ROUND2『狙われた少女たち』

   ROUND2『狙われた少女たち』


 コッケコーコー! ニワトリの鳴き声が、朝の青空に響く。八時を過ぎているのに、のんびりしたニワトリだ。

 今朝は久しぶりに歩いて登校している。俺の隣に真紀、やや後ろをりゅうりと真弥ちゃんが歩いている。

「なあランドー。コッケ高校ってどこにあるんだ?」

 ひゅおおおぉぉぉ。

 さ、寒い。りゅうりはなぜにここまで寒いギャグをかませるのだ?

 身震いする俺をよそに、りゅうりは真弥ちゃんとしゃべくり始める。

「くんくんくん。真弥ちゃん、今日は良い匂いがするぞ」

「あ、わかる?」はにかむように、真弥ちゃん。

 コボルトが重なっているりゅうりは、犬並に鼻がきくのだ。

「新しいボディーソープにしたんだ。今、流行ってるのよ」

「真紀も使ってるのか?」俺が聞くと、

「そうよ。二人で別々の使ってたら、もったいないじゃない」

「俺はいつもの匂いと同じに感じるけどなあ」

 ごめすっ!

 真紀の制服の胸元をめくって匂いをかいでいたら、比類無きボディーブローを受けた。

「お、お前、日に日にパワーアップしてないか?」

「知らないわよ。あんたが変なコトするから、自業自得よ」

 おう吐感を必死にこらえながらうずくまる俺に、真紀はつっけんどんに言い放つ。

 それからしばらく。校門の前までさしかかったとき、

「ランドォォォォーーーー!」

 いきなりデュークがブロードソードを振りかぶって突っ走ってきた。ええい、朝っぱらから暑苦しい。

 って、おい。

 がぎんっ! 俺は半瞬の差で、辛うじてかわした。

 おいおい、いつもの三倍(当社比)は速くないか?

「おおおおおぉぉぉ!」間髪入れずにデュークの二撃目。

「だああっ! ちょっと待て!」

 真剣白刃取りで攻撃を受け止める。コテコテの防御技だが、この際仕方がない。

「貴様、よくも、よくもおおおぉぉぉ!」

 半分以上泣きながら、デュークが力を振り絞る。

 ちょ、ちょっときついぞ。こいつ、こんな底力があったのか。

「叫んでるだけじゃわからん。用件を言え、用件を」

「とぼけるな! 貴様、よくもティアラ様の純潔を奪ってくれたな!」

 なんですと!

「俺はそんな美味しいことをした覚えはないぞ!」

 思わず本音をぶちかましてしまった俺を、真紀が半眼視する。

「ふーん。ランドーとティアラ様って、そういう関係だったんだ」

「だーかーらー、身に覚えがないと言っとるだろうが!」

「本当に違うんだな?」

 デュークがようやく力を抜いた。俺は一息つき、

「ああ。それよりいったい、姫様に何があったんだ?」

「そ、それは……」

 赤い顔で口ごもるデューク。男の照れる様は、見ていてうっとうしい。

「ティアラ様のした、したしたした……」

「やっぱり誰かとシタのか!」

「違う!」

 思わず声を荒らげてしまう俺へ、デュークがムキになって言い返したとき、

 青いオフロード車が校門前に止まった。姫様の車だ。(もちろん運転手がいる)

 こちら側に来られてから、姫様は『自動車』がえらく気に入られた。あちら側にはない技術だから無理もない。そのせいか、オーディオ機器やパソコンなど、ハイテク分野にもずいぶんと興味を示されている。

 車を降りる一人の少女。ピーチ色の髪と白い肌。ティアラ姫は今日も美しい。

「姫様、おはようございます!」

 例の『挨拶』をしようとした俺を、姫様はそそくさとかわした。

「姫様?」

 不思議そうに俺が問うと、姫様は顔から火を噴き、逃げるように校舎へ走っていった。

「ランドー、やはり貴様……!」ずんばらりと剣を抜くデューク。

「知らんっちゅーに! それより、何があったか早く言え!」


「下着が盗まれた?」

 すっとんきょうな俺の声に、デュークは重々しくうなずいた。

「なんだ、俺はまたてっきり……」

「てっきり、なに?」

「下着といえども、笑い事では済みませんな」

 真紀がにらむので、妙な口調になってしまったでわないか。

「なるほど。ランドーが疑われるわけだ」りゅうりが笑う。

「失礼な。俺は中身にしか興味はないぞ」

 下着は盗む物ではなく、脱がせる物だというのが俺の持論だ。

 と、そのとき、

「待てー! 下着ドロボー!」

 黄色い悲鳴と罵声を背に、ほっかむりをした小柄な男子生徒が走ってきた。

「ははははは! 我が名はランドー! 返して欲しくば2年A組まで来るが良い!」

 笑いながら少年は、俺の脇を走り抜けた。

 おいおい、今のわ……、と振り返ろうとしたその矢先、

 ふわり、と何かが俺の頭にかぶさった。

 ベージュ色の三角形の布地。シルク製か、肌触りがなかなか良い。

 こ、これは、世に言うぱんちゅという物でわ?

 となると、お尻のところにある、この小さな穴はなんだろう?

「あー! あたしのぱんちゅー!」

 猫娘、稲沢久美が俺を指さした。

 なるほど。これは久美ちゃんのか。尻尾用の穴なわけね。

「あたしのぱんちゅ返せ!」

 ばりばりばり! 全身全霊をもって、俺の顔面をひっかく久美ちゃん。痛ひ。

「ちょ、ちょっと待て! 俺は無実だ!」

 流血顔面を押さえつつ、俺は後ろを指さす。

「ランドーって名乗ってたじゃない」

「あれはどう見ても樹之下君だったわよ」

 ほかの女生徒もやってきて、口々に言う。

「ランドーって最低ね」

「ランドーお兄ちゃん、そんな趣味があったの?」

 真紀と真弥ちゃんまで俺を白い目で見る。みんな俺をなんだと思ってるんだ。

「ははははは! 我が名はランドー! 返して欲しくば二年A組まで来るが良い!」

 さっき来た廊下から、また少年がやってきた。今度はフロシキまで背負っている。

「おいこら」

 すれ違う瞬間を見きり、少年の首根っこを捕まえる。

 一〇〇センチほどの小柄な身体。ほっかむりをしたってバレバレだ。魔導師オヅマである。

「なにをする! このランドー様にたてつくとは良い度胸だな!」

 げしっ! 俺は無言でオヅマの頭を殴った。

「やめろ! オイラを怒らせると、あとが怖いぞ!」

 俺は『オイラ』なんて一人称は使わないぞ。

 オヅマの首根っこをつかんだまま、女生徒群に差し出す。

「こっちが犯人だ。煮るなり焼くなり好きにしてくれ」

「って、なんで樹之下君が二人いるのよ?」

 ごめっ。女生徒の声に、俺は思わず壁に頭突きをかましてしまった。

 身長一七五センチ、細身で野性味のあるフェイスが魅力のこのランドー様が、身長二桁センチの小便臭い田舎小僧と同じに見られるたあ、なんたる屈辱!

「ランドーって双子だったの?」目を丸くする真紀。

「くんくんくん。こいつ、オヅマだぞ」鼻を鳴らしながら、りゅうり。

「ちっ、ばれたか」

 オヅマが舌打ちすると、ぼふっと空気がうねった。

「オヅマ君だったの」驚いたように真紀が言う。

 どうやらオヅマの野郎は幻影魔法を使っていたようだ。俺には通用しなかったようだが。

「きゃーっ! 下着ドロボーよーっ!」

 またしても女の子の悲鳴。

 間をおかずしてやってきたのは、オークの集団!

 オークとは、直立する豚型のモンスター。こいつらがほっかぶりをするその姿は、ものすごく不気味だ。

「わー、ランドーお兄ちゃんがいっぱい!」

 …………………………。

 ……いや、これも幻影魔法だったんだろうけど……、豚どもと間違われる俺っていったい……?

「お前ら、もう帰っていいぞ」

 オヅマに指示され、オーク達はいずこかへ去っていった。

 盗まれた下着は、速やかに持ち主の元へと返された。

「オヅマ君、下着泥棒なんて、もうしちゃだめよ?」

「うん! オイラ、下着泥棒なんてもうしないぞ!」

 お姉さん口調の真紀に、元気良く応えるオヅマ。すっかりなついてやがる。

「このクソガキ……!」

 ぶん殴ろうとした俺に気づき、オヅマが真紀の後ろに隠れる。その上、あっかんべーなぞしやがった。

 俺は極力冷静さを取り戻すように努力し、

「ふん、とんだマセガキだな」

「なんだと! オイラはお前に罪をおっかぶせようとしただけだい!」

「ほっほー。またお仕置きされたいのか」

 握り拳に息を吐きかけ、肩をぷるぷる震わせる。

 ここまで黙っていたデュークが前へ出た。

「ティアラ様の下着を返してもらおうか」

「デューク、姫様の下着を手に入れてどうしようというのだ?」

「どうもせん!」

 顔を赤くして怒鳴るデューク。相変わらずからかいがいのあるヤツだ。

「オイラ、そんなの知らないぞ」首を振るオヅマ。

「ふざけるな!」

「本当だってば!」

「みなさん、授業が始まりますよ。早く教室へ戻りなさい」

 明るい声と共に現れたのは、イシター先生。薄紫色の髪と、銀縁眼鏡が印象的だ。

「ちっ。運のいいヤツだ」舌打ちするデューク。

「一時間目は私の授業ですからね。遅れちゃ駄目よ」

 くすっと笑み、イシター先生は去っていった。

「なんかイシター先生、印象が変わったよな」

 半ば無意識に、俺は呟いていた。

 この学校へ来たときは、いかにもインテリ~って感じだったのに、ここ数日、妙に明るい。一種ハイな感じすらある。

 オヅマが転校してきたときも、妙に前向きに受け入れていた。

 イシター先生もアルマフレアの民。そのアルマフレアを滅しかけた魔導師オヅマは、彼女にとっても敵であろうに。

 このあたり、姫様とデュークも不審に思っているようだ。

 しかしここで、オヅマがあっさりと謎解きをした。

「あの女には、ハイテンションレンズをかけさせたからな」

「ハイテンションレンズ?」

 オヅマが言うにハイテンションレンズとは、性格を変えるマジックアイテムらしい。

 転校する際に、真っ先に反対するであろう彼女にこれをかけさせたという。

「ま、いいんじゃない? 以前ほどの力はないそうだし。もう悪い子じゃないわよ」軽い調子の真紀。

「デューク、納得いくか?」

「いくわけないだろう」

 珍しく意見が一致した。オヅマは共通の敵なのである。


「ジジイ、いるか!」

 ばあんっ! と、俺はぶち破るように扉を蹴り開けた。

「おいランドー、校長に対してそんな態度とって良いのか?」

 デュークが珍しく控えめなことを言う。

「いいんだよ」

 ぶっきらぼうに応えつつ、俺は部屋を見渡す。

 まあ、校長室としては普通だろう。華美すぎなければ質素すぎたりもしない。

 しかしその机には誰も座っていなかった。

 ちっ、また旅にでてやがるのか。

 いや、念のため、俺は召還呪文を唱えることにした。

「けーんーいーちーくーん、あーそーびーまーしょー!」

「その妙な呼び方はやめんかい!」

 げしっ! 俺の後頭部を小突く影がひとつ。

「でたな、妖怪ジジイ」

 振り返りつつ、俺は身構える。

 どこから現れたのか、はたまたいつの間に後ろに回ったのか。そこには老人が一人。

 年齢の割に背は高く、俺と同じくらいある。背広を着ているが、わりとラフに着こなしている。

 もう八十近いはずだが、頭髪も多く、ガタイも一般の若者並。結構ナイスガイなジジイだ。

 この老人の名は、柊憲一(ひいらぎけんいち)。俺の祖父だ。姓が違うのは、母方だからだ。

「やいクソジジイ」

「なんじゃバカマゴ」

 不敵ににらみ合う俺たち二人。デュークが小声で話しかけてきた。

「お前、校長の孫だったのか?」

「見直したか?」

「なんでそんなことで見直さなければならん」

「それより、何の用じゃ。わしゃ忙しいんじゃぞ」

「けっ。なにかっつうとすぐ旅にでる暇人がなに言ってやがる」

 旅といっても旅行ではない。このジジイ、何かというとすぐ修行の旅にでる修行マニアなのだ。

 タチが悪いのは、しっかりと修行の成果を身につけてくること。はっきり言って人間離れした実力を持っている。

 ジジイと罵りあいをしても楽しくないので、とっとと本題にはいることにした。

「なんでオヅマをこの学校に入れた?」

「オヅマ? 誰じゃそれ?」

 くらっ。俺は立ちくらみを覚えた。ついにもうろくが始まったか?

 デュークが声を荒らげた。

「魔導師、サラヴィー・オヅマです! 十年前とは容貌が違いますが、あいつはアルマフレア王国を滅亡寸前まで追い込んだヤツです。なぜそのような危険人物をこの学園に編入したのですか!」

「おーおーおー、思い出したわい。あのちびっこいヤツか」

 ぽんと手を打ち、ジジイは目尻にしわを寄せて笑った。

「決まっておろう。面白そうだったからじゃ」

 こ、このジジイ、相変わらずフィーリングで物事を決めやがる。こういうヤツが権力を持つと、俺たち一般人が迷惑する。

「だいたい、あのガキンチョは十歳かそこらだぜ? 高校に入れても良いのかよ?」

 俺の質問を、ジジイは笑い飛ばした。

「なーにを言っておる! 聞くところによれば、アルマフレアの戦いの時、オヅマは三十前後だったそうではないか。となると、今はむしろ壮年じゃぞ?」

 あれのどこが壮年じゃ、こら。

「なにより、『あちら側』の人間に、法律や校則が通じるはずがあるまい?」

 うーむ。俺は腕組んでうなった。

 実際、日本の法律とアルマフレアの規律、どう扱うべきかはかなりの議論を呼んでいる。

 郷に入らば郷に従え、と言う日本政府に対し、いや、入ってきたのはお前たちの方だろうと言うアルマフレア。どっちも引かず、膠着状態のまま先延ばしになっている。

 結局今のところ、日本の法律ではアルマフレアの民を裁けない。逆もまたしかりだが。

「それに、あの小僧っ子の実力はなかなかのものがあるからのう。我が校に必要な人材なのじゃ」

 またこのジジイは謎なことを言う。

 修行オタクなせいか、このジイサマは意味もなく実力者をこの学校に引き入れてくるのだ。俺もさんざんジジイの修行につきあわされた末、この学校に入学させられてしまった。

 アルマフレアの民が積極的にこの学校へ編入されるのも、このジジイの趣向故だ。

「けどさあ。あのガキ、結構悪さをするぜ? 今朝方もぬれぎぬかけられたし」

「それはお前の日頃の行いが悪いからじゃ」

「やかましか! それに、イシター先生になにやら怪しいアイテム装備させたし」

「ハイテンションレンズのことか? わしゃ、あっちの性格の方が好みじゃからノープロブレムじゃ」

 ……まあ、俺もインテリよりは明るくなつっこい方が好みではあるが。それで済ませて良いのか?

「しかしですねえ」

 なおも食い下がろうとするデュークを俺は下がらせた。

「めんどくせえ。オヅマのことはまた今度にしようや。それよりも姫様の方が問題だろう?」

 実際、これ以上言いあっても進展は望めそうにないし、ティアラ姫の件がまだすんでいない。

「あ、ああ」

 不承不承、納得するデューク。校長が好奇の目を光らせた。

「ほっ? あの綺麗な嬢ちゃんがどうかしたのか?」

「なんでもねえよ」

 手を振りながら背を向け、俺たちは校長室を後にした。


 さて、どうやらオヅマの下着泥棒が単なる便乗犯だというのは本当らしい。姫様の下着もまだ見つかっていない。

 下着紛失事件は、まだおさまってないのだ。


         *


 不毛にもりゅうりと二人で、食堂で飯を食っていると、見知った女生徒が集会を開く場面に出くわした。

 真紀に真弥ちゃん、久美ちゃんにすずらん先輩、そしてティアラ姫もいる。

 くそ面白くないことに、デュークとオヅマも一緒だ。珍しい組あわせでもある。

「なぜ私が、こんなヤツと組まなければならないのですか!」

「それはこっちのセリフだぞ、三流騎士」

「なんだと!」

「やるか!」

 一触即発な二人。

 よし、このまま共倒れすれば、残った俺が漁夫の利だ。

「デューク、ここはこらえてください」

 姫様がデュークをなだめる。苦い顔をしているところを見ると、姫様も複雑な心境なのだろう。

「オヅマ君、ここは私のためと思って手伝ってくれないかしら?」

「うん! 真紀姉ちゃんのためだったらオイラ、なんだってやるぞ!」

 相変わらず調子のいいガキだ。

 しかし、あのヤロウどもを組ませてまで、いったい何をしようというのだ?

「みんなそろって何の相談だ?」

 近寄り、俺は素直に聞いてみた。

「ええ。実は……」姫様が答えかけるが、

「何でもないわよ。あっちへ行った行った」(しっしっ)

 むかっ!

 真紀の態度に一瞬キレかけたが、俺はおとなしく引き下がることにした。

 こうなったら、盗み聞きしてやる。

 俺はりゅうりを引き連れて、離れた席へ移動した。

 そういえば姫様、俺への態度がいつものに戻ってたな。そうなると、今朝のあれはなんだったのだろう?

 悩んでもしかたがない。機会があったら直に聞いてみよう。

 気を切り替え、俺は少し離れた女性陣を見やる。

 オヅマとデュークを中心に、かなりの女生徒が集まっている。

 腹立たしいことに、この二人は女の子に結構人気があるのだ。

 オヅマの外見と言動は母性本能をくすぐり、デュークの容姿と運動神経は、ジャニーズ事務所に殴り込みをかけられるほどだ。

 ヤロウのことはさておいて、俺は『ケインの力』を応用し、聴力を上げた。ケインイヤーは地獄耳なのだ。

 ふと横を見ると、りゅうりも聞き耳を立てていたので、三角耳を倒して塞いでやった。

「ああっ、ランドー君なにするの」

 変な口調のりゅうりはさておき、女生徒の会話に耳を傾ける。

「つまりね、犯人を何とかしておびき出したいわけよ」

 この会議は、真紀が先頭に立って行われているようだ。

「けど、どうやって?」

 女生徒の一人が聞く。真紀は当然とばかりに答えた。

「餌をまくのが一番よ。下着ドロ専用の餌をね」

 姫様やすずらん先輩などの純情派が顔を赤らめた。

 うーむうむうむ。なかなか面白いことになってきた。

 ここはひとつ、英雄ケイン改め英雄ランドー様も一肌脱ごうでわないか。


         *


 草木も眠る丑三つ時、というほど遅くではないが、もうすぐ午前様という時間。

 ひっそりと闇夜にたたずむ体育館、その一角にある扉はわずかに開かれていた。

 しかしその扉とは関係なく、天井裏からその部屋へ忍び込む影が一つ。

 樹之下蘭道ことこの俺は、女子更衣室に忍び込んだ。

 勘違いしてはいけない。俺は見張りにきたのだ。

 女生徒達の談合のときは俺だけのけ者にされてしまったので、秘密裏に動く必要があったのだ。

 天井裏から見張りをすることしばし。人の現れる気配は一向にない。

 犯人をおびき寄せるためだろう。部屋は散漫としていて、下着や体操着があちらこちらに放り出されている。

 ロッカーもいくつか開け放たれている。盗んでくださいといわんばかりだ。こういうあからさまな状況で引っ掛かるヤツなどいるのだろうか?

 ふわり、と俺は静寂を破ることなく部屋へ降りた。『ケインの力』を使えば、足もとの大気を制御して、足音を完全に消すこともできる。

 壁際にロッカーが並び、部屋の中央には机とイスがいくつか並び、下着や体操着などがさりげなく置かれている。

 それにしても、ひとくちに下着といってもいろいろあるものだ。

 スポーティーなブラ、やたらと面積の少ないパンティー、ウエストを引き絞めるためのガードルという下着もある。ほかにも、キャミソールとかストッキングとか、まさにいろいろ。

 ブリーフとトランクスしかない男物とは大違いだ。

「ん?」

 ある下着に目が行った。

 純白。布地の量はまあ普通だろう。シルクかコットンか、かなり高級な布地を使っているようだ。

 そして一番目を引くのが、お尻側に刺繍されたアルマフレアの紋章!

 こ、こここここれは、まままままさか、ひ、ひ、姫様の……!

 い、いかん、なにをうろたえているのだ樹之下蘭道。お前は下着になど興味はないんだろう?

 落ち着け。まずは深呼吸を……。

 うぷっ。女子更衣室特有の匂いにむせかえったとき、

「そこまでよ!」

 聞きなれた少女の声とともに、無数の光条が闇夜の俺を照らし出す。

 真紀をはじめとした女性陣が押しかけてきた!

「やっぱりあんたが犯人だったのね、ランドー!」

「し、しまったあああ!」

 って、おい! なにを紛らわしい叫びをしているのだ俺は! 余計に誤解されてしまうではないか。

「ま、待て! 誤解だ! 話せばわかる!」

「ほっほー。なら話してもらおうじゃないの。ティアラ様の下着を握りしめたその状態で、なにがどう誤解なのかを!」

 う。俺は言葉に詰まった。

 確かに、今の状況では何を言っても無駄のような気がする。

 しかし、顔を真っ赤にうつむく姫様の可愛いことといったらもう。

「どうしたの? 何か言うことがあるんじゃなかったの?」

「あ、あいきゃんとすぴーくじゃぱにーず。あー、りとるりとる」

「ええい! どこぞの教祖みたいなことを!」

 なすすべもなく、俺はロープでぐるぐる巻きにされてしまった。

 更衣室から引きずり出されると、体育館にはデューク・オヅマ・りゅうりといった面々がいた。

「ご友人さんに話をうかがってみます。現在のご心境はいかがですか?」

「いつかやるとは思ってたけど、ついにやったか、って感じっスね」

 真弥ちゃんとりゅうりの漫才は無視しよう。

 デュークが邪悪な笑みとともに、剣を引き抜いた。

「これで正式に貴様をたたっ切ることができる」

 お前は正式でなくても切りつけてくるだろうが。

 今にも少女達のお仕置きターイム!が始まろうとしたとき、

 がたっ。誰もいないはずの更衣室から物音がした。どうやら真犯人が現れたようだ。

「ほらほら。俺じゃないって言ったろ?」

「共犯者がいたのね」

「ちーがーうー!」にこ目涙の俺様。

 なんて疑り深い女なんだ、真紀ってやつは。

「ま、いいわ。とっ捕まえてくればわかることよ」

 デュークとオヅマ(&おまけのりゅうり)にこの場を任せ、少女達は更衣室へ行った。

「さて、こいつの処分をどうするかだが……」

「決まってるだろう。オイラの魔法で消し飛ばす!」

「子供は黙っていろ。こいつは私が叩き切るのだ」

「なんだと三流騎士!」

 さてと、馬鹿二人が言い争っている隙に、俺を縛りつけているこのロープを外さなくては。

 くきっ、ごきっ。肩と手首の関節を外す。途端に絞めつけが緩くなる。『ケインの力』を使わずとも、このくらいわけはない。

 俺は這うように束縛から抜け出した。

 こきこきと関節を元に戻していると、デュークとオヅマがぎょっと振り返った。

「き、貴様、いつの間に!」

 ヤロウの叫びなど馬耳東風、俺は一気に女子更衣室を目指す!

「待て! なんのつもりだ!」

「決まってるだろう! 真犯人をぶちのめす!」

 ばんっ! と扉を開け、中へ踊り込む。そこで俺が見たものは!

 女生徒にとり囲まれ、まともにうろたえる校長の姿であった!

 すてーんっ!

 い、いかん。大昔の漫画のようにずっこけてしまったぞ。

「てめえかあ! てめえが事件の真相か!」

 可能な限りのドス声で、俺はジジイの胸ぐらをつかみ上げる。

「ま、待て! 誤解じゃ! 話せばわかる! これは何者かの陰謀なのじゃよー」

「へえ。それっていったい誰?」不敵に問う真紀。

「決まっておろう。お主達じゃ」

「あたし達?」

 ジジイはにっかりと笑った。

「うむ! 見よ、この盗んでくださいと言わんばかりのこの情景! 男ならチャレンジ精神が沸いて当然じゃろう!」

 ……まあ、わからんでもないが。

「問答無用! ランドー、どうやって抜け出してきたか知らないけど、まとめてとっちめてあげるわ!」

 真紀の地獄の審判が下されたときのことである。

『きゃあああぁぁぁ!』

 無数にあがる少女の悲鳴!

「なんだ?」

 しめたとばかり、もとい何事かと俺とジジイは体育館へ戻る。

 そこには何匹もの巨大な昆虫がいた。

 一匹が女の子を二・三人捕まえ、宙に浮きあがる。

 ぱあんっ! 天井窓を突き破り、次々と少女をさらっていく。

「ま、待てコノヤロー!」

 一瞬事態が飲み込めなかったが、俺はすぐに後を追う。それが災いした。

「きゃあーーっ! ランドー!」

「ランドーお兄ちゃん、助けてー!」

 しまった! 振り返った時にはもう遅い。真紀と真弥ちゃんまでもが、巨大カブトムシにさらわれてしまった。痛恨の不覚!

 静寂が取り戻された時、残っていたのは俺・デューク・オヅマ・りゅうり・校長といった男達、そして女の子のなかでは姫様が唯一無事だった。どうやらデュークが必死に守ったらしい。

「いったいこれは何事じゃ?」

「それは俺のセリフだ! とにかく追わないと!」

 言って俺は駆け出す。それをりゅうりが引きとめた。

「待てランドー! 俺に考えがある!」

「なんだりゅうり言ってみろ!」

「虫なんか無視!」

 ぴきっ!

 至極真面目顔で放つりゅうりのギャグに、俺達全員完膚無きまでに石化した。

 回復まで一時間もかかり、このあとりゅうりをフクロダタキにしたことは言うまでもあるまい。


         *


「ひ、ひどすぎる……」

 もはやコボルトに見えないほどに、顔をぼこぼこにされたりゅうりがうめく。

「自業自得だ自業自得。ったく、余計な時間をくっちまった」

 腹立たしげな俺の声に、今回ばかりはデュークとオヅマも賛同した。

 女の子達がさらわれてから一時間あまり。

 俺・りゅうり・オヅマ・デューク・校長・そしティアラ姫の六人は、巨大昆虫のあとを追って、裏山まで来ていた。

 このあたりは、アルマフレアの色が濃い。

 二つの世界は奇麗に重なりあったわけではなく、微妙なムラを残している。

 俺の住むマンションや学校のあたりは『こちら側』の色が濃いが、場所によってはアルマフレアの特色が強くなる。アルマフレア城周辺や、今俺達のいる場所などがそれにあたる。

 そうなると、『こちら側』の色の濃い場所では、『あちら側』にあった物はどうなったのか? とか、世界の総質量は二倍になったわけではないのか? とかいろいろ問題が出てくるが、学者にすら究明できていないことが俺にわかるはずもない。

「なんにせよ、ティアラ様のご無事が不幸中の幸いです」

「デュークには感謝しています」

 深く頭を下げるデュークへ、ティアラは微笑で応える。

 ちっ、デュークめ、ポイント稼ぎやがって。

 それにしてもティアラ姫って、デュークの前では王女らしい毅然とした態度になるよな。なんか格好良いぞ。

「とはいえ、私だけ喜んでいるわけにもいきません。先を急ぎましょう」

「というわけでりゅうり、まだなのか?」

「もうちょっとだ」

 俺の問いに、りゅうりは鼻を鳴らしながら答えた。

 りゅうりは女の子達の匂いを全て覚えているというので(結構変態かもしれない)、追跡を任せてある。もし失敗したら、またフクロにしてやろう。

「そういえばひとつ気になることがあるんだ」

 ふと立ちあがり、りゅうりは言った。

 顔や声が人によって違うように、『におい』というものも人それぞれあるそうだ。

 しかし、今回さらわれた少女達は、共通の匂いを持っていたという。

「それが、真弥ちゃんが使ってるボディーソープの匂いなんだ」

 そういえば今朝方、そういう話題があったな。

 女の子達の間で今流行っているという、ボディーソープ。

 もしも、このボディーソープに虫をひきつける効果があったなら……?

 しかし、ボディーソープそのものが虫食いの被害を受けたという話は聞かない。

 となると考えられるのは、女の子がそのボディーソープを使ったときにのみ虫をひきつけるということか。たぶん、巨大虫にのみ効果があるのだろう。

 疑問が横切った。この事件、うちの学校に限定されているのか? ボディーソープと女の子と巨大虫の組みあわせでこの事件が起こるなら、ことは全国規模だ。

 なにしろ、世界が重なっている以上、巨大虫はどこにいてもおかしくないのだから。

「そうなると、下着紛失事件も説明がつくな」

 下着には、着用者の匂いがしみ込む。虫どもが狙うのも当然だろう。

「姫様も、そのボディーソープを使ってるのかい?」

 ティアラは首を横に振った。

「けけけ。姫様を守れたのは、デュークの実力じゃなかったわけだ。姫様はさらわれる条件から外れるからな」

「ぐ……、貴様……!」

 デュークが悔しそうにうめいた。

「けどそうなると、なんでティアラ様の下着が盗まれたんだ?」

 りゅうりが言った。

 確かに。あの虫どもとは別口なのか?

「ふぉっふぉっふぉ」

「なんだよ、薄気味悪い」

 俺のイヤな顔にも応じず、ジジイは笑う。

「なんでもないぞ。ふぉっふぉっふぉ」

 ……このジジイ、何か知ってやがるな。あとで問いつめてやる。

 しかし、どうにも腑に落ちない。

 この一連の事件、単なる偶然のつみ重ねで起こったものなのか? どうも違う気がしてならない。


 鬱蒼とした森の中。けもの道よりはマシといった程度の道路を、りゅうりを先頭に俺達は進んでいる。

 四つんばいになったりゅうりが、地面のにおいをかぎ、時折空を仰ぐ。たまに遠吠えをし、そこらへんの木の幹に小便をかける。

「さっさとしろ、イヌ!」

「ウエアウルフだ!」

 りゅうりがひと吠えしたとき、空が一瞬ざわめいた。

「ついたようだな」

 落ち着いた表情で、デュークが剣を抜いた。

 暗くて人の目ではろくに見えないだろうが、気配だけでも充分わかる。

 モンスター特有の気配。すなわち瘴気。

「あそこだ」立ちあがり、りゅうりが指差す。

「どこだ?」デュークがあたりを見渡す。

 りゅうりはコボルトゆえ暗視がきく。こいつ以外には見えていないだろう。

 俺はというと、『ケインの力』で視力の調整をしていた。

 闇の中に潜む、黒き巨大昆虫。カブトムシとクワガタムシがほとんどのようだ。

 わずかに、トンボやバッタといったのもいる。

 季節感が無視されてるが、巨大虫にこちら側の常識を期待できるはずがない。

 …………ん?

 暗闇に、虫とは違う影一つ。りゅうりにも見えていないようだが、俺にはわかった。

「姫様、明かりを!」

「はい!」

 すかさずティアラが魔法の光を放つ。

 ぴかっ! 魔法の明かりが、上空に炸裂する。

 裸電球のような、まぶしいくせして手元の暗い光だが、これでも充分あたりを見渡せる。

 今度は全員が認識できたようだ。

 巨大昆虫が総勢十数匹。その奥に一人、何者かがいた。

 ガクランを着ているところを見ると男のようだが、その容貌はやけに中性的だった。

 ウルフカットというのかな? 黒い短髪の前側に、赤い髪が一房生えている。整った顔の上に、太めの眉が乗っていて、見ようによっては『男装した女の子』にも見える。

「おい、お前……」俺が呼びかけたとき、

 すうっと、少年(?)は姿を消した。闇に溶けるように、ゆっくりと。その可愛い顔に、冷笑をはりつけて。

 何者だ、あいつ? 今、どうやって姿を消したんだ?

「真紀姉ちゃん!」悲痛なオヅマの声。

 オヅマの視線の先、茂みに隠れるように真紀が倒れていた。

 よく見ると、巨大虫どもに混じって、少女達が倒れている。息はあるようだが、意識を失っているみたいだ。

 共通しているのは、全身がひどく濡れているうこと。

 水に濡れたのとは違う。もっと粘性の高い液体。考えられるのは、唾液。

 食われなかっただけマシだが、樹の汁を吸うように、彼女達の全身を舐めまわしたといったところか。

「うぉのれ! イタイケな少女達の身体を舐めまわすなど、なんてウラヤマケシカランことをををを!」

 俺の怒りが沸点を超えようとしたとき、

「このクソムシ! よくも真紀姉ちゃんを!」

 ごおおおぉぉ!

 突如の光弾が、俺の脇を走りぬける。光弾はカブトムシの一匹にぶち当たり、そいつを瞬時に蒸発させた。

 オヅマの放った魔法だ。こいつ、ぶち切れてやがる。

 途端、虫どもの間に緊迫が走った。外敵として認識されてしまったようだ。

 く、オヅマの野郎……、虫どもに気付かれないように女の子達を救出するというテもあったのに。

 まあ、あの虫どもを放っておくのも問題だし、しょうがないか。

「デューク、オヅマ! 俺と一緒に前線を! 姫様は後方支援! りゅうりとジジイはみんなの救出を!」

『貴様に命令される筋合いはない!』

 見事にハモる、デュークとオヅマ。ちっ、使えない奴等だ。

「姫様! 指揮をたのむ!」

「は、はい! ランドー様とデュークは前線を。私とオヅマさんが後方支援に入ります。校長先生とりゅうりさんは、彼女達の救出にあたってください!」

「はっ!」

 軍人的敬礼をするデューク。

「いやだね。オイラは真紀姉ちゃんを助けるんだ!」

 オヅマは女の子達のいる茂みへ走っていった。なんてわがままなガキンチョなんだ。

「わしも前線で戦えるぞい」ジジイが前へ出た。

「わかりました。それではお願いします!」

『おう!』声を重ねる野郎ども。

 まあ、なんだかんだ言っても、指揮をとるべきは姫様だな。美人王女の配下なら、戦いがいがあるというものだ。

 臨戦体制の整った俺達にますます敵意を持ったのか、カブトムシの一匹が、大きく羽を広げた。

 ぶおあああぁぁ! 激しい羽ばたきで起こる突風で、周りの木々が大きくしなる。

 カブトムシは空高く上昇していく。急降下攻撃か?

 夜空高く舞い上がり舞い上がり舞い上がり………、そして見えなくなった。

 …………………………。

 ……あー、えーと。

「…………………………」

 あ、みんな目が点。

「……多分…今のは、じゃな」

 校長といえどもそこは教師。ジジイが説明を始めた。

 空を飛ぶ動物にはそれぞれ、体格に合った羽ばたき方というものがある。

 普通の小さな虫なら『ぶーん』という感じの速い羽ばたき。

 鳥など、もっと大きな動物なら『ばっさばっさ』といった感じ。

 ワイバーンやロック鳥クラスになると、ホバリングですら数秒に一回程度である。

 このあたり、空気の粘性と風の揚力に関係してくるらしいが、俺にはよくわからないので、省略。

 要点を押さえると、大きな翼があるならば、羽ばたく回数は少なくて良いということ。

 それをあの巨大虫は、普通の虫と同じ羽ばたき方をした。その結果があれである。なんともマヌケな話だ。

 まてよ。ということは、あの虫ども、誰かに作られたってことか?

 何者かによって急に巨大化させられたのでなければ、あんなマヌケな飛び方をするはずがない。

 今回の事件が学園ローカルだろうことも、これで説明がつく。

 そうなるとこの事件、そいつが黒幕ということか。

 俺の脳裏に、さっきの女っぽいヤツが浮かんだ。

「とにかく、始めるぞい」

 ジジイがそう宣言したとき、虫どもが金切り声をあげて俺達に向かってきた。

 うむ。飛ぶのは不利と判断したか。虫にしては賢いようだ。

 ジジイとデュークが左右に散る。正面に向かい、俺は構えをとる。

 虫ごときに手加減など要らない。俺は意識を切り替える。

「本気でいくぜ!」

 ごうっ!

 とき放たれた『ケインの力』が、足もとの雑草に波紋を広げる。俺は雄叫び上げながら、拳を真上に振り上げる。

 そして、クソカブトムシめがけて、渾身の正拳を叩き込む!

 がつんっ! 鈍い音がし、敵の動きが止まる。

 続いて、拳に走る衝撃。骨を伝わり、右腕にくまなく行きわたる。

「のおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ!」

 激痛に、俺は叫んだ。腕をぶんぶん振りまわし、痛みを外へ逃がす。

「気をつけろ! こいつら、手強い……!」

 言いつつ振り向いたその先に、

 クワガタムシをすぱすぱ斬るデュークの姿。

 カブトムシをげしげし蹴飛ばすジジイの姿。

 ……あれ?

 どどどどど! いましがたのカブトムシが、俺に向かって猪突猛進!

「ちいっ!」

 舌打ちひとつ、両手で角をつかみ、受けとめる。

 ずざざざざあっ! 土砂を巻き上げながらも、なんとか止まり、今度は力比べに入る。

 六足動物は、地面にへばりつく力が非常に強い。地面との摩擦係数が高く、前進力が強い。俺は次第に押され始める。

 なんでこんなにてこずるんだ? 向こうではジジイもデュークも活躍中だというのに。

 このランドー様が、ジジイはともかくデュークに遅れをとるは何たる失態!

「大きいの行きます! みなさん、離れてください!」

 突如の姫様の声。俺は力比べをやめ、素早く姫様のもとへ戻る。

 すでに女の子達は全員救出され、俺たちの後ろに寝かされている。オヅマとりゅうりも戻ってきている。

 ごぐおっ!

 強烈な爆発が起こった。木々が吹き飛び、夜空が一瞬明るくなる。煙が立ちこめ、しばし視界が効かなくなる。

 煙がはれると、すごい光景に出くわした。

 えぐれた地面がざっと一〇アール(三〇メートル四方)。その周囲は木々が将棋倒し状態。

 王女にしてアルマフレア屈指の魔法使い、ティアラ・アルマフレアの実力を、垣間見た気がした。

 隣でオヅマが、赤い顔を青くしている。

 かつてはアルマフレア王国を滅ぼしかけたオヅマだが、今の実力はティアラの方が上なのだろう。

 だが。

「そんな……」驚愕に震えるティアラ。

「そうか……、どうりで手こずるわけだ」

 額に汗をにじませ、俺も無意識につぶやいていた。

 クレーターと化した大地の上に、巨大昆虫が計六匹。

 あいつらだけ『特別』だったのだ。


 露出した大地の上にたたずむ、巨大昆虫。クワガタムシが二匹、残りはカブトムシか。

 ただの虫ではない。人間を越える巨大な体と、姫様の魔法に耐えるだけの頑丈さがある。

 さっき、俺が相手をしたときにわかったのだが、あいつ、装甲が異常に堅い。

 だが、俺は勝機を見いだしていた。確かにあの外骨格は堅いが、腹はどうか? ひっくり返せば身動きができなくなる上、弱点が野ざらしになるはずだ。

「一人一匹ずつってとこだな」

「お、俺もやるのかぁ?」泣きそうなりゅうり。

「当たり前だ。ウエアウルフだろ?」

「こんな時ばっか、ずるいいいぃぃ!」

「やかましい! 玉砕してこい!」

 どげしっ! 昆虫群へ向けて、りゅうりを蹴り倒す。一匹がりゅうりに向かってきた。

「ええい、やむを得ん! 俺の必殺技を見せてやる!」

 言ってりゅうりはヘンテコリンな構えをとる。そしてこう叫んだ。

「布団がふっ飛んだ!」

 どっかーんっ! りゅうりがふっ飛んだ!

 馬鹿か、あいつわ。虫にギャグが通じるわけがねえっての。

 簡単にくたばるヤツじゃないから、後で回収に行こう。

「お前ら勝手に戦え。オイラは真紀姉ちゃん達を守るぞ」

 オヅマが不機嫌そうに言う。ティアラの実力を見て戦意がそげたようだ。

 ま、彼女たちを放って置くわけにもいかないし、やむを得ないだろう。

「よし、姫様は攻撃魔法を用意しておいてくれ。あの巨大虫もひっくり返せば通用するはずだ」

「はい!」元気よく、ティアラ。

 再び俺は前へ出る。さっきのカブトムシと力比べの再開だ。気づいたか、敵もこちらへ向かってくる。

「どすこーいっ!」

 ずどん! Y字型の角にタックルぶちかまし、すかさず両腕で固める。まさに力勝負の押し合いになった。

 さっきは遅れをとったが、こいつの力量はもう見切った。俺は腰を落とし、つま先・足首・ふくらはぎ、そして太股へと順次力を込めていく。さっきは『本気』だったが、今度は『全力』だ。

 カブトムシは動かないが、角が、足がみしみし言い出してきている。

「さあカブト君、究極の選択だ。足がもげるか角が折れるか、好きな方を選べ!」

 敵は答えなかった(当たり前だ)。代わりに押しの力が強くなる。どうやらどっちもイヤだと言っているようだ。

「ああそうかい。だったら……!」

 みしっ。びしびしびし! 俺とカブトムシの足下に、無数の亀裂が走っていく。

「地面ごとひっぺがす!」

 ごばあっ! 土砂を巻き上げ轟音響かせ、敵の巨体が宙に浮かぶ!

 どおおおぉんっ! ブレーンバスターが見事に決まり、カブトムシは足をバタバタひっくり返った。

「姫様!」

 きゅごおん!

 俺が横っ飛びするのとほぼ同時に、火炎弾が敵を襲う。カブトムシは殻を残し、灰と化した。残りは五匹!

 すかさず周りを見る。

 デュークがクワガタムシとチャンバラしていた。さすがにこの『強化タイプ』には苦戦するか。

 ジジイはというと、何か恨みでも持たれたのか、残る四匹に追いかけられている。しかしその顔は落ち着いたもので、執拗な攻撃をひょいひょいかわす。

「ジジイ! 戦うかくたばるかどっちかにしろ!」

「しょうがないのう」

 俺の罵声に、ジジイはようやく構えをとる。近づいてきた一匹にはねられるかと思った瞬間、

「ほいっ」

 ひゅごーんっ! 軽く手を動かしただけで、巨大虫が空中高く吹き飛ばされる!

 どうん! 地面に落ちる瞬間を狙って、姫様が魔法で敵を焼き尽くす。

 あ、あのジジイ、俺が苦労してひっくり返した巨大虫を、手首の返しだけでやりやがった。

「ふぉっふぉっふぉ。面倒じゃから、まとめてひっくり返すぞい。嬢ちゃん、でかいの用意しておけ」

 言ってジジイは地面に手を置く。隙と見なしたか、残りの敵がジジイを狙う。デュークと戦っていたクワガタムシも。

 ジジイの顔が一瞬マジになった。その瞬間、

 ずどんっ!

 すさまじい縦揺れがあたりに響いた。自分の身体が一瞬跳ねた。

 俺はバランスを崩し、立て直す。顔を上げて驚いた。

 クワガタ二匹カブト二匹。すべてが綺麗にひっくり返っていた。六本足をむなしくばたつかせている。

「ふぉっふぉっふぉ。名付けて『波紋衝』じゃ」

 得意げに笑う。このジジイ、ここまで妖怪だったとは。

 そして、姫様の魔法が放たれ、この戦いに終止符が打たれた。


         *


「見事な戦いっぷりだったよ」

 突如の拍手。そして少女の声。

 いつの間にか、俺たちの前に、一人の少年がいた。

 黒い短髪に、一房の赤い前髪。ガクランを着ているが、妙に女っぽい。さっき見た少年だ。

「やっぱりてめえが黒幕か。下着泥棒だの少女誘拐だの、いったいなにを企んでる?」静かに、俺は言った。

「人聞きの悪いことを言わないでおくれよ。些細な事故じゃないか」

 肩をすくめて、少年は言う。声変わり前の少年ともアルトな声の少女ともとれる。声でも外見でも性別がわからない。

「事故だと?」

 今は性別を気にしてる場合ではない。俺は問い返した。

「生物を巨大化させる実験をしててね。さっきの昆虫はその成果さ。ただ、その薬品を作るのに、とあるボディーソープから成分を抽出したんだけど、それが思わぬ副作用を起こしたようだ」

 ボディーソープに含まれる成分を利用して作った巨大化薬品。それによって巨大化した昆虫がボディーソープの匂いのする女の子とその下着を、樹液と間違い、襲った。

 なるほど。今回の事件はそういう経緯だったのか。

「お前、何者だ?」

「僕かい? 僕の名前は野倉比叡(のぐらひえい)。裏科学部の部長さ」

「裏科学部だあ?」

 胡散臭げな自分の声。裏ってのは何だ、裏ってのは。

「それにしても、僕以外に狭間の力の使い手がいたとは、ね」

「狭間の力?」

 少年は妖艶な笑みを浮かべた。ますますもって女っぽい。

「また会えると良いね。それじゃあ」

「ま、待て、このヤロー!」

 叫ぶ俺を無視し、比叡とかいうヤツは、闇の中へ消えた。さっきと同じ、空間に溶けるような消え方だった。

「ふぉっふぉ。『狭間の力』とは、言い得て妙じゃの」

 ジジイの含み笑いを、俺は聞き逃さなかった。

「おいジジイ。今のヤツを知ってるのか? 『狭間の力』ってのはいったいなんだ? 『ケインの力』と関係あるのか?」

「ふぁーーーっふぁっふぁっふぁ! 『ケインの力』とはうまいネーミングじゃのお!」

「笑ってねえで質問に答えろ!」

 怒鳴る俺に、ジジイは不意にまじめな顔になった。

「うむ、実はの……」

 その重い雰囲気に、俺は直立姿勢になる。ジジイはしばし目をつむり、静かに開くとこう言った。

「教えなぁ~いっ」(べろべろばー)

 ぷっちん。

「このクソジジイ!」

 右正拳! 左回し蹴り! 反時計旋回しつつ左ひじ! すかさず裏拳!

 一息四撃を、しかしジジイは全てかわした。

 『ケインの力』全開でかすりもしないとは、相変わらずの妖怪ぶりだ。

「修行が足りんぞ、ランドー」

「どやかましい! てめえがバケモノなだけだ!」

「ランドー!」

 ジジイと口喧嘩をしていると、真紀がやってきた。どうやらみんな目を覚ましたようだ。

「なんなのよ、これ?」

「やだー、体中べとべとで気持ち悪いぃ」

 口々にぼやく少女達。まあ、無事でなによりだ。

「後で説明するよ。とりあえずここにはもう用はないから、帰ろうぜ?」

「そうね」

 おっと、りゅうりを忘れるところだった。

 少し探して見つからなかったら放って帰ろうかと思っていたが、倒れた木々に混じって目を回しているりゅうりを発見。

「お前、俺に恨みでもあるのか?」りゅうりがぼやく。

「うん。すっごく」

 きっぱりはっきり、俺は答えた。

 帰り道。俺とりゅうりとジジイが先頭を、デュークとオヅマが最後尾で女の子達を守るように歩いている。とりあえずは学校へ戻ろうということになっている。

「べとべとで気持ち悪いー。帰る前にシャワー浴びていかなきゃ」

 ぴくぴくっ。ケインイヤーとりゅりの耳は、少女達の会話を聞き逃さなかった。

(ランドー、例のモノは?)

(ばっちりだぜブラザー)

 例のモノとは、直径三ミリの覗き穴のことである。学校のシャワー室にも、内緒で設置してある。

「ランドー、覗いたら死なすわよ」

「はう! 真紀、いつの間に?」

「あんたのノーミソなんかお見通しよ」

 十七年もつきあってると、こういったところで変に鋭くなりやがる。

「しかし、すっきりしないことがひとつあるな」

「話題を逸らさないでよ」

 真紀の声を無視し、俺は続ける。

「結局、姫様の下着を盗んだヤツは誰だったんだ?」

 そう。ティアラ姫だけは今回の事件とは無関係だったはず。下着が盗まれるはずがないのだ。

 あ、そうだ。俺はもうひとつの疑問を姫様に投げかけた。

「姫様の今朝の態度、あれってなんだったんだい?」

 姫様が登校してきたとき、俺と目が合うなりそそくさと逃げた。俺はそのことを聞いてみた。

「そ、それは……」

 ティアラは顔を赤くし、俺の耳元でささやいた。

 朝、目が覚めたら、手持ちの下着がごっそり無くなっていたそうだ。

 そう、その時はいていた物を含めて。

 学校に置いてある予備に履き替えて、事なきを得たそうだが。

「つまり、俺と会ったときはノー……」

 姫様は俺の口を押さえ、黙らせた。

 うーん、そのときの状況を思い出すとムラムラ来てしまふ。うちの学校って結構ミニスカートだし。

「しかし、いったい誰が犯人だったんだ?」

 なんだかんだと話し合いながら、ようやく学校にたどり着いたときのことである。

 校門では、イシター先生が待ちかまえていた。

 にこにこ顔に青筋を浮かべているのはなぜだろう。

「校長先生、お待ちしてましたわ」

 爽やかに、彼女は言った。

「校長室から、ティアラ様の下着が大量に発見されましたわ。これはいったいどういうことなのでしょう?」

「ふぁーーっふぁっふぁっふぁ!」

 いきなりジジイの高笑い。

「やっぱりてめえが犯人だったのか! ぬけぬけとだましやがって!」

 『ケインの力』全開! ジジイをはり倒そうとしたとき、

 ぴゅーぅい! 甲高い口笛。間髪おかずにやってきたワイバーンに、ジジイは飛び乗る。

「クソジジイ! いつのまに飛龍を手なずけやがった!」

「修行の成果じゃ!」

「一言で済ますな! そのワイバーンは俺んだぞ!」

「甘いなランドー! お前の物はワシの物。ワシの物はワシの物!」

 な、なんて自分勝手なジジイなんだ!

「まったく。孫の顔が見たいわね」

 真紀の皮肉はとりあえず無視。

「わしもまだまだ修行が足りんようじゃ。しばらく山にこもるから、後を頼むぞ!」

 都合良く、修行癖を発揮させやがって。


 こうしてひとつの事件は終わりを告げた。代わりに、大量の謎を残して。

 裏科学部とは? 野倉比叡とは? 『狭間の力』とは?

 夜空遠くへ去っていくワイバーン&ジジイ。それを目を点にして見送る俺達であった。

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