別れ
・・・
「あと九三個……」
ほ、本気だ。このクリスティーナなる女、本気で一〇〇個言わそうとしてやがる。この小娘魔王の嫌いなところなら一〇〇個簡単に言えそうなのだが、好きなところなど一つとしてない。かろうじて、一般的に惚れそうな理由を並べ立てては見たがそれでも七個……あと、九三個。
「……それで愛していると? わたしの可愛い可愛いマリアを本気で愛していると言えるのですか!?」
こ、この女……異性をぶん殴る趣味などないが、一個の生物として俺はこの者をぶん殴ってやりたい。
嫌いなところだったらいくらでも言えるのに……嫌いなとこ……
「異常なほどおせっかいなところ……」
おそるおそる口にしてみたが、シスター・クリスティーナは「あと、九二個」とカウントを減らした。
や、やはり。
好きと嫌いは表裏一体だ。正解などないのだから嫌いなところを並べ立てて言ってやればいい。
「異常なほど平和主義なところ、異常なほど他人に優しくしようと振舞うところ、異常なほど……」
そう思うと、つぎつぎと言葉が出てきた。むしろ、堂々と嫌いなところを言えて俺のストレス値もぐんぐんと下がってくる。
それからどんどん罵倒を浴びせるように嫌いなところを並べ立てていると、
「……ふぅ、もういいわ」
シスター・クリスティーナは安心したようにソファに座った。
「なにを言ってるんですか、まだまだ言えますよ。異常なほど――」
「ごちそうさま。わかったわ。あなたがどれだけマリアのことを愛してくれているのか」
……えっ。
周りを見渡すと、周囲の子どもたちのニヤニヤした表情。神父の微笑ましそうな表情。そして、顔を真っ赤にしてうつむいているマリアの表情があった。
「いや、ちがっ……ちょっ……」
「ひゅーひゅー、お兄ちゃん、ひゅーひゅー」
ぶん殴るぞ、人間のガキ。
「さあ、今夜はごちそうよ。マリアとガトさんの婚約祝いもかねて。私、腕によりをかけて作っちゃうんだから」
そう言って意気揚々と出ていくシスター・クリスティーナ。
「ちょっと……風に当たってきます」
その周囲の温かい視線から逃げるように、修道院の外へ出た。
あっ……頭痛い。
そう壁に手を当てて下を向いていると、ティナシーが俺の後ろへ出現した。
「素晴らしい愛の告白でございました」
「……今、俺に話しかけるな」
なんとか、それだけ吐いた。それ以上吐くと、ゲロ吐きそうになっちゃうから。
我が人生において、とてつもない汚点に心を平静に保てない。必死に落ち着かせようと深呼吸を何度も繰り返していると、「ガトさん」とマリアの声が後ろから聞こえた。
「あの、今日はありがとうございました」
背中越しなので見えないが、どうせ律義に深々とお辞儀でもしているのだろう。
「いえ、お礼など。部下として当然――「でも! ごめんなさい! わたし、ガトさんの気持ちには答えられません!」
そう言って去っていくマリア。
……一瞬なにが起きていたのかわからなかった。
ごめんなさい? 気持ちには答えられない? あの小娘がなにを言っているのか……まさか……俺、フラれた?
「心中お察しいたします」
「……今、俺に話しかけるな」
それから立ち直るのに一時間以上かかった。
夜の晩餐は、修道院らしいおごそこなものではなく子どもがワイワイするような明るい食事だった。いつになく、マリアは笑っていた。もっとしんみりするかと思っていたが、その心配は杞憂のようだ。
家族のだんらんに水を差す気はない。適当な理由をつけて、外へ出た。
三日月が綺麗な夜だった。こんな風に家族で食事をしているところを見るのは、俺が五歳だったころが最後だろう。
三人家族だったので、こんな喧騒の中ではないがそれでも唯一の団欒だった。
「なにをなさっているの?」
後ろからシスター・クリスティーナが尋ねてきた。
「……しばらく、この地には帰れませんので。家族の大事な時間を邪魔するほど俺も空気の読めない人間ではありませんので」
「邪魔だなんて……あなたも大事な家族です。そんな他人行儀になさらなくてもよろしいのに」
「……ははっ」
思わず乾いた笑いが漏れる。
「私はあなたを信じていますよ。あなたがどんな者であろうと」
その言葉を聞いた瞬間、思わず彼女の方を振り向いた。
「どういう意味ですか?」
意味深な笑顔を浮かべ、彼女はその問いに答えぬまま三日月を眺めた。
「あの子の母親と私はね、大親友だったんです。このリアルイン修道院で過ごした幼馴染。それが、急に『赤ちゃんできた』って言って……死んじゃうんだもん」
少し懐かしそうに、そして少し哀しそうに彼女は話す。
「……父親のことはご存じで?」
その問いに、シスター・クリスティーナは首を横に振った。
「教えてくれませんでした。でも、いーっぱいのろけは聞かされた。愛してるところ一〇〇個……臆面もなく言ってのけるんだもん。見ているこっちが赤面しちゃったよ」
それで……俺に一〇〇個も。なんという迷惑な話。
「俺を信じると言うのですか? 俺が……」
思わず言いかけて、やめた。自らが不利になる発言を言おうとするなんて。少し感傷的になっているのを抑えた。
「その人がどういう人なのか。そんなものは神にしかわかりません。私たちにできることは、己の信じた人を信じること。それだけです」
そう言って彼女は俺に微笑み、去って行った。
「……気づいていましたかね」
突然、ティナシーが出現しつぶやく。
「恐らく、な。しかし、敵対する魔族に娘同然の子を託すなんて……酔狂な女だ」
さすがはマリアを育てた女とでも皮肉っておこうか。
「でも、私は少しわかる気がします」
「なにがだ?」
「さあ」
いたずらっぽく首を傾けるこの使い魔の言葉を深く考えないようにして額を手で抑えた。
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