、お礼を言わんか!」

 ブンドドがそう促すが、誰もそれに応じる者がいなかった。

「わかりますか? これがあなたが行った行為です」

 貴様の偽善に、友を仲間を家族を殺された者たちは感謝などしない。 

「ど、どうしたお前ら。早くお辞儀をせんか!?」

 そうブンドドに言いかけた時、先ほど巨樹の前にいたゴブリンがマリアの元へ近づいてきた。人間の年で言えば一〇歳ぐらいだろうか、目には涙が溜まり、その表情は歪んでいた。

「なんで……なんで僕らの恨みを晴らしてくれなかったんですか!?」

 語気は荒く、そして強かった。

 マリアは黙ったまま、その子どもを見つめたままだった。

「おい! 魔王様に向かってなにを――「いいんだ」

 そう言いかけるブンドドをガトは小声で制止した。その生ぬるい考え方を改めて貰う必要があった。荒療治は承知の上だ。

 為政者とは民の望みを叶える者だ。そして、民は大切な者が殺されれば復讐を望むものだ。為政者は民の望むとおり同等以上の復讐を遂げ、それが敵への抑止へとつながる。少なくとも、それこそが魔王レジストリア様のやり方だった。そうして、この広大な領土を、多くの魔族たちを守って来た。

 まずは話し合いましょう? 個人ではなんとでも考え、吼えてればいい。しかし、為政者としてそんなことを言っている時点で失格だ。

 考えを改めさせるには? 現実のナイフで理想を刺せばいい。そうして残ったものでどうなるのかはわからない。もしかしたら使い物にならなくなるかもしれないが、そうすれば取り替えればいいだけの話だ。見込みのない破滅を頂点の座に座らせ続けるほど、甘い座ではない。そして今がちょうどその好機だ。やれるときに確実に刺しておかなくてはいけない。

「……大切な人が亡くなられたんですね」

 マリアは静かに子どものゴブリンに語りかける。

「母さんも……父さんも……弟も妹もみんな殺されました! なのに……殺した人間たちにはなにしてくれないんですか!? みんな言ってます……魔王様なんでしょ!」

 涙声で子どものゴブリンは叫ぶ。

 ……マリアは何も言わず、ただ黙って聞いていた。

 その時、拳大の石が投げられ額に命中した。血が頬をつたり地面へと滴り落ちる。

 恐らく人間に身内を殺されたゴブリンが投げたのであろう。

 それから、一斉に怒号、罵倒が飛び交った。勢いは増し、石もあちこちから飛び交い始めた。それでも、マリアはただ、立っていた。

「うわああああああっ! 力はあったはずだ。奴らを皆殺しにする力が。なのに、なぜしなかった! レジストリア様なら……レジストリア様なら……妻が死んだ――死んだんだ。この悲しみはどうすればいい? この怒りはどうすればいい?」

 若者のゴブリンがマリアに向かって叫びだし、胸ぐらをつかんで押し倒した。そして、馬乗りになって何度も何度も殴る。

鮮血が舞い、音を立てて地面に落ちた。

「なあ、痛いだろう!? 妻はもっと痛かったんだ……こんなもんより……こんなもんじゃないんだ。それを……それを……貴様わぁ!」

 マリアが人間と酷似してるのが仇になった。狂ったように殴り続けるゴブリン。恐らく、殺した人間と重ねているのだろう。もはや顔面は血まみれになり、顔は原型を留めてはいない。次第に雨が降り始めた。ゴブリンの拳は何度も何度もマリアの顔面をとらえ続ける。拳に血が噴き出しても、骨が突きだしてきても。

それでも、マリアは泣きもせずマリアはその半ば潰えた瞼の奥に輝く藍の瞳でゴブリンを見つめ続ける。

 もう……貴様の……偽善はわかっただろう? 貴様の自己満足の代償だ。もう、わかっただろう? 早くその遺族に詫びろ。『自分が間違っていました。ごめんなさい』、いつも軽々しく他人に謝るだろう? なぜ、貴様は一番それが必要な時にそれをやらない。なぜ……


 どれだけ時が経っただろうか。

 やがてゴブリンの拳が止み、動きが止まった。

「はぁ……はぁ……」

 息をきらしながら依然睨んでいるゴブリンの頬にマリアがスッと手を添えた。

 しばらく、ゴブリンはマリアを見つめ続けていたがやがてその瞳から涙が零れ落ちた。

「……妻は……妻はねぇ、優しかったんだ。怖がりで……泣き虫で……」

 そう言って掌を覆うゴブリンをマリアは震える手で優しく抱きしめた。

「……ううっ……うわあああああああああああああああああああっ」

 ゴブリンの戦慄きが弾け、それが引き金となり子どものゴブリンも崩れ落ちて泣き始めた。それが周囲に伝達し、次々と泣き崩れていくゴブリンたち。

 異常な光景に思わず鳥肌が立つ。

 考えていたのは、西のゴブリン族の仇をどう次の戦に昇華させるか。復讐は意識を高揚させ戦意を高める。しかし……これでは、もう使い物にならない。

ただの小娘が、村の戦意を放棄させた。

 降りやまぬ豪雨と共に、その泣き声はいつまでもやまなかった。


 魔王城に到着し、ら医務室に入った。

「あらっ、ガト。かん……じゃあああああああ!? ま、ま、まままま魔王様!?」

カーラが俺の背中で気絶しているマリアを見て、慌てふためいた。

「……命に別状はない。治してやってくれ」

 人間より力の弱いゴブリンの拳だ。拳を浴び続けていても、致命傷になることはないと思っていた。

「確かに……まあでも。相当の痛みだよこれ?」

「……偽善の代償だよ」

 それでも……この小娘は、己を曲げなかった。その事実が俺をまた苛立たせる。

「ねえ……ガト。その両手の血も治療しようか?」

そう言われて両手の掌を眺めると、真っ赤に染まっていた。それが自分の気持ちを表しているようで大きく揺れた。

「……頼んだ」

 そう言って外へ出た。

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