ランドー英雄伝
舞沢栄
プロローグ
ランドー英雄伝
プロローグ
あんぎゃあああぁぁ。
ワイバーンの鳴き声で俺は目を覚ました。
まったく、飛龍のやつは毎朝毎朝ニワトリじゃあるまいし。
俺はしかめっ面でベッドを降り、窓を開けた。
青い空と白い雲、そして輝く太陽。この三つだけは今までと変わらない。逆に言えば、それ以外はとことん変わってしまったということ。
だがしかし。この俺、樹之下蘭道(きのしたらんどう)は今日も元気だ。
所狭しと立ち並ぶ住宅街をバックに、ワイバーンこと飛龍が俺の目の前にホバリングしてきた。風圧で、寝癖のついた俺の髪がなおいっそう乱れる。
ワイバーンが飛龍とはそのまんまなネーミングだが、真紀が名付けたんだからしょうがない。
飛龍は翼をはためかせながら喉をグルグル鳴らしている。なぜかは知らぬがこいつは俺になついているのだ。
「屋上で待っとれ。朝飯食ったら行くから」
簡潔に言い、飛龍をマンションの屋上へ行かせた。ここは五階だが、目の前でホバリングなんかやられた日にゃ、窓ガラスがいくつあっても足りなくなる。
芳ばしい香りが、俺の腹時計の針を進める。キッチン兼のリビングへ行くと、真紀が料理をしていた。制服にエプロンという格好だ。
「おっはよー、真紀」
真紀を抱きしめようとするが、その手は空を切った。
「妙な真似はやめてちょうだい」
「なにを言う。これはアルマフレア王国の正式な挨拶だぞ」
「ここは日本よ」
「半分はな。残りの半分はアルマフレアだ」
「日本人なら日本の挨拶をしなさい!」
真紀の怖いひとにらみに、俺は反射的に頭を下げた。
「おはようございます」
真紀はため息ひとつつき、
「ま、いいわ。朝御飯できてるわよ」
「うむうむ。毎朝俺のためにご苦労であるな」
「なぁに馬鹿言ってるのよ、ランドー。おばさまに頼まれたんだからしょうがないじゃない。お互い、共働きはつらいわねえ」肩をすくめる真紀。
彼女のフルネームは、新藤真紀(しんどうまき)。一つ上の階に住んでいる、俺の幼なじみ兼同級生だ。
長い黒髪と若干のつり目が気の強そうな印象を与えるが、実はそのまんま気が強い。
そして見ての通りの世話好きな女だ。
「ランドーお兄ちゃん、おはよう」
バスルームから少女が一人現れた。制服姿だが、頬はほんのり赤く、かすかに湯気が立っている。
「真弥(まや)ちゃん、お風呂に入ってたの?」
「うん」
ちちいっ! それがわかっていれば早起きしたのに!
心底悔しい俺の胸中を察したのか、真紀が半眼で言った。
「あんたが覗くから言わなかったのよ」
「なんの話?」
「子供には関係のないことよ」
「真弥はお姉ちゃんといっこしか違わないモン!」頬を膨らます真弥ちゃん。
彼女は真紀の妹で、現在高校一年生。栗色の三つ編みと鼻の上のそばかすが愛らしい、ほんわかした感じの可愛い娘だ。
「ねえランドーお兄ちゃん、真弥も飛龍ちゃんに乗りたいな」甘えた声で真弥が言う。
「ああいいとも。あいつは四・五人くらいなら平気だからな。学校まで送っていくよ」
「わーい」
にこにこと微笑む真弥ちゃん。実年齢よりも子供っぽいが、それがまた良い。
「当然、あたしも乗せてくれるんでしょうね?」少々ムッとした調子で、真紀。
「弁当作ってくれたら」
「真弥と扱いが違うわね。ま、いいわ」
商談成立。食事を済ませ、俺たちは屋上へ向かった。
*
「うわー、すごーいすごーい」
飛龍の背で、真弥ちゃんが感嘆にはしゃいでいる。
ワイバーンに乗った俺たちは、大空高く舞い上がった。晩春の風が肌に心地よい。
百メートルほど昇っただろうか。ここからだと地上がよく見渡せる。
外れとはいえ、ここは都内。しかし今は緑にあふれている。
住宅街とビル群の狭間に、まるで降ってわいたかのような緑の数々。
それだけではない。中世ヨーロッパを思わせる、それでいてどことなく違うたくさんの建物が、わずかにあいた土地を埋めるかのように建っている。
そして道路。『あのとき』の影響か、アスファルトの道路は大半が壊れて使いものにならなくなった。今ではオフロード車が売れまくっているという。
「ほんと。ずいぶん変わっちゃたわね」ため息混じりに真紀が言う。
「気にしたって始まらないぜ」
言って俺は飛龍の手綱を引いた。一つ雄叫びをあげ、ワイバーン飛龍は空中旋回をする。
「うわわあっ!」
「きゃあっ!」
可愛い叫び声が二つ。新藤姉妹は俺にしがみついてきた。
胸の感触が伝わってくる。役得。
それにしても真紀のやつ、ずいぶんとでかくなったもんだ。
「なにすんのよっ!」
どげし! 真紀の鉄拳が俺の後頭部に炸裂した。真昼の星が俺の眼前に輝く。
「あ」
思わず間抜けな自分の声。青い空をバックに飛龍の腹が見えている。見る見る小さくなっていく。
「うおぉちるうううぅぅぅ!」
どっごおおぉんっ!
派手な爆音轟かせ、俺は地上に落ちた。落下距離、実に百メートル。
「あたたたた……」
腰をさすりながら起きあがる。並の人間だったら死んでるところだ。
俺を追って降りてきた飛龍。その背から真紀が降り、その手を借りて真弥ちゃんが降りてきた。
「英雄ケインが重なってるってのは本当だったのね」いけしゃあしゃあと、真紀。
「違ってたらどうするつもりだったんだ!」
「ま、いいわ」
「『ま、いいわ』ぢゃねえっ!」
真紀は時々訳の分からないことを言う困った女だ。
そのとき背後に気配が一つ。振り返ると、そこには若い女性が一人いた。
「イシター先生、おっはようございまーっす!」
ぱこーんっ! アルマフレア式の挨拶をしようとした俺を、堅い表紙のノートで彼女は容赦なくひっぱたいた。
「ここでは日本の挨拶で結構です」
冷たい口調でイシター先生は言う。
イシター・タサンカムオンという名が彼女の本名。薄紫という変わった色の髪をしている。『あちら側』の人間は『こちら側』より肌や髪の色が多彩らしい。
「二年A組、樹之下蘭道君は遅刻、と」
「ちょっと待った! まだ予鈴は鳴ってな……」
きーんこーんかーんこーん。言いかけたところでちょうどチャイムが鳴った。
「さて、私のいるところはどこでしょう?」
「校門の中」
イシター先生の問いに、真弥ちゃんが元気に答えた。
「蘭道君のいるところは?」
「校門の外」苦笑いしながら、真紀。
真紀と真弥ちゃんは、いつの間にかしっかりと校門の中に入っていた。
「先生、俺を目の敵にしてません?」
「思い当たる節があるのですか?」
「質問してるのは俺……」
言いかけたとき、ジープのエンジン音が響いた。校門の前で車は止まり、後部座席から少女が一人、降りてきた。
「ケイン様、おはようございます!」
「おおっ、姫様!」
アルマフレア王女、ティアラが『挨拶』をしてきた。もちろん俺は全力をもってこれに応える。
ティアラは先週『こちら側』の学校へ留学してきた、アルマフレア王国の王女様だ。
ピーチ色の髪と真っ白な肌が、高貴で清楚なイメージを与えている。それでいて元気で活発な少女だ。
「そうだ姫様。今日は貴女に日本の正式な挨拶をお教えして差し上げましょう」
「どんなのでしょうか?」
「うむ。アルマフレア風に、こうやって抱き合った後にですな、手をこうやって胸と腰の方へ……」
「そんな挨拶、日本にはないわあっ!」
どがめりっ! 目の前が突然星空に変わった。
抱き合ってる最中に、真紀は俺の顔面だけを的確に蹴り込んできたのだ。器用なやつ。
「ティアラ様。こんな阿呆の言うことなど、真に受けないで下さい」
突如現れた男の声。俺は知っているぞ、このイヤな男を。
名を、デューク・ラインハート。アルマフレア王女親衛隊の隊長だとか。姫様の身を守るのが建前だが、ありゃぞっこんなだけだ。
「デューク、ケイン様のことを悪く言わないでください。十年前、アルマフレアを救ってくださったのは他でもない、ケイン様なのですよ」
「この子は樹之下蘭道君です。伝説の勇者様なはずはありませんわ」
イシター先生がデューク側についた。イシター先生は、今は学校の臨時教師を務めているが、本来はティアラ姫の教育係だそうだ。
「そうです、ティアラ様。このような害虫はさっさと始末してしまうべきです」
言ってデュークは腰の剣を抜いた。制服着ないは真剣振り回すわ、こいつには校則とか法律は通用しないのだろうか。
がきいんっ! 振り下ろされた剣は地面に突き刺さった。
甘い甘い。しばらく身動きしなかったが、俺は気絶したわけではない。一瞬視界が効かなくなっただけで、それはとっくに回復している。
「このクソデューク、俺を殺す気か!」
「はっはっは、もちろんだとも」
笑顔で恐ろしいことを言うデューク。俺も笑顔で応えることにした。
「はっはっは、ならば俺も本気を出そうじゃないか」
「はっはっは、望むところだ」
「二人ともやめてください!」
ぴしゃーんっ!
文字通りの青天霹靂が起こった。俺とデュークは雷に打たれた。
ティアラ姫は、魔法に非常に長けているのだ。
「きゃあっ、ごめんなさい。大丈夫ですか?」
あんまり大丈夫じゃないかもしれない。
*
ある日、世界が重なった。
テレビやマンガではおなじみのこの出来事、本当に起きたら世界はやっぱり混乱した。
俺たち若者は柔軟性に長けているのですぐに慣れたが、頭の固い大人たちはそうはいかない。
毎朝毎晩、学者や魔導師、首脳に国王が会議やらなんやらに明け暮れている。
しかしそんなことはどうでもよい。面倒くさいことは大人に任せ、俺たち若者は現状を楽しむのが吉だ。
こんな体験、そうそうできるものではないのだから。
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