39kgは重すぎる(13)

「――関わり方」


 どういう意味だろう。あたしは兄の発言の真意が理解できず、首をかしげた。


「ピンとこないようだな。だったら、ちょっとした物語を聞かせてやろう。五十海市内に住むとある老人の物語だ」


 ますますわからなくなったが、とりあえずのところは話を聞いてみようと思い、あたしは兄が再び口を開くのを待った。


「老人に子供はなく、何年か前に伴侶に先立たれてからは、住み慣れた一軒家で一人きりの生活を続けていた。性格は気むずかし屋。趣味と言えるのは早朝の散歩くらいのもので、人付き合いはほとんどない。とは言え、体は健康そのもので、一人で生きていくのには充分過ぎるほどの財産も持ち合わせている。近所の住人には寂しい隠居暮らしだと思われているのかもしれないが、当の本人は悠々自適の老後だと考えている」


 話が脱線したまま戻ってくる気配がないんですけど、大丈夫なんでしょうね? そう言いたくなるのをぐっと堪えて、兄の話に耳を傾ける。


「そんな老人にとっての悩みの種が、唯一の親族である甥っ子だった。不出来な甥っ子はいつも金に困っていて、老人のところに度々無心しにやって来た。老人もはじめは多少のお金を融通してやったのかもしれないが、しまいには呆れ果てて『もうお前に渡す金はない』と突き放した。それで甥っ子は、今までに受けた恩も忘れて、老人のことをひどく恨むようになったんだ」


「逆恨みじゃん」


「全くだ。しかし、甥っ子はやがて二つの事実について思いをいたすようになる。老人が死ねば唯一の親族である自分のもとに遺産が転がり込んでくるという事実と、老人は健康そのもので死の兆候は全くないという事実についてだ」


 あたしははっと息をのんだ。独居老人とその親類の話が急に血のにおいを放ち始めたからだ。


「そうして甥っ子は気がついてしまう。朝早くに近所を散歩するという老人の習慣を利用すれば、自分の暗い欲望を満たすことができるということに」


 暗い欲望。つまりそれは――あたしが固唾を呑んで兄が再び口を開くのを待っていると、その兄がふうと小さく息を吐き出した後で、思いもよらないことを言った。


「と、まぁ、これは俺が即興で作った虚構の物語なんだが」


「はあ?! 作り話なの?! お金持ちのご老人とろくでなしの甥っ子のくだり、まるっきり全部?!」


「そうだが?」


 そうだが、じゃあないんだよ! あたしが憤怒の表情で睨みつけると、兄は言うに事欠いて「少し落ち着け」などと宣いやがる。


「……先に補助線を引いておいた方が話のイメージがつきやすいと思ったんだが、どうやらお気に召さなかったようだな。であればそろそろ主線を引くことにしよう。一連のマンホール連続盗難事件で、マンホールが盗まれたすぐ後に、事件現場がどうなっているかをイメージしてみてくれ」


 全く腹が立つふてぶてしさだ。でも、兄の言う『主線』とやらが気になるのも事実だった。あたしは舌打ちを一つして、頭の中で事件現場のことを思い浮かべてみることにする。実際に事件があった場所は知らないので、イメージ映像は近所の市道で。確か広場の手前の道路にマンホールが設置されていたはずだ。


「当然ながら、マンホールの下に隠れていた土管が剥き出しになっているよな?」


 そりゃあね。本来あるべきはずのマンホールがないんだから。


「その場所を通りがかった誰かが異変に気づいて、警察なり市の担当部署なりに通報してくれればただの盗難事件だ。しかし、仮にその誰かが異変に気づかずに、剥き出しの土管に足を取られてしまったらどうなる?」


 兄に問われて、あたしは少し考える。土管の中がどんな風になっているのかは知らないけど、落ちたら軽い怪我では済まないことくらいはわかる。最悪、死ぬことだってありうるだろう。


「今のところそうしたは起きていないようだが、だからこそを誘発してしまったとも言える」


「次の犯罪って――まさか、そういうこと?」


 あたしはふいに兄が何を言おうとしているのか察して、背筋を震わせた。


「ようやく理解したようだな。そうだ。あの女とその連れが企図した犯罪は一連のマンホール連続盗難事件ではない。便


「便乗殺人――」


 あたしがぼそりと呟くと、兄はこくりと頷いてみせる。


「奴らが具体的に誰を殺そうとしているのかは、俺にはわからない。ただ、身内かそれに近い人物であることは間違いないだろう。早朝の散歩が日課になっていることもそうだな」


 再び歩き出しながら、兄は自らの推理を語る。今の兄には大きすぎる真っ黒なシャツが、闇の中でゆらゆらと揺れる。


「奴らの計画はこうだ。まずはじめに、夜の闇に紛れて被害者宅の近所の市道からご当地マンホールを盗み出す。盗み出したマンホールは、ひとまずどこか人目につきにくい所に隠しておき、朝になるのを待つ。続いて、被害者がいつも通り散歩に出かけたところに近づき、言葉巧みにマンホール穴の側まで誘い出し――二人がかりで穴の中に突き落とし、殺害する」


「被害者が自分でマンホール穴に落ちるよう仕向けるわけじゃなくて、自分たちで突き落とすつもりなんだね」


「そう何度もマンホールを盗むわけにはいかないからな」


 多少手口が荒っぽくてもご当地マンホールが盗まれている以上は捜査陣の目を欺くことはできるという判断なのだろう。その判断は正しいと、あたしも思う。


「首尾良く殺人が成功したら、近くに隠しておいたマンホールを回収し、より安全な場所へと移す。現場には、むき出しのマンホール穴と、穴の中の死体だけが残されることになる」


 穴の中の死体――連続マンホール盗難事件の余波で、マンホール穴の中に転落し、不幸にも亡くなった被害者――そう見せかけるのが、美人さんとその共犯者の狙いだったというわけだ。


「……ここからは補足というか蛇足になるが、奴らが業務用の原付スクーターさえも使おうとしないことについて、鮎は、車両のナンバーから身元が特定されるような状況を嫌ったためだと指摘したよな? 奴らが連続マンホール盗難事件の犯人ではなく、一度きりの殺人事件の犯人であるなら、その指摘は正しい。便乗殺人のトリックを労すること自体、奴らが動機面で疑われやすい立場にいるということを意味しているし、万が一にも足がつかないよう、車両の使用は控えるはずだ」


「トリックの性質上、現場付近で不審な人物が目撃されたというだけならセーフだけど、車のナンバーはごまかしがきかないもんね」


「もう一組、蛇に足をつけ足そう。鮎はあの女が過去にも39kgの荷物運びをしたことがあるとも推理したが、俺もその通りだと思う。人ひとりを殺すんだ。必ず犯行現場周辺を入念に下見したはずだ。ご当地マンホールの正確な立地。周辺の建物や設備。夜から朝方にかけての交通量。それから予行演習としてマンホールの重さを確かめることもしただろう。以上二つの傍証を踏まえても、奴らの狙いがマンホール連続盗難事件に便乗した殺人である公算は限りなく大きいと思う」


 兄の補足ないし蛇足は、あたしの推理の足がかりを自らの推理の補強材料として再利用したものだった。どちらの方がより説得力があるか、問うまでもない。あたしは堤防敷まで来る途中に兄が言った言葉を思い起こしながら、奥歯を強く噛みしめる。


 ――さっき『マンホール連続盗難事件に注目したのは良かった』と言ったのは嘘ではない。他にもいくつか興味深い指摘があったとは思う。だが、それだけだ。


「俺から言えるのは大体こんなところか。ああ、強いて付け加えるなら、俺が。解決すべき事件が連続マンホール盗難事件であるなら、それほど急ぐ必要はないからな」


 ぐうの音も出ないとはこのことだった。美人さんの言動からマンホール連続盗難事件との関連性を疑ったところまでは良かったが、さらに深く推理することを怠ってしまった自分が心底恨めしい。


「反論は――ないようだな。なら、今回は俺の勝ちということにさせてもらおう」


 兄はそう言って、穏やかに笑った。どこかほっとしたような感情が見え隠れする笑い方だった。


「……本当にこれから事件を解決しにいくつもりなの?」


 どうやって? とは口には出さずにあたしが目で尋ねると、兄はズボンのポケットから一枚の紙片を取り出した。


「それは?」


「まあ見てみろ」


 ちょうどすぐそこに街灯がある。あたしは街灯の下で歩みを止めて、兄から手渡された紙片を開く。A4サイズの紙に印刷されていたのは五十海市の略地図で、あちこちに×印の書き込みがあった。


「ご当地マンホールの設置箇所をプロットしたものだ。既に盗難被害が出てしまった箇所については赤字にしてある。情報源は明かせないが、確かな筋から得た情報だということは断言しておこう」


「……把握してたんじゃん。犯行現場」


 あたしがどこで事件が起きたのかを把握してるのかと尋ねたときに兄が明言を避けたことを思い出しながら、あたしはムスッと口を尖らせた。


 あのとき兄は『把握していなくても犯行現場がひとところに集中しているわけではないということくらいは推定できる』とも言っていたが、実際、赤字の『×』は市中心部――ちょうどグリーンデイズがある辺りから放射状に、市内各地に点在している。その数はなんと八件にも上った。


「それくらいの準備はするさ。必要だからな。鮎とのゲームの最中は、俺だけが知ってる情報を推理の材料にするのはアンフェアだから、伏せておいただけのことだ」


 いらないから。そういう見せかけのフェアプレー精神。


「で、何個か○がついている箇所があるけど、これはどういう意味?」


「ご当地マンホールは市内約百五十カ所に設置されているとのことだが、殺人事件の現場たりうる場所はそう多くない。人通りが少ない道路上でなくてはならないし、それでいて住宅地の中か、その近くだという条件も加わるからな。さらに警察が巡回しているであろう盗難事件の現場近くを除外すると、殺人事件の現場候補はかなり絞り込まれる」


「それがこの○印だと」


 あたしが尋ねると、兄は静かに頷き返したが、おそらく兄の思考はさらにその先を行っていることが察せられた。


「少し時間を使いすぎた。そろそろ行かなくては」


 兄の視線の先に、瀬名川に架かる『かぞくのふれあい大橋』という名前の小さな下路橋かろきょうがあった。手元の地図によれば、あの橋を越えて少し歩いたところにある高層マンションの近くにも、殺人事件の候補地とやらはあるようだった。


「なが兄――ねえ!」


 一歩、また一歩と歩き始めた兄の背中に、あたしは呼びかけた。


「本当に、本当に、自分で事件を解決するつもりなの?!」


「もちろんだ」


 兄は顔だけをこちらに向けて、言った。


「先だっての事件で、俺は罪を犯した。罪を犯したにも拘わらず、こうやって日常の中に戻って来た。戻って来てしまった。俺の同胞なかまは、あるいは俺の代わりに罰を受け、あるいは俺の代わりに命を落としたというのに、俺だけが罪を償うこともせず、のうのうと生きていくことなどできるはずもない。それが、先ほどのお前の問いに対する答えということになるな」


 そして、兄はまた、笑った。


「そんな顔をするな。事件が解決したらその後で家に戻ると約束しよう。だから、頼む。今日のところは行かせてくれ」


 兄は再び顔を前に向けると、のろのろとした足取りで、街灯の明かりが届かない闇の中へと溶け込んでいった。


 街灯の下に一人残されたあたしにできることは、兄がまだいるであろう暗闇を眺めることだけだった。あたしは兄をかぞくのふれあい大橋のこちら側につなぎ止めておくための言葉を何一つ持ち合わせていないのだ。


 ――あの時もそうだったように。

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