魔王をつくったシスター


「はぁ……はぁ……ぜぇ……ぜぇ……うえぇ――ろろろろっ」


 リアルイン修道院の前の茂みで密かに息を整えてゲロを吐くケンタウロスにねぎらいの気持ちが止まらない。


 六時間。そのロスしたスケジュールは、このケンタウロスの馬車で短縮せねばならなかった。魔王代行の馬車という名誉を感じたこの名もなきケンタウロスは何も言わずに全速力で馬車を走らせた。


「ご苦労だった」


 そう言ってこの名もなきケンタウロスの背中をさすりながらハンカチを差し出した。


「ぜぇ……ぜぇ……ありがとうございます。しかし、心配はご無用。俺は俺の仕事をしただけですから」


 男前の笑顔を浮かべる名もなきケンタウロス。

 今度、ケンタウロスの馬車値上げ法案を出してみようと決めた瞬間だった。


「ガト様、人間がくると厄介です。ケンタウロス、しばらくこの場から去りなさい」


 ティナシーが現れて冷徹に言い渡す。お前らのせいで出発が遅れたのに……女と言うのはなんという冷酷な生き物なのだろうか。

 ケンタウロスはフラフラになりながらも茂みの奥へと走って行った。


 マリアはリアルイン修道院を遠くで眺めていた。


「不思議です……二日しか経っていないのに、凄く昔のことのよう」


「……世界が変わったのです。そう感じるのも無理はありません」


 思えば、この娘も哀れなものだ。本来、彼女はこの修道院で一生を過ごすはずだった。

 彼女は静かに目を瞑り、しばらくそこにたたずんでいたが、やがて目を開けて笑みを浮かべた。


「さっ、行きましょうか」


「――わかっているかと思いますが」


「わかっています。もう、ここに来るのはこれが最後」


 自らに言い聞かせるように彼女はそうつぶやいた。


「……いい覚悟です」


 そう誉めると、マリアがキョトンとした表情を浮かべた。


「ガトさんに褒められたの……初めて」


 そう言えば、初めてだったか。褒めるところがあまりにもなさすぎてとはこの際言わないでおこう。


「さっ、行きましょう。時間は限られてます。悔いを残さぬように」


 彼女の背中を押して歩き出した。


 リアルイン修道院の前まで歩くと、「マ、マリアお姉ちゃん」と子どもたちが驚いて駆け寄ってきた。


「みんな……心配かけてごめんね」


 そう言って泣きながら駆け寄ってくる子どもたちを目いっぱい抱きしめるマリア。


「お姉ちゃん……この人は」


「えっと、わたしの婚約者」


 えええええええええええっ! 子どもたちの叫び声が木霊した瞬間だった。


 設定としては、魔族にさらわれたところに偶然遭遇して助けた貴族。そして、マリアに一目惚れして婚約。脚本はティナシーだ。


「ず、随分急な話で」


 リアルイン修道院の神父は酷く驚いてはいたが、命がないと思っていたマリアが戻って来たのだから反対の様子ではなさそうだった。


「神父様……ごめんなさい」


 瞳を潤ませて詫びるマリアに神父は優しく頭を撫でた。


「なにを言っているんだマリア。僕はね、君がさらわれて絶望に暮れていたんだよ。君が無事に戻って来てくれただけでこんなに素晴らしい日はないよ。幸せになるんだよ」


 朗らかな顔で微笑む神父。そーか、こんな奴らの間で育ったらこんな感じに育つのかと少しだけ納得した。


 その時、ドアが開いてシスターが駆け寄ってきてマリアをギュッと抱きしめた。


「シ、シスター・クリスティーナ……」


 戸惑いながらも、マリアは彼女からの強烈な抱擁を優しく返した。


「ええ、知っていましたとも。あなたは必ず無事だって。あなたみたいないい子は、神がお見捨てになるはずがないってことを」


「シスター……」


 泣きじゃくるシスターの頭をマリアは瞳に涙を目一杯ためて撫でる。おそらく、この人が彼女を育てたのだろう。

 それから、矢継ぎ早にマリアの安否を確認したシスター・クリスティーナは初めて気づいたようにこちらを見つめた。


「あな……たは?」


「初めまして、婚約者のガト=シルベンと言います」


「はっ……こ、婚約者……って」


 再び神父にした説明をする羽目になった。


「なるほど、マリアを助けたのがガトさん。あなただって言うのね」


 そうジロジロと俺のことを観察する。完璧に化けたとは思うが、神父のように手放しでは信用していないらしい。


「必ず幸せにします。どうか婚約を認めては貰えないでしょうか?」


 そう深々と頭を下げた。

 人間には化けたが、基本的なパーツは変えてはいない。一般的な評価を確認したが、人間の中ではかなりの色男の部類に入る。

 異性が魅力的に越したことはない、これは魔族のみならず人にも言えることだ。加えて、完璧な貴族の所作を習得している。大抵の者ならば、信頼を勝ち取れるだろうと見込んでいた。


「……怪しいわね」


 ボソッと、シスター・クリスティーナがつぶやく。まさか……この女、俺を魔族だと疑って……


「本当にあなた、マリアのことを愛しているのですか?」


 不覚にもその言葉に愕然とさせられた。

 ア、アイシテイル!? この小娘を? 俺が!?

 恐ろしいほど意表のついたその勘繰りは、俺の気持ちの動揺を誘う。


「も、も、もちろんです。だから、婚約してるんじゃないですか」


 思わず声が上ずってしまった。


「ならば! 愛してるとこの場で宣言なさってください」


 な、なにを言っているんだこの女は!?


「いえ、それは……」


「なぜです! 愛してるならばっ、恥ずかしがらずに言えるはずです。あなたのマリアに対する想いはその程度のモノなのですか?」


 グイグイこちらの方に近づいてくるシスター・クリスティーナ。

 俺が、こんな小娘に? 愛してると? どんな苦行だ。当の本人は、下を向いて顔を真っ赤にしてうつむいている。おい、なぜなんの助け舟も出さない?


「――てます」


「聞こえません! あなたの愛はそんなモノですか!? そんなモノがマリアに対する愛だと言えるのですか!?」


 この……女、絶対頭おかしい。今、この小娘がこんな性格になった背景がわかった。こいつだ。

 エライことしてくれたな、あんた。


「愛してます! 俺は彼女を……マリアを……心の底から愛しています! どうですか、これでいいでしょう?」


 これでいいでしょう? と命令された風に尋ねたのは俺の自尊心だ。こんな小娘に愛を叫ぶなど、耐えられない。


「……どんなところがですか!? どんなところを愛してるとおっしゃるのですか?」


 はあああああ!? ないですー! ひとつもないですー! なんてことは言えない。


「そのすべてが……です」


「聞こえない!」


「すべてを愛しています! 彼女の全てを愛しています」


「もっと具体的に!」


「クッ……優しいところ……とか……」


「あと九九個!」


 ……地獄。


 

 

 

 

 

 

 

 


 

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