39kgは重すぎる(12)
「……そこまで言うからにはちゃんと説明してくれるんでしょうね?」
怒りと屈辱に身を震わせながら、あたしはどうにかそれだけ言った。
「まぁそういきり立つな。順を追って話していこう」
兄はさらりと受け流してそう答えると、一足先に坂道を登り切って、上からあたしを見下ろした。
「はじめに確認するが、問題のご当地マンホール連続盗難事件が今月に入ってから立て続けに起きているということは、鮎も知っているんだよな?」
「もちろん知ってる。それが何?」
あたしは鼻をふんと鳴らすと、坂道を登り切って兄の隣に立つ。
ラジオでは『今月に入ってから五十海市内でマンホールの盗難が相次いでいる事件について、この一週間でさらに二件の盗難被害があった』と言っていた。今は下旬。正確な被害件数はわからないが、ニュースキャスターのあの口ぶりからして、被害が今週の二件だけに留まるということは考えにくい。
「おかしいとは思わなかったのか? 仮にあの女が窃盗犯の一味だとするなら、さんざっぱら車も業務用の原付スクーターも使わずに盗みを働いた上で『39kgは重すぎる』と激高したことになる。最初の何件かの犯行のすぐ後ならいざ知らず、このタイミングで言い出すというのは今更過ぎる」
「それは……」
兄の言葉で自分の表情筋がこわばるのがわかった。
「ううん。鬱憤が溜まりに溜まっていたのかもしれない。断定はできないんじゃない?」
兄の論に比べるとあまりにも薄っぺらい抗弁だ。そんなことはあたしが一番よくわかっている。でも、こんなところで白旗を揚げて降参だなんて、できるはずがない。
「まあな」
あたしの心の内を知ってか知らずか、兄はあっさりと引き下がった。
「良いだろう。なら、次だ」
それから兄は、堤防敷沿いの小道をゆっくりと歩き始めた。あたしもすぐにそれに倣うことにする。
春であれば美しく咲き誇る堤防敷の桜並木にはしかし、濃い色の葉ばかりが、空をも覆いつくさん勢いで生い茂っていた。星の光さえも届かない暗い夜道。頼りになるのはぽつんぽつんと間隔を立っている街路灯の明かりだけだった。
「さっき鮎が指摘したように、一連の事件で狙われたのは五十海市の市道にしか設置されないご当地マンホールだ。当然、事件が起きた場所は市内に限定されることになるわけだが、ここで問題にしたいのは、市内のどこで発生しているかという点だ」
「ラジオのニュースでは、詳しい場所までは言ってなかったと思うけど……なが兄はどこで事件が起きたのかを把握してるの?」
「把握していなくても犯行現場がひとところに集中しているわけではないということくらいは推定できる。過去に事件が起きたエリアは警察も巡回を強化するだろうし、近隣住民も不審人物に対して敏感になるはずだ。窃盗犯の心理としても、警戒されているところにみすみす飛び込んでいくよりも、他を狙う方がずっと自然だ」
「その犯罪心理に異論はないけどさ。それがどういう理路であたしの答えに対する反論に繋がるわけ?」
「……窃盗犯の動きを想像してみろ。窃盗の目的が収集であればもちろん、転売であったとしても、ほとぼりが冷めるまで一旦は、盗んだ品を安全な場所に保管しようとするはずだ」
そう言って、兄は頭上を見上げる。桜の枝葉がつくる天蓋の向こうに浮かぶ星々の煌めきを見据えるように、目を細める。
「仮にあの女が窃盗犯の一味だったとするなら、盗んだマンホールを歩いて運んだことになる。犯行現場が盗品の保管場所の近くだったとならそれもあり得るだろうが、さっきも言ったように犯行現場がひとところに集中しているわけではない。保管場所から離れたところで犯行をしなければならないケースもあったはずだ」
兄の言葉があたしの胸を深く突き刺さる。同時にあたしは思い浮かべてしまう。汗びっしょりになりながら、重いマンホールを持って長い道のりを歩き続ける窃盗団の姿を。
「想像したな?」
した。現実的には到底ありえない情景を、ありありと想像してしまった。
「確かに自動車の使用には車両のナンバーから身元が特定されるリスクがある。それは認めよう。だが、マンホールを持って何キロも歩く方がはるかに目立つし、巡回中の警察に見つかってしまったら弁解の余地なく逮捕されるだろう。どちらの方がより高いリスクを負うかは火を見るより明らかだ」
兄はそこで軽く息を吸って、あたしの方を向き直った。
「繰り返しご当地マンホールだけを盗んでいることからみても、窃盗犯の一味が入念に下見をした上で犯行に及んでいると考えて良いだろう。であれば、事前に人目に付きにくい駐車ポイントを見繕っておくこともできたはずだ。自動車を使うことができるのであれば、使わないという選択肢はない。したがって、あの女は窃盗犯の一味ではない。以上が俺の反論だ」
夜が静寂を取り戻した。兄が口をつぐみ、あたしもただの一言も反論することができず、その場に立ち尽くしていた。
「待って」
息も絶え絶えにそう言ったのは、兄が黙り込んでから一分以上も経ってからのことだった。
「あたしの推理が間違っていたとして、なが兄が考える正解ってのは何だったの? 本当にあの美人さんはマンホール窃盗とは無関係だったの?」
「いいや。関係は、あるんだ」
「……え?」
「マンホール連続盗難事件に注目したのは良かったと言っただろ? 鮎が指摘したように、あの女が何らかの犯罪行為に関わっている公算は大きいだろう。電話の相手に怒鳴りちらしている時に出た『39kgは重すぎる』という発言も、マンホール連続盗難事件との関連も強く疑われるものだった。だが、さっきも言ったようにあの女は窃盗犯の一味ではない。事件との関わり方が違うんだ」
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