ROUND4『ダンジョンへようこそ』

   ROUND4『ダンジョンへようこそ』


「私が地下牢を巡回していたときのことです。

 清掃管理が行き届いていない上、日の当たることのないそこは、常に暗く、じめじめとしています。犯罪者たちはそこに閉じこめられているのです」

 カーテンを閉め切り、暗くした教室で、イシター先生は元々アルトな声をさらに低く陰気にして話をしていた。

 夏の定番、怪談である。インテリモードのときには決してやらないだろうが、今の彼女はハイテンションレンズをかけている。

「中には入れられたことすら忘れられ、食事も満足にできなくなります。多くの者はここで朽ちていきます。

 夜な夜な響く犯罪者たちのうめき声。飢えと無念の果てに、彼らは変貌していくのです。

 死臭の漂う地下牢を、私はランタンを手に巡回していました。力無くうなだれた者、鉄格子を食いちぎらんばかりに暴れる者。そして奥から響く醜い悲鳴。

 ランタンを掲げ、私は見ました。死体をむさぼる醜い小男を! 彼は死した後、グールと化して同部屋の者を食いあさっていたのです!」

 イシター先生の迫力に、一部の女生徒が小さく悲鳴を上げる。ちょうどそのとき、

「死体の肢体を次第に食い荒らしたいということ自体おかしいたい!」

「おかしいのはお前だ!」

 意味不明なギャグに、俺はりゅうりを張り倒した。

 りゅうりの六連撃に、クラスのみんなは瀕死のダメージを受けた。俺はもう慣れたが。

 先生の盛り上げた雰囲気が、一気に白けてしまった。

 さすがに気まずくなったか、りゅうりは何かを思案し、やおら席から立ちあがった。

「こうなったら、俺がとっておきの話をするしかあるまい。題して『悪の参事会』!」

「開くのが三時なんだな?」

 ひゅううううぅぅぅ。

 教室の中を、なぜか一陣の風が吹きぬけた。

「『月の悪魔』というのもありますが」ぼそりと、りゅうり。

「ツキノワグマだな」すかさずネタをばらす俺。

 最近、りゅうりのギャグが見抜ける自分が情けない。

「さあさ、脱線はこのくらいにして、授業に戻りますよ」

 不意にまじめな声で、イシター先生が告げた。いつの間にやら眼鏡は外され、教壇の上に置かれている。

 意識的にインテリモードとハイテンションモードを切り替えられるようになってきてないか?

「今日は、神族と竜族の関係と歴史についてでしたね」

 くたびれた冊子を開き、イシター先生は授業を始める。

 ちなみに、うちの学校では『あちら側』の歴史学も授業に折り込まれている。

『あちら側』の文化レベルはそれほど高くないため、歴史とは言ってもそのほとんどは言い伝えや伝説のようなものだが。

 さて、世界が分岐したのは六千五百万年前と言われている。

 恐竜を絶滅させた隕石。これには『神族』(異星人?)が乗っていたという。

 世界が分岐した理由はまだよくわかっていないが、『あちら側』では隕石は地上に落ちず、神族が移住してきた。

 もちろん『あちら側』では、もっと厳かに伝えられているのだろうが、『こちら側』の学者が考察すると、こういう身も蓋もないものになる。

 閑話休題、六千五百万の昔、神族が地上に降りてきた。

 当時、地上の覇者だった恐竜。『神』は彼らに知恵を与え、『竜族』が生まれた。

 神族と竜族は永いこと協力し合い、繁栄を続けた。

 ある時、神族は世界を創造する技術を確立した。そして、彼らは地上を去った。

 地上には新たに『人間族』が誕生したが、ごく一部の者に、神族の血が流れているという。伝承では、それこそがアルマフレアの王族だと言われている。

 そしてごく最近、竜族もが姿を消した。世界大融合と時期が一致しているという。

「一説では、竜族は神族を追って、この世界を去ったとも言われています。竜族もまた、私たちよりも遙かに高い文明を持っていますから」

 黒板にはよくわからない文字列を書き込みつつ、イシター先生は話す。

 うーん、竜族はともかく、ティアラ姫は神族の末裔だったのか。どうりで品があって神々しいわけだ。強大な魔力も、神の血ゆえか。

 俺の席は中央の最後列にあり、教室全体をよく見渡せる。

 真紀は廊下側、姫様は窓際最前列。どんなインチキをしたのか、デュークは姫様の、オヅマは真紀のすぐ隣を陣取っている。

「はい先生。竜族って、どんな姿をしているのですか?」

 窓際最後列のりゅうりが質問した。ヤツにしてはまじめではないか。

「竜族は、『竜型』と『人型』の二つの形態をとれるそうです。ただ、私たちから見れば神に近い存在なので、滅多なことでは見ることすらできませんけどね」

「『竜型』というと、あんな感じかな?」

 校庭を指さすりゅうり。イシター先生が窓から表をのぞき込む。

「そうそう、あんな感じです……って、えええええ?」

 インテリモードにもかかわらず、先生は素っ頓狂な声を上げた。学校中から悲鳴と絶叫が上がったのとほぼ同時だった。

 アロサウルス。ジュラ紀後期のこの恐竜が一番近いだろう。校庭に、巨大なドラゴンがたたずんでいた。

 全長十メートルかもう少しか。前足が無く、後ろ足を軸に、長い首と尻尾でバランスをとっている。

 アロサウルスとの一番の相違点は、表のドラゴンには翼が生えているということ。普通の恐竜なら申し訳程度に前足があるのだが、あのドラゴンはそれが翼に変化しているようだ。

 しかし、えらくアンバランスだ。飛龍はプテラノドンに近いが、あれほど無理な体型はしていないぞ。

「あれは……レッサードラゴン!」姫様が緊張した面持ちで呻いた。

「レッサードラゴン?」

 問い返す俺に、姫様はうなずいた。

 恐竜が進化して知恵を持ったのを竜族とするならば、レッサードラゴンは知恵を持たぬまま変化していったものを指す。人間に対する猿のようなものだろうか。

「そのレッサードラゴンがなんでこんなところに?」

「わかりません。『あちら側』でもレッサードラゴンは滅多に見かけないのですが……」

 姫様の説明によると、竜族が消息を絶ったあともレッサードラゴンは残ったそうだ。それでも、生息地域が限られてる上に絶対数が少ないため、遭遇することは滅多にないという。こんな人の密集したところへ来るはずがないのだ。

「あそこ!」

 身を乗り出したオヅマが指さした。

 よく見ると、ドラゴンを中心に魔法陣が描かれている。石灰のライン引きで描いたらしい。

 そしてその縁に、ガクラン姿の少年が一人。ちなみに今の時間は校庭を使った授業は行われていないようだ。

「また野倉比叡か!」

 額を叩きつつ、俺は呻いた。最近、事件が起こる度に比叡が関係してくる。

「比叡! てめえ、今度は何をやってやがる!」

 校庭に向けて怒鳴ると、比叡はこちらへ振り向いた。距離があるにもかかわらず、その声はごく近くから聞こえた。

「やあ樹之下蘭道君。見ての通り、召還魔法の実験だよ。ちょうど今、レッサードラゴンの召還に成功したところだ」

「召還魔法って、超上級魔法ですよ。私も満足には使えないのに」

 ティアラが、その瞳に畏怖の色をにじませつぶやいた。

「『狭間の力』を応用すれば、このくらいわけはない。けど、これで次の段階にいけるよ」

「次の段階だあ?」

 比叡の嬉しそうな声に、嫌な予感を覚えた。

「狭間の力を解明することが僕の目標と、前に話したよね? その為に、竜族を召還しようと思っているんだ」

「竜族を、召還……?」

 なんだかとんでもない話になってきたぞ。戸惑う俺たちに構わず、比叡は話を続ける。

「竜族はどうやら『狭間の湖』にいるようだ。そして、裏山の洞窟の奥に、そこへ直接つながる場所がある。

 世界大融合も、恐らく彼らが深く関わっている。やはり、彼らに直接聞くのがベターだからね。

 僕は早速裏山の洞窟へ行くことにするよ。樹之下蘭道君、君にはこのレッサードラゴンの始末を頼むよ」

「頼むなあああぁぁぁ!」

 反射的に声を荒らげる俺様だが、比叡は一ミリも揺るがずに、黒霧をまとってその場から消えた。

 ぐるるるる……。レッサードラゴンは、低いうなり声を上げている。口元からよだれを垂らしているのが、腹を空かしていることを象徴している。校舎を襲ってくるのは時間の問題だ。

「だあぁーっ! ったくしょうがねえなあっ」

 頭を掻きむしりつつ、俺は姫様の方へ振り返り、言った。

「行くぞ、姫様。援護頼む!」

「はい!」

 元気良く応じ、姫様は俺のあとに続く。

 勢いよく三階から降り、俺は素早く上を見上げる。

 ティアラ姫は、魔法でゆっくりと降りてきた。しっかりとスカートの裾を手で押さえて。ちっ。

「ランドー! 貴様、ティアラ様を気安く使うな!」デュークも飛び降りてきた。

「ならデューク、お前が手伝え」

「断る!」

「デューク、応戦をお願いします」と、姫様。

「わかりました!」

 デュークは相変わらずイヤな野郎だ。

 あんぎゃあああぁぁぁ!

 突如雄叫びを上げるドラゴン。自らやってきた獲物に喜んでいるようだ。

「けっ!  レッサーごときがなめるんじゃねえ!」

 身構える俺、剣を抜くデューク。そして呪文を唱える姫様。

 俺とデュークは左右へ分かれた。同時にドラゴンが、強風に砂埃を巻き上げながら空へ舞い上がる。

 レッサードラゴンが息を大きく吸い込む。火炎か! 俺は素早く空へ跳ぶ。

 地上へ向け、ドラゴンが火を吐く。同時に姫様の魔法が完成した。

 ごばあっ! 炎をかき消し、光弾がドラゴンの顔面に命中する。

 そのとき俺はドラゴンの背の上まで舞い上がっていた。

 ここでいきなり軌跡を変える。飛ぶことはできないが、加速・減速くらいならできる。

「でえいっ!」

 気合一閃、ドラゴンの背を蹴りつける。意外な方向からの攻撃に、ドラゴンはあっけなく地上にたたきつけられる。

「はあっ!」

 間髪おかずに、デュークが必殺剣を放つ。地を這う衝撃波が、まともに竜にぶち当たる!

「どうだ!」

 地上へ降り、俺は声を上げた。とどめをデュークが決めるというのが気にくわないが、今のはかなり効いたはずだ。

 だが、レッサードラゴンは大して堪えた様子もなく、ゆっくりと身体を起こした。

「さすがに、最強モンスターのひとつに数えられるだけはあるな」

 我ながら怖い笑みになってたと思う。俺は強敵を前に喜んでいた。

 ここでいきなり場違いな少女の声がした。

「ランドー、あたしにも手伝わせて!」

「真紀姉ちゃん、危ないよぉ!」

 オヅマのコブ付きで、真紀までがやってきた。

「危ないから引っ込んでろ!」

 ぴしゃりとはねつける俺に、真紀はいささかムッときたようだ。

「なによティアラ様ばっかり! あたしだって戦えるわよ!」

 確かに真紀は『狭間の力』に目覚めたが、まだ制御面に不安がある。

 そのとき、ドラゴンが上体を上げ、翼を大きく広げる。翼を振るうと強風が巻き起こった。

「きゃあっ!」

「ちいっ!」

 反射的に真紀の肩をつかみ、押し倒す。背の上を爆風が通り過ぎる。

「この野郎!」

 ごぐおっ! オヅマの魔法がレッサードラゴンを吹き飛ばした。

「ら、ランドー……」

「さっさと戻れ! お前に怪我されると、俺が困るんだよ!」

 俺の一喝に、真紀は息を詰まらせた。

「え、えっと、それって私のことを……」

 つぶやきながら真紀は顔を赤らめる。

 だああっ、こんな非常時にトキメキモードに突入するんじゃない!

 しかし、ここで追い打ちがかかった。

「ランドー様。それはつまり、私は怪我をしても構わないということなのですか?」

 妙に冷めた声が、背後に響いた。

 ぎくしゃくと振り返ると、姫様が無表情に立っていた。ただし、バックには火炎が吹き荒れている。

「ちょ、ちょっと待った! 今はそういったことを論じている場合では……」

「話を逸らさないでください!」

 いつになく真剣な表情で、姫様は怒鳴った。

 俺がしどろもどろしていると、その視線は真紀の方へ向いた。真紀も負けじとにらみ返す。

 な、なんか、話がどろどろした方向へ向かってませんか?

 とにかくこの場はダッシュで去る! 俺はドラゴンへ向かって一直線。

「ランドー様! 逃げないでください!」

 姫様の叫びを背に受けつつ、俺はドラゴンを指さしこう言った。

「レッサードラゴン! とにかくてめえが全部悪い! このランドー様が成敗してくれる!」

 我ながらちょっと混乱してるかもしれない。とにかく、今はドラゴンを倒すことに専念しよう。

 竜が炎を吐く。俺は横っ飛びでこれをかわす。後ろを振り返り、愕然とした。

「デューク! オヅマ! お前らも戦わんかい!」

『やなこった』

 二人の少女を守りつつ、デュークとオヅマはきっぱりはっきりそう言った。あいつら、あとで死なす!

「ふぁーっふぁっふぁっふぁ! お困りのようじゃなあ、少年よ!」

 上空から老人の高笑いがしたのはそのときだった。

 見上げると、ワイバーンに乗った老人が一人。

 何を勘違いしているのか、悪役レスラーよろしく黒いマントとマスクを身につけている。

 あんな格好したってバレバレだ。柊健一。俺の祖父兼校長だ。

「とうっ!」

 格好良く(と思っているらしい)飛龍から飛び降り、身軽にジジイは着地した。

「学園の平和はワシ自らが守る! 戦うおじいちゃん、柊健一ただいま参上!」

 びしいっ、とポーズを決める校長。

 ……何かに感化されたのか?

 呆気にとられる学園中の者を背後に、ジジイはドラゴンを前に構えをとる。

「ふっ、それでは今回の修行の成果をお見せしようかのお! ゆくぞ、ドラゴン!」

 ジジイの妙な迫力に圧されたのか、レッサードラゴンが後ずさる。しかしすぐに体制を立て直し、ジジイに向かって突進する。

「ランドー、よく見ておけ! お主にはまだまだ強くなってもらわねばならんからの!」

 意味深なことを叫びつつ、ジジイは腕を振り上げた。

「超重絡鎖網!」

 ずどんっ!

 地の底から大きな手に引っ張られたかのように、大地が大きく陥没した。

 他の者に見えたかどうかは定かではない。だが俺にははっきり見えた。

 レッサードラゴンを、半透明な鎖のような物が絡みつき、一気に地面へ押しつぶしたのだ。

 まさに瞬殺。ドラゴンはぺちゃんこになって、絶命した。

 それにしてもこのジジイ、またしても妖しげな術を身につけてきたもんだ。日を追うごとに妖怪に近づいていきやがる。いや、もう妖怪以上になったか?

「まあ一種の超重力じゃ。普通、重力制御といえば地球の重力を介して行うのじゃが、この技は違う。

 強い重力は、空間を歪める。これを逆手に取り、空間を歪めることによって超重力を発生させたわけじゃ。

 竜を倒す瞬間、半透明な鎖が見えたじゃろう? あれがワシの作った空間の歪みじゃ」

 淡々と話す校長。

 比叡と良い、この老人と良い、難しい話で俺を混乱させるのを楽しんでないか?

 ふらり。と、ジジイがいきなり倒れ込んだ。

「おい、ジジイ!」

「校長先生!」

 真紀や姫様たちもやってきた。さっきのどろどろ恋愛話は脇にそれたようだ。ほっ。

 しかしジジイ、ついに寿命がつきたか? ならば最後に役に立ってくれたことに感謝せねば。

 俺の思考をよそに、かすれた声で校長は言った。

「は、腹減った……」

 おいおい。


 比叡が召還魔法の実験をしていること。竜族を召還するため、裏山の洞窟へ向かったこと。食堂で、遅い昼飯をかっ込むジジイへ、俺は今度の事件の説明をした。

「なるほどのお。それが本当なら、今回はちょっとばかり厄介じゃぞ」

 周りには、俺・姫様・真紀・デューク・オヅマ、そしてなぜかりゅうりもいる。

 俺は肩をすくめて言った。

「厄介なのはいつものことだ」

「まあそれはそうじゃが、自らこの地を去った竜族をわざわざ呼びつけるということがどんなに危険か、わかるか?」

 ぬるめのお茶をごくごく、ようやく一息ついてジジイは言った。

「のう嬢ちゃんや? お主なら竜族が人間のことをどう思っているか、わかるな?」

「……竜族は、人間族を忌み嫌ってます」

 抑えた声で、姫様は答えた。

「正解じゃ。竜族は神族を追っていったという見方もあり、これも正論じゃ。じゃが、それだけではない。遅れて進化してきた人間が我が物顔で地上を支配するのを忌み嫌い、人間に会わずに済むよう、この世界を去ったのじゃ。世界大融合まで起こして、な。

 その竜族を『こちら側』へ召還するというのは、喧嘩を売るのも同然じゃ」

 人ごとのように話すジジイを、姫様はじっと眺めている。まさか、老人趣味か?

「どうした、姫様?」

「い、いえ」

 はっと我に返り、姫様はもう一度ジジイを見つめる。

「今、ちょっとデジャブを感じたもので」

 ……? ちょっと気になったが、それ以上の疑問を、俺はジジイに投げかけた。

「しかしジジイ。妙に詳しいな? 何をどこまで知ってるんだ?」

「とりあえず全部。じゃがお主に説明したところで理解できるはずないから、教えてやらん」

 とりつく暇もない。俺は舌打ちした。

「とにかく、竜族を召還したところですぐに危険が訪れるわけではない。じゃが、わざわざ蜂の巣を突っつくような真似はせん方が賢明じゃな」

「そうなると、なんとかして比叡の野望をくい止める必要があるな」

 爪をかみながら、俺はつぶやいた。

「よし、比叡の後を追おう。準備を整え、明日の早朝にでも裏山の洞窟へ潜る。メンバーはここにいる七人でいいな?」

 俺が指揮を執ることに、デュークとオヅマは不服そうだが、一同は頷いた。

「で、洞窟へ潜る際の準備についてだが……デューク、説明を」

「うむ。……って、おい。なぜ私が?」

「ダンジョン捜索といったら、経験者に聞くのが一番手っ取り早いだろう。それとも、城の警備ばっかりで、ダンジョンに潜ったことはないのか?」

「失礼なことを言うな! ダンジョン捜索は、騎士の素養のひとつだ」

 不服そうに言い、デュークは説明を始めた。

 魔物との遭遇に備えて、武具を一式用意しておくのはもちろんだが、それだけではない。

 明かりの確保、救命道具、ある程度の水と食料も必要だろう。姫様やオヅマは魔法が使えるが、それとて万能ではないのだ。

 冒険に必要な道具類を一通り説明し、デュークは一息ついた。

「というわけだ。みんな、わかったかな?」

「お前がまとめるんじゃない!」

「質問はあるかな?」

 デュークのツッコミを無視し、俺はみんなを見渡す。りゅうりが手を挙げた。

「ランドー、質問」

「なんだよ。手短に言えよ」

「おやつは三〇〇円までですか?」

「……………」

 こいつは絶対に何かを勘違いしている。


         *


「ずるいずるーい。真弥もドークツ潜りたい~!」

 手足をばたばた、真弥ちゃんがわがままを言う。

 その日の夜、俺と真紀は明日に備えての準備をしていた。

「あのねえ。遊びに行く訳じゃないのよ?」

 呆れて言う真紀。

 厚手のリュックにいろいろ荷物を詰め込む様を見れば、確かに遊びに行くようにも見えるだろうが、中身は至って実用的な物だ。

 照明器具の場合、『あちら側』だったらトーチやランタンといったものになるが、『こちら側』には懐中電灯という便利な道具がある。ロープや金槌なども一応用意しておく。そのほか、毛布やタオル、包帯などといったところか。

「お姉ちゃんもランドーお兄ちゃんも良いなあ。明日は授業に出なくっても良いんでしょう?」

 う。真弥ちゃんの羨望のまなざしが、ちょっと痛い。

 確かに校長の権限で、明日の単位は保証されている。

「こらこら。学生の本分は勉強でしょう」

「じゃあお姉ちゃん、代わって」

「一般人がダンジョンに潜るのは危険よ」

 そういう真紀も、ついこの間まで一般人だったのだが。

 あれから練習したらしく、いくらかは『力』をコントロールできるようにはなったらしいが。

 ぴんぽーん。そのとき、来客のベルが鳴った。おふくろが帰ってきたか?

「あーおじいちゃんだあ!」

「おー真弥ちゃん久しぶりじゃのお」

 ドアを開けた真弥ちゃんが嬉しそうな声を上げた。

 来客はジジイだ。校長であると同時に俺の祖父だから、たまにうちに来ることもある。

 新藤姉妹には祖父がいないので、真弥ちゃんがずいぶんとなついている。

「おいバカマゴちょっとつきあえ」

「俺には老人趣味はない」

 いきなり無愛想な口調になるジジイに、俺は同じ態度で答えた。

「ふぉっ。そういう態度をとると、この前の被害請求を出すぞ?」

 体育館は荒らされ、プールは水が半分以下になり、校舎にはヒビが入るなど、先日の対ゴーレム戦ではかなりの被害があった。

 あれは全面的に比叡が悪いのだが、こう言われてはちょっと逆らえない。俺は嫌々ながらもジジイに連れられ、表へ出た。


「なんだよジジイ、話って?」

 真円に近づいた月が、夜空高くに昇っている。

 マンションからわりと近くの駐車場。世界大融合の影響で半分荒れ地と化しているが、このあたりならまだ魔物と遭遇する心配はない。

「うむ。こやつが話があるそうでの」

 言ってジジイは指をくわえ、口笛を吹く。ほどなく、月をバックに飛来してくる影が一つ。

「飛龍……?」

 ばさあっ、とワイバーンが一匹、俺たちの前に着地した。愛想良くのどを鳴らし、俺たちを見つめる。真紀が『飛龍』とそのまんまな名前を付けたワイバーンだ。

 世界大融合から間もない頃、翼を怪我したこいつに出会った。

 ガタイはでかいが気が弱いらしく、たくさんのザコモンスターに取り囲まれていた。

 そこを助けてやり、それ以来俺になつくようになった。まあ最近はジジイになついていたようだが。

「こいつが俺に話って?」

 ワイバーンに言葉が話せるのかよ、と続けようとしたとき、

 いななきひとつ、飛龍が変貌を始めた。淡い光に包まれテレビのワンシーンのように見る見る変化していく。

 緑の髪と青い肌、皮膜のついた翼の他は、人間とほぼ同じ。飛龍は人型に変化した。しかも女の子だ。

「こんばんは、ランドーさま。この姿では初めまして、ですね」

 にっこりと屈託のない笑顔で、飛龍は挨拶した。

「なにを金魚みたいに口をぱくぱくさせておる?」

 ジジイの苦笑い気味の声に、俺は我へ返った。

「お、お前、竜族だったのか?」

「はい、ランドーさま。竜族としての私の名前は『ネオ』といいます」

 う、うーむ。飛龍が竜族だとは驚いた。人間でいえば、十代半ばくらいだろうか。結構可愛いぞ。

「ジジイはこのことを知っていたのか?」

 俺の質問に答えたのは、飛龍ことネオの方だった。

「いえ、おじいさまにもつい先ほどお見せしたばかりです。それでお話の方なんですけど……」

 しばらく黙り、意を決したように彼女は言った。

「明日のダンジョン捜索に、私も連れていって欲しいのです」

 続けて、ネオは理由を語る。

 黒竜王グロウゾード。彼女の父であり、竜族の長。そして最強のドラゴン。

 しかし彼はとんでもない女好きだそうだ。それも人間の女を好むという。竜族の長のくせに、相当な異端者だ。

 あまりにも女好きがすぎ、竜族が総掛かりで封印した。世界大融合も『狭間』に閉じこめるために起こしたものそうだ。

 そして、比叡の召還魔法で復活するおそれがあるという。

「ワシもこの話を聞いたときはたまげたぞい。世界大融合やら竜族の消失やらが、こんなしょーもない理由だったとはの」

「とりあえず全部知ってるんじゃなかったのか?」

「ふぉっふぉっふぉ」

「ごまかすな!」

 これからは、ジジイの言葉はあまり真に受けないようにしよう。

「まあ正直なところ、一般の竜族が人間を嫌っているというのは本当じゃ。実際、世界大融合を起こして、『狭間の湖』へ移住しようという話があったからの」

「ええ。それは私も仲間から聞いたことがあります。しかし、なぜそれを人間のあなたが?」

「ふぉっふぉっふぉ」

 イヤなジジイだ。都合が悪くなると笑ってごまかしやがる。

「そうなると、竜族の消失、いや移住か? それは黒竜王を封印する『ついで』だったということか」

 しかしそこまでされる黒竜王のスケベレベルっていったい……?

「比叡のヤツが、召還するのが普通の竜族だった場合、ワシが危惧したいざこざは心配いらんじゃろうな。じゃが、この機をグロウゾードの奴が逃すとは思えん。このままじゃと、まず間違いなく黒竜王が召還される。考えようによっては、こちらの方が危険じゃな」

「父は、『狭間』に閉じこめられたことだけでもかなり腹を立てています。下手に復活したら何をするかわかりません。私も連れていってください。私がなんとか説得してみます」

「しかしどうやって? 召還されてからじゃ手遅れだぜ」

「それは大丈夫。あそこは私は通れます」

 洞窟の奥にある『狭間の湖』へのゲート。これは目の細かい網のようなものだそうだ。ある程度以上の実力者は通ることはできないが、それ以下の者なら網の目をくぐることができる。

 世界大融合後も、一部の竜族は『こちら側』とを行き来しているそうだ。

「よしわかった。お前もついてきてくれ。けど、自分の身は自分で守ってくれよ?」

「はい、そのくらいだったらもちろん大丈夫です」

 ネオは、意外に精悍な顔でうなずいた。


「ランドー、俺、思うんだけどさ」

 洞窟の前で、りゅうりは言った。

「この洞窟の中へ大量の水を流し込めば、それで決着が付くんじゃないかな?」

 一瞬良い考えだと思ってしまったが、この戦法には欠点がある。

 洞窟の底は『狭間』になっている。ここへどんどん流れて行くだけだろう。

「良い考えじゃないか。よし、オイラがやってやる!」

「やめんか、ガキ!」

 水系の呪文を唱えるオヅマを、俺はこづいた。魔法使いのくせして考えがコボルト並に浅いぞ。やっぱりガキか。

 ともあれ、翌朝。俺たちは約束通り洞窟前に集合した。当初の予定より一人増え、俺・校長・デューク・オヅマ・りゅうり・ティアラ姫・真紀、そして飛龍改めネオの八人だ。

 一応、事情の説明とネオの紹介はすませておいた。真紀などは結構驚いていた。デュークや姫様も、竜族を見るのは初めてだそうだ。

 姫様は、厚手のローブを羽織っている。樫の木の杖も持ち、なかなか魔法使いっぽいスタイルだ。

 デュークはいつもの剣と胸当てだが、今回は金属製の小手とブーツも装備している。

 他のメンバーは、わりといつもっぽい服装だ。若干厚手の物にはしているようだが。

「さあて、それじゃあ行くか」

 ハイキングにでも行くように、俺は宣言した。


 戦時中、防空壕として使われていたらしいこの洞窟は、世界大融合後、魔物たちのすみかとなった。

 本来は自然洞窟なのだが、地形を利用した部屋がいくつか見受けられる。コボルトやオークのような人型魔物が手入れをしたらしい。

 たまにある扉を開け、中を確認し、次第に奥へ潜っていく。時々モンスターと遭うが、デュークとオヅマに返り討ちにされる。

「ランドー! 貴様一人で何を楽している!」

 ぶーたれるデュークに、俺はささやいた。

「ここで活躍すれば、姫様の評価が上がるぞ」

「ここは私に任せてもらおう」

 ……扱いやすい奴だ。オヅマも同じ手口が使えるだろう。

「なあランドー。宝箱はないのか? 宝箱」

「ゲームじゃねえっての」

 うきうきと尻尾を振るりゅうりに、俺はうんざりして言った。やはりこいつは何かを勘違いしている。

 しばらく歩くと、広い空間に出た。

 足場は堅く、かなりしっかりしている。石畳が敷かれているようだ。

 ランタンや懐中電灯では足りないので、姫様が明かりの魔法を使った。

「これは……かなり人の手が入っているな」

 ほうっと俺は嘆息していた。

 床は一面、石畳が敷かれている。壁も平らに削られ、火こそついてないが等間隔にたいまつがかけられている。

 天井も結構高い。部屋の広さは、直径五十メートルといったところか。円形の部屋だ。

「世界大融合の際に、『あちら側』の洞窟が重なったんじゃろうな。『こちら側』では防空壕に使われた程度じゃが、『あちら側』では魔法使いか誰かが、本格的なすみかとしていたんじゃろう」

 あごの無精ひげをなでながら、ジジイは説明する。

「ここはオイラのすみかだよ」

 あたりを見渡しながら、いきなりオヅマがそう言った。

「おいおい、マジかよ」

「ああ。ここは『前』のオイラが儀式に使っていた部屋だ。よく思い出せないけど、間違いない」

 十年前、オヅマはアルマフレア王国を相手に戦争を仕掛けた。英雄ケインに倒されるが、死の寸前、転生術を施したらしい。そして今のオヅマがいるわけだ。

 しかし術が中途半端だったのか、前世の記憶が薄いらしい。アルマフレアと英雄ケインに関する他は、よく覚えていないという。魔力が落ちたのもその関係か。

「恐怖の魔法使いも地に落ちたもんだな」

「なんだとこの!」

「やめなさいよ」

 真紀が、俺とオヅマの間に割って入った。

「今のオヅマ君は今のオヅマ君なんだから。変に過去を引きずるのはやめましょうよ」

「……うん」

 うつむき加減に、オヅマはうなずいた。真紀の前だと良い子ぶりやがる。

「まあしかし、ここから先はどうすべか……」

 自問気味につぶやきながら辺りを見回すと、鉄製の大きな扉が二つあった。俺たちが通ってきたところを含めると、正三角形になる配置だ。

 うーん、どっちに行くべきか。

「オヅマ、どっちが底につながってるんだ?」

 覚えてない、とオヅマは首を振った。

「きゃあっ!」いきなり姫様の悲鳴。

「どうした!」

 緊迫して振り返ると、姫様が俺に飛びついてきた。

「あ、あれ!」

 彼女の指さす先に、ネズミが一匹ちょろちょろしていた。

「ネズミが怖いのか? さっき、ジャイアントラットとも戦ったのに」

「ふ、普通のネズミは苦手なんです」おびえた声のティアラ。

 姫様の意外な一面に、俺は親近感を覚えた。王女にして屈指の魔法使いだが、わりと普通の女の子なのだ。

「変なところで臆病だなあ、姫様は」

 抱き寄せ、姫様の頭をなでたとき、

 ばこーんっ! いきなり後頭部に走る衝撃に、思わずつんのめる。

「ランドー、頭にハエが止まってたわよ」

「うそつけっ!」

 能面で言う真紀に、俺は声を荒らげた。

「真紀さん、ランドー様にひどいことしないでください」

 ティアラ姫が抗議すると、真紀がキッとにらみ返す。

 な、なんかまたどろどろしてきてませんか?

「ランドーはこれくらいで壊れたりしないわよ。ティアラ様こそ、ランドーに妙なモーションをかけないでくれる?」

「そ、それじゃあ、真紀さんはランドー様とはどういった関係なんですか?」

 おいおい、なんか妙な展開になってきたぞ。

 真紀は一瞬ひるむが、次にはとんでもないことを口走った。

「あ、あたしとランドーは、キスした仲よ!」

 一瞬静まり返る一同。そして後ろに走る殺気。

「ランドー、お前、真紀姉ちゃんに、なんてことを……!」

 子供とは思えぬ形相で、オヅマが呻く。だが、

「ランドー様!」

 普段の物腰からは想像もつかぬほどの大声で、姫様が怒鳴った。俺だけでなく、オヅマまでもが怯んだ。

「それは本当ですか? ランドー様は、真紀さんとおつきあいしていたのですか?」

「い、いや、それは、そういうわけでは……」

 じりじりあとずさりながら、ぱたぱた手を振りながら、うわずった声を上げながら、あああああ、自分でも何がなんだか。

 俺の眼前まで詰め寄り、涙混じりに姫様は続ける。

「ランドー様は、真紀さんのことを好きなのですか? それとも、好きでない人とでもキスできるのですか?」

 不意に、ティアラは背伸びをし、俺に唇を重ねてきた。

 短く、唇を押し当てるだけのフレンチキッスだが、姫様の深い想いを俺は知った。

「私は、好きな人とでなければできません!」

 俺にではなく、真紀に向かって姫様は宣言した。


「………!」

「………!」

 なんか姫様と真紀が、言い争いをしている。ぼーっとした頭で、俺はそれを眺めていた。もう何がなんだかわからない。

 ふと、目が覚めるほどの殺気がほとばしった。それも二つ。

「ランドおおおぉぉぉ……! 貴様、ティアラ様にしてはならんことを……!」

「オイラの真紀姉ちゃんに、よくもおおおぉぉぉ!」

「だああああ! 俺のせえじゃねえっ!」

『やかましい! お前だけは絶対に死なす!』

 二人は閃光となり、俺に襲いかかる。怒りのあまり、潜在能力完全解放してしまったようだ。さすがの俺も逃げるしかない。

「青春じゃのお」

「まったくですな」

「お前ら、見物決め込んでるんじゃねえっ!」

 ジジイとりゅうりは、お茶の代わりに水筒を開けて見物に徹している。

「ランドーさまは、私の上に乗るのも大好きなんですよね」

 にっこりととんでもないことを言うネオ。受け取りようによってはものすごい卑猥だぞ。

「ランドー! あんた、なんまたかければ気がすむの!」

 真紀の奴は、ちゃっかりそう言うところだけ聞き逃さない。

「真紀さん、わかりました。こうなったらランドー様に決めていただきましょう」

「望むところよ」

 デューク・オヅマの執拗な攻撃から逃げまどう俺などそっちのけで、二人の少女はそれぞれの扉の前へ立つ。

「ランドー、これから先の道を決めて。あたしが開けるこの扉か、」

「私の開けるこの扉か。どちらか一つを選んでください!」

「今それどころぢゃねえええぇぇぇ!」

 息を切らしながらそう叫んだとき、

「!」

 とんでもない光景が視界に入った。

 真紀の開けた扉に、巨大な人影があった。

 緑の巨体に、顔の半分以上を占める巨大な一つ目。サイクロプスだ。

 右手に巨大な棍棒を握りしめている。それを大きく振り上げ、真紀を狙う。

「真紀!」

 次の瞬間、俺は真紀に飛びついた。

「ランドー様!」ティアラの泣きそうな声。

 どずうんっ! 派手な音をとどろかせ、サイクロプスの棍棒は地面を叩いた。

 振り返ると、今度は扉が閉まりだしていた。サイクロプスを大部屋へ解放した後、三カ所全ての扉を閉じるというトラップらしい。そして姫様は扉の向こう側にいる。

 俺は真紀を抱えたまま、半ば反射的に姫様の扉へ走る。二人を押し倒し、辛うじて扉をくぐり抜ける。

 ばあん! 鉄製の大扉が閉まったのは、その半瞬後だった。

「しまった! 扉が閉まってしまった!」

 鉄門の向こうから響くりゅうりの声。こういうときでもギャグは忘れぬようだ。それとも地か?

「二人とも大丈夫か?」

 ふうっ、と深く息をつき、身を起こしながら俺は二人に聞いた。

 真紀はふてくされたように上体を起こす。姫様はローブの埃を払うと、冷然として言った。

「そういうことですか。ランドー様、あなたはふたまたをかけようと言うのですね?」

「だああ! ちっがあぁーーうっ!」地団駄踏む俺様。

 これは単なる成り行きではないか。いやまあ、ちょっとはそうとも考えたかもしれないが。

 しかし、完全に分断されてしまった。サイクロプスはジジイたちに任せるとして、こっちの修羅場はどうするべきか。

 と、突如、

「誰かと思えば、ケインではないか。相変わらず女遊びがすぎるようだな?」

 背に響く低い声に、俺は硬直した。

 振り返った先には、広い空間があった。暗いので、正確な広さはわからない。

 俺たちから少し離れたところに、淡く光る魔法陣が一つ。そしてその上に人影があった。

 黒髪に一房の赤い髪。野倉比叡だ。奇しくも、目的地にたどり着いたようだ。

 だがあの声、そしてなによりも、あいつから放たれている『気配』は明らかに比叡とは違う。

 しかも、半端じゃなく強い。対峙するだけで汗がにじみ出てくる。

「何を呆けている。予を忘れたとでも言うのか? 黒竜王、グロウゾードを」

 比叡の姿をした男、グロウゾードはそう言った。

 間違いない。比叡の奴、黒竜王に乗っ取られたんだ。


「それにしても、久しぶりだな。初めて逢ったのは、五十、いや六十年くらい前だったか?」

 なにやら昔話を始めるグロウゾード。こいつ、英雄ケインと知り合いなのか。

「六十年?」いぶかしげに、俺は問い返した。

 アルマフレアを救った英雄ケイン。その出来事は十年前だ。当時、今の俺と酷似していたというケインは、せいぜい二十歳といったところ。計算が合わないではないか。

「……貴様、ケインではないのか?」

 黒竜王の声に警戒の色が混じる。

 ここで怯んだらなめられる。俺は胸を張って答えた。

「よく間違えられるが、俺は英雄ケインじゃない。俺の名前は樹之下蘭道。英雄ランドー様だ!」

「わっはっはっはっは!」

 豪快に笑う黒竜王。外見が比叡だから、どこか不自然だ。

「なにがおかしい!」

「これが笑わずにいられるか。ケイン以外で『英雄』を自称するヤツがいるとはな。貴様、性格までケインに似ておるわ。だが……」

 不意に、グロウゾードは嘲るような声で言った。

「英雄を気取るには実力不足のようだな」

 今のはムッときた。気を押さえ、俺は静かに比叡の姿をした黒竜王をにらむ。

「ランドー様、気をつけてください。あの人、比叡さんではありません。しかも、すごく強いです」

 さっきまでのいざこざも忘れ、姫様が俺の後ろでささやいた。その隣では真紀が不安げに視線をあちこちに動かしている。

「わかってる」

 敵から目を逸らさず、俺は答えた。握った拳に汗がたまってきている。手首をほぐしながら、俺は黒竜王に問うた。

「野倉比叡は、いったいどうなっちまったんだ?」

「比叡? そうか、貴様、この術者の知り合いか」

 くぐもった笑い声をひとつ、黒竜王は語りだした。

「こやつ、なかなかの術者だな。召還魔法を扱えるものはここ数十年おらなんだ。ゆえに、予が真っ先にこの術に応じた。久しぶりに『こちら側』に来るために、な。

 だが、こやつもなかなか考えておった。『こちら側』へ来れたのは、予の精神のみだった。

 こやつは予に聞いた。「世界大融合の原因と、『狭間の力』の真理を知りたい」と。

 予は教えてやったよ。「予を封印するために世界大融合を起こし、そして貴様が予を解放した」と。

 こやつの誤算は、召還するのが精神だけなら何もできない、と思っていたことだな。

 予はまんまとこの肉体を奪うことに成功したよ」

 久しぶりに『こちら側』へ来れた嬉しさからか、グロウゾードは揚々と語った。

 なるほど。黒竜王の召還はまだ完全じゃないわけだ。なら、まだなんとかなりそうだな。

 一番良いのはネオに説得してもらうことだが、ジジイたちはまだサイクロプスの方が片づいていないらしい。鉄門が閉じてしまったのもちょっとした障害だ。

「それはそうと」

 ぬめるような視線を、黒竜王は俺の後ろへ這わせた。値踏みするかのように、真紀とティアラ姫を見つめている。

「なかなか良いおなごではないか。どうだ貴様、予に一人よこさぬか?」

 舌なめずりをする黒竜王に、俺は吐き気をもよおした。噂以上のゲス野郎だ。

「寝言は寝て言えカスヤロウ」

 ごく冷静に、しかし強烈な敵意を持って、俺はきっぱり言った。

「ほお。予に逆らう者がいるとは珍しい。それとも、しばらく『こちら側』へ来ぬうちに皆、忘れてしまったのかな?」

 突如、

 ずんっ! 腹に走る重い衝撃に、俺の視界がひっくり返った。

「ランドー!」

 激しい耳鳴りの中、真紀の叫び声がしたような気がした。

 暗い天井が見える。俺は、倒れているのか?

 朦朧とした視界に、閃光が走る。瞬間、俺は我へ返った。

「くっ!」

 身をよじり、地面を転がる。黒竜王の肘鉄を、辛うじてかわした。

 素早く起きあがり、身構える。腹が鈍く痛む。俺は腹を押さえながら敵をにらんだ。

 比叡の姿をした敵が、薄く笑っている。間違いなく俺を見下している。

 無性に腹が立つが、今の一瞬の攻防でよくわかった。あいつは紛れもなく強い。

「この身体は、なかなか面白くできているな。性別を変えることができるとは、な」

 比叡の身体が、淡く光る。すぐに異変が起きた。

 きしむ音とともに、骨格が変わる。服の上からでもわかるほどに、筋肉質に変化した。

 髪がざわめき、赤と黒が入れ替わる。赤毛に一房の黒髪となった。性を片方へ寄らせると、こうなるらしい。

 そして、中性的だったその顔も、頬骨が出、目つきが鋭くなり、明らかに男のものとなった。

「この身体は人間だが、貴様よりも強いぞ。さて、勝てるかな?」

 獰猛な笑みで、グロウゾードは言った。

 なるほど。強いことは強いが、比叡の殻をかぶったあいつは、それ以上の力が使えないのか。

 俺は真紀と姫様を下がらせ、悠然として答えた。

「冗談抜かすな。俺より強いヤツがそうそういてたまるか」

 黒竜王が、ゆらりと動いた。閃きと化し、視界から消えた瞬間、真横に殺気が走る。

「けっ!」

 短く息を吐き、その方向へ肘を突き出す。姿を確認する間もなく、殺気は背後へ移動する。

 さすがに速い。だが、

 ごっ! すかさず放った後ろ蹴りが、グロウゾードのみぞおちにめり込んだ! 敵の身体がくの字に曲がる。

 確かに強い。だが、落ち着いて対処すれば充分戦える相手だ。こちとらジジイの修行に何度もつきあわされてるんだ。

 比叡の姿をした敵は、バックステップで距離を置いた。口元を拭い、こちらをにらむ。余裕の表情は相変わらずだった。

「自慢するだけはあるな。確かに貴様より強いのはそうそうはおるまい。だが、予が滅多にいない一人だということに気づかないのは愚かだな」

 ひゅん! 頬のすぐ側を、何か鋭い物が走り抜けた。すぐにその正体を察知した。

「カマイタチか……!」

「この身体、格闘系だけだと思うな!」

 俺は舌打ちした。比叡だけあって、特殊技に長けてやがる。無数に飛んでくる真空の刃を、耳と肌で察知し、かわす。

「次はこんなのはどうかな?」

 黒竜王が腕を振り上げる。そのすぐ上に燃え盛る火の玉が発生する。今度は火炎弾か!

 ごうんっ! しかし火の玉は、発射さえる前に暴発した。

「サンキュー、姫様!」

 そう。ティアラ姫が魔法弾で援護してくれたのだ。

 爆炎さめやまぬうちに、敵の間合いへ入る。追い打ちをかけるなら今だ。

 掌底を繰り出す俺に、黒竜王は同じ体制で応戦する。二つの拳が合わさる瞬間、

『波紋衝!』

 どんっ! 二人の声と轟音が、綺麗に重なった。

 弾け飛び、あわてて体勢を立て直す。手のひら、いや腕全体に衝撃が残っている。余った手で手首を押さえながら、俺は敵を驚動睨視した。

 波紋衝。一瞬引き一気に押し込むことにより生み出す波紋の衝撃。俺とジジイの持ち技だ。それをなぜあいつが?

「貴様、本当にケインではないのか? 波紋衝はもともと、予がケインに教えた技だ」

 俺と同じ表情で、グロウゾードは言った。

 考えられることは二つ。ひとつは、ジジイとケインが知り合いだということ。もうひとつは……。

「ふん。こんな脆弱なヤツがケインのはずはないか。我ながら、くだらないこと考えてしまったわい」

 グロウゾードの声に、俺の思考は中断された。

「ずいぶんなめた言いぐさだな」

「当然だろう。この身体で、しかも格闘メインで戦ってようやく互角では、な」

「!」

 瞬間、半透明な『なにか』が、俺の顔面めがけて飛んできた。とっさに手を出してかわそうとするが、

 どずんっ! 石地蔵が倒れるかのように、俺は地面にたたきつけられた。

「う……がっ……!」

 途方もなく重い衝撃。半透明の鎖が俺の身体に巻き付き、動きを封じている。

「これは……超重絡鎖網……!」

 ジジイがレッサードラゴンを相手に使った技だ。グロウゾードの野郎、またジジイの技を使いやがった。

「なかなか手こずらせてくれたな。だが、そいつは簡単にはほどけんぞ」

 全身にかかる衝撃のせいか、敵の声がいやに遠くに感じる。少しでも気を抜けば、意識ごと地の底へ落とされかねない。

「ランドーを放して!」

 ざんっ! 黒竜王へ向けて、真紀が衝撃波を放つ。『力』の制御が上手くなってきている。だが、

 ぱあん! ごく無造作に腕を振るうだけで、黒竜王は今の一撃を弾き飛ばした。

 この瞬間、ティアラが魔法を完成させた。

 ごばあっ! 火炎の龍がグロウゾードに迫る!

「なかなか気丈な娘だ。調教しがいがある」

 いやらしい笑みを一変、火炎を激しくにらむ黒竜王。眼光だけで、火炎をかき消してしまった。

「そんな……」失望に膝をつくティアラ。

 比叡の殻をかぶっても、いや比叡だからこそか。『狭間の力』で戦わせたらバケモノレベルだ。姫様の魔力をもってしても太刀打ちできないとは。

「ほう、お前、神族の末裔か」

 黒竜王の目が、わずかに動いた。姫様に流れる神族の血をかぎ取ったらしい。

「こいつは面白い。神族と竜族が交わったらどういう子が産まれるか、一度試してみたかったのだ」

「ひ……」

 もはや比叡の面影すらない。牙をむいて笑うグロウゾードに、姫様は青ざめて後ずさる。

「このクソ外道! そいつらには指一本ふれるんじゃねえっ!」

「その束縛でまだしゃべれるとはな。だがそれ以上は何もできまい。せいぜい絶望しながら見ているがいい。自分の女が犯される様をな」

 黒竜王が封印された理由がよくわかった。肉欲に動かされるがままのこいつが王座についたことすら不思議に思える。

「やめなさい!」

 真紀が再び衝撃波を撃つ。黒竜王の姿が揺らぎ、消える。次の瞬間、真紀の眼前に現れた。

「じゃじゃ馬だな。少しおとなしくしていてもらおう」

 ぱんっ! 平手打ちを一発、真紀は勢いよく転がった。

 男として決してしてはいけないこと、黒竜王はそれをやった。俺は全身でこう思った。『ぶち殺す!』

 どくんっ。俺の内で、何かが脈動を打った。

 身体の奥から熱い物が吹き上がってくる。だがそれは苦しい物ではない。むしろ心地よさすら感じる。

 熱が全身に行き渡ると、今度は一気に冷める。

 眠くて眠くてしょうがないとき、不意に、すぅーっと目が覚めることがある。そういう感じだった。

 黒竜王が驚いて振り返った。

「一桁跳ね上がりおった……!」

 俺は不可視の束縛を外していた。「うっとうしい」と思った途端に消え去ったのだ。

「やっとわかってきたぜ……」誰にともなくつぶやいた。

 原理を理解することが『狭間の力』の原動力だと比叡は言っていた。

 だがそれは理系の比叡にとってでしかない。俺の場合は単純に『強く思う』だけだ。

 もちろんこれでは難しい技は使えないだろう。だが俺には必要ない。

 そんな物なくても、気にいらねえヤツは拳でぶちのめす!

 瞬間、俺は黒竜王の懐に飛び込んでいた。ヤツの動体視力すら超えたスピードで。

 そして、グロウゾードが構えをとるよりも早く、渾身の拳を敵の腹へたたき込む!

「がはっ!」

 血反吐を吐きながら、黒竜王は吹き飛んだ。

 だん中・水月・丹田。胸から腹にかけてある、この三つの急所を一瞬で打ち込む、俺のオリジナル技だ。名付けて『三つ又の閃き』!

「ぐっ……!」

 苦しげに呻きながらも、黒竜王は起きあがる。その瞳は困惑の色に満ちていた。

 無理もない。魔法でも『狭間の力』でもない、単なる拳の一撃でこれほどのダメージを受けるとは思っていなかったのだろう。

 本物の竜族が相手だったら『三つ又の閃き』は単なる三連撃にすぎなかっただろう。だが黒竜王は、比叡の身体を奪った時点で、人間の弱点を背負い込んでしまったのだ。

 俺はごく無造作に歩み寄り、比叡の胸元に手を当てる。ここには雁下という急所がある。

「てめえの敗因は三つ。ひとつは人間の殻をかぶったこと、ひとつは俺をなめてかかったこと、そして最後は、女に手をあげたことだ!」

 咆吼をあげ、手のひらに『力』をそそぎ込む。そして、

「波紋衝!」

 急所へ容赦なくたたき込む!

 二転三転し、黒竜王は地に伏した。


「真紀、しっかりしろ!」

 俺は真紀の上体を起こし、軽く揺さぶった。隣では姫様が心配そうにのぞき込んでいる。息はしているから、気絶しているだけだろう。

 少し離れたところで、比叡が大の字で気を失っている。『中性』に戻ってはいるが、次に目を覚ましたとき比叡に戻るか黒竜王のままかはまだわからない。

「ランドー様……」

 遠慮がちに、姫様が聞いてきた。

「真紀さんは、ランドー様にとってどういう人なのですか?」

 どういう意味で聞いているのかわからないほど、俺は鈍感ではない。言葉を選びながら俺は答えた。

「一番大切な幼なじみさ」

「……微妙な言い回しね」

 ぱっちり目を開け、真紀がつぶやいた。とっくに目が覚めていたらしい。

 俺は腹をくくることにした。

「おう。真紀は一番大切な幼なじみで、姫様は一番大切なお姫様だ。ついでに言うなら真弥ちゃんは一番大切な妹で、イシター先生は一番大切な先生だぞ!」

「開き直るな!」

 真紀の一喝と同時だった。

 どうんっ! 派手な音が響き、続いて複数の足音。

 サイクロプスを倒し、ジジイが波紋衝で鉄門を壊し、ようやくみんながやってきた。

「ティアラ様、ご無事でしたか!」

 こともあろうか俺様を突き飛ばし、デュークは姫様の手を握った。

「デュークくん、開口一番言うことはそれかね?」

 こめかみぴくぴくデュークをにらむと、

「真紀姉ちゃん!」

 どばきっ! 俺様の顔面を壁代わりに、オヅマが真紀に向かって三角飛びで抱きつく!

「てめえらいいかげんにしやがれ!」

 雄叫びひとつ、二人をとっつかまえてタコ殴り!

「あーもう! あんたたちは何でいつもそうなの!」呆れて真紀が叫ぶ。

 学校では日常茶飯事のこの光景に、おずおずとネオが割って入ってきた。

「あ、あのう、結局父はどうなったのでしょう?」

「そうそう、そのことだけど」

 喧嘩は一時中断し、俺はかいつまんで説明した。

「なるほど。召還されたのは精神だけじゃったか」

 胸をなで下ろすジジイ。そこへ、意外な声がした。

「黒竜王は、もうじき復活するよ」

「比叡!」

 よろよろと、比叡が立ち上がっていた。驚いて振り返る一同。

「黒竜王は僕の身体を乗っ取ったとき、改めて召還呪文を唱えた。『こちら側』へ完全復活するためにね」

「なに落ち着いてやがる。元はといえばてめえのせいで……!」

 比叡は、俺の文句を手で制した。

「失敗を恐れては科学者はつとまらないよ」

「威張るなああぁぁ!」

「やむを得んのう」

 さも面倒くさそうに、ジジイがため息をついた。

「なんだよジジイ。なにか策でもあるのか?」

「まあ、な。戦うにしても説得するにしても、ワシが動くしかあるまい。できればやりたくなかったがの」

 静かに、ジジイは目をつむる。「ランドー、よく見ておけ」とつぶやきつつ。

「お主らの言う『狭間の力』を極限まで引き出すと、一時的に身体が変化を起こす。その桁外れな力を制御できるだけの形態にの。ワシはその形態を『英雄』と呼んでいる」

 ふと、目を開く。その瞬間、

 ごうっ!

 いきなり砂煙が舞い上がった。ジジイを取り巻き、姿が一瞬見えなくなる。煙がはれたとき、とんでもない人物がそこにいた。

 並よりは高めの背丈。黒髪と、やや細身で野性味のある顔。ジジイは青年に変貌していた。

 その姿は、樹之下蘭道。そう、この俺自身にそっくりだった。

「ケイン様!」

 姫様が驚いてそう叫んだ。

 アルマフレア王国を救った、英雄ケイン。それは柊健一、つまりジジイのことだったのだ。

「なんですってえええぇぇぇ?」

 裏返った自分の声が、やけに遠くに聞こえた。

 意外なんてもんじゃない。裏をかかれた心境だ。


「初めて『あちら側』へ行ったのは、もう六十年も前になるかのう。

 戦時中だった当時、戦争にかり出されるのを嫌ったワシは、修行を建て前に山にこもっておった。

 その山は『神隠し』で有名なところじゃったが、ワシは構わず奥へ進んだ。そしてものの見事に神隠しにあってしもうたわけじゃ。そしてたどり着いたところが『あちら側』だったのじゃ。

 世界大融合が起こる前から、この二つの世界はつながりを持っておったわけじゃな。もちろん簡単に行き来できるものではないがの。

 ともかく、ワシは『あちら側』へ流される際に、『無の海』にさらされた。このときに、お主らの言う『狭間の力』を身につけたわけじゃ」

 ジジイ(今は若いが)が淡々と昔話をしている。

 俺・姫様・真紀・りゅうり・デューク・オヅマ・比叡・ネオの八名は、取り囲むようにしてその話を聞いている。

 うーむ。ジジイにそんな過去があったとは。世界大融合前からあった妖怪じみたあの強さも、しかしそれで納得がいく。

「しっかし、よく似てますなあ」

 りゅうりが俺とジジイを交互に見やる。

 確かに。背丈もほぼ同じで、今回は似たような服装だから、並ぶと区別がつかなくなる。俺が英雄ケインと間違われるわけだ。

「そうかあ……。お前が英雄ケインだったのか……」

 オヅマのくぐもった笑い声。嫌な予感を覚えるよりも早く、

「積年の恨み! 喰らえケイン!」

 ぼっ! 詠唱無しで、オヅマの前に火炎弾が現れる。

「危ないやっちゃのう」

 くりっ。常識はずれの速度でジジイがオヅマの背後に回り込み、肩ごと俺の方へ向かせる。

「だああっ! ちょっと待て!」

 ぼああああっ! 火炎が俺の周囲を駆け回る!

「オヅマ君、むやみに魔法を使っちゃダメよ?」

「うん!」

「うん、ぢゃねえ!」

 尻についた火を叩きながら走りながら、真紀とオヅマに向かって俺は叫んだ。

「区別つきやすくしておいた方がいいかの」

 言ってジジイは髪に手を当てる。軽く手を払うと、見事な銀髪になった。

「ふむ。お主が1プレイヤーでワシが2プレイヤーじゃな」

「なにをわけのわからんことを」

「けど良かったじゃない、ティアラ様」

 真紀がティアラへ、意地悪そうに微笑みかける。

「憧れのケイン様が見つかったんだものね?」

 うっ、と息をのむ姫様。

 業火にまかれるアルマフレア城から、幼き日のティアラ姫は英雄ケインに救われたという。それ以来、ケインは姫様の憧れの人だったのだ。

 その正体がジジイだったというのは、喜ぶべきか悲しむべきか、どちらだろう?

 押し黙り、不意に姫様は俺を見つめた。

「ランドー様は、比叡さんのような両性でなく、本物の女性がお好きなんですよね?」

「あ、ああ」

「私も、本物の若者の方が良いです!」

 拳を握って語る姫様。ちょっとキャラクターが変わったような気がする。

 あ、隣でジジイがしくしく泣いてる。年寄りなりに傷ついたのだろう。

「だーからワシはこの形態になりとうなかったんじゃ!」

 ……もしかして、この土壇場まで正体を隠し続けたのって、姫様に嫌われたくないからだったのか? 老人心は複雑なり。

「その通りですティアラ様。棺桶に片足突っ込んだような者に憧れるなど、ティアラ様の品性が疑われてしまいます。やはりここは私めが……」

 片膝ついて訴えるデュークに、ジジイがにこやかに青筋をたてる。

「ランドー、今ワシ、無性にデュークを退学処分にしたい気分なんじゃが」

「ナイスアイデアだぜじっちゃん」

「すみません。私が間違ってました」

 平謝りなデューク。なんかこいつもキャラが変わってきてないか?

「どうでもいいけど、そろそろ始まるよ」

 ぼそりとした比叡の声。ほぼ同時に、

 ぎんっ! 金属をこすりあわせたような嫌な音が響く。

 思わず耳を押さえる俺たち。魔法陣に異変が起きつつあった。

 緊迫した声でジジイが怒鳴る。

「嬢ちゃん! 比叡! オヅマ! お主らはこの部屋の壁を強化せい!」

「な、なんでオイラが……」

「死にとうなかったら早くせい!」

 ぐずるオヅマに大声一喝。さすがのオヅマも怯んだ。

「真紀・ネオ・龍利は、自分の身を守ることに専念せい! ここからは洒落にならんぞ!」

 さすがにこういう時は校長なだけはある。オヅマ以外は、みんな素直に従った。

 ずあああっ! 結界から激しい風が巻き起こる!

 頻繁に発生する真空刃が、壁に天井に傷を付ける。確かに強化してなければ、洞窟ごと崩れかねない。

「これは、瘴気?」

 吐き気をもよおすほどの、どす黒い気配。これが黒竜王の気配か?

「いや、これはいわば予震じゃ。それでも……」

 ジジイの言葉が終わらぬうちに、瘴気が集まりゴーストにも似た化け物に変化する。

「前哨戦の始まりじゃ。デュークとランドーは、ワシの援護に入れ!」

「おう!」

 気合い一閃、デュークが剣を振り回す! ゴーストの一体を綺麗に切り裂いた。

 ジジイは光をまとった拳で、数体のゴーストをタコ殴り。俺も負けてはいられない。

「いくぞおらぁ!」

 すかっ。しかし俺の拳は空を薙いだ。

「ゴーストに単なる拳が通用するかバカモノ!」

 ジジイの叱咤に反論するよりも早く、ゴーストが俺にまとわりついてくる。とり憑く気か!

「なめるなあ!」

 ぼふっ! 俺の怒号に、絡みついたゴーストはかき消えた。

「おおっ。気合いだけでかき消すとは、さすがに単細胞じゃの」

「単細胞はよけいだ!」

 ともあれ、ゴーストの倒し方はわかった。

 デュークのような魔法剣も、ジジイのような特殊技も俺にはない。それでも戦い方はいくらだってある。そしてそれこそが、俺が俺らしくあるための戦い方だ。

 奮闘数分。ようやく烈風がおさまってきた。息をつく一同。

 地面はあちこちに亀裂が走り、結界もずたずたにされていた。

「結界が決壊している!」

「やかましい!」

 この期に及んでも駄洒落を忘れぬりゅうりをはり倒した。

 りゅうりのギャグがウケたのだろうか、比叡が腹を押さえてうずくまっている。こいつの感覚はどうにも理解できない。

「召還魔法は失敗だったのか?」

 これだけ騒ぎを起こした末、結界が壊れるだけとは。なんとも拍子抜けだと思ったが、ジジイは真顔のままだ。異変はまだ続いているようだ。

 と、魔法陣跡が再び輝き出す。光の柱と化し、その中に人影が現れる。光は徐々に弱まっていく。

「きたか」ジジイがぼそりとつぶやいた。

 光は消え、魔法陣跡の上には男が一人いた。

「今度は本物のようだな、英雄ケイン」

 低く迫力のある声で、彼は言った。

 身長二メートル弱といったところか。人としては結構でかい。軽量の甲冑を着込んでいる。

 人間でいえば四十歳くらいだろうか。しかし、その鋭い眼光と体格は、へたな戦士など足元にも及ばないだろう。

 黄緑色の身体と、燃えるような赤い髪。そして皮膜のついた翼は、明らかに人外の者である。

 竜族の長にして最強のドラゴン。黒竜王グロウゾードがついに復活してしまったのだ。

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