ROUND1『お忍びデートの行く果てに』

   ROUND1『お忍びデートの行く果てに』


「どうしたの? 真弥ちゃん、ここ、もうこんなにびしょびしょだよ?」

「やーん、ランドーお兄ちゃん、恥ずかしいからあんまり見ないでぇ」

「だーめ。真弥ちゃん可愛いから、しっかりふき取ってあげないとね」

「真弥、もう我慢できないぃ。ランドーお兄ちゃん、早く中に入れてぇ」

「あんたたち、なにやってるのよ!」

 真紀が顔を真っ赤に染め、怒鳴り込んでやってきた。

 さて、現在の状況を箇条書きにしてみよう。


一.外は突然の夕立に見舞われた。

二.傘を持ってなかった真弥ちゃんは、雨に打たれて帰ってきた。

三.俺はバスタオルを持ってきて真弥ちゃんを拭いてあげていた。


 これぞ秘技『健全なるアダルトギャグ』である。

 そうだ。今度、姫様とこのギャグやってデュークのヤツを陥れてやろう。

「真紀君、君はいったいナニを勘違いしていたのかな? ほらほら正直に言ってごらん。んんんん~?」

「バカ!」

 どごっ! 真紀にぶん殴られ、俺はフローリングの床と仲良くなってしまった。

 ちとからかいすぎたかな?

「わざわざランドーに拭いてもらわなくたって、うちでやればいいじゃないの」

 憤然と言う真紀。

「俺んちの方が一階下にある分、早いからな」

「うんうん。それに、自分でやるよりランドーお兄ちゃんにしてもらった方が気持ちいいんだもん」

 はにかみながら、真弥ちゃん。わかって言ってるのだろうか?

「あーもう、勝手にしなさい!」

 憤然と去っていく真紀。そっちは俺の部屋だぞ。ゲーム目当てだろうけど。

 とりあえず真紀は放っておいて、雨に濡れた真弥ちゃんを拭いてあげなくては。

「これでよし、と。寒かったろ。コーヒーでも入れてあげるよ」

「うん。ランドーお兄ちゃんの熱いのを、真弥にいっぱいちょうだい」

 ……わざと言ってるのか?

「その前に真弥、シャワー浴びてくるね」

 真弥ちゃんは風呂場へ向かった。服を乾燥機に掛け、冷えた身体をシャワーで温めてくるのだろう。ちゃーんす!

 俺は手早くコーヒーを入れる。ひとつ咳払いをし、服を整える。

「よし」

「よし、ぢゃなーいっ!」

 ぶぎゅる。いきなりの真紀の鉄拳が、俺の後頭部に炸裂した。

「なにすんだよう」

「あんたの魂胆なんかお見通しよ」

 半眼でにらむ真紀。ちょっと怖い。

「おおおおお俺はなにもやましいことなんかかかかか考えてないぞ」

「だったら真弥が戻ってくるまでおとなしくしていなさい」

「いーやーだー!」(じたばた)

「子供か、あんたわ!」

 ぴんぽーん。インターホンが鳴った。来客のようだ。

「ほらほら、真紀」

「あんたんちの客でしょうが。ま、いいけど」

 イヤな顔しつつも、真紀は玄関へ向かう。俺の首筋をつかんだまま。しくしくしく。

「ガス屋でがーす!」

 はうっ! 俺と真紀はそろって脱力した。こういう寒いギャグをかますヤツは、俺は一人しか知らないぞ。

「りゅうり、頼むから、開口一番寒いギャグはやめてくれ」

「あれ、なんで俺だってわかったのかな?」

 扉の向こうに突っ立っていたのは、犬頭の瑞原龍利。たつとしと読むのだが、俺はりゅうりと呼んでいる。

 世界大融合の際、コボルトと重なってしまったという愉快なヤツだ。

 本人曰く、ウェアウルフ(狼男)だそうだが、俺はかつてりゅうりが月を見て変身するところを見たことがない。

「くんくんくん。真弥ちゃんの匂いがするぞ」

「気のせいだろう」

「お風呂に入ってるのかな?」

「錯覚だよ」

「ランドー、俺たちは親友だよな?」

「真弥ちゃんがお風呂に入ってるときだけなる親友なんかいらん」

「やっぱりいるんじゃないか」

「ジーザス!」

 りゅうりにはめられた。バスケさながらの攻防が、俺とりゅうりの間に展開する。

「あんたたち、なにやってるのよ」

 あきれて言う真紀。りゅうりが、犬の跳躍力で俺を飛び越える。

「真紀さん聞いてくださいよ。こいつは風呂場の壁に直径三ミリの覗き穴を……」

「ランドーキィィーーック!」

 ごめりっ! りゅうりの頬に蹴りをたたき込む。つま先を立てて入れる強力な蹴りだから、奥歯が何本か折れただろう。なに、コボルトは何度でも歯が生え替わるから心配いらん。

「ランドー、今、覗き穴がどうとか……」

「幻聴だよ。今日は良い天気だなあ!」

 元気よく、俺。ちょっと声が乾いていたかもしれない。

 とかやってる間に、りゅうりが風呂場へほふく前進していた。

「させるかぁ!」

「ランドー、喜びは分かち合う物なんだぞ」

「犬と分かち合う喜びなんかないわあ!」

「ウェアウルフだ!」

 りゅうりとのとっくみあいがなされる中、

「あーさっぱりした」

 真弥ちゃんが風呂場からでてきた。服も乾いて着直している。

「しくしくしく」

「ええい、泣くなうっとうしい!」

 かくいう俺も男泣き。

「あー、ワンちゃんだぁ!」

 嬉しそうな真弥ちゃんの声。真弥ちゃんはりゅうりのことを気に入っている。もちろん動物としてだが。

「ワンちゃん、お手!」

「わんわんわん!」

 こいつに人間としてのプライドはないのか? 服を着ているとはいえ、四つん這いになると犬そのものだ。

「ワンちゃん、おすわり!」

「わんわんわん!」

「ワンちゃん、ちんちん!」

「わんわんわん!」

「ジッパーをおろすな!」

 ごげっ! 俺はりゅうりをはたいた。こてこてのギャグ(しかも下品)をかましおって。

「お前は真弥ちゃんと戯れに来たのか?」

「むろん九分九厘がそうだが、どっちかというと用があるのはお前の方だろう?」

 揶揄するようにりゅうりが言う。

「お前、今日はティアラ姫とデー……」

「あーいっけね!」

 りゅうりの言葉を遮り、俺は部屋へ戻り、窓を開けて飛龍を呼ぶ。

 口笛を吹くと、すぐに飛龍がやってきた。

「ちょっとランドー、用事っていったいなによ?」

 真紀が駆け寄って聞くが、ちゃっと指を振って、俺は飛龍に飛び乗る。

「すまん。これは国家機密事項なのだ」

 ばさあっ。ワイバーン飛龍を飛び立たせ、俺は早々に駅前へ向かう。真紀たちがなにやら叫んでいるが、無視。

 実は、これからティアラ姫とデートなのだ。

 こちら側へやって来てから間もない姫様に、街を案内するというのが名目だが。

 ティアラは、アルマフレア王国の王女。学校以外で一人になれる機会は少ないので、隠密での行動を望んだ。むろん、俺がそれを断るはずがない。


 駅とその周辺は、ビルと緑に囲まれている。と書くといかにも健全そうだが、なにしろ世界大融合によるものなので、どこか不自然だ。

 駅のそばまで飛んできたとき、地上には見間違うはずのない少女がいた。ティアラ姫である。

 人でごった返すこの中を一瞬で確認できたのは、俺が『美少女認識能力認定試験第一種』の資格を持っているからではない。(そんな試験はない)

 ティアラは圧倒的な美少女なのだ。そこら辺のイモ娘など、かすんで見える。

 俺は地上に降りた。一瞬視線が集まるが、気にせず飛龍を家へ帰らせる。

「ケイン様、お待ちしてました」

 にっこりと微笑むティアラ。かっ、可愛い!

 ピーチブロンドの髪、雪のような白い肌、綺麗と可愛いを兼ね備えた端整な顔立ち。

 初夏に向けての麦わら帽子に、紺色のワンピース。身分と比べれば割と質素な服装なのだが、これがまた良い!

 これからは彼女のことをパーフェクト・プリンセスと呼ぼう。

「あの、どうかしましたか?」

「なんでもありませんよ、パーフェ……いや、姫様」

「今日はどこを案内していただけるのですか?」

 ティアラ姫は嬉しそうだ。もちろん俺と一緒だから……だと良いのだが、実のところは初めて見る街を歩けるからだろう。

「そうですねえ。この街の名所というと、駅前のアミューズメントセンター、町外れにある市営公園、それから都営のプールですかね」

「ふっ、チープな発想だな」

 すっげえイヤな声が聞こえてきた。背中に悪寒が走るが、俺はあえて無視した。

「姫様はどこが良いですか?」

「おい、私を無視するな」

「なにかゲスな声が聞こえますなあ。ちょっと気分が悪くなってきたので、喫茶店にでもよりませんか?」

「おい!」

 俺は極上のイヤな顔で振り返った。見るだけ目が疲れる男、デューク・ラインハートがそこにいた。

「なんか幻覚まで見えますなあ。駅前でブレストプレートとロングソードを装備した非常識なヤツです」

「私は現実にここに存在する! それに非常識ではない。これがアルマフレア王国騎士の正装なのだ!」

「ちっ、デューク、俺は姫様とデート中なんだ。お前はさっさと帰って城の警備でもしていろ」

「ティアラ様。このようなゲスな男と一緒にいると、ティアラ様の品が汚れてしまいます。観光案内なら、この私、デュークにお任せください」

 デュークは懐から薄い冊子を取り出す。この街の観光案内のようだ。

「デューク、私は国とはできるだけ関係なしに行動したいのです」

 よっしゃ! 姫様は俺の方に味方した。俺は一緒になって一気に畳みかける。

「そうだそうだ。だいたいお前のような非常識なヤツが一緒じゃ、姫様は安心して観光できないじゃないか。お前はその汗くさい格好を何とかしてから出直してこい」

「ぐっ、貴様ぁ……!」

 爆発寸前のデューク。俺との視線の間に火花が飛んでいたかもしれない。

 そのとき、

「あーいたいた。おーい、ランドー!」

「ランドーお兄ちゃん、やっほー!」

 ずべしゃあっ! 俺は石畳の上をスライディングしてしまった。

 真紀に真弥ちゃん、りゅうりまでもがやってきたのだ。

「お、お前ら、どうしてここが?」

 当惑した俺の質問に、りゅうりは胸をふんぞり返して言った。

「ふっ、ランドー、ウェアウルフの聴力をなめてかかってはいけないぞ」

 くうううぅぅ! この犬野郎に姫様との会話が盗み聞きされていたとわっ! ランドー一生の不覚!

「ランドーの場合の『一生の不覚』ってのは、一生不覚しっぱなしって意味なのよね」

 小馬鹿にした真紀のセリフ。その顔には「姫様に手ぇ出したら承知しないわよ!」と書かれている。

「あの、どうせならみんなで一緒に行動しませんか? こちら側のこととかいろいろお話ししたいですし」

 無情な姫様の一言。デュークが意地悪く笑っている。あのヤロウもついて来るつもりなのだろう。

 かくして団体行動となってしまう俺たちなのであった。しくしくしく。


         *


「で、ランドー。なんで我々が一緒の席なのだ?」憎々しげに、デュークがうめく。

「オー、デューク。それはミーのセリフね。ユーたちと一緒なんて、私ベリーベリー悲しいね」

 我ながら意味不明の外人口調で、俺は大げさに肩をすくめた。

 ここは馬車道という、ハイカラな雰囲気の喫茶店兼レストラン。とりあえず一服ということで、俺たち六人はここへ来ていた。

 六人席がなかったので、四人席ふたつに分かれることにしたのだが、片方の席に、俺・姫様・真紀・真弥ちゃん、もう一つの席にデュークとりゅうりに分かれるという俺のナイスな意見は却下された。

「男女に分かれましょ」

 という真紀の提案が通り、今の状況となった。実にもって納得いかん。

「ご注文はおきまりですか?」

 ウエイトレスさんがやってきた。ここはハイカラな和服が制服で、一部のマニアには人気の店なのだ。

「おおっ、すずらん先輩!」

 ウエイトレスは、俺の学校の先輩、瀧波鈴蘭さんだった。

 長い黒髪とまあるい黒縁眼鏡が印象的な、はかなげな雰囲気の少女である。

 同じ眼鏡っ娘でも、イシター先生とはだいぶ印象が違う。

「あらランドー君だったの。珍しいわね」

 微笑するすずらんさん。花のような笑顔とはこのことを言うのだろう。

「すずらん先輩、ここでバイトしてたんだ」

「ううん。この店は、お父さんが経営してるの。私はその手伝いよ。まあ、バイト代ももらってるけどね」

 ぺろりと舌を出すすずらんさん。バイトは本当は禁止されてるのだが、家の手伝いなら構わないだろう。

「それで、注文は決まった?」

「うん。俺はミートパスタとコーヒー。デュークは乾パン、りゅうりはペディグリーチャムね」

「ちょっと待てい!」

 同時に声を上げたのは、りゅうりとデューク。

「ペディグリーチャムってのはいったいなんだ!」

「愛犬元気の方が良かったか?」

「俺は犬じゃない!」

「ああ、コボルトだったな」

「ウエアウルフだ!」

 デュークが、りゅうりとの口論に割って入ってきた。

「犬だろうが狼だろうがどうでもいいが」

「よくない!」

「私に乾パンとはどういう了見だ?」

 睨視するデューク。普通のヤツならびびるだろうが、俺にはヤローのにらみなど通じない。

「乾パンは戦士の常用食だろ?」

「それは旅の時だけだ! 普段は普通の食事をする!」

「無理するなよ」

「してない!」

 面白味のないヤツだ。結局デュークとりゅうりは、無難なメニューを選んだ。

 すずらんさんはオーダーを伝えに厨房に戻った。大正時代のハイカラ和服が、はかなげなすずらんさんによく似合う。

「いやあ、すずらん先輩っていいよなあ。大和撫子、って感じでさ」

「お前、すずらんさんが好みなのか?」

 からかうように聞くりゅうりに、俺は胸を張って答えた。

「すずらん先輩も好みなのだ」

「納得いかんぞ」

 デュークが低くうめいた。

「なぜこのような好色男に、ティアラ様は好意的に接するのだ? 英雄ケインなどと、ばかばかしい。そんな証拠がどこにあるというのだ」

「証拠なら、あります」

 突如の声に、デュークが身をすくませた。振り返ったその先に、ティアラ姫がいた。

 別席といってもそれほど離れていないので、俺たちの話が聞こえたのだろう。

「私の記憶です。私は、ケイン様の姿をはっきりと覚えています」

 ここへ真紀が割って入ってきた。

「けど、ティアラ様が見たのって、十年前のことなんでしょう?」

 確かに。俺は、当時の姫様が見た英雄ケインとうり二つだそうだ。つまり、英雄ケインは十年前の時点で十七歳。現在は二十七歳ということになる。

 りゅうりはコボルトが重なったことにより、外見もそれ相応に変わった。

 この理屈で行けば、本当に俺に英雄ケインが重なっているならば、二十七歳相当の姿になっているはずだ。

 姫様は押し黙った。このあたりは反論できないらしい。すがるように俺を見つめる。

「お前はどうなんだ? ケインの記憶が残っているとか、意識下で話ができるとかそういうことはないのか?」

 デュークが問う。少し考えあぐね、ため息混じりに俺は言う。

「ないな」

 デュークがざまあみろという顔をするよりも早く、俺は続ける。

「だが、俺には確かに何かが重なってる。それがケインでないという証拠もないぞ」

 ティアラの顔が、ぱっと明るくなった。

 世界大融合の際、確かに俺には何かが重なった。感覚的にそれがわかる。

 身体が頑丈になったのもそのときからだ。今では意識の切り替えによって、特殊な力を使うこともできる。この力は、あちら側の人間から見ても絶大な物だ。

 この力に意思はないし、俺が英雄だという実感もないが、この重なった物が並ならぬ物だということだけは確かだ。

 決定的なのは、時代にずれがあるにしても、俺とケインは非常によく似た外見を持っているということだ。なんの関係もないとは思えない。

「姫様、俺が本当にケインだとしたら、思い出せるように努力する。けど、もしかしたら違うかもしれない。だから、今はランドーって呼んでくれないかな?」

 俺の真摯な目に、姫様ははにかみながら答えた。

「わ、わかりました。ケイ……いえ、ランドー様」

 デュークが苦虫かみつぶしたような顔をしている。ざまみろ。

 ふと見ると、真紀も面白くなさそうにしていた。はて?

「ま、そういうわけで、これからもよろしく」

「はい」

 俺は姫様の肩を抱いて、席に戻った。

 ぱこーんっ! 空になったコップが、俺様の顔面にクリーンヒット!

「ごめん。手が滑ったわ」無表情に、真紀。

「お前は、大きく振りかぶってから手を滑らせるのが癖なのか?」

「悪いの?」

「いえ、悪くないです」

 真紀の怖いにらみに俺は萎縮した。なに怒ってるんだ?

 そばでは真弥ちゃんがくすくす笑っている。

「ま、いいわ。それより、あんたの席はあっちでしょう? 早く戻りなさい」

 ちっ。さりげなく女子席に移動したのを見抜かれていたか。

「おーランドー。メシが既に来てるぞ」

 男子席では、りゅうりがメシにぱくついていた。犬のくせに生意気にもフォークとナイフを使ってやがる。

「すずらん先輩は?」

「オーダー置いて、もう戻ったぞ」

 しまった。すずらんさんともう少しお話ししたかったのに。

「ランドー。私はお前を認めたわけではないからな。貴様のような下劣な男などに、ティアラ様は絶対に渡さない」

 デュークが、ドスのきいた声で言う。しつこいね、こいつは。

「あのな、デューク。姫様は誰の所有物でもないんだぜ? 渡さない、なんて言い方はよせよ」

 俺の忠告を無視し、デュークは食事を始めた。

 こいつとは、いつか決着をつけねばならんな。


         *


 ある学者によると、宇宙とは『高次元の海の中に浮かぶ泡』のようなものなのだそうだ。

 海の中にはたくさんの泡があって、その中のふたつが合わさってひとつの大きな泡になる。世界大融合という現在の状況は、そんなとこだそうだ。

 しかしこの説には反論がひとつある。それぞれの世界に、互換性がないということだ。

 こちらの世界とあちらの世界、調べてみて学者を驚かせたのは、どちらにも日本列島があるということ。日本列島・アジア大陸・アメリカ大陸、全てがあちら側にも存在する。

 あちら側の惑星も地球なのだ。つまり、このふたつの世界には互換性がある。

 そこで、『泡説』を発展させた『細胞説』が提案された。

 細胞は、ある時期をもって分裂する。これと同じように世界は一度分裂し、再び融合した。現在ではこの細胞説が有力となっている。

 ふたつの世界は、惑星レベルでは似通っているが、歴史を比べてみると大きく異なる。生態系の違い、魔法の有無、そして文化の違い。世界が分裂した時期は、人類発祥より前と推測されている。

「もしかしたら、六五〇〇万年前のジャイアント・インパクトの有無が、世界の分岐時期なのかもしれないわね」

 説明口調で、真紀が言う。

 恐竜を絶滅させた、隕石の衝突、これの起きなかったのがあちらの世界ということか。生態系の違いはこれで説明が付くな。まあ、仮説にすぎないのだが。

「それにしても、真紀。ずいぶん詳しいんだな」

「なに言ってるのよ、ランドー。このくらいのこと、ニュースで毎日報道してるじゃないの」あきれ顔の真紀。

 んなこと言ったって、俺はテレビはゲームとお笑い番組の時にしか使わないからなあ。

「ランドー貴様あああぁぁぁ!」

 どひゅっ! いきなり剣の斬撃。真後ろからの攻撃だったが、俺は難なくかわした。

「デューク。銃剣所持法違反だぞ」

「アルマフレアの民に、日本の法律など通用せん! それより、よくも王国騎士の私を、足蹴にしてくれたな!」

 怒りゲージMAXなデューク。

 ここは市営公園の遊歩道。俺と姫様、真紀と真弥ちゃんの四人は、馬車道を出たあと、飛龍に乗ってここまで来ていた。

 飛龍は、俺以外は女性専用なので(今決めた)、デュークとりゅうりは丁重にお断りした(蹴り落としたとも言う)のだが、どうやらそれが不満らしい。

「まあ、俺は慣れてるからいいけど」りゅうりもやってきた。

「わんちゃん、はい」

「わんわんわん!」

 真弥ちゃんに首輪を渡され、喜んでそれをはめるりゅうり。こいつもここまで堕ちたか。

「わんわんわんっ!」

「きゃあーんっ!」

 りゅうりは四つん這いになって走り出した。引っ張られ、一緒になって走る真弥ちゃん。

 俺たちも後を追うように走り出した。

「待てランドー! その腐った根性を叩き直してくれるわっ!」

「だああっ、しつこい!」

 デュークが追いかけてくる。はっきり言って俺は、男との追いかけっこは嫌いだ。

 可愛い女の子とお花畑で「あはは、待て待て~!」ってな追いかけっこだったら一度やってみたいのだが、それはさておき。

「ほれ」

「おどっ!」

 どっぽーんっ。公園内を流れる河川に、デュークは落ちた。それほど深くないので、胸当てをつけたままでも溺れはしないだろう。

 デュークを振りきって、俺はみんなに追いついた。

 この公園は結構大きく、小動物を扱った動物園モドキもある。みんなはここにいた。

「がうがうがうっ!」

「ふぎぃーーーー!」

 りゅうりが猫と唸りあいを演じていた。

 いや、猫にしては妙にでかい。服も着ている。女の子向けの服だ。

 服を着た犬と猫が、とっくみあいを始めた。なかなかシュールな光景だ。

「みぎゃあーーー!」(猫キック猫キック猫キック!)

「きゃいんきゃいんっ!」

 文字通り尻尾巻いて逃げ出すりゅうり。弱いぞ。

「ふみーっ。あたしとケンカなんざ十年早い!」

 得意げに言いながら、猫娘が姿を変える。手足から体毛が消え、人間の女の子の顔になった。つり目がちなおかっぱ頭の少女だ。

「なんだ。久美ちゃんだったのか」

「おーランドー久しぶり!」

 にこにこと手を振る久美ちゃん。

 彼女の名は稲沢久美。俺の同級生だ。

 世界大融合の際に、彼女はウエアキャットと重なった。最初は人間サイズの猫姿だったのだが、最近は自分の意志で変身できるようになったようだ。

 ただ、人間の姿になっても、尻尾と耳だけは元に戻せないらしい。これはこれでラブリーだからOKである。

「えーん、ランドー、クミちゃんがいじめるんだよぉー」

 泣きつくりゅうり。子供かお前わ。

「あはは。軟弱軟弱うううぅぅぅ!」

 指さして笑う久美ちゃん。あっけらかんとした可愛い笑みだ。

「で、みんなお揃いでなにやってるの?」

 興味津々な目で、久美ちゃんが問う。

「犬の散歩さ」

「誰が犬だ!」

「鏡を見てみろ」

「みぎゃっ?」

 りゅうりといつものじゃれあいをしていると、久美ちゃんが素っ頓狂な声を上げた。

「わー、本物の尻尾だあ」

 いつの間にかバックを取った真弥ちゃんが、尻尾をにぎにぎしていた。

「ちょ、ちょっと、そこは駄目……あん、……ふみぃ……」

 おおおおお! 久美ちゃんが色っぽく喘いでいる!

 どうやら彼女は尻尾が弱いらしい。

「やめなさい!」

 ぺしっ。真紀が妹をはたいた。俺の時とは威力が違うぞ。

「いやー、イイモン見させていただきました」

「バカモノ!」

 げしっ! 拝む俺を殴る真紀。なぜお前が殴る?

 ふと見ると、ティアラ姫が恥ずかしげにうつむいていた。真っ昼間から喘ぎ声を聞いちゃ無理もないか。

「ふぎっ?」

 いきなり久美ちゃんが真顔に戻った。いや、激しい警戒の目だ。

 りゅうりも尻尾を逆立ててうなりだした。怪訝に顔を見合わせる真紀・真弥・ティアラの三人。

 俺もほとんど遅れをとることなく気づいた。

 ぬめるような、それでいて肌にぴりぴり来る気配。殺気である。

 小動物を飼っているこの一角の周りは、林に覆われている。そこに何者かがいるようだ。

「ランドー! よくも私を川に突き落としてくれたな!」

 都合良くデュークが現れた。闘牛士のごとく、俺は紙一重でかわし、

「お前ちょっと行って来い」デュークを林の中へ蹴り飛ばす。

「ぬおっ?」

 めきめきめき! 林の中で枝葉の折れる音が響く。

 しばらくのすったもんだのあと、デュークが林の中から戻ってきた。

「ふん、他愛もない」

 わずかに返り血を浴びているが、デュークはほぼ無傷だ。王国騎士は伊達ではないな。

「で、どうだった?」

「うむ。オークとスケルトン、オーガもいたが、その程度のモンスター、私の敵ではないって貴様ーっ!」

 言ってる途中で、俺にいいように使われたことに気づいたらしい。剣を振り回しながら俺に向かってくる。血圧の高いヤツだ。

「ぬ?」

 デュークがぴたりと止まった。冷や汗を流しながら、ぎくしゃくと振り返る。

 俺への怒りなどすぽーんと吹き飛んだようだ。非常に緊張した面もちで、茂みの中をにらんでいる。

 俺も感じていた。さっきのモンスターとは比較にならない殺気がひしめいている。

「姫様、みんなも下がってて」

 俺とデュークは並んで身構える。みんなをその後ろへ下がらせる。

「りゅうり。お前は一緒に戦え」

「しくしくしく」

 一緒になって逃げようとしたりゅうりをとっつかまえ、隣に並ばせる。

 そして、茂みの中から声がした。

「英雄ケインだな?」

 見事なボーイソプラノに、俺は眉をひそめた。声優でいえば日高のりこといったところか。

 茂みの中から人影ひとつ。ここで一同、俺と同じ表情になる。

 子供だ。身長は一〇〇センチあるかないか。なかなか可愛い面立ちだが、男の子のようだ。

 くすんだ金髪と赤い肌は、『あちら側』の人間であることを示す。

 極めつけは全身を覆う漆黒のマント。こんな物を現代日本人がつけるはずがない。

「十年ぶりだな、ケイン」

「誰だお前?」

 俺様の素朴かつ率直な質問に、ガキンチョはもともと赤い顔を、さらに真っ赤に染めた。

「オイラを忘れたというのか! オイラは魔導師オヅマ。積年の恨み、晴らさせてもらうぞ!」

 少年の声に、姫様とデュークがまともに顔を引きつらせた。

 俺も、姫様に聞いたことがある。

 魔導師オヅマ。十年前、アルマフレア王国を滅亡寸前まで追いつめた魔導師だ。

 聞いた限りでは、二十か三十代の男(しかも美形)だったそうだ。英雄ケインに倒されたはずなのだが……?

「くたばれケイン!」

 ごうっ! いきなり巨大な火炎弾を撃つオヅマ。

「危ない!」

 姫様の悲鳴。それとほぼ同時に火炎弾がもう一つ。

 ごうんっ! ふたつの火炎弾がぶつかり、相殺された。焦げた匂いがあたりに充満している。

 これは、ティアラ姫がとっさに魔法を放ってくれたのだ。

「くっ、オイラの魔法を相殺するなんて……!」

「このガキィ、火遊びなんざ十万年早え!」

 言って俺は意識を切り替える。

 かちっ。身体の奥底で何かのスイッチのような音がした。

 意識の切り替えによって『ケインの力』を解放したのだ。

 普段はただ頑丈なだけだが、この力を解放することにより、俺はほぼ無敵になる。

「コノヤロ!」

 オヅマが手を振り上げる。そのすぐ上に、光が収束していく。火炎ではなく、純エネルギー弾のようだ。

 どんっ! オヅマは波動を撃った。デュークが迎え撃とうとするが、その前に俺は躍り出る。

 波動に触れ、その手を地へ振り下ろす。ちなみにこれはミリ秒単位の、一瞬の出来事だ。

 どがあ! 足下の大地を陥没させ、波動は消滅した。

「くっ……!」

 口惜しそうなオヅマ。逃亡を図ろうとするが、

 ひゅんっ! 三十メートルほどの距離を、俺は刹那の時間でゼロにした。『ケインの力』を解放した今、このくらいの芸当は造作もない。

「離せ、離せよ!」

「悪ガキにはお仕置きが必要だなあ」

 にたあっと笑い、ガキンチョの首根っこを捕まえたまま、俺は手を振り上げる。

 ぴしゃあんっ! オヅマの尻を、勢いよくひっぱたいた。

「ぴぎゃあっ!」

 女の子のような、オヅマの悲鳴。

「まだまだ!」

 ぴしゃんっ! ぴしゃーんっ! たたくたびに、オヅマの上体が跳ねる。わはは、こりゃ面白い。

「もうやめなさい!」

 振り上げた俺の手を、真紀が止めた。

「泣いてるでしょう。可哀想じゃない」

「あのなあ。こいつはアルマフレアを滅亡させようとした悪の魔導師だぞ?」

 思わずあきれる俺の隙を見て、オヅマが真紀に飛びついた。

「うわあーーーん!」

 真紀に抱きつき、力一杯泣くオヅマ。

 ……ガキだ。こいつはホンマモンのガキンチョじゃ。

「おーよしよし。もう怖くないからねえ」

 母親のごとく、オヅマをあやす真紀。

「あ、頭痛い…」

 言葉通りに、俺は頭を抱えた。こいつ、本当にアルマフレアを滅ぼしかけたのか?

 見ると、姫様やデューク、りゅうり・真弥ちゃん・久美ちゃんもあきれかえっている。

 もう一度オヅマに目を向けたとき、俺ははらわたが煮えくり返った。

 オヅマは真紀の胸元に顔を押しつけて泣いていたのだ!

「このクソガキィ! そのオッパイは俺んだぞ!」

「誤解を招くようなこと言わないでちょうだい!」

 すかさず返る真紀の怒声。

 周りでは一斉にひっくり返っているが、この際それはどうでも良い。

「いつあたしの胸があんたのモンになったのよ!」

 ふっ。青いな、真紀。なんの根拠もなく俺がそういうことを言うと思ったか?

 俺は尻のポケットから、紙切れをひとつ取り出した。

「これだ!」

 そこに書かれているのは、『むねさわりけん むねをさわってもよいです しんどうまき』という、つたない子供の字!

「そ、それは……」青い顔色の真紀。

 思い出したようだ。十二年前のことを。

 五歳の誕生日を迎えた俺は、誕生日プレゼントとして真紀からこれをもらった。

 五歳児の胸をさわっても楽しくないから、今まで肌身離さずとっておいたのだ。

「どうだ! これがある限り、お前のオッパイは俺の物なのだ! さあ、そのガキンチョを離せ!」

 叫ぶ俺に、真紀は無造作に近づいた。

 うおおっ、速え! こいつも超人か?

「時効よ!」

 べりべりっ! 俺から券を奪い取り、真紀はこともあろうか破り捨てた!

「あああああ、なんてことをををを!」

 泣き崩れる俺様。

「お、俺の十二年の歳月があああぁぁぁ!」

「悪は滅びるのみよ」勝ち誇る真紀。

「ええい、こうなったら直接揉ませてもらう!」

「やめんか変態!」

 どげし! 真紀にはり倒される俺様であった。

「ケイン、覚えてろよ! この借りは絶対に返すからなあ!」

 話題から取り残されていたオヅマが、捨てゼリフを吐いて逃げていった。

 いかん、すっかり忘れていた。

「待てこのクソガキ! ちゃっかりおいしいとこだけ奪っていきやがって!」

 叫びもむなしく、オヅマの気配はどこにもなかった。残るは激しい虚無感のみ。

「うぉのれあのガキ、絶対死なす!」

 めらめらめら。暗い怒りの炎を燃えあがらせる俺様であった。


         *


 疲れの癒えぬ翌日の月曜、俺は教室で信じられないものを見た。

「転校生を紹介します」

 イシター先生の声に従い、一人の生徒が教室に入ってきた。

「げ」思わず間抜けな自分の声。

 一〇〇センチにも満たぬ小柄な身体。くすんだ金髪に赤い肌。そして少女のような面立ち。

 学生服を着ているが、その上に漆黒のマントを羽織っている。

「サラヴィー・オヅマだ。よろしくな!」

 魔導師オヅマは、そう挨拶した。


 アルマフレアを舞台に死闘を繰り広げた、英雄ケインと魔導師オヅマ。

 二人の、宿命の再会はこうして実現された。

 ……ふう。

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